第2話
その週も5人の人間が山の会に入会した。早速会を開いて欲しいとの頼みで、週末には第三回山の会が開催された。
それから毎週恒例となり、第四回第五回と週末になる度に山の会は開催された。
何十人もの団体が常連となったのだ。居酒屋もお得意さん扱いをしてくれるようになり、単なる職場の集まりではなく山の会で……と説明をしたら爆笑の末、『山の会御一行様』との垂れ幕を用意してくれた。そんな垂れ幕などこの居酒屋で一度も見たことがなかったので、笑わせ返しのジョークなのだと俺は笑ったが、会のメンバーはそれでも嬉しかったようで、その垂れ幕の前で集合写真を撮ったり、それに引きづられたのか会のグッズを作ろうと案を出し始めたり、LINEグループを作ったりと、ますます会らしくなってきた。
ただ山の字が入っているだけなのに、山について会話をするわけでもないのに、と俺は不思議だったが、敢えて水を差すようなことは言わないでいた。もしかしたら皆も同じように不思議に思っていたのかもしれない。しかし、何でもいいから輪を作る、グループを作ってその一員になる、というのは社会人になるとなかなか機会はないものだ。集団活動の喜びが根底にあったのかもしれない。
そんなある日のこと、おれはまた声をかけられた。知らないやつである。最近は見知らぬ人間が話しかけてくると、山の会への入会だと思うようになった。それ以外で俺に声をかける理由などないからだ。
「山の会ですか?」
名乗られる前に俺は聞いた。
「あ、わかりました? 実はそうなんです。山本さんにお願いすれば入れてもらえると聞きまして」
なぜかみな俺に入会を申請してくる。どうしてそうなったのかはわからないが、俺が最初に山の会という単語を言ったことは確かだから、メンバーは俺が担当することだと思っているのかもしれない。
「そうですか。失礼ですがお名前は?」
「あっ、そうですね。私は木下潤です」
きのしたじゅん? 山の字は入っているのか?
木下は俺の心の声が聞こえたのか、何も返答していないのに続けて言った。
「はい。確かに山の字は入っておりません」
では中村のように婿になって妻の籍にでも入るのだろうか?
「……結婚はしています」
こいつは俺の心を読んでいるのか? 何も言っていないのに木下は俺の疑問にすぐに答える。俺は少しビビった。
「ですが、離婚しようと思いまして……」
なるほど、木下は妻の籍で、離婚して旧姓に戻れば山の字が入った名字になるのか。
「いえ、旧姓は高橋です」
俺もいい加減声を出すべきだが、この妖怪サトリの化身である木下の前では不要な気もする。
「……浮気相手が山野辺でして……」
今度は表情に出した。俺の驚いた顔を見た木下は気恥ずかしそうな表情のあと、後ろめたいのか声を落とした。
「妻に不満はなくまだバレてもいませんが、子供もいないことですし、山の会に入れるなら妻を替えてもいいかと……」
「そんなことのために離婚するのは良くないと思います」
とうとう俺は声で反応を返した。これは断固として口に出さなければと思ったからだ。
「しいっ!」木下は人差し指を立てて口元に当てた。
「……別に構わないでしょう? 浮気相手の方が若くて可愛いですし、妻とは新婚以来ご無沙汰で、家事もやらされているんです。今の婚姻生活を続けるよりも浮気相手の方がよっぽどいい。山の会はただきっかけに過ぎません」
「それでも……」俺は静かにしろと言われても声を大きくしてしまう。
「山本さん、次の山の会はいつですか?」木下はいきなり話題を変えた。
「えっと……毎週末やってますから、次は明後日ですかね?」
「わかりました。それまでに再婚したら、明後日の会には参加できますかね?」
はあ? そんな急に……
俺は口でも心の中でも呆れて何も言えなくなった。
「場所は
山昇炎とはいつもの居酒屋の店名だ。
「……はい」
「わかりました。では明後日」
そう言って木下は去っていった。
本気で再婚するのだろうか。この二日の間に? とてもではないが信じられない。
しかし週末になって山の会に顔を出すと、木下の姿はあった。亀山と楽しげに話している。俺に気がついたのか、木下は頭を軽く下げた。
どうやら本当に山野辺になったようだ。亀山が豪快に笑いながら木下をそう呼んでいる。
山の会も今や50人にまで膨れ上がり、居酒屋も俺たちのために二階の大広間を用意してくれるようになった。
50人の団体などまとめた経験などない。俺の手には余るようになってきた。
翌月曜日に出勤すると、声など一度もかけられたことのない重役の谷崎監査役に話しかけられた。
谷崎監査役は名前の崎の字に山が入っているが、まさか……
「山本くん、山の会という噂を聞いてな」
そのまさかだった。
こうなると仙田社長にも話が行くかもしれない。
俺はゾッとした。もうめちゃくちゃだ。なぜここまで
ひっそりと同僚と飲むだけだったのが、次々と見知らぬ社員が集まり、果ては他の課の課長や部長までもが参加し始めたものだから、険悪な雰囲気にならないようにと、俺は業務の最中以上に気を使っている。
俺の不安は的中し、翌週末の山の会へ行くと仙田社長が愉快げな顔で広間の上座を陣取っていた。
社長は終始楽しげな様子で、新入社員の無礼にも寛容な姿勢を見せていた。しかしいつ激昂したり、面倒なことになるとも限らない。俺は飲み会でストレスを発散するどころか、この山の会でストレスを溜める始末だった。
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