あなたが生まれた日

大田康湖

あなたが生まれた日

 1969年1月13日。茨城県陽光原ようこうばら市の産院で出産を終え、気を失うように眠っていた私は、ナースに揺り起こされ目を覚ました。隣には産着にくるまれた赤子が寝息を立てている。

村橋むらはしあかりさん、旦那様がいらっしゃいましたよ」

 私は病室の窓に目をやった。昨日からちらついていた雪が止み、木の枝にうっすらと積もっている。その枝をくぐるように、黒いコートにかばんを提げた男性が足早に歩いてくる。夫の医師、孝雪たかゆきだ。私より8歳年上なので、恋人時代からずっと「孝雪さん」と呼んでいる。孝雪さんはドアを勢い良く開けると、病室に飛び込んできた。

「おめでとうございます、女の子ですよ。母子共に健康です」

「良かった。先生やナースの皆様もありがとうございました」

 孝雪さんは頭を下げると、私の手を取った。

「一番大変だった時に、そばにいてあげられなくて本当にごめん」

「夜勤なんですもの、仕方ないわ。お母さんと弟もいてくれたし大丈夫よ」

 孝雪さんは私の言葉に目を細めると、眠っている赤子の顔をのぞき込んだ。

「君もよく頑張ったな。これからお母さんと素敵な名前を考えるからな」


             ○


 10年後。窓の外では雪が激しく降っている。

「こんなに降るのも珍しいわね。パパが無事に帰ってこれるといいけど」

 私は冷気を防ごうとリビングのカーテンを閉めた。

「ねえママ、どうして『やちよ』って名前にしたの」

 テーブルに置かれたボウルを前に娘のやちよが呼びかける。

「パパは男の子が生まれたら『雪弥ゆきや』ってつけたいって言ってて、私は女の子なら『千代ちよ』がいいって思ってたの」

 私はポテトサラダの入ったボウルを取り上げた。

「パパは自分と同じ『雪』の字を付けたかったの?」

 やちよは小皿をテーブルに並べながら尋ねる。

「そうね、パパが生まれた日も雪が降っていて、パパのパパ、つまりおじいさんが『親孝行な子になるように』って『孝』の字をつけたんですって」

「おじいさんは、パパが子どもの時に病気で亡くなったんだよね」

「ええ。パパは病気で苦しむ人をなくす手助けがしたいと思って、お医者さんになったのよ」

 私は小皿にポテトサラダを盛り付けながら答えた。

「私のお父さんも高校生の時に亡くなったし、子どもには長生きしてほしいと思って『千代』にしたいと言ったの。そしたらパパが、『「千代に 八千代に」って歌にもあるし、二人の名前を合わせて「やちよ」にしよう』」と提案したのよ」

「へえ。パパとママのいいとこ取りだったんだね」

 やちよはそう言いながらスプーンとお箸をテーブルに並べ始めた。

「私もママやパパ、おばあちゃんに長生きしてほしいから、パパみたいにお医者さんになろうかな」

「嬉しいわ。でも、やちよが幸せになれるようなことなら何でもいいのよ」

 それは私の正直な気持ちだった。やちよが私の顔をのぞき込む。

「ママ、もしかして泣いてる?」

「ううん、おじいちゃんたちに、こんな優しい孫を見てもらいたかったなって」

 私はにじむ涙を隠すように目をしばたかせる。そこに、奥の台所からシチューの入った両手鍋を持った母のかつらが入ってきた。

「大丈夫、おじいちゃんに一番先に会いに行くのはきっと私だから、やちよのこともちゃんと伝えとくわ」

「そんなこと言わないで、あと千年くらい一緒にいてね」

 やちよが鍋敷きを広げながらほほえむと、チャイムの音が玄関から聞こえてきた。ドアを開けると、雪まみれになったコート姿の孝雪さんが立っている。

「遅くなってごめん。この雪でケーキ屋もお客が来ないからって、バースデーケーキにプリンのおまけを付けてくれたよ」

「ありがとう。温かいシチューもできてるから、早く入って」

 私はケーキの入った手提げ袋を受け取ると、コートの雪をはらう孝雪さんに呼びかけた。


終わり


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