黒花怪異経済譚

ハロイオ

本文















「契約したんだよ!何が悪いんだよ!」



 そう叫ぶ怪異を"私"は強制的に逮捕した。

 罪は高過ぎる"魂利"での契約の果て、"重魂フロー"を契約者から吸い取ろうとしたことだ。合意の上ではあったのだが、それでも違法ではある。

 この手の怪異は、合意を得さえすればどのような契約もして良いかのような態度を取ることがある。合意した方が悪いと主張することもある。確かにこの契約者の評判は周りから良くなかったところもあるが、それでも過剰に負荷のかかる契約は違法なのだ。

 逮捕した日の帰り道、街の広告で、"社会派怪異物語"の宣伝が幾つかあった。

 『怪異契約黙示録』、『怪騎大戦』、『正直怪異』、『白花しらばな世代のオレたち』...

 どれも高利の危険な契約や犯罪に手を染める怪異や、合法な範囲でも厳しい取り立てをする怪異を扱う物語だった。それがあたかも「この厳しい時代を生き抜く術を教えてくれる」ように流行していることに腹が立つ。

 その視聴者に叫びたかった。「そういう話は今は逆効果だ」と。

 まず説明しよう。この怪異歴130年の怪異や経済の危機的状況の性質と、それへの金融政策や財政政策がどうあるべきか、それをどれだけの人間や怪異が勘違いしているかを。

 怪異歴元年は、怪異の存在が公表されたことで始まった。

 それまで人間の一部が、"怪異"という生物と密かに契約して、人間の"魂"の一部を吸収させて特殊能力を得て、仕事や生活に役立てていた。

 魂にも様々な種類や階層があり、特に汗や息などのように定期的に人間が空気中に放出して、吸収されても特に問題のない「軽魂フロー」があった。定期的に液体のように流れるが、吸収すると負荷のかかる血液のような「重魂フロー」もある。固体のようだが削っても再生出来る爪や髪の毛のような「軽魂ストック」もある。しかし筋肉や骨のように、削って再生せずに命や自己同一性に関わる「重魂ストック」があり、怪異は契約の重さによってこれらの利用を使い分けていた。

 しかしリスクの高過ぎる契約で死傷者が出て、その犯罪が周りを巻き込むことも増えたため、ついに怪異の存在が明るみになり、人間の各国政府は怪異と交渉し、重魂ストックの使用を原則禁止した。重魂ストックでも、肝臓のような再生し得るものでは議論の余地があるらしいが。

 本人の命を救うなどの重要なときでない限り、軽魂ストックと重魂フローの使用も認めない。基本的に許されるのは軽魂フローだけだ。

 怪異は契約するときのリスクを"魂利"と呼び、借金の金利のように、信用しやすい相手からは低い魂利で少量の軽魂フローを吸収し、信用の少ない相手からは高い魂利に設定するようになった。

 人権への配慮などから、法定魂利の上限も定められた。あまりに高い魂利の契約は合意の上でも違法であり、元本に当たる軽魂フローごと無効となる。

 そうして今日逮捕した怪異も、違法な「高魂利貸し」だったと言える。

 しかし怪異に限らず、近年は「約束さえ守れば何をしても良い」、「約束を破るのは絶対に許されない」かのような風潮を私は個人的に感じている。

 何が正しいことが分からない、相手の倫理観を信用出来ないあまりに、「誰でも、自分で過去に言い出したことだけは自分のエゴやプライドの一部だから守るだろう」という推測のもと、「約束を利用して相手を苦しめて良い」という考えになっているのではないだろうか。

 怪異が公表される前の時代の娯楽として、うわさになっていた怪異を「架空の存在」として扱う物語があり、人間との契約を利用して弄ぶ「怪異」が、契約を逆手に取られて人間に出し抜かれるものもあった。

 しかし私は考えていた。

 そのような約束を絶対視して、リスクの高い契約をさせるような物語こそ、逆にこの怪異歴130年の怪異不景気を悪化させていると。

 金融政策の基本から説明する。

 景気の悪く金銭の流れが少ないときは、通貨を発行する中央銀行が利下げして、金銭の貸し借りをしやすくするのが通常の金融政策だ。逆に好景気で金銭の流れが多いときは、利上げして貸し借りを妨げる理論がある。

 今の怪異歴130年の本国は、30年ほどの長い不景気なのだが、そのようなときはむしろ「金利というリスクを減らすから借金してくれ」と中央銀行が国民に促すのが常識なのだ。何故なら、借金は不景気のときには全体の役に立つからだ。

 にもかかわらず、何故かここ30年の本国では、高利貸しの物語、強引な手段で取り立てをして債務者が苦しむ、それを自業自得のように扱うものが流行している。

 それが借金を恐れさせて、かえって景気を悪くしている可能性が多くの国民に認識されていないようだ。

 怪異との契約もそうだ。

 現在怪異との契約も減少し、怪異達は軽魂フローを得られず弱体化し、人間も怪異由来の特殊能力を使えずに困ることが多い。空気中に流れる軽魂フローも減っているようだ。言わば「怪異不景気」だ。だからこそ、現在は法定魂利の上限も下げ、契約のリスクを減らし、怪異金融政策として契約を促しているのだ。

 実際、新聞ではしばしば「ゼロ魂利」などの用語が並ぶ。ゼロに近いほど魂利が低いのだ。

 にもかかわらず現在本国で流行する、怪異を扱った「社会派」の物語は、高い魂利で契約したり、契約する人間を苦しめたり、契約する人間が悪いように描いたりする、怪異契約を恐れさせるものばかりだ。

 先ほど挙げた4つの物語を説明しよう。

 これらの物語は、怪異としても非現実的な要素がある。明らかに違法な怪異が、あたかも「現実の暗喩」のように描かれることもある。

 『怪異契約黙示録』は、怪異契約の債務者に、重魂ストックや重魂フローを含めて奪い、危険な勝負を強いる業者の「命より重い契約」などの言葉があり、「金言」として流行したこともある。現実なら違法で無効になる契約ばかりだが、警察などが助ける様子はない。

 『怪騎大戦』は、人間の重魂ストックすら容赦なく喰おうとする非情な怪異と契約して、私利私欲のために殺し合う人間を描く。警察官ですら参加するときがあった。主人公は止めようとしていたが。

 『正直怪異』は、怪異を利用した賭博に巻き込まれた一般人が、やはり警察に頼らず、「みんなが奪い合うのをやめて正直になればみんな助かる」と説得する。

 『白花世代のオレたち』は、好景気だった時代に怪異契約の仕事に就いた主人公が、不景気で競争の激しくなった業界で、契約を破る客から取り立てる場面が多い。中には、「借りてくれと言った業者の方が悪い」という客もいた。ちなみに、白花世代とは、怪異の経済活動の景気の良い時代に、ある種の植物怪異の花の白い個体が多くなる報告から名付けられた。生物学的な原因は私にはよく分からないが。

 これらは全て、怪異契約のリスクを誇張して、本来世の中の役に立つはずの契約を恐れさせている。契約を促すためには、リスクの高過ぎる契約は禁じるべきなのだ。

 不景気の今は中央銀行や政府が、利下げで「借りてくれ」と国民に要請しているはずだ。

 また、『正直怪異』の「みんなで奪い合うのをやめろ」という説得も、一見美談のようで、マクロ経済学から言えば解決策にならない。

 ミクロでは合理的な判断が、マクロでは非合理的な結果をもたらす「合成の誤謬」がある。不景気をもたらすデフレのときに、各々の店が値下げしなければ自分達だけ損をするので値下げするのが「ミクロでは合理的」だが、全体の値下げにより景気が落ち込み「マクロで非合理的」となる。これは民間市場任せでは解決せず、政府が減税や公共事業などの財政政策で改善するものだとされる。

 ちなみに財政政策において、不況で減税して好況で増税することで景気を調整するが、そのためには累進課税が良いとされる。累進課税は格差を縮めて低所得者を助けるだけでなく、ビルトイン・スタビライザーという作用で、全体にも役立つ負のフィードバックがあるのだ。

 デフレで民間の過酷な競争で奪い合うのは、ミクロでは合理的だが全体で悪い結果をもたらす。だがその解決策は、民間の全員が一斉にやめるのではなく、政府が働きかけるものなのだ。警察などに頼らず、個々の善意で解決しようとする『正直怪異』は、結局民間に過剰に期待している。

 『怪騎大戦』で、戦いの中、椅子がありながらわざわざ人を踏み台にした場面があった。黒幕が、大切な人間を救うために、人の命を奪わずに済んでも切り捨てるのと比較するように。現代の本国も、借金や契約を恐れるあまりに、「椅子取りゲーム」の椅子を減らしていると言える。

 『白花世代のオレたち』では、主人公と異なり「現実主義」、「非情」な扱いで人を切り捨てる上司が、「マクロの視点」と口にしていた。ふざけるな、と言いたい。

 マクロ経済学における政策とは、不景気なら利下げして借金をしやすくする金融政策と減税などの財政政策で、金銭に困っている人間を助けるものなのだ。そうして助けても世の中の足を引っ張るのではなく、むしろ利下げによる借金や減税による消費活動で豊かにする。好景気なら利上げして借金を、増税して消費を控えさせるべきだが、そもそも好景気なら借金の必要な人間は少なく、増税にも耐えやすいはずだ。

 困っている人間を切り捨てるほど全体が豊かになるという思い込みで、怪異契約の物語はあふれており、それがかえって借金を恐れさせて不景気を悪化させている。

 それの分かっていない政治家も多いかもしれない。

 もっとも、行政の側の私は、立法の政治などに口を出すわけに行かないのだが...



 爆発音。

「え?」



 

 火山の噴火のような煙のある風景が、映像を表示する怪異によるニュースで流れる。

 どうも黒花くろばな怪異の多く生える地域で、地中から未知の鉱石が出現して、大量のエネルギーを放出しているらしい。詳しい原理は私には分からないが。

 だがこの災害で、私も動かなければならない。












 "俺"は呆れていた。黒花災害でも、経済の話ばかりする人間や怪異に。

 この黒花災害は、空気中の魂のエネルギー、"霊力"不足に対する、言わば惑星の防衛反応なのだ。

 惑星を生命のようなシステムだとするガイア仮説の一部である「デイジー・ワールド」では、惑星に白い花と黒い花が生えているときに、恒星の活動の変化で日射量が増えると、恒星からの光を反射しやすい白い花の方が有利なので増えて気温を下げる。逆に日射量が減ると、光を吸収しやすい黒い花の方が有利なので増えて気温を上げる。それぞれの花が環境に適応して個体数を変えることで、環境も調整するとされる。

 これには異論もあったようだが、植物型怪異の花の色が実例となった。

 近年空気中の霊力が減少している。怪異の活動、特に汗や息のように放たれる軽魂フローの変化も関係するようだ。

 その状況で、光を吸収して霊力に変換する怪異植物がおり、黒い種類と白い種類に分かれる。霊力不足のときは、吸収しやすい黒い花が増えて白い花は減る。霊力が増え過ぎると、光を吸収する黒い花は霊力過剰に耐えられずに減っていき、光を反射する白い花の方が増える。

 つまり、霊力の変動に応じて黒い花と白い花にも調整作用、負のフィードバックがあるのだ。そうして土壌に霊力を蓄積して、やがて空気中に放つ。

 物理学において、ミクロでは時間を巻き戻しても成立する時間反転対称な動きが集まると、マクロで時間反転非対称になる。熱湯と冷水を混ぜてぬるま湯にしてもそのままでは戻せないようにだ。そのミクロとマクロの違いがエントロピーという数字の増大と説明されるが、この惑星も生命のようにエントロピーを調整する働きがあるらしい。

 俺の父はガイア仮説の研究でそれなりに業績をあげて知られていたが、研究のために借金までして、結果的に家族に多大な負担をかけた。あの頃、30年前は景気が良かったにもかかわらず俺の家は貧しく恥ずかしい思いをした。今は総じてこの国の景気が悪いようだが、ならなおさら借金なんて冗談じゃない。

 俺は父と約束した。「借金で迷惑をかけるような人間にはならない」と。

 それはさておき、あの黒花怪異が、吸収した光を変換した霊力が土壌に集中して、今各地で結晶化して被害を出している。これは霊力不足を是正するための、ガイア仮説で言うところの調整作用なのだ。

 その災害に便乗してビジネスをする馬鹿者もいる。こんなときに借金や怪異契約をする人間が増えて、余計に被害が増えるだろう。

 環境が悪化しているときに、いつまで人間や怪異は経済問題に捉われるのだろうか。早く経済が破綻してくれた方が環境のためでは...




 ガンッ!



「あ、すみません!」






 金融政策から怪異契約のリスクを下げて促すべきだと考える"私"と、ガイア仮説から黒花の調整作用を分析する"俺"は、多数の書類を抱えるときに偶然ぶつかり出会った。

 そのときは2人共知らなかった。

 "私"はガイア仮説、怪異不景気の間に霊力不足により黒花怪異が増えることで調整作用が働こうとしていることを、"俺"は金融政策、不景気のときは金利を下げて借金を促すべきだという経済理論を。2人共自分の理論に基づき世の中に批判的だったが、表立って言わない程度には「節度」があったため、逆に自分の盲点に気付かなかったのだ。

 ある国の天文学者が、天文学に誤解が多いと書いた書籍の中で、「私は経済についても様々な考えがあるが、その多くが間違っていると賭けても良い」とも書いている。専門分野で世の中の間違いに気付いても、専門外では間違える可能性はあると言いたいらしい。

 2人が落とした書類に、「黒花怪異」と共通して書いてあることにそれぞれ気付き、互いの意見を交換するうちに、新たな理論を生み出していった。

 金融政策とガイア理論の、上がり過ぎた数字を下げて、下がり過ぎた数字を上げる負のフィードバック、ミクロとマクロの関係を繋げる理論だ。経済と環境、両立しなさそうな2つの理論が繋がったのだ。










参考文献


飯田泰之ほか/編,2020,『教養のための経済学超ブックガイド88 経済の論点がこれ1冊でわかる』,亜紀書房

井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA

井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA

井上純一(著),アル・シャード(監修),2021,『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』,KADOKAWA

井上純一,2023,『逆資本論』,星海社

細田衛士,2010,『環境と経済の文明史』,NTT出版

宇野常寛,2011,『ゼロ年代の想像力』,早川書房

ニール・カミンズ/著,加藤賢一ほか/訳,2005,『宇宙100の大誤解 言われてみれば間違いだらけ』,ブルーバックス

高水裕一,2020,『時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて』,講談社

福田慎一,照山博司,2023,『マクロ経済学・入門 第6版』,有斐閣

竹内望ほか,2023,『雪と氷にすむ生きものたち 雪氷生態学への招待』,丸善出版

本川達雄,2015,『生物多様性 「私」から考える進化・遺伝・生態系』,中央公論新社

ジェームズ・ラヴロック/著,竹田悦子/訳,松井孝典/日本語版監修,2003,『ガイア 地球は生きている』,ガイアブックス








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