第6話 何でも屋(3)

 「逆に、僕もお兄さんに一つ質問してもいいすか?」


 突然、質問していた側から質問される側になり、思わずビクッとしてしまった。何を聞かれるんだろうと、少し冷や冷やしながら身構える。


 「…いいよ」


 「そのおでん、そんなに美味しいんすか?」


 思わず肩の力が抜けた。身構えていた自分が少し恥ずかしくなった。まさか、おでんのことを聞かれるとは思ってもみなかった。おでんが美味しいのは当然として、俺がこんなに夢中で食べていたのは、悠介くんの話があまりにも面白かったからだ。彼の話が、このおでんをさらに美味しく感じさせてくれた。

 俺はおでんの残り汁をじっと見つめて、ふと懐かしい気持ちが込み上げた。久しぶりに、心から笑顔を向けて言った。


 「悠介くんのおかげで、とても美味しくおでんを味わうことができたよ」


 悠介くんは、ちょっと驚いたような表情を浮かべた後、すぐに困惑したように眉をひそめた。

 その表情を見て、思わず笑ってしまい、話を続けた。


 「僕はね、こうやって、その人にしか出せない話をおかずに食べるご飯が大好きなんだよ」


 悠介くんは静かに、興味深そうに俺の話を聞いてくれた。


 「例えば、あの人がどういった人生を送っているのか、なんであの人はこんな場所で歌を歌っているのか、あの人たちはなぜ今喧嘩をしているのか…。そういったその人たちが生み出す味って、すごく面白いんだ。そして、僕にとってはそれが美味しいんだよ」


 駅前で熱唱していた男、紅葉を見ていて別れ話が始まったカップル、そして、何でも屋の悠介くん。

 彼らには、自分にはない人生や体験があった。あの人たちは、今の自分には何一つ持っていないものを持っている。僕は、そんな人たちが生み出す「味」に惹かれていた。無になっていた感情を、再び呼び起こしてくれた。

 とはいえ、僕には彼らのような「味」もないし、結局はただの傍観者に過ぎない。新しい趣味ができたとはいえ、生活に少し色がついただけだ。でも、それが今の僕には大切なものだと思っている。

 彼らの話を聞いて、変化していく自分がいることがわかる。


 「てことは、今、僕も何かご飯を食べてたら、とても美味しいってことですね!」


 悠介くんの言葉が、俺の中でぐるぐると回っていた。全く理解できないことだったので、迷わず素直に、聞いた。


 「それはどういうこと?」


 「だって、お兄さんにも味があるじゃないっすか!」


 「俺に味がある?」

 心の声が漏れた。


 悠介くんを見て、思わずその言葉が信じられなかったからだ。俺はずっと、自分のことを無気力で無機質、何もないただの無の存在だと思っていた。そんな俺に、味があるって?


 「僕に味があるかな?」


 「ありますよ!だって、人を観察しながらここで、おでんを食べる人なんて、なかなかいないでしょ!」


 悠介くんの言葉を聞いて、思わず大きく笑ってしまった。悠介くんも一緒に笑ってくれている。

 盲点だった。

 他人の行動ばかりに目をやっていたからこそ、全く気づかなかった。そうか、俺には俺の味があったんだ!

 確かに、悠介くんの言う通り。俺は、「他人をおかずにご飯を楽しむ人間」だ。

 そう考えると、なんだか嬉しくなった。僕にも、自分だけの「味」があったからだ。

 とても壮快な気分だ。


 「じゃあ、僕は僕を見てご飯を美味しく食べることができるってことだね!」


 「それはちょっとわかりませんけども…」


 しばらく、二人で笑っていた。


 「お兄さん、何か悩んでいたんですか?」


 笑いすぎて涙目になっている悠介くんが聞いてきた。俺も、涙目になりながら答えた。


 「うーん…、悩んでいたようで、悩んでいなかった?」


 「すみません。わからないです」


 再び、周りの目を気にせず、俺たちは笑っていた。


 なんだか、心が軽くなった。今まで、俺は自分のことを無気力な人間だと思い込んでいたが、実際は、俺が自分を無気力にしていたのかもしれない。自分で自分をそう作り上げてきたんだ。無気力には変わりはないと思うけど、心の中で、どうせもう無理だし、三十四だし、今更趣味を持つなんて無駄だとか、結婚ももう無理だろう、俺にはこれが向いてないとか、そうやって自分に勝手に諦めの理由を与えていたんじゃないかと思えてきた。

 社会人になってから、次々に直面する現実に、俺は挑戦することや楽しむことを忘れていた。そんな中で、趣味としていろんな人を見てきて、いつの間にか自分の人生について振り返るようになった。そして、ふと思った。「自分は今、何のために生きているんだろう?」「今、理想の人生を生きているのか?」と。そのうちに気づいた。いろんな人を観察するうちに、俺の人生には、俺がいないんだと。いや、正確には、俺が自分の存在を消してしまっていたのだ。

 俺が本当に必要なのは、自分の素直な気持ちに素直に答えてあげること。そして、自分をもっと大切にすることだ。「自分なんて」という言葉は、これで最後にしよう

 俺はまだ、自分の人生を自由に作ることができる。自分の人生を好きな色で塗ることができる!


 悠介くんには感謝という気持ち以上の気持ちを伝えたい。

 俺は「ありがとう」という言葉とともに、何でも屋の代金を支払おうと思い、財布から一万円札を取り出して悠介くんに渡した。けれど、悠介くんらしく、「こんなに貰えません!」と、あわてて断った。

 だから、俺は提案した。


 「じゃあ、おでんでも食べにいく?俺の奢りで」


 「はい!!」


 俺はおでんの残り汁を飲み干し、悠介くんと一緒におでんがたくさん食べられるところに向かった。

 自分の人生に色をつけることができるのは、自分だけ。そのことに気づけたきっかけは、俺がご飯のおかずとして観察していた他人たちだ。見ず知らずの人々が、俺に様々な気持ちや感動を再び呼び起こしてくれた。



 家を出ると、外は他人だらけ。世界中に俺の知らない「味」がある。その味を求めて、世界中を旅するのも悪くない。近くのカフェや喫茶店、公園で、知らない人と会話するのも楽しそうだ。

 俺は、今日もご飯のおかずを求めて、いろんな場所に足を運ぶ。

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おかずは津々浦々 晴光悠然 @seikou-yuzen

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