神様は乗り越えられる試練しか与えない、らしい

氷室凛

第1話


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【3学年 成績優秀者】


 仁吾 未来


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 正面玄関入ってすぐ。1番目立つとこの掲示板。にこれまたでかでかと目立つように貼ってあるでかい紙。この前のテストの成績上位者のリスト。その1番上に書いてある名前。仁吾ジンゴ未来ミライ。俺の名前。

 つまり俺が、この前の試験の総合成績トップってこと。


「うわジンゴ1位じゃん! 嘘だろ、おい! 絶対カンニングしたっしょ!」

「してねーし! 素直に褒めろや」

「やだムカつく。部長で委員長で成績優秀とか設定盛りすぎ。俺にもなんか分けろ」

「はい僻みおつー。全部努力すれば誰でも手に入ります〜」


 友人がじゃれついてくるのを笑って相手しながら教室に入る。


「ジンゴ、この前のテストはよく頑張ったな。だからと言って油断して気を抜くなよ。あと体調も気をつけてな」

「はは、気をつけます」

「ジンゴテスト1位とかまじ? 絶対カンニングしたっしょ? てか今度ウチにも勉強教えて?」

「うわ、本日2回目のカンニング疑惑。でもしてないから。次はみんなで勉強会しよーな〜」


 声をかけてくる教師には明るく愛想良く。絡んでくる女子には軽く調子良く。

 

 部長で委員長で成績優秀。でもそういうのを鼻にかけず、いつもヘラヘラしてノリのいいお調子者。

 それが俺、仁吾未来の学校での過ごし方。



♦︎♢♦︎



 ただいまを言わなくなったのはいつからだろう。

 スカスカの玄関。暗い廊下。

 お手伝いさんが作り置きしてくれた夕飯の匂いが、滅亡後に人類が生きてた証拠みたいだ。


 手を洗う。風呂に入る。テレビをつけて夕飯を食う。少し冷めているが、温め直すほどじゃない。

 食器を流しに置く。テレビを消す。自室に戻る。今日の復習と、明日の予習を──


 淡々とルーティンをこなそうとしていた手が止まる。教科書の間から出てきた紙。この前のテストの結果がまとめてあるプリント。

 そこに太字で印刷されている「1位」の文字。


 テストとか、試験とか。そういうのを頑張るようになったのはいつからだろう。

 ──たぶん、あれだ。むかし、小学生のとき。


 自分で「意外」と言うのもなんだが俺は意外と身体が弱く、高3になった今でも頻繁に学校を休んでいるが、小学生の頃はもっとひどくて入退院をしょっちゅう繰り返していた。入院まではいかなくとも家から出られない日も多くて、登校した日数なんて数えるほどしかない。

 その数えるほどしかないうちの1日が、たまたま何かのテストの日だった。社会だったか、国語だったか。ともかく、あんま考える必要のない、ほぼほぼ暗記と常識でいけるやつ。

 先生は「わからなくても気にしないでね」なんて言っていた気がするが、制限時間が終わって隣同士で交換して丸つけして、返ってきた用紙を見たら俺は100点だった。

 これまた自分で言うのはなんだが、俺は地頭がいい方なんだと思う。学校に行けない日、俺はよく教科書を眺めていた。平日昼間のテレビはつまらなくて、他にやることがないから。眺めていた、って言っても、そんなにじっくり読み込んでたわけじゃないからな。本当にパラパラ、なんとなく文字列を追ってるだけ。それだけ、本当にそれだけ。それだけで100点が取れた。

 小学生のテストなんて今から思えばチョロいもんだが、それでも100点は100点だ。隣の席の子が目を丸くして「すごいね!」って言ってくれたのをまだ覚えている。


 それで──それで帰って、大喜びで母さんに報告した。あの頃はまだ母さんがちゃんと帰ってきてくれてたから。下校中ずっと握りしめてたせいでしわくちゃな上に手汗でしっとりした用紙を広げて、「見て見て!」って、なんの心構えもなく無邪気に報告した。あの頃は母さんと話すのに心構えなんていらなかったし、何にも考えず無邪気でいられたから。

 ……それで、母さんも。ちゃんと、俺のことをちゃんと見て、「テスト100点だったの!? すごい、未来天才!」なんて言って、ぎゅうっと抱きしめて頭を撫でてくれた。


 ──そう、その時だ。俺がちゃんと教科書を読んで例題を解いて、テストを頑張るようになったのは。




♦︎♢♦︎



 「1位」と書かれた紙をリビングのちゃぶ台に置く。もしかしたら母さんが帰ってきて見るかもしれないし、それで褒めてくれるかもしれないから。


 いつからだろう。母さんが家に寄り付かなくなったのは。俺に見向きもしなくなったのは。

 ──いや、わかりきっている。この家に来てからだ。


 どうにも俺の父親は地元じゃちょっと有名な名家の人間だったらしく、俺は小5の終わり頃こちらに引き取られた。元は俺だけ引き取られる予定だったが、駄々をこねにこねて母さんも一緒に越してきた。

 それまでの母さんは生活費に加えて俺の入院代やらなんやらを捻出するため、働きすぎなくらい働いていた。昼間は複数のパートを掛け持ち。夜はキャバクラやスナック。その合間にも内職を重ね、常にやつれて忙しそうだった。

 だから。

 この家に母さんと一緒に引っ越すことが決まったとき、俺は大喜びした。これで母さんといっぱい一緒にいられる、母さんに楽をしてもらえるって。母さんも嬉しそうで、幸せな未来が待ってるって信じて疑わなかった。


 けど。

 そうはならなかった。


 母さんが家にいたのは最初の数週間だけ。

 家事はお手伝いさんがやってくれる。生活費は家が出してくれる。俺の身体が弱いのは相変わらずだが、付きっきりの看病が必要な年じゃあなくなった。

 暇を持て余した母さんは徐々におかしくなった。

 家に居づらいのかよく外へ出るようになった。その時間はどんどん長くなり、どこに泊まっているのか外泊も増え、しまいにはほとんど家に帰らなくなった。

 もちろん俺と過ごすこともほとんどなく、最近じゃあ稀に顔を合わせても言うことといえば「金を貸してくれ」ばかりだ。まともに会話することも、ましてや褒めてくれることなんて──

 



 よく言うよな。「神様は乗り越えられる試練しか与えない」、とかなんとか。

 だから。


 俺がいい子にしてれば。学校では明るくて友達も多くて先生からも信頼されてて、部長とか委員長とかやっちゃったりして。成績もよくて、学年1位とか取っちゃったりして。ほら、高3の学年1位だよ。これ小学生の時のテスト100点より何倍もすごいよ。


 そうしたら、もしかしたらもしかしたらって。


 俺はそんな馬鹿な未来を、まだ捨てられないでいる。

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