ダーク・サンタは眠らない

夏目桐緒

第1話





『こんにちは!良い子の 坂下 アキラ くん。


 良い子のきみに、今年はスペシャルなプレゼントがあるんだ!

 今年は、サンタクロースに直接、プレゼントをたのめるよ!


 アキラ くんがほしいプレゼントなら、なんでもOK!

 モノじゃなくても、旅行でも、勉強のことでも、

 何か困った問題の解決でも……なんでもいいんだ。


 いっしょに入っているハガキに、欲しいプレゼントを書いて、そのままポストに入れてね。クリスマスイブに、サンタクロースが渡しに行くから、お楽しみに!


 国際サンタクロース機関 駐日事務局 担当サンタクロース より』



■□■



「それじゃあみんな、事故や病気に気をつけて、楽しい冬休みを過ごしてね!」


 はーい、という声にチャイムの音が重なる。

 生徒達の歓声が溢れ、学校の空気は一気にお祭り騒ぎとなった。


 今日は12月24日。

 冬休み前の終業式の日であり、クリスマスイブでもある。


「これからローストチキンとケーキ買いに行くんだ!」

「俺んちは寿司!」


 5年2組の生徒達はワイワイと騒ぎながら帰って行く。手提げ袋の荷物はパンパンでも、足取りは軽そうだ。

 クラス全員が冬休みを、クリスマスを楽しみにしているように見える。


 ……自分以外は。


 坂下アキラはひとり、重い溜息をついた。

 みんなが羨ましい。

 明るい顔。楽しげな会話。

 家に帰れば美味しいものがあって、優しい両親や親戚がいて、みんなからのプレゼントがあって……。


「アキラくん、帰らないの?」


 顔をあげると担任の吉田先生が困ったようにこちらを見ていた。


「もう帰るよ。先生達も早く帰りたいもんな」


 今日はクリスマスイブだが、行事の関係で五時間目まで授業があった。すでに日は傾き、夕暮れが近くなりつつある。先生達だって家族があるし、友達もいるだろう。こんな日は早く帰りたいに違いない。


「いえ、そういうわけじゃないんだけど……アキラくん、お父さんは最近どう? その……」


 吉田先生は丸眼鏡の奥の目を伏せる。アキラはわざと明るい顔をした。


「……大丈夫。そこまで酷くないよ。心配しないで」

「本当に大丈夫? 先生が一緒に帰ろうか?」

「いやいいよ」


 まわりの大人達は心配してくれる。大丈夫? 相談してね、と言う。

 それはありがたいが、でも助けてくれるわけじゃない。

 『アイツ』と自分たちを強引に引き離してくれる力もない。


 冷静に考えてから、ふと、アキラは口元をほころばせた。


「今日は大丈夫だよ。だってサンタさん来るし」

「サンタ!?」


 先生は優しく微笑んだ。


「サンタさん……そうだね、きっとアキラ君のところにも来ると思うよ!」


 大人達はもちろん、もう五年生にもなればみんなサンタクロースを信じていない。それはアキラにも分かっている。

 でも、それでも、あんな特別な封筒が来たのは初めてだから、アキラは信じたかった。


「今年は封筒が来たから、本当に来ると思うんだけどなあ……」

「封筒?」


 吉田先生の顔色が変わった。


「封筒って?」

「なんか、サンタクロース機関? とかからだって。赤い封筒で……ハガキで返信するヤツ」

「……そう」


 真面目な顔で先生は頷き、まっすぐにアキラの目を見た。


「良かったわね、きっといい結果に……いえ、良いプレゼントが来ると思うわ! じゃあ、今日は道草しないで帰るのよ、いいわね!」


 念を押すような言葉がいつもと違う。やっぱりサンタを信じていることをバカにしているのかもしれない。アキラは溜息をつき、ランドセルを背負った。


「先生さよなら」

「はい、さようなら!……良いクリスマスを!」


 吉田先生はにっこり笑うと、アキラの頭を優しく撫でた。


■□■


 最初にサンタクロースからの手紙が来たのは、11月の初めのことだった。

 見たことがないほど真っ赤な封筒が家のポストに入っていた。


 何気なく取り出したアキラは目を丸くした。それが自分宛だったからだ。

 裏面には読めない英語と『サンタ クロース より』と日本語が印刷されていた。中を開けると綺麗なクリスマスカードがあり、そこには不思議なメッセージが書かれていた。

 

『こんにちは、良い子の 坂下 アキラ くん』


 そうして始まった文章は驚きの連続だった。

 サンタクロースに直接プレゼントを頼めること。

 モノだけじゃない、旅行でも、問題解決でも、なんでもいいこと。、


 差出人は『国際サンタクロース機関 駐日事務局 担当サンタクロース』となっていた。聞いたことのない団体だ。


 アキラは五年生にしては大人びた子供だとよく言われていた。

 生まれた時から母子家庭で、小学生になってからは母親の代わりに身の回りの支度はもちろん、食事作りも掃除まできちんとやっていた。


 だから冷静に判断して、その封筒も何かの広告だろうと思った。あるいは宗教とか、新聞の勧誘とか。


 疑いつつ、それでも迷った末にアキラはプレゼントを書いてポストに入れた。

 どうして信じる気になったのか。自分でも驚いたけど、なんだか信じたい気がしたのだ。


 サンタさんが、本当にいてほしい。

 ひとりくらい、自分の希望を叶えてくれる大人がいてほしい……。 


 そして返信が来たとき、どれだけ嬉しかったか。


 アキラの住むアパートは、繁華街の外れ、木造の住宅が並ぶ一角にある。

 チカチカと点滅する電灯はいつまでも修理されない。その下を通り、さび付いた階段を昇っていくときから子供の泣き声が聞こえていた。

 アキラの妹のマキだ。

 まだ一歳になったばかりなので言葉は話せない。ただ、泣くことでしか悲しみを表せない。

 それがまた父親ヅラした『アイツ』を苛立たせるのだ。


「静かにしろッ」


 バンッと音がして、いっそう激しく火が付いたような泣き声が響いた。

 アキラは急いで外廊下を走り、ドアをガチャリと開けた。


 そこに広がっていた光景はいつも通り。


 狭い台所には酒瓶が転がり、その先の廊下にはゴミが積まれている。

 奥の六畳間にはアキラの母・奈緒子がうずくまり、腕の中にマキを庇うように抱いていた。母も泣きそうな顔をしていた。


 その背中をアイツが蹴っている。

 二年前、母の妊娠と同時にアキラの前に現れた男、洋介。

 マキの父親だと言うその男がやってきて、アキラと母親の生活は一変してしまった。


「おう、アキラか」


 洋介は一瞬、動きを止めてアキラを見た。


「おせえぞ……学校終わったらすぐ帰れつってんだろ」

「……先生に宿題を見てもらって、遅くなった」


 ちらりと見た時計は六時を過ぎている。公演で時間を潰してもこのくらいが限界だ。洋介はチッと舌打ちしてから右手の酒瓶を煽った。


 アキラの母は水商売をしている。お店で男の人にお酒を注ぐ役だ。

 洋介はその時のお客さんで『仲良く』しているうちに母のお腹にマキが出来たらしい。出会った日に、オレはヤクザなんだと凄んで見せた。


 だがアキラの家に来てからは、ヤクザらしい働きも何もせず、ただ酒を飲んでいるばかり。飲んでは母とアキラに乱暴を働き、毎日のように殴る蹴る。


 警察や児童相談所に注意されると泣いて謝るが、そのときだけ。彼らが帰ってからは二倍か三倍の勢いで母とアキラを痛めつけるのだ。


 洋介は深く酒瓶を傾けてから、ああ、と言って放り出した。


「……そうだ、酒ねえんだ。アキラ、買ってこい、金はそこから取れ」

「小学生に売ってくんないよ……」

「あぁ? 売ってくれる店探せよ!」


 もう一度、洋介が母親の背中を蹴り飛ばす。低いうめき声が漏れ、マキが再び泣き出した。

 チッと舌打ちをして足を下ろすと、洋介はズカズカとこちらへ歩いてきた。思わずすくんだアキラの胸ぐらを掴み、ゲンコツで腹を殴りつける。猛烈な痛みが走ってアキラは膝から崩れ落ちた。


「がっ……! ゲホッ…」

「親が買ってこいつったらよォ、素直に買ってこいよ、オラ! クソみてえなこと言って待たせんじゃねえ! 子供なんだからよ!」


 もう一度、今度は横腹を蹴られた。吹っ飛んだ先でテーブルを倒し、ゴミや瓶が音を立てて転がる。アキラは猛烈に咳き込んだ。感情が黒く塗りつぶされていく。痛い、怖い、痛い、怖い。涙が出そうになる。


 こんなことがもう二年も続いていた。もうイヤだ、と何度思ったことだろう。

 今日はまた格別に辛かった。クリスマスイブ、みんなが楽しげに家に帰る様子を思い出す。


 どうして、うちはこうなんだろう。悪いことなんてしてないのに。アキラは祈るように、痛切に思った。

 だれか、どうにかして欲しい。

 サンタでも、誰でもいいから……お願いします。


「おら、金あるだけマシだろ、コレ持って……ん?」


 アキラのポケットに札を突っ込んだ洋介は表情を変えた。


「なんだこれ……はあ? 『サンタクロースより 坂下アキラ くんへ』?」


 ポケットから取り出されたのは返信ハガキだ。アキラが血相を変えて飛びついた。


「返せよッ、オレのだぞ!」

「ああ、なんだお前? サンタってなんだ? あのサンタか!? あっはっは、笑える! 五年生にもなってお前、サンタ信じてんのかよ!?」


 飛びつくアキラを交わしつつ、洋介はニヤニヤと笑いながら封筒を開けた。


「なになに、『プレゼントのおねがい、たしかにうけとりました。クリスマス・イブにおうかがいします』だって!? ……おい、てめえ、家のこと話したんじゃねえだろうな!?」


 カチンとスイッチが入ったように顔色が変わり、洋介はアキラの横腹を蹴り飛ばす。かろうじて身構えていたが、それでも重い痛みが走ってアキラは膝をついてしまった。


「いって……ない……プレゼントを……お願いしただけ……」

「まあ構わねえけどな、オレぁヤクザだからな! ハッ、てめえも5年生にもなってバカだなあ! どうせ商店街かどっかのキャンペーンか広告だろ? プレゼントなんかこねーよ!」


 洋介はハガキを破ると、くしゃくしゃに丸めて床に放り投げた。


「あっ」


 アキラはそれに飛びつき、震える手で広げた。せっかくの、サンタさんからの返事が。


「ヒャハハッ、顔色変えて、おもしれー。生意気だがガキはガキだな、サンタさんかよ!」


 バカみたいに大笑いしてから、洋介は面白くなさそうにペッと唾を吐いた。

 ぐい、とアキラの髪を掴んで上を向かせる。


「おい、いい機会だから教えてやるよ! サンタなんかいねーよ、いるわけねえじゃねえか! 大人のつくったヨタ話をまんまと信じ込みやがって!」


 アキラはぐっと口を引き結んだ。今度こそ泣きそうになる。目に涙が浮かぶ。

 対照的に洋介は意地悪な笑いを浮かべた。


「ホントにいるならよぉ、オレが追い返して……」


 その時だった。

 ピンポーン、とインターフォンの音がした。


 家の中がおかしいほどの静けさに包まれる。

 洋介はのろのろと顔を上げ、アキラを見た。


 もう一度、ピンポーンと鳴る。

 よろめくように洋介は玄関へ行くと、のぞき穴を見た。


「ああ? まさか!?」


 洋介が怖い目でアキラを見た。


「てめえ、あのハガキ……!?」


 ガチン、と重い音がしたのはその時だ。

 鍵が掛かっていたはずのドアがゆっくりと、軋んだ音で開いた。


 男が、アキラが見つめる中。


 入ってきたのは、体格のいい老人。

 赤い帽子、赤い服、白い髭、そして……眼帯。


「メリー・クリスマス、坂下アキラくん。私は君の家の担当サンタクロース。プレゼントを渡しにやってきたよ」


 左目に眼帯をした大柄なサンタクロースが、にこやかに微笑んだ。



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