第7話

 大公子成婚の吉報は、新妃フランシアの名とともにまたたく間に一帯を駆け巡った。

 また同時に、大公家によるフランシアの身分証明が公式になされ、亡きマリエス辺境伯家へは哀悼の意があらためて表明された。


 さて同じ頃、何もかも雲行きが怪しくなって歯噛みの止まらぬ男がいた。

 モペック子爵家の次男カイルである。


「クソッ、どうなってんだこれ、ちっとも片付かんじゃないか」


 執務を丸抱えさせていた前妻フランシアを離縁により追い出した後、戦中の人材不足でうまい後釜を確保できなかったカイルは、日々の基本的な公務関連書類すら処理しきれず毒づくばかりだった。

 愛人たちとの爛れた生活にうつつを抜かしているうちに、その脳味噌はすっかり溶けきっていたのである。いや、溶けるだけの脳味噌があったかも疑わしいが。

 なにしろ、邸の庭木が荒れ放題であることにもまったく気付かぬほどだから。


 その空気の淀んだ部屋のドアを蹴破っていま、鬼の形相で長兄ジャキス・モペックが怒鳴り込んできた。


「どういうことか説明しろ、カイル‼」

「……ヒッ、な、なんだい兄さん? 藪から棒に」


 要領よく生きることだけを考えてきたカイルと比べ、剣の心得のあるジャキスはずっと体格がいい。

 実際、その腰には今日も切れ味鋭い長剣が佩かれていた。血の気も多い。


「とぼける気か、この愚弟が! お前が前妻を無下に扱ったせいで、当家モペックはいまや窮地なんだぞ。家名に泥を塗り、教会勢力との関係をご破算にし、あろうことか大公家まで敵に回すとは、いったい何を考えている」

「し、知らなかったんだよ、あいつが、フランシアがあのマリエス辺境伯家の生き残りだったなんて。わかってりゃ僕だってもっとうまく」

「黙れ‼」


 怒り心頭の咆哮が、抜いた剣柄で愚弟の良く動くあごを殴り飛ばす。カイルは執務机付けの椅子から転げ落ちた。


「……ぁ……ぁがが」

「父上は俺でも縮み上がるほどに御怒りだ。とりあえず手土産にどこか斬らせろ。どこがいい? 耳か、鼻か、そのくだらん股ぐらか? 選ばせてやる、さっさと決めろ」

「……ぁ……ぁがが」

「黙れと言っただろうこのクソが‼」


 血飛沫があがり、長兄の剣が汚れた。


「いいか、二、三日だけは命をもたせてやる。その愚鈍な頭で自分に何ができるか早く考えて、わかったら寝ずにでも実行しろ!」

 悶絶する愚弟カイルにそう言い残して、ジャキスは出ていった。


 カイルは血まみれのまま鼻汁をたらし、震える手でフランシアに手紙を書いた。


 離縁のことは俺も悪かった。

 いくらでも謝ろう。

 でも、お前だって俺の邸で贅沢な思いができて良かっただろう。

 こちらへの恩があるはずだ。

 閉じた体のお前に、花嫁衣裳まで着せてやったんだからな。

 なあ、そっちさえよけりゃ、復縁したっていいんだ。

 戻ってくるなら、あの頃の倍は裕福な暮らしをさせてやろう。

 考えてもみろ。その大公子なんて、いつ戦死するかもわからんような戦かぶれだぞ。頭の切れる俺についてきた方がお前の身のためじゃないか。

 そうだ、これはお前のためを思ってのことなんだよ。

 善は急げだ、なるべく早く、良い返事をくれ、――と。


 大公子妃には誠意と真心があったようだ。

 ほどなくカイルの血も鼻汁も乾かぬうちに、こんな返事が届いたのだから。



 謹啓

 モペック子爵令息カイル様


 お返事が大変遅れてしまい、誠に申し訳ございません。

 また、御見苦しくも重ねての陳謝となりますことをどうかお許し下さい。


 お詫びいたします、あなたに私は愛せません。


 敬白

 オリセー大公子妃フランシア

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