第5話: 新たな門出

田中誠司は、長年勤めた物流センターを辞める決意を固めていた。

その決断に至るまでの過程は決して簡単ではなかった。

長時間労働や人手不足による過酷な現場で、体力的にも精神的にも限界を迎えつつあった日々。

そして、新人作業員の怪我や課長からの理不尽な要求、さらに鬱病寸前で辞めていった先輩の姿が、田中の心に重くのしかかっていた。


そして、家族との時間が取れず、娘から「最近お父さん、元気がないね」と心配されるたびに、田中は自分の生活が家族に与える影響を痛感していた。


このままでは、自分の心も身体も壊れ、家族を守ることができなくなる。

そんな不安が田中の中で膨らんでいった。


そんなある日、田中は仕事帰りに立ち寄った居酒屋で、大学時代の親友である石川健二と偶然再会した。


石川はカウンターで一人飲んでいたが、田中を見つけると満面の笑みで手を振った。


「おい、田中!久しぶりだな!」


田中は驚きながらも席に向かい、

「健二か?まさかこんなところで会うとはな。何年ぶりだ?」

と笑顔で返した。


久しぶりの再会に会話が弾み、近況を語り合う中で、田中は次第に仕事の現状や悩みを打ち明けた。

石川は真剣な表情で田中の話を聞いていた。


「田中、お前がそんなに追い詰められているとは思わなかった。でもな、今の環境だけが全てじゃない。実は俺、転職エージェントをやってるんだ。お前に合う職場を一緒に探してみないか?」


田中はその言葉に驚きつつも、

「転職なんて考えたこともなかった。でも、今のままじゃ家族にも申し訳ないし、これ以上続けられる自信がない」

と正直な気持ちを口にした。


「お前なら大丈夫だよ。スキルも経験もあるし、俺が全力でサポートする。」


石川の力強い言葉に田中は背中を押された。

この再会がきっかけとなり、田中は「新しい環境でやり直す」という決意を固めた。


家族への相談

転職を決意した田中は、まず家族にその想いを打ち明けることにした。

ある晩、夕食を終えた後、田中は妻と娘をリビングに呼んだ。

緊張した面持ちの田中を見て、妻は少し不安げに尋ねた。


「どうしたの?何かあったの?」

田中は深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。


「実は…仕事を辞めようと思っているんだ。」

その言葉に、娘が驚いた顔を見せた。

「えっ、お父さん、仕事辞めるの?」


田中は頷き、続けた。

「今の仕事、正直言ってもう限界なんだ。体も心も持たないし、このまま続けたら、家族にもっと迷惑をかけることになる気がしてな。でも、心配しないでくれ。大学時代の友人が転職を手伝ってくれることになったんだ。」


妻は一瞬黙り込んだが、やがて優しい表情で田中に向き合った。

「誠司さんがそう決めたのなら、私たちは応援するわ。でも無理しないで。今度こそ、自分のためにもいい環境で働いてね。」


娘も安心したように微笑みながら言った。

「お父さん、いつも頑張ってるもんね。私も応援するよ!」

家族からの温かい言葉に、田中は胸がじんわりと温かくなるのを感じた。


「ありがとう。本当にありがとう。家族がいてくれるから、俺は頑張れるよ。」


田中の目には涙が浮かんでいた。

家族に支えられていることを改めて実感し、新たな挑戦への決意がさらに強まった。


退社の意向を伝える日

翌週、田中は課長に退職の意向を伝えるため、緊張した面持ちで課長の席へ向かった。


課長は机に向かい書類に目を通していた。

その表情はいつもと変わらず真剣だった。

「課長、ちょっといいですか?」


田中が声をかけると、課長は顔を上げながら応じた。

「どうした、田中さん?」


田中は一瞬言葉を詰まらせたが、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

そして、少し緊張した声で話し始めた。


「課長、お話ししたいことがあります。」

課長は手に持っていたペンを置き、椅子にもたれながら田中を見つめた。

その真剣な視線に促されるようにして、田中は続けた。


「これからの自分自身や家族の将来、そして体のことを真剣に考えた結果、退社をさせてもらいたいと思います。」


課長は目を丸くし、一瞬驚きを見せたが、すぐに表情を引き締めた。


「そうか…。田中さん、気持ちは分かった。ただ…。」

課長は少し間を取り、視線を落としながら苦悩の表情を浮かべた。

眉間には深い皺が刻まれ、その表情からは現場を支える田中の存在の大きさがうかがえた。


「正直なところ、現場は田中さんがいなくなると大変困る。」

課長は顔を上げ、真剣な目で田中を見つめた。

その目には困惑とともに、どうにか説得したいという気持ちが宿っていた。


「もう少し考え直せないか?」

と最後に投げかけたその言葉には、現場を担う人材を失いたくないという焦りと、田中の決意を受け止めざるを得ない葛藤が滲んでいた。


その言葉に、田中の心は一瞬揺れた。

これまでの現場での経験や、同僚たちの顔が頭をよぎった。

しかし、胸の中にある決意は変わらなかった。


「自分の体調や家族のことを考えると、この選択しかありません。引き継ぎについては、責任を持って対応させていただきます。」


課長はしばらく沈黙し、机に視線を落としたまま考え込んでいるようだった。

やがて深いため息をつき、田中の方に顔を向けて頷いた。


「分かった。田中さんの決意がそれほど固いなら、止めることはできないな。これまで本当によく頑張ってくれたな。」


その言葉を聞いた瞬間、田中の胸にはさまざまな感情が溢れた。

感謝、安堵、そして少しの寂しさが入り混じり、目に涙が滲んだ。


「ありがとうございます。残りの期間、全力で務めさせていただきます。」田中は頭を下げながら、自分の中で新たな一歩を踏み出す準備ができたことを実感していた。


新しい職場での第一歩

退職後、田中は石川のサポートを受け、新しい物流会社で働き始めることになった。

その会社は、働きやすい環境づくりに力を入れており、社員一人ひとりの声が届きやすい職場だった。


初出勤の日、田中は少し緊張しながらも、新たな希望を胸に玄関をくぐった。


「田中さん、お待ちしてました!」

笑顔で迎えたのは、新しい上司となる中村部長だった。中村部長は柔らかい物腰で、田中に会社の方針や働き方について丁寧に説明してくれた。


「ここでは、社員が無理なく働ける環境を第一に考えています。何か気になることがあれば、遠慮なく言ってくださいね。」


その言葉に、田中の胸はじんわりと温かくなった。

「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします。」


田中は新しい職場での仕事をスタートさせた。

最初は覚えることが多くて大変だったが、周囲のサポートもあり、少しずつ慣れていった。


以前とは違い、ここでは自分の意見が尊重され、無理な要求を押し付けられることもなかった。

田中は改めて、自分が正しい選択をしたことを実感していた。


家族との時間

新しい生活が始まって数か月後、田中は家族との時間が増えたことを実感していた。

ある日曜日の夕方、娘と一緒に近所の公園を散歩していると、娘がふと笑顔で言った。


「お父さん、最近すごく楽しそうだね。」

その言葉に田中は立ち止まり、空を見上げた。

柔らかな夕日が空を染めていた。


「そうだな。お父さん、今は本当に自由になれた気がするよ。仕事だけに追われていた頃には、この夕焼けを見る余裕もなかったな。」


娘はにっこりと笑いながら言った。

「これからはもっと一緒に散歩しようよ。お父さんと話す時間、楽しいから。」

その言葉に田中の胸はじんわりと温かくなった。

「そうだな、これからはもっと家族と過ごす時間を大事にしたいな。ありがとう。」

田中は娘の頭を優しく撫でながら、家族と共に過ごせる新しい日常に感謝の気持ちを噛み締めていた。

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「働く者の選択~人生を積み替える時~」 アクティー @akuts-j

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