第3話

 そのさらに翌週末の山の会に、とうとう俺は参加しなかった。開始時間のあと二度ほど連絡があったが、体調不良を理由に断りを入れた。

 そのあとも俺は山の会へ行くのをやめた。彼女ができたからと嘘をついて、嫉妬深い彼女が離さないんだと悲しい嘘を付き続けねばならなかったが、もう行く気は失せていた。重役連中とバカな平社員の間を行き来するのはもう飽き飽きだ。山の会に入りたいと言って離婚だの籍を決めるだのと、妙な打ち明け話をされるのも面倒だった。


 そして二ヶ月が経った頃、社長自らが全員に直接話をしたいとのことで、全社員のリモート会議が行われた。こんなことは入社以来初めてだ。


『山の会も総勢89名になっている。うちの社員は250名だが、こんなにも山の字が入っている社員がいるとは思わなかった。しかし山の字が入っているという結束力は、同じ会社で働いているという共通点以上のものがある。だから私は決めた。年内に全ての社員を山の会に入れる。名前に山の字が入っていない者、名字を変えたり改名できない者は退職してもらう』


 はあ? なんだって?

 俺は驚愕した。何を言っているんだこいつは。250人もの職員を抱える会社の社長が、名前に山の字がないやつは全員クビにすると言い出した。バカか。そうでなければ途方もないアホだ。こんな会社にいられるか! 労働基準監督署か組合にでも行って……


 俺は周りを見渡して同僚の表情を伺った。同じ気持ちで不満を抱き、俺とともに組合に掛け合ってくれそうな仲間を探した。


 しかし誰も俺と同じように不満げな表情をしている者はいなかった。納得し賛同の言葉を発する者か、焦ってスマホで調べ物をし始めた者、電話を掛けている者ばかりだ。

「おい西川はどうするんだろう? 辞めるのかな?」

「阿部がいなくなったら大きな穴が開くが仕方がない」

「鈴木とは定年まで共に働きたかったな」

「おい、美奈子、離婚してくれ!」

「いやいや浮気じゃない。旧姓に戻れば辞めなくて済むから」

「宏美! 結婚してくれ! お前の籍に入る! 森山になるよ!」

「年内に山の字の名字を持つ彼女を見つけられるだろうか……」

「改名って家庭裁判所でできるんだっけ?」


 そんな声で社内は騒然としていた。


 誰も不平だと訴える者はいない。山の会に入ろうと必死になっているか、諦めて絶望の表情を浮かべているだけだ。


 俺は信じられなかったが、その年の終わりに社長の宣言は現実となった。

 社名は『三井商事』から『山の会商事』に変わった。会社を興した初代社長の三井の名を捨てたのはまだしも、それなら現社長の名前をとって仙田にすればよいものを、山の会の名称が社名にまでなった。

 社員も全て山の字が入る者だけになった。結局改名も結婚も離婚もできなかった社員は辞めさせられた。その代わりに数十名が中途採用で入社した。みな山の字が入っている。新規採用の第一条件も名前だったことは言わずもがなだ。


 社長の暴走はそれで終わらなかった。

 翌年になると、社長は引退して副社長に後を継いだ。そして仙田前社長は市長に立候補をした。

 仙田氏の公約はこうだ。

「我が市の全ての市民を山の会に入れる。山の字の入ったものだけの市をつくる」

 途方もないアホだと思っていたが違った。気が違っている。こんな人間の下で何年も働いていたかと思うと背筋が寒くなった。

 会社を辞めるどころか引っ越しすら考える。しかし仙田氏はもう社長ではないし、どうせ市長になぞなれるわけがないので、俺は静観を決めた。


 しかし俺の予想は外れた。仙田前社長は、なんと仙田市長になったのだ。

 我が社は、社名を変え社員を入れ替えて以来、業績が何倍にも膨れ上がっていた。いつの間にやら同じレベルの中小企業の中でトップに躍り出ていたのだ。その秘訣はと問われた元副社長で現社長の桧山社長は、「山の会」のことを懇切丁寧に説明した。それに感銘を受けた他社の経営者たちは、みな揃って真似をし始めたのだ。


 それがいつの間にか広がり、山の字が入る者が大手を振って歩くようになった。山の字のない者は差別され、引け目を感じ、いつの間にか引っ越していった。

 そんなだから仙田市長の頭がおかしい公約も指示されたのだ。というか、呆れたやつらは俺と同じように「どうせ勝つわけがない」と静観してしまい、山の字の連中の熱心な活動に気が付かなかったのだ。


 そしてとうとう山の会は政党にまで登り詰めた。登るのは山にしておけよ、というツッコミすら俺は入れられなかった。そんな気力はもう残っていなかったからだ。

 山の字の入った仲間たちの結束は宗教じみたレベルにまでなっていたようで、山の会党──そこは『山の党』かなんかでいいと思うが、未だに山の会を引きずっている──は、新党の身でありながら、他の野党を引っ張るほどの力をつけた。


 あれよあれよという間に、山の会党は政権を奪取し、与党にまでなってしまう。


 まさか山の会党の公約は……そう。

「全ての国民に山の字を入れる」だ。


 そして日本は山の字の入る人間だけになった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山の会 海野幻創 @umino-genso

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画