一章 女子高生殺傷殺人未遂事件

第1話 仕事復帰

『ただ今入ってきたニュースです。埼玉県の公立高校で、女子生徒二人が血を流し倒れているのを警備員が発見しました』


 カウンターキッチンで野菜を炒めていた芙季子ふきこは、ニュース速報を読み上げるテレビからの声に顔を上げた。女性アナウンサーが続ける。


『生徒二人は救急搬送されましたが、意識不明の重体とのことです。警察は、事件事故両方の可能性があるとみて慎重に捜査を進めています』


「芙季子、焦げてる!」


 崇史たかふみの慌てる声にはっとなり、テレビに向いていた意識をフライパンに戻した。

 慌てて火を止め、中の様子を窺う。もうもうと上がる白い煙に加え、焦げる臭いが漂う。


「ごめん」

「いいよ。焦げてるところだけ除けて食べるよ」


 湯上りの崇史は、バスタオルで濡れた髪を拭きながら、冷蔵庫を開けた。缶ビールを取り出して、ダイニングテーブルに向かう。


 芙季子は焦げてしまった野菜を流しの三角コーナーに捨て、食べられる部分を皿に盛る。まだ焦げた匂いがしている。夫に申し訳ないと思いながら、冷蔵庫から取り出した刺身と一緒にテーブルに持って行った。


 崇史は夜のニュース番組をザッピングしていた。政治コーナーでチャンネルを止める。

 芙季子は隣に座り、番組を見るともなしに見る。だが、頭はさっきのニュースを考えていた。


 時刻は夜の10時半を過ぎている。遅い時間に学校で何をしていて、血を流すことになったのか。二人の間のトラブルなのか。第三者の起こした事件に巻き込まれたのか。


 学校や病院の周辺では、報道陣がすでに取材を始めているだろう。芙季子の所属する週刊成倫せいりんの事件班からも、誰かが駆け付けているはずだ。


 お尻がむずむずしてくる感覚があって、今にも動きだしたい衝動に駆られる。

 産後休暇を取っていたこの一カ月、いくつか事件は起こっていたが、そわそわしたのは初めてだった。


 女子高生二人の事件が気になって落ち着かない。

 スマホを手に取り、事件の検索を始めた。


 報道からさほど時間が経っていないからか、新しい情報は出てこない。二人の氏名は報道規制がされているのか、どれだけ調べても出てこない。どの高校なのか。県内での怪しい人物の目撃情報はないか。SNSもチェックしていくが、めぼしい情報はなかった。


「芙季子」

 スマホが大きな手で塞がれ、画面が見えなくなって初めて崇史に呼ばれていたことに気がついた。


「どうかしたのか」

 崇史の食器は空になっていた。テレビもいつの間にか消されている。


「片付けるね」

 立ち上がろうとする芙季子を、崇史は「いいから、座って」と肘を引っ張る。


「何かあったのか」

 再度訊ねてくる崇史に、芙季子は動画アプリを立ち上げ、ニュース画面を見せた。


「この事件が気になるの?」

 訊ねられ、無言で頷く。


「芙季子は今、体を休めているところだろう」

「そうなんだけど……」


「どうしたいの?」

「取材に行きたい」


「体はもう大丈夫なのか」

 芙季子は少し黙ったあと、「たぶん……」と呟いた。


「俺は、もう少し体を休めたほうがいいと思ってる。だけど、芙季子が復帰したいなら、何も言わない。無理はして欲しくないけど」


 夫の声は優しい。自分を気遣ってくれていることは十分に感じられた。でも、


「デスクに相談してくる」

 芙季子はスマホを手に取って、すっと席を立った。廊下に出て自室に入る。


 事件班デスクの新田にった良一りょういちに電話をかけると、上司はすぐに電話に出た。


「大村か。どうした」

 スマホに名前が表示されるので、新田はいつも名乗らない。

 一カ月ぶりのざらついた声を懐かしく感じる。


「埼玉の女子高生の事件をご存じですか」

「ああ。外村とのむらに行かせた」


「わたしにやらせてもらえませんか」

 デスクが一瞬黙る。ダメだと言われるのだろうか。芙季子は少し身構える。

 許可が下りなければ、出るまで食らいつく。それぐらいのタフさは兼ね備えている。


「……体は大丈夫なのか」

「はい」


「外村と二人でやれ。無理はするな、お前さんは、その、病み上がりみたいなもんなんだからな」

 デスクが逡巡したのは、体の心配をしてくれたからだとわかる。


「お気遣いありがとうございます。外村くんと連絡を取って明日から動きます」

 明日から記者復帰できる。

 高揚感と同時に、息子に対する罪悪感が芙季子の胸にちくんと刺さったが、気づかないフリをした。

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2024年12月21日 14:15
2024年12月21日 21:05

縁因-えんいんー 衿乃 光希 @erino-mitsuki

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