ユウちゃんはタイムトラベラー

柏沢蒼海

ユウちゃんはタイムトラベラー

 乾いた音がした。

 それが僕の頬を叩いた音だと、すぐには気付けなかった。。


 涙を流し、肩を上下させるように荒い呼吸をしている女子。

 僕の幼馴染の右手は、微かに赤くなっていた。夕焼けのせいかもしれない。



「バカッ!! なんで、なんでよ!」


 〈ユウ〉ちゃんが叫ぶように言った。

 僕らは高校生、日々色んなことがある。



「なんでって……」


「どうしてあの子の告白受けたの!?」


 今日、学校でとある女子に告白された。

 付き合って欲しい、彼氏になって。そんな言葉だった。

 その女子は別に仲良くもなかったし、特に接点も無かった。


 偶然、昨日だけ下校が一緒になっただけだ。


「僕も知らないよ」

「嘘つき! あの子がいいんでしょ! 好きなんでしょ!」


「そんなんじゃないって」

「もういい!」

 ヒステリックに泣き叫んだユウちゃんは、僕に背を向けて歩き出した。


 後を追うべきか迷い、癖で周囲を見回す。

 近所の小さな公園、遊具とベンチ、見慣れた光景。

 そのベンチにおばあちゃんが座っていた。杖を突いて、僕の方を見ている。


 

 僕は深呼吸して、遊具のブランコに腰掛けた。


 幼馴染の〈ユウ〉ちゃんは、ちょっと特別だ。

 気が強くて、すぐに当たり散らす。

 もちろん、それだけじゃない。

 

 僕がユウちゃんにビンタされるのも、きっと決まっていたことだったんだ。

 そして、これから起きることも。



『人生には台本がある』

 おばあちゃんはいつも言っている。


 辛いことも、嬉しいことも、全ては決まっている。

 だから、その場に、運命に応じるように役割をこなさないとダメなのだ。




 突然、誰もいないはずの隣から金属の軋む音がした。

 そこには〈ユウ〉ちゃんにそっくりなお姉さんが座っている。

 ユウちゃんよりずっと大人びていて、夕陽に照らされた横顔がとても綺麗だった。



「あ、あのさ……」

 俯いたまま、女性が話し始めた。


「さっきの見てたけど、追いかけた方がいいんじゃない?」


「いえ、ここに留まります」

「なんで!?」

 驚いたように顔を上げる。

 やっぱり、とっても綺麗だ。



「僕の台本には、そのように書かれているので」

「またそのだいほ――」

 何かを言いかけて、女性は咳払いをする。


「あの子、気が強そうだけど寂しがり屋なんだと思うよ。このままだと高校卒業して大学に進学しても疎遠のままだよ?」

「とても具体的ですね?」






「たとえばなし、だよ?」


「そうですか」


 この女性の正体を知っている。

 だが、僕は与えられた台本のとおりに演じなければならない。   


「お姉さんは仕事帰りですか?」


「えっと、まだ仕事は始まってないんだよね」

 女性は照れたように笑う。




「あのね……幼馴染の男の子に、とっても感謝してるんだ。彼のおかげで特別なお仕事に就けたの、人のために、誰かのために、とっても役に立てる仕事なの」


 仕事の内容、幼馴染の男の子、それが何なのかは知っている。

 その先に待ち受けている事も知っている。


 でも、知らないフリをしなければならない。



「良かったですね」


「それもこれも……」


 女性が僕を見て、笑う。

 その意図は、なんとなくわかる。

 僕はもう高校生だし、そういうドラマをたまに見る。乙女心は履修済みだ。




「ねぇ、追いかけた方が良いよ。仲直りしてきて――」


「はい、わかりました。そうします」


 お姉さんの言葉に従うように、ブランコから立つ。

 背を向け、歩き出そうとして――振り返る。


 不自然に揺れるブランコ、そこにはさっきのお姉さんはいない。

 それを確認してから、僕は再びブランコに座った。



 顔を上げ、ベンチの方を見る。

 まだ、おばあちゃんは座ったままだ。


 つまり、僕の役割はまだ終わっていない。




 間もなくして、どこかから足音が聞こえてきた。

 周囲を見回すと、まっすぐこちらに向かってくる人物がいた。スーツは汚れ、足取りはふらついている。

 そして、僕を見付けたのか、駆け寄ってきた。


 汚れたスーツを着た女性は何度も目元を擦っている。何度も鼻を啜り、言葉にもならない声を漏らす。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ブランコの前で座り込んだ。

 このままブランコに座っていてもいいが、それでは僕の良心が耐えられない。


 立ち上がって、恐る恐る女性に近付く。

 意を決して、僕は声を掛けた。


「大丈夫ですか?」


 ハッとしたように顔を上げる。真っ赤になった目元、煤か泥のようなもので汚れた顔、それはまるでユウちゃんのお母さんみたいだった。



「ごめんなさい」


 女性はそう言って、僕に抱きついてきた。

 汗と埃っぽい匂い、それと何かが焦げたような匂いがした。



「私のせいで……私なんかのせいで……」


「あの、落ち着いてください」


 僕は男だ。相手が家族とかおばあさんでない限り、女性の柔らかい身体に本能的な部分が反応してしまう。

 いくらなんでも、公共の場で恥ずかしい状態を見せたくない。



「ご、ごめんなさい――」


 慌てて距離を取る女性。

 さっきまで押し付けられていた胸がたゆんたゆんと揺れている――



「えっと……どうしたんですか?」


 僕が質問すると、まるで反省するかのように女性は正座した。

 軽く俯き、度々溢れた涙を拭っている。


 震える声で、女性は言った。



「ミーちゃんと、付き合ってください」


「えっ?」


 女性が言った〈ミーちゃん〉とは、僕に告白してきた女子だ。

 どうして、と理由を僕が聞く前に、女性が言葉を続ける。




「……君をビンタした女の子と一緒になったら、絶対に君は不幸になる。大学進学くらいまでは疎遠だけど、そこから交際して結婚しちゃったら………君、は――」

 息が詰まり、言葉が途切れる。

 再び泣き出してしまう女性、僕はそれを黙って見てはいられなかった。



「大丈夫ですか、ゆっくり深呼吸してください」


 僕は女性の隣でしゃがんで、背中をさすった。

 背も高くて、綺麗な大人の女性。それが震えながら泣いている。

 何があったのか――――それを想像するまでもなく、僕は自分の台本通りに行動した。



「暴力的な女の子、好きになっちゃ、ダメ」


「でも、ユウちゃんは」

「あの子は君のことちっとも好きなんかじゃ、ないの。ただ、君を……」


 そこまで言って、女性は黙ってしまった。

 僕は女性の背中をさすったまま、女性の顔を覗き込んだ。



「そうですね、お姉さんの言うとおりかもです」

「――えっ? どういうこと……?」


 僕はさっきぶたれた頬を押さえつつ、告げた。


「ビンタされて、すごいムカッとしたんです。僕のせいじゃないのに」


「――そう、そうよ! 君に暴力を振るう女なんて、嫌われてもしょうがないじゃない!」

「そうですね、ユウちゃんのこと嫌いになりました」



「じゃ、じゃあ……」


 涙を拭った女性が、期待するような表情をした。

 そこには希望と、わずかに寂しさも含まれている気がする。

 




「僕、ミーちゃんの告白。受け入れます」


 女性の目から再び、涙が溢れる。

 そして、僕の手を取った。ボロボロになった手、傷と血と、指輪がはめられた薬指がはっきりと見えた。


「絶対に、幸せになるよ。君は――大丈夫」


 そう言って、涙の雫をボロボロと零しながら――女性は微笑んだ。

 強引に僕の肩を掴んで、振り向かせる。









「さよなら」


 背中越しに、女性はそう言った。

 僕は突き飛ばされ、転びそうになる。


 振り返ると……案の定、女性はいない。

 乾いた土の上、落ちた涙の痕跡が女性がいたということを照明していた。





 僕は再び、ベンチの方を見る。

 杖を突いたまま座っているおばあちゃんは、どこか遠くを眺めているような感じだった。

 どうやら、まだ終わらないらしい。



 そろそろ疲れてきた。

 再びブランコに座ろうとした矢先、自分の足元に誰かの影が伸びる。






「本当に、良い役者だよ。君は――」


 振り向くと、そこにはユウちゃんのお母さん――より年上そうだ。

 ヨレヨレのシャツ、さっきの女性よりも体型が少しがっしりとしているように見える。



「……おばさん?」

「…………たしかに、今の君から見ればそれくらいの年齢だろう」


 仕切り直すように、女性は咳払いをした。

 疲れ切ったような顔、それでも鋭い眼光を向けてくる。



「教えてくれ、なんだ?」



「いったい、何のことですか?」

「とぼけなくていい」


 僕の眼前に人差し指を突き付けてくる。


「私は何度も過去改変しようと、タイムトラベルを繰り返してきた。だけど、私が願ったような展開にはなっていない――――」



 そこまで言われてハッとした。

 もちろん、の相手もそうであることはわかっていた。

 目の前にいる相手は――未来のユウちゃんだ。



「過去に飛ぶ度に平行世界が生まれ、私は自分がアクションを起こした方の世界に移ってきた。そうやって他人の人生を変える仕事をしてきたんだ」


 ユウちゃんがタイムトラベルできることに気付いたのは、幼稚園の頃だった。

 誰が怪我をするか、行事の変更はいつか、先生がいなくなるとか、そうしたことを予言するかのように言い当ててしまう。

 不思議なこともあるのだなと思っていたら、『それはタイムトラベルをしているからだよ』とおばあちゃんが教えてくれた。


 これまでの「未来のユウちゃん」の言葉を信じるならば、ユウちゃんはタイムトラベル能力を使って、人のために仕事をしているらしい。

 そして、それによって誰かに利益をもたらしている……

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     



「――それなのに、君だけは変えられない」


 僕に向けられた人差し指、それはまるで僕を責めているかのようだった。

 女性――おばさんになったユウちゃんの視線は一切揺らがない。



「教えてくれ」


 おばさんユウちゃんが1歩進み、人差し指が僕の眉間に当たる。

 思わず、のけぞってしまう。



「どの私が、訪れた?」


「あの、言っている意味が……」




「隠さなくていい。旦那、未来の君から言われたんだ」

 ぐりぐりと眉間を押される。伸びた爪が食い込んで痛い。



「今日、この時間――私がヒステリーを起こして、君の頬を打った日」
































「――今日がその、[カノン・イベント]なんだろう?」




「かのん、いべんと……?」


 何を言っているかよくわからない。

 でも、おばさんユウちゃんからすると答えは出ているらしい。


 未来から過去に飛んできたのは、おそらく確認のためなのだ。




「誰が来たんだ? 20歳の私か? それとも30歳の私?」


「え、と……あの――」



 額に食い込んでいた人差し指が離れ、おばさんのユウちゃんは腕を組む。

 うなるような声を漏らし、何か思案しているようだ。




「隠さなくていい」


「なんのことだか」


 僕の言葉に、おばさんユウちゃんはがっくりと肩を落とす。

 どうやら、僕の態度に飽き飽きしているようだった。



「本当に、どうして君というヤツは……」


 多分、僕の嘘はバレている。

 おそらく、未来の僕が全てを暴露したからこうして確認しに来たということだろう。

 ユウちゃんの言う「カノン・イベント」が何なのかはわからないが、きっと重要なことなのだ。




「――君は、未来を変えたいとは思わないのか?」


 疲れ切った顔、呆れたような表情を向けてくる。

 多分、僕がどう答えるのかを――知っている。



「……人生には、台本がありますので」


「結局、君はそればかりだ」


 頭を抱え、大きな溜息を吐く。

 多分、疲れているのかもしれない。ユウちゃんの方も。



「私は思い通りに未来を変えてきた。それこそ、君の運命もだ」


「……でも、さっきはと」





「そこだ、そこなんだ」


 再び、おばさんユウちゃんが詰め寄ってくる。

 なんか、今のユウちゃんとそれほど変わらないような気がした。


「どうしても、君はという未来にならないんだ。どうしてなんだ?」


「ええと、もしかして……僕と結婚して、後悔してるんですか?」

「そんな、まさか――むしろ、大満足だよ」


 わざとらしく笑うおばさんユウちゃん。

 ヨレヨレでシワだらけのシャツから汗と煙草の匂いがした。

 

「子供は男子と女子が2人ずつ、ペットに犬と猫を飼っていて、40年ローンの3階建ての一軒家に住んでるよ。そのマイホームに、私は滅多に帰れないがね」


 話だけ聞くと、結婚を無かったことにしたいと思うような感じはしない。

 未来の僕がどんな仕事をしているかはちょっと気になるところだ。



「それで、どうして未来を変えたいんですか?」



「君が、あまりにも……不憫だからだ」


「ふびん?」



 おばさんユウちゃんが天を仰ぐ。


「私は君を愛している。ああ、愛しているとも――だけど、私はこの能力のせいで仕事仕事仕事……家に帰ることもできずに、世界各国過去未来を飛び回っているんだ。だから、家事も子供の面倒も、全部任せてしまっている――」


 ――つまり、僕は専業主夫ってこと?!


 過去改変を仕事にする、となれば影響力は大きい。

 つまり、ユウちゃんは高給取りに違いない。すごいことだ。



「まあ、高校生の君にこんな話をしてもわからないと思うが……愛してないのに、4人も子供は作れないものだよ。もう少し若かったら、5人目も考えていたところだ」


「その、僕が大変そうだから……過去を変えたいと?」





 ユウちゃんが姿勢を戻し、僕の肩を掴んだ。

 指が食い込むほどの強い力に、僕は思わず呻いてしまう。

 



「君は4回殺されそうになる。主に私を脅す目的で」


「はあ……」

「ついさっきまで、その4回全ての君を救ってきたところだ」 



 どうやら、ユウちゃんはハリウッド映画のアクションヒーロー並みに苦労しているらしい。

 そして、巻き込まれる悲しきヒロインの役は、僕ということになるのだろう。


 それって、なんかカッコ悪いな……



 つまり、4回の中には30歳と思われるユウちゃんが絶望する回も含まれているのだろう。

 あの後、再会できると知ったら過去改変しようとは思わないかもしれない。



「君は全てを知ってもなお、未来を変えたいとは思わないのか?」


 たしかに、何度も命を狙われるのは怖い。

 でも、それはユウちゃんも同じだ。


 彼女の仕事のことは何も知らない。

 だけど、危険があることは想像するのは難しくない。

 それに巻き込まれるのが、僕ではない誰かになるだけだ。




「それは、台本には無い選択肢だから」



「……そのは聞き飽きた」


 肩を竦め、ポケットに手を突っ込むおばさんユウちゃん。

 そこから取り出したのは……のど飴だった。



「クソっ、禁煙してたんだった……」


「煙草吸うんですか?」

「ああ、同僚がよく吸うんだ。精神を落ち着かせたい時によく使う手だよ」


 ふと、脳裏にバンダナを頭に捲いた傭兵の姿が思い浮かぶ。

 その隣におばさんユウちゃんが……なんだか、シュールな絵だ。



「精神を落ち着かせたい時って?」


「……銃撃戦の前、とか」


 ――ホントに、ユウちゃんはどんな仕事してるんだ……?


 これまで20代、30代くらいのユウちゃんは何度か会っている。

 しかし、今回のおばさんのユウちゃんは初めて遭遇した。

 将来の僕らがどんな風になっているなんて、一度も聞いたことが無い。



「……話しすぎた、忘れてくれ」



「がんばります」

「どうせ、君は台本通りに演じきるだろ。心配はしてない」


 おばさんユウちゃんが皮肉っぽく笑う。

 だが、すぐに顔を逸らしてしまった。



「今のも忘れてくれ」


「善処します」

「絶対だぞ」


 また、僕の方を見たおばさんユウちゃんは……穏やかな顔をしていた。

 そして、僕の頬に触れる。

 さっき、15歳のユウちゃんにぶたれた方だ。


「愛してる」

「僕もです」


 僕の言葉を、おばさんユウちゃんが鼻で笑う。


「10年早い」


 突然、破裂音がした。同時に視界が揺さぶられる。

 頬が熱くなって、とても痛い。またビンタされたようだ。


 頬を押さえながら、顔を上げると――おばさんユウちゃんは消えていた。

 きっと、元の時代に戻ったのだろう。



 痛み、腫れ、頬の熱さに耐えながらベンチの方を見る。

 すると、おばあちゃんが立ち上がっていた。

 杖を突いて、ゆっくりとこちらに向かって歩き始める。


 僕はそんなおばあちゃんのところに駆け寄った。

 腰を曲げて、ゆっくりと歩くおばあちゃんの前でしゃがむ。



「これで終わり?」


「ああ、そうだよ。これでカノンイベントは終わり、あとは選択の時だよ」

 掠れた声で、おばあちゃんは言った。


「選択?」

「そうさ、未来を変えるかどうかの選択だよ」


 僕がユウちゃんと一緒にいる未来、完全に別れる未来。それをここで決めなければならないらしい。

 一緒にいたら、きっと危険な目に遭う。殺されるかもしれない状況に陥るようだ。



「未来はまだ確定してない、変えることもできるんだよ?」


 おばあちゃんは続ける。

「ここからは、君の選択だ」



 おばあちゃんの前で膝を着き、顔を上げた。

 同じ目線、その顔を正面から見つめる。






「未来は変えないよ――」

















「――ユウちゃん」



 僕の言葉に、おばあちゃんは驚いた様子だった。

 だけど、すぐにいつも通りの朗らかな顔に戻る。



「こんなでも、そう呼んでくれるんだね」


「ユウちゃん、僕はね」


 杖の突いてない左手を取り、包み込むように握る。

 その薬指には、やはり指輪があった。



「全てのユウちゃんが愛おしいんだ」


「いいのかい、迷惑をたくさん掛けるんだよ?」

「いいに決まってる。それが僕の台本なんだよ、僕が……認めた台本なんだ」







「そうか、ありがとう」

 おばあちゃんがにっこりと笑った。



「これで、今回は終わりだね」


「次回はいつ?」


 未来が変わりそうなイベントが起きる時、おばあちゃんが必ず現れる。 

 そして、今回のように「未来を変えるか否か」の最終確認をするのだ。



「それを知ってちゃ、面白くないだろう?」

「たしかに、台本にはアドリブが必要だからね」


 おばあちゃんが笑う。

 僕も、つられて笑う。



「さて、家に帰ろうか」

 よたよたと歩き始めるおばあちゃん。

 僕もその横を歩き、付いていく。



「ところでさ」

 これまで疑問に思っていたことを、正直に質問することにした。



「タイムトラベルのルール、おばあちゃんには適用されてないよね?」


 ユウちゃんのタイムトラベルには、いくつか制約がある。

 例えば、過去の自分がいる場所には未来から飛んでくることができない。とか、場所や時間と景観のイメージが無いとタイムトラベルできないといったものだ。


 だが、おばあちゃんは僕が生まれた頃からいる。

 それなのに、おばあちゃんは間違い無く〈ユウ〉ちゃんなのだ。

 しかも、一緒に家にいた場面すらある。



「ああ、それはね」


 歩きながら、おばあちゃんが僕の方を見る。

 そして、困ったように笑った。



「私が、特異点の〈ユウ〉だからだよ」


「特異点?」

「そう、10代の〈ユウ〉が過去改変し過ぎたせいで、この世界線は既に歪みに歪んでいる。だから、ここから平行世界が生まれることは絶対に無い」


 おばあちゃんの言っていることは少しもわからない。

 だが、なんとなくは掴めそうな気がした。


「つまり、おばあちゃんが繋ぎ止めているから……〈ユウ〉ちゃんが仕事で過去を変えられているってこと?」


「そうだよ、だからね。私は他の〈ユウ〉とは違う方法でここにいるんだ」


 頭の中で図式を組んでみる。

 〈ユウ〉ちゃんはという存在を軸に、世界を定義している。

 それはつまり、『僕とユウちゃんが結婚する』という未来の世界だ。


 おばさんユウちゃんの言葉が正しければ、僕は4回殺されそうになるが――当のおばさんユウちゃんが、過去改変で僕の命を救っている。

 つまり、時間の流れは1本だけど過去と未来が行ったり来たりしているのだ。



 僕とユウちゃん、それを構成する世界そのものだけが――1本道。


 じゃあ、僕が〈ユウ〉ちゃんを選ばなかったとしたら……?



 何か、背筋に冷たいものが走る。

 この「カノン・イベント」というのは、とても重要で、綱渡りだったんじゃないだろうか――





「じゃあ、おばあちゃんってさ」


 僕はおばあちゃんの前に出て、道を塞ぐ。

 足を止めたおばあちゃんが、ゆっくりを顔を上げた。






「誰と、結婚したの?」





 お互いに足を止めたまま、沈黙が続く。

 おばあちゃんは何も言わない。



 僕が生まれた頃には、おばあちゃんはいた。

 僕のお父さんのお母さん、つまりは祖母だ。


 それが正しければ――僕は、〈ユウ〉ちゃんの孫ということになる。


 ただし、おばあちゃん=〈ユウ〉ちゃんだとしても、いきなり息子である僕のお父さんが生まれてくるわけではない。

 そこには相手、夫がいるはずなのだ。


 だけど、僕にはおじいちゃんがいない。



 じゃあ、おばあちゃんの〈ユウ〉ちゃんが結婚した相手というのは――いったい、誰なんだ?




 唐突に、おばあちゃんが笑う。

 静かに、困ったように、いつものように笑った。








「ナイショ、だよ」


  

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