第2話



 一瞬、時が止まったのかと思った。


「サンタさん……本当に……!?」


 アキラの頭の中が混乱する。

 本当に、本当に……サンタさんが来てくれた!?


 服装はもちろん、三角の帽子に白い髭、優しい笑顔のおじいさん。

 間違いない、想像通りのサンタさんだ!


 でも、同時に違和感がある。

 服装は通常通り、赤と白のモフモフ服。

 なのに……眼帯。

 そして、胸に付けた星形のバッジが黒い。真っ黒だ。

 サンタとして、明らかに異質な雰囲気を纏っていた。


 呆然とするアキラよりも先に反応したのは洋介だった。


「なんだてめえッ! 人んちに勝手に……!」


 その顔を老人は片手で掴んだ。

 文字通り、白い手袋をした手で、洋介の顔面を覆うように掴んだのだ。

 そのまま老人は洋介を持ち上げ、宙づりにした状態でじろりと睨む。


「お前には聞いていない。私はアキラくんのために来た」


 冷たい表情で言ってから、老人はアキラの方へ微笑んだ。


「アキラくん、お待たせしたね。プレゼントを届けに、願いを聞きに来たよ」

「さ、サンタさん……本物……」


 震えるアキラに微笑みかけてから、サンタはわずかに眉を潜めた。


「おや、怪我をしているね……なるほど、この男に」


 こくんと頷くアキラに、吊されたままの洋介が何事か叫ぶ。だがモゴモゴと口を塞がれて聞こえない。洋介とアキラを見比べてサンタが言った。


「どうする? このまま連れて行くこともできるが」

「連れて、行く……?」

「この男を、君の家族にはもう永遠に会えないようにする。ああ殺すわけじゃないけれど……君のお願いを叶えるには、それがいいだろう?」


 サンタがウィンクし、ようやくアキラの顔に笑みが浮かんだ。サンタさん、本当に助けてくれるんだ。でも……。

 サンタは安心させるように微笑みを浮かべる。


「何も心配ない。すでに国へ申請は出してある。警察も役所も『許可済み』だよ。この男はヤクザでもなんでもなく、ただの暴力的な中年ニートだ。この家から排除しても、なんの問題もない」


 ヤクザ、のあたりで洋介が呻いたがサンタは相手にしなかった。アキラは新しい言葉に目を瞬かせた。申請? 警察も市役所も許可済み? どういうことなんだろう。


「まあ君はまだ子供だ。難しいことはまだ知らなくて良い。だからこそ、我々ダーク・サンタクロースがいるのだから」


 ダーク・サンタクロース。


「それは一体……」


 アキラが言いかけたところでサンタが身体を揺らした。

 洋介が蹴りを入れ、手が緩んだ隙に脱出したのだ。


「てめえッ、ふざけんなよッ」


 もう一度、洋介は右足でサンタに蹴りかかるが、その足はしっかりと白い手袋が受け止めていた。


「まったく、懲りない男だ……」


 言いながらサンタが手を捻ると、足を中心に洋介の身体が一回転した。


「ぐぎゃあっ!」


 右肩から叩きつけられ、洋介が奇妙な叫び声を上げた。彼はそのまま転がるようにしてサンタクロースから逃れ、座敷の奥へ走って行く。


 あっ、とアキラが声を上げるよりも早く、男は母親を蹴ってマキを取り上げ、その細い柔らかい首に手を掛けた。


「そこまでだッ、サンタだかなんだか知らねえが、クソ野郎……とっとと帰れ! 帰らねえならここでガキの首をへし折るぞ!」

「やめて……マキに乱暴しないで……!」


 母親がか細い声を出した。泣いている。その声に呼応するように、マキも高い声で泣き出した。

 アキラはギュッとズボンの裾を握りしめた。胸がドキドキする。どうしよう。どうしたらいい。


「……心配はいらない」


 フッと笑ってサンタはアキラの頭を撫で、それから男に向き直った。


「すぐにその子を母親に渡せ。でないと……」

「言うことを聞けって言ってんだよッ! とっとと出て行け! ぶっ殺すぞ!」


 手に力を入れたのか、マキが苦しそうな声になった。母親が悲鳴をあげる。

 ふう、とサンタが息をつく。


「本当はアキラくんに謝罪をさせたかったが、仕方ない」


 キッと前を見据えた目は、もはやサンタクロースではない鋭さに変わっていた。


「いくら悪人でもこれは必要だからな。先に言っておこう

……メリー・クリスマス、ミスター洋介」


 アキラが目を丸くする。

 それから奇跡が起きた。


 すさまじい素早さでサンタクは腰の杖を引き抜くと、先端を洋介の手に向けた。

 プシッと音がすると同時に洋介がビクンと震え、崩れ落ちる。

 だがその時にはサンタクはすでに地を蹴っていた。

 倒れる洋介の身体、投げ出されるマキ。


 ピンクの幼児服がふわりと浮き上がった瞬間。

 サンタクロースの白い手が優しく、本当に優しくその身体を抱き寄せていた。


 その間、およそ5秒。

 大きな体躯に似つかわしくない、流れるような動作だった。


 マキはぽかんとしていたが、サンタに抱かれているのに気付くと途端に泣き始めた。


「よしよし、良い子だね。ほら、お母さん、しっかり抱いて……大丈夫、無事ですよ」


 母が慌ててマキを受け取る。ようやく安心したのか、マキは小さな笑い声を上げた。


「ありがとうございます、ありがとうございます……!」


 繰り返す母の頭を、サンタは子供にするように優しく撫でた。母は嗚咽を上げると、床に座り込んで大きな泣き声を上げた。本当に子供のようだった。

 サンタはアキラの方へ向き直る。


「アキラくん、我々に返事をくれて、本当にありがとう。君のおかげでお母さんも妹も救われたんだ」

「そう、なのか……」

「ああ。勇気を出してくれてありがとう。そして、我々サンタクロースを信じてくれてありがとう」


 サンタの手は大きい。頭を撫でられると気持ちが良くて、切なくて、心の底から喜びが湧いてくる。

 サンタクロース。本当にいたんだ……。


「偉かったね、アキラくん」

「サンタ、さん……」


 鼻の奥がツンとして、気付けばアキラも号泣していた。泣くのは久しぶりだ。

 サンタはその身体を抱き寄せ、子供らしく泣くアキラの頭を、ずっと、優しくなで続けてくれた。


■□■


 母とアキラを落ち着かせ、洋介の身体を縛り上げてから、サンタはいろいろな話をしてくれた。


 まずはサンタクロース機関のこと。

 国連配下の団体で、元々は、みなが想像するように万人へのプレゼントを配っていた。だが昨今の児童虐待問題を受けて、普通の子供達へのプレゼントは各家庭に任せ、問題を抱えている子供達を救う機関として特化したという。


「その中でも、私の所属するダーク・サンタクロース部隊は特に問題のある家庭に介入する権限を持ち、日夜特殊訓練を行っている」

「だからあんなに強かったのか……!」


 アキラは感動の溜息をついた。

 洋介に打ち込んだのはごく小さな麻酔銃だったらしい。

 効き目は抜群で、しばらく目覚めることはない。そのまま、洋介は大人の更正施設に送られるそうだ。殺されたり害されたりするわけではないと聞いてアキラは安心した。


 同時に、つくづく感心してしまう。

 サンタがまさかそんなことまでしていたなんて。

 もっと優しい、プレゼントをくれるだけのお爺さんかと思っていたが、全然違う。

 洋介を倒したときの、身体の動き。身のこなし。

 どんな正義の味方よりも、輝いて、優しくて、強いヒーローだった。

 サンタクはふっと表情を緩め、それから真面目な顔をした。


「私たちは、君たち子供に謝らなければならない。子供を害する大人を野放しにしている罪は、大人全体で背負わなければならない」


 だからこそ、と彼は光に満ちた茶色の目でアキラを見た。


「だからこそ、子供達だけの味方である『サンタクロース機関』が国連で組織されたのだ。虐げられた子供達の願いを最後に掬い上げる、いわば『絶対的な子供の味方』として……ああ、まだ難しいかな、こんな話」

「ううん、分かるよ」


 ねえ、とアキラは顔を上げた。


「僕もいつか、あなたみたいな……サンタクロースになれる?」


 サンタは驚いた顔をしたが、すぐに目を細めた。


「……そうだね。君は賢く、勇気もある。いつか大人になったら応募してみるといい。サンタクロース機関は、いつでも優しく正しいサンタクロースを求めている」


 彼のポケットで、シャンシャン、と軽やかな音が鳴った。スマホを取り出し(ブッシュドノエルのデザインのカバーをしていた!)サンタクロースは息をついた。


「すまない、次の現場に急行しないといけないようだ。我々も忙しくてね……昨今は困っている子供も多いから。今夜は眠る暇もなさそうだ」


 ガサゴソと別なポケットを探り、取り出したのは白い大きな袋だった。

 その中に洋介をすっぽりと入れる。外から見ても、とても人が入っているようには見えないだろう。

 あの大きな袋はこういうことだったのか……とアキラが驚いている目の前で、サンタクロースは軽々とそれを背負った。


「それではアキラくん、確かにお届けしたよ……リクエスト通りの『平和で、穏やかな家族生活』よろしく受け取ってくれたまえ」

「うん、サンタさん、ありがとう!」

「どういたしまして。では……最後になるが、我々サンタクロースを信じてくれて本当にありがとう。メリー・クリスマス、良い祝日を!」


 玄関ドアを開けたサンタの向こうから風が吹き込んでくる。

 アキラと母が見たのは、家の外でホバリングする巨大なドローンだった。


 四つの大きなプロペラがあり、真ん中に操縦席があるのを見ると人間用なのだろう。塗り分けられた赤と緑、それに銀色のデザインが秘密兵器っぽくてかっこよかった。いまどきのサンタはこんな乗り物を使っているのか。


「すっげえ……!」


 サンタがウィンクをして答える。それから、外廊下の手すりに足を掛けると軽い動作でドローンに飛び乗った。がくん、と揺れたのも一瞬、操縦桿を握ると同時に、ドローンは急に高度を上げていく。


「ありがとうサンタさん! メリークリスマス! メリー・クリスマス……!」


 サンタクロースの姿が消えても、アキラはいつまでも夜空に向かって手を振り続けていた。



■□■



――それから、十年後。


 12月23日、どこともしれない場所。

 広い講堂は静かな熱気に包まれていた。


 集まった人々はおよそ三千人ほどもいるだろうか。熱気で暑いくらいだ。

 それもそのはず、全員がお揃いの厚着をしている。

 赤い帽子に赤い上下の服、白い付け髭。

 背格好は違ってもその外見は同じサンタクロース。部屋の隅まで、全員が同じだった。


 いや、わずかに違う者たちもいる。

 赤い上下に白い髭は変わらず、胸のバッジだけが黒い。眼光が鋭く、その一団だけは異様な雰囲気を醸し出していた。


 やがて壇上に一人の男が現れた。彼もまたサンタクロースだった。


「全世界のサンタクロースに告げる! 今年もクリスマスがやってくる! 我々の祝祭、我々の戦場が幕を開ける! 問おう、同士よ! 我々を待ち焦がれるのは誰だ!?」


「「「子供達! 子供達!! 全世界の良い子たちが! 我々を待つ!!!」」」


 割れんばかりの声が講堂を揺るがす。壇上のサンタクロースは満足げに頷いた。


「それでは問おう! 我々が届けるのはなんだ!?」


「「「夢、希望! 願いの成就!」」」


「我々が戦う相手は誰だ!?」


「「「子供達を害するすべて!!」」」


 サンタクロース達が熱狂的に叫ぶ中、一人の女性が興奮したように隣に声をかける。


「ねえ、すごいわね! 私、今年の新人で……決起集会って毎年こうなの!?」

「僕も新人だけど、そうらしいよ」


 冷静に答えた青年は、くい、と帽子をわずかにあげた。アジア系の顔立ちに浅黒い肌。鋭い眼光に女性が息を飲む。

 よく見れば彼は胸に違う色のバッチを付けていた。

 燦然と輝く、夜の闇のような黒いバッチ。


「あなた、ダーク・サンタクロース部隊の……!」

「坂下アキラ、だ。よろしく」


 小声で言い、青年は鋭い目で前を向いた。

 壇上にはサンタクロースがいる。

 あの夜の彼とは違うが、その姿がひとつに重なる。


 ここまできた。

 あの夜から、ようやく。あの約束から、血の滲むような努力をしてようやくここまでやってきた。


 よろしい、と壇上のサンタクロースは叫び、両手を広げた。


「今年もクリスマスの開始を告げる! 同士サンタクロースたちよ、祝い、歌い、そして子供達を害するすべての悪と戦え! 戦うサンタクロースに栄光を! メリー・クリスマス! メリー・クリスマス!」



「「「メリー・クリスマス!!」」」



 講堂の中に歓声と拍手が爆発する。

 熱狂の渦の中、今年もまた、クリスマスの戦いが始まろうとしていた。





(終)

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ダーク・サンタは眠らない 夏目桐緒 @natukiri_0320

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