熱き雪女

大柳未来

本編

 山の中で軽装の女性と出会ったら警戒すべし。

 泣くでもなく、取り乱してもないならなおさら注意すべし。


 自殺志願者か、人ではない者か、そのどちらかだからだ。


 山登りを趣味としていた友人から聞いた警句だ。

 その警句に照らすなら、僕の目の前の彼女は――人ではないのだろう。


 昼、しんしんと雪が降る中ただ山中を歩いていた。

 足を滑らせないよう、歩幅を抑え慎重に足を運ぶ。


 下を向いて歩いていたら、ふと目の前が煙たく感じた。

 反射で払うと視界が開け、彼女がいた。


 白のワンピースは雪に溶けるように真っ白で、黒髪は腰のあたりまで伸ばしている。

 裸足で雪を踏み締めている。素足に霜焼けは認められなかった。


 そして何より彼女は――煙のようなものを纏っていた。


「人……?」

 切れ長の目をさらに細め、彼女は呟いた。

 きっと警戒されているのだろうが、コミュニケーションを取る余裕はこちらに残っていない。


 誰かと出会えた安心感から急激に力が抜けていく。

 膝をつき、前へ倒れ込んだ。


「おい! 大丈夫か……!」

 僕の意識は下へ下へと沈んでいき、暗闇へと落ちていった。


 ※ ※ ※


 意識が戻った時、感じたことは若干の暖かさと強烈な空腹。

 うなりながら目を開ける。


「ぐ、う、うぅ……」

「目が覚めたみたいね」


 体を起こし、辺りを見渡す。

 どうやら洞窟まで僕を運んでくれたみたいだった。

 洞窟内は生き物の気配は感じなかった。日の光が差し込んでくるため明るい。


 そしてなぜか暖房が聞いているかのように暖かった。体育座りをしてこちらの様子を伺う彼女が熱源のようだった。


「ありがとう。君は命の恩人だ」

「そうね……最初は野垂れ死んでもらおうと思ってたけど」


 僕の首元に対し指さす。確認するとロケットの首飾りが下がっており、フタが開いていた。初老の男性が笑顔を浮かべている。


「見るつもりはなかったけど視界に入ったの。その人は私の恩人だから……恩返しのつもりで助けた」

「そう、だった、のか」


「で、早速だけど本題。あなたは何者?」

 口を開くより先に腹が鳴った。


「すまない。話すより先に腹ごしらえをさせてくれないか」

「……勝手にしろ」


 ※ ※ ※


「ふぅ、何から何まで助かる」

「ふん……」


 スープの素がリュックに入っていた。

 雪をお湯にしようと火をおこす準備をし始めた。だが雪を入れた器を彼女がひと睨みしただけで瞬時に溶け、お湯に変貌していた。薪を用意する手間が省けた。


「君の分は良かったのか?」

「えぇ。良く知ってるでしょ? 私は水分だけ取ってれば生きていけるって」


「君は――僕に見覚えはあるのか?」

「……あなたは初対面だけど、博士の写真を持ってる。少なくとも『組織』の関係者で、私について博士から話は聞いてる……そう思ったのだけど」


「実は――記憶がないんだ」

「……それを素直に信じろと?」


「本当だ。なぜここにいるのか。自分が誰なのか。分からない。荷物を確認したら食料やキャンプ道具の一式は揃っていた。この山に――おそらく君に用があったんだろう」


「あなたを始末すべきなのか、助けるべきなのか……困った……『組織』のエージェントかどうか判別がつかない」

「さっきから言ってる『組織』っていうのは、一体何のこと?」


「……博士から聞いたの。知られちゃまずいことは記憶を消してなかったことにしたり、人を殺したり、悪い事をとにかくいっぱいしてる人たちだって。それが『組織』。きっと、あなたも知っちゃいけないことを知って記憶を消されたかも」


 にわかには信じがたい話だったが、実際記憶を失っていることは事実。

「そういうものなのか」


「実際は分からない……あなた、何も覚えてない? あなたを助けていいのかどうか迷ってる。私は……安全な下山の道を知ってるけど、ここに私がいたことを知る人間を外に出したくない」


「それは――困った。でも、これだけは言える」

 僕はリュックを見せながら話を続ける。

「本来、キャンプをしたい場合必須であるナイフの類がなかったんだ。つまり、僕は武器をあえて持たなかったことになる。これは――君と出会えた時に敵対する意志はないとアピールしたかった、と推測する」


「知ってる。あなたが追手かもしれないと思って、一通り荷物は見してもらったから」

 彼女は眉間に皺を寄せ、目をつむる。しばらくの沈黙の後、彼女は出した結論を伝えてきた。


「……分かった。あなたを殺しはしない。私がいたことを口外しないことを約束してくれるなら下山の道案内をしてあげる」

「感謝する。もちろん、誰にも言わないよ」


「決まりね。もうすぐ日が暮れるから、明日早朝に出発しましょう。下山が完了したら案内はおしまい。あなたに居場所がバレた以上、早く移動しないと……記憶喪失前のあなたは私がここにいると推測していたかもしれないし……」


 ※ ※ ※


 明朝、僕らは出発を開始した。

 雪は止み、視界がある程度利くようになっていた。彼女は迷う様子もなく歩み続ける。


「君、名前は何ていうんだ?」

「今更名前? 博士からは『ナナ』って呼ばれてたよ」


「ナナ。博士について知ってることを教えてくれないか。僕の記憶のヒントになるかもしれない」

 少し間が空く、一瞬こちらを振り向いたが、ナナは不服そうな表情を浮かべていた。


「どうして私が……全く……。私が博士について知ってることはちょっとしかない。博士は私たちにとって先生だった」

 ナナは遠くの方を見つめながら話を続ける。


「常識についての勉強。私たち超能力者を周囲の人間はどう思ってるのかの授業。博士がいなかったらまともな人にはなれなかった。それだけじゃない。博士は『組織』を裏切って私たちの味方をして逃がしてくれた。その時に仲間がいっぱい死んだの。脱出に成功したのは私だけ。博士も殺されちゃった」

「すまない」


「別にいい。あなたは覚えてなかったわけだし。私は博士についてあなたから話が聞けると思ってちょっと楽しみにしてたんだけど……期待はずれだったわ」

 雑談を興じている最中、不意にナナが足を止めた。


「そんな……」

「どうした?」


「囲まれてる……あいつら、熱を遮断する白いコート着てる。完全に居場所がバレてる……!」

「あいつらって――まさか、『組織』!?」


「おとなしく投降しろ! 一般人を守りながら戦うのは推奨しない」

 男の声が前方から響く。音源の方に目を凝らすと、白いポンチョのようなコートを来た男が、大き目の銃をこちらに向けてきていた。あれはショットガンだろうか?


「大丈夫。あなたを見捨てたりはしない。博士が授業の時に言ってたの。『一般人を無闇に殺してはならない。むしろ積極的に守ろうとすることが良く生きることに繋がるんだ』って……あの喋ってる兵士が吹っ飛ばされたら、全力で真っすぐ走って。少しでも離れて、逃げてね」

「――分かった」


「あと三つ数えても投降しないしない場合撃つ! 三、二」

 ナナが頭突きをするように頭を前に振ると、カウントダウンしていた兵士のいた場所が突如爆炎と煙に包まれる。


 爆発音と衝撃が体を襲い、思考がフリーズした。

「走って!」


 振り向いた彼女は私の手を取り、引き寄せるとそのまま背中を押してくる。

「早く!」


 僕は全力で走った。

 背後では爆発音と銃声が鳴り響いていた。


 ※ ※ ※


「はぁ……はぁ……」

 時間にして十数分だろうか。久しく時計なんて見ていないから時間間隔も分からない。


 私は『組織』の追手を全員能力で排除することに成功していた。

 勝算はあった。


 奴らの持つ武器は私を殺さず捕らえるための武器でしかない。一発もらってしまったが、弾は体を貫通することなくむしろ殴られるような感覚に近かった。痣にはなるだろうけど折れてはいない、と思う。


 その程度の武装しかないのなら私の能力で燃やしてしまう方が有利になるのは当然のことだった。懸念点は記憶喪失の彼だけだった。無事逃げきれているといいけど……。


 私は彼が向かった方へ全力で走る。移動すること数分、木々の間から人影が見えてきた。

 最初、人影は一人だと思っていた。でも近づくにつれてそんな状況ではないことが嫌でも分かった。


 彼は兵士の一人に捕まっていた。

 首元にナイフを突きつけられている。


 私は状況把握後、走るのを止め木の後ろに隠れた。

 どうしよう。どうすれば彼を助けられる?


「アルファチーム全滅からの経過時間からそろそろか。おい! PK-07! 聞こえているか! もし聞こえていたら今すぐ出てこい!」


 出ていったら奴の思うつぼ。息を潜め、打開策を必死に考える。

 見捨てたい。

 でも博士なら見捨てたかな。きっと見捨てない。私は、博士のように生きたい……!


「出てきてくれたか。殊勝な心掛けだ」

 私は姿を現し、ある程度の距離まで近づく。


「それ以上近づいたらこいつを殺す」

「彼をどうするつもり?」


「PK-07次第だ。そちらが反抗的な態度をとれば殺す。おとなしく言うことを聞けば、危害を加えず開放する。もちろん、記憶は消させてもらうが……」

「分かった」


「ナナ!?」

「投降するから、彼を開放して」


「よーし、ブラボーチーム突入。PK-07に疎外用ヘルメット装着」

 疎外用ヘルメットと聞いて、最悪な心地になる。あれ、本当に痛くて嫌い。能力を使おうとしたり、遠隔のスイッチを入れると頭に電流を流す機械で、仲間全員から不評だったことを思い出した。


 ほどなくして白い兵士たち四人に囲まれたのち、黒いヘルメットを付けられ固定された。

「レベル2を流して意識を奪え」


 彼を捕らえてる兵士の指示の下、私にヘルメットをつけてきた兵士の一人が何かのスイッチを押す。

 一瞬の鋭い痛み――頭に針を入れられたかと錯覚したのち、私の目の前は真っ白になった。


 ※ ※ ※


 ナナが捕まった後、僕は『組織』の奴らに連れられ、大人が十人は乗れそうな大型のヘリコプターに乗せられ、空を飛んでいた。ナナは未だに目を覚まさず、床に転がされている。


「さて、作戦完了だ。おい、そこの一般人。こいつを飲め」

 兵士の一人が透明な液体で満たされた小さなビンを差し出してきた。断ったらどうなるか分からない。


 勇気を振り絞り、良く分からない液体を一気にあおる。灼ける様な熱い感覚が喉元を襲う。激しく頭が痛み出す。


「どうだ? 全部思い出したか?」

「いや――もう少しで何か思い――だ、せそうだ。もう少しだけ、薬をくれないか」


「なっ、そんなケース、聞いたことねぇけどな……よっぽど忘却剤が効いたのか?」

 訝しげに思いながら追加の記憶修復剤を渡してくれたブラボーチームの隊長。僕はそれをまた一気飲みした。


 更なる激しい頭痛がしたのち――僕は『すべて』を思い出した。

「今度こそ思い出したか?」


「あぁ、思い出した――君はこの作戦指揮を任された『組織』の特殊部隊の部隊長。そして僕はこの作戦の立案者だ。コードネームは『アイスブラッド』」

「なら良かった。これで作戦はすべてコンプリートだな」


「そう、コンプリートだ」

 僕は壁にかけてある拳銃を手に取る。


「おい、なぜ武器を取った」

「そう喚くな。護身用だ。丸腰では落ち着かない」


 そう反論しながら銃の状態を確認する。

 弾は装填済み。銃身をスライドさせ、チャンバーチェック。いつでも撃てる状態だ。

 銃の状態を確認しながら記憶の整理を始める。


 本作戦はPK-07確保のための作戦だった。

 雪山に潜伏するPK-07。雪女の噂が出ており、特徴がPK-07と一致していたため我々が確保に向かったのだ。


 ただ、強襲するだけでは返り討ちにされるのは明らかだった。そこで記憶忘却剤を使ったひと手間を施した。

 僕が記憶を消して一般人になりすまし、盗聴機能付き発信器をつけた状態でPK-07を捜索する。一定期間探しても見つからなかったら僕のみを回収。見つかったらPK-07を確保する作戦だった。


『組織』に指示された通り、目標達成に向けて作戦を立案した。それは成功したが、僕の目的はそれだけではなかった。


 僕は休暇中。自室でペンを探していた時に机の引き出しを触ると、二重底になっていることを偶然知った。

 引き出しの二重底を取り払った先に出てきたのは古びたロケット。見知らぬ学者然とした老人が映った写真が収められていた。


 僕は彼が誰か、皆目見当がつかなかった。考える内、一つの可能性に思い当たる。

 もし、僕が知らぬ間に記憶をいじられていたとしたら? 記憶修復剤を何としても手に入れる必要が出てきた。


 そのために、僕はこの作戦を立案した。

 ナナを捕まえるのに本来記憶修復剤は必要ないが、回りくどいやり方で確保できた。


 飲んだ一度目で自分が『アイスブラッド』として『組織』で働いてきたことは思い出し、二度目でロケットの老人のことを、すべて思い出した。


「隊長。あなたは超能力者育成担当だった『博士』について、どこまでご存じですか?」

「『博士』? あの裏切り者についてですか。我々特殊部隊が超能力者の脱走に対し対処中に処分しました。冷血でお馴染みのあなたとは正反対。軟弱者と記憶しておりますよ」


「そう――彼は僕とは正反対な人間だった。彼は『良く生きる』ことを説いていた。彼の善を重んじる思想には、いまいち共感できなかった」


 僕は隊長の額に向けて銃口を向ける。

「それでも――彼は尊敬に値する僕の父親だった」

 僕は引き金を引いた。


 ※ ※ ※


 目を覚ましたら、私は固い椅子に座らされていた。

 床は血だらけで私を捕らえた兵士たちの死体が五人分転がっていた。皆一様に頭に一発、銃弾を受けている。


 頭を締め付ける圧迫感もいつの間にかに無くなっていた。ヘルメットは気絶している間に外されていたらしい。


 窓を見ていると、随分と高い場所を飛んでいることが分かった。ここがヘリコプターの中なんだとようやく理解できた。


 恐る恐る、操縦席の方を見に行くと、記憶喪失の彼がヘリの操縦をしていた。

 席が二つ並んでおり、右側に座って操縦桿を握っている。

「やぁ、ナナ。お目覚めかい?」


「あなた……随分口調が変わったわね」

「こっちが本来の僕だ――『アイスブラッド』というコードネームで活動してた」


「してた?」

「あぁ。『組織』で活動するのはもう終わり。『組織』の人間を殺しちゃったから、僕も裏切り者さ。『博士』と一緒ってことになる」


「『博士』についても思い出したの?」

「思い出した。『博士』は僕の父さんだよ」


 まさかの情報に絶句していると、彼は左手で開いている席を指さした。

「まぁ、座りながら話を聞いてくれ」


 促されるままに隣の席に座る。

「きっと『博士』について聞きたいことが色々あるだろう。僕だって君に聞きたい。超能力者に対して父さんはどう接していたのか。父さんがどのような最期を迎えたのか――でも、それを話すのは今じゃない」


 彼は真っすぐ目的地の方を指さす。

「僕たちは今、岐路に立たされている。『組織』から逃亡するか。『組織』と戦うかだ」

「戦う……?」


「そう。こそこそ逃げ回りながら生活するか。思いっきり派手に復讐してやるか。君はどっちがいい?」

「私は……私は、復讐したい……!」


「そうこなくっちゃ。着いたら派手に暴れてやろう。それですべてが終わったら――思い出話をしよう」

「うん! 絶対約束だよ!」


 了。









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