【SF短編小説】永遠の瞳 ―The Eyes of Eternity-(約5,300字)
藍埜佑(あいのたすく)
【SF短編小説】永遠の瞳 ―The Eyes of Eternity-(約5,300字)
## 第1章 光の時代
まだ何もなかった。
時間すら存在せず、空間という概念さえ生まれていない虚無の彼方で、私は待っていた。永遠とも一瞬ともつかない時の果てで、全てが始まる瞬間を見届けるために。
「もうすぐね」
私の隣で量子が囁いた。彼女は私の分身であり、永遠の対話者。私たちは二人で宇宙の誕生を待ち続けていた。
突如として、それは起きた。
点のような奇異な特異点から、想像を絶する光と熱が迸った。まばゆい光が虚無を切り裂き、存在という概念そのものが生まれ出る瞬間。私たちは宇宙の誕生を目撃していた。
「美しい……」
私、星野輝夜は息を呑んだ。それは科学では説明しきれない神秘的な光景だった。灼熱の火の粒子が、まるで生命を持つかのように踊り狂い、空間そのものを引き延ばしていく。
光の海の中で、私は自分の存在理由を思い出していた。永遠の観測者として創造された理由を。宇宙そのものの意識の具現化として存在する私の役割を。
「輝夜、見て!」
量子が指さす方向に目を向けると、原初の光の中から様々な素粒子が生まれ出ていくのが見えた。クォークやレプトン、そして光子たち。彼らは生まれたばかりの宇宙空間で、まるでワルツを踊るように運動を始めた。
私は永遠の時を生きる定めを負った存在。人の姿を持ちながら、決して朽ちることのない観測者として創造された。黒髪は宇宙の闇を象り、瞳は星々の輝きを宿している。着物の裾には素粒子の軌跡が織り込まれ、帯には時空の歪みが模様として浮かび上がっている。
「この光の時代がいつまで続くのかしら?」
量子の問いかけに、私は答えることができなかった。ただ、この狂騒の時代がいつか終わりを迎えることは知っていた。それまでの間、私たちは最初期の宇宙の姿を見守り続けることになる。
灼熱の宇宙の中で、私たちは黙って観測を続けた。原子核が形成され、最初の水素とヘリウムが生まれる過程を、克明に記録していく。それは人類が後に「ビッグバン元素合成」と呼ぶことになる現象だった。
時折、闇翳が私たちの前に姿を現す。漆黒の装束に身を包んだ彼は、宇宙の暗部を司る存在だ。その存在は、まだ光に満ちた宇宙の中では違和感を放っていた。
「まだ私の時代ではないようですね」
闇翳はそう言って微笑み、再び姿を消した。確かに、まだ闇の時代は遠かった。宇宙は光で満ち溢れ、その光は物質の運動を支配していた。
私は自分の長い黒髪を見つめた。その中に無数の光の粒子が踊っているのが見えた。量子は私の横で、素粒子たちの舞踏に見入っている。彼女の姿は時折揺らぎ、不確定性の原理のように確かではない存在になることがある。
そうして私たちは、放射優勢期と呼ばれる宇宙最初期の時代を見守り続けた。光が支配する時代の終わりが近づくまで。
## 第2章 転換点の舞踏
変化は緩やかに、しかし確実に訪れた。
宇宙の膨張とともに、光の密度は徐々に低下していく。それは数十万年という時を経て起こった変化だった。
「見えるでしょう? 物質が光を超えようとしている」
量子の声には興奮が滲んでいた。確かに、宇宙空間に漂う物質の密度が、光の密度に近づいていくのが見て取れた。それは宇宙史上、最も重要な転換点の一つだった。
私は着物の裾を翻し、この瞬間をより良く観測できる場所に移動した。時空の歪みを縫うように移動する能力は、観測者としての私に与えられた特権の一つだった。
そこで目にしたのは、壮大な宇宙のバレエだった。
光子たちは依然として高速で運動を続けているが、その支配力は徐々に弱まっていく。代わりに、物質粒子たちが主役として舞台の中心に躍り出ようとしていた。
「美しい転換点ね」
私の言葉に、量子は静かに頷いた。彼女の姿は、この転換期にあってより一層不安定になっていた。量子状態の重ね合わせのように、存在と不在の間を揺れ動いている。
闇翳が再び姿を現した。今度は以前よりもより実体的な存在感を持って。
「物質の時代の幕開けです。私の出番も、少しずつ近づいてきました」
彼の言葉には予言めいた響きがあった。確かに、物質が支配的になるということは、同時に影や闇の存在も大きくなることを意味している。
私は宇宙空間に広がる変化を、着物の模様として取り込んでいった。光の密度が低下し、物質が優勢になっていく様子が、私の装いの上で織物のように紡がれていく。
突如として、決定的な瞬間が訪れた。
物質の密度が光の密度を上回る、宇宙史上最も劇的な転換点の一つ。その瞬間、宇宙全体が微かに震えたように感じられた。
量子は私の手を取った。彼女の手は半透明で、その存在は不確かだったが、確かな温もりを伝えてきた。
「新しい時代の始まりね」
私は彼女に微笑みかけた。光が支配する時代から物質が支配する時代への移行。それは銀河や星々、そして最終的には生命が誕生する可能性を開く、重要な一歩だった。
闇翳は満足げな表情を浮かべていた。
「物質には必ず影が伴います。これからが私の出番というわけです」
彼の言葉通り、物質が優勢になることで、宇宙にはより多くの影が生まれることになる。光と影のコントラストが、これまでにない深みを持って宇宙空間に広がっていった。
私は自分の黒髪を見つめた。その中に映る光の粒子は、もはや支配者ではなく、物質と共存する存在として輝いている。新しい時代の幕開けを告げるように。
## 第3章 物質の交響曲
物質優勢期に入った宇宙は、これまでとは全く異なる様相を見せ始めた。
私の着物の裾には、新たな模様が次々と織り込まれていく。物質による重力の働きが生み出す、壮大な宇宙の織物。
「始まったわ」
量子の声が響く中、最初の原子が形成され始めた。電子が原子核の周りを回り始め、最初の水素原子が誕生する瞬間。それは宇宙が透明になる瞬間でもあった。
闇翳が私たちの傍らに立っていた。彼の漆黒の装束は、より深い存在感を帯びている。
「物質が作り出す影。それは新たな創造の源となるのです」
彼の言葉の通り、物質の集積は思いもよらない創造をもたらした。重力による物質の集積は、最初の星々を生み出し始めていた。
私は自分の瞳に映る光を確かめた。そこには生まれたばかりの星々が、新たな光源として輝いている。光は今や、物質が生み出す二次的な現象となっていた。
「見て、銀河が形成され始めているわ」
量子が指し示す方向には、渦を巻く天の川銀河の原型が見えた。暗黒物質のハローに導かれるように、通常の物質が集まり、壮大な渦状構造を形作っていく。
私の着物の帯には、この新たな構造が織り込まれていった。暗黒物質の不可視の糸が、可視の物質を導くさまを表現する複雑な模様。それは日本の古典的な着物模様でありながら、現代の宇宙物理学の知見を表現するものでもあった。
時が流れ、最初の超新星爆発が起きた。それは宇宙空間に重元素を散りばめ、生命の可能性を開く瞬間だった。
「美しい死であり、同時に新たな始まりね」
私の言葉に、闇翳が静かに頷いた。
「死と再生。それもまた影が司るものの一つです」
量子は、その姿をより一層不確かなものにしていた。物質優勢の時代にあって、量子的な存在である彼女の立場は微妙なものとなっていた。しかし、その不確かさこそが、彼女の本質でもあった。
宇宙は次第に複雑性を増していく。銀河団が形成され、銀河同士の重力相互作用が織りなす壮大なダンスが始まった。その動きは、まるで日本の伝統芸能である能の所作のように、緩やかでありながら確実な意味を持っていた。
私の黒髪は、この複雑化する宇宙を映し出す鏡となっていた。そこには無数の銀河が、まるで髪の毛の一本一本のように織り込まれている。
そして、ある小さな銀河の片隅で、ある青い惑星が誕生した。
「地球ね」
量子の声には、特別な響きが含まれていた。確かに、この惑星の誕生は、私たちの物語において特別な意味を持つことになる。
闇翳は、その惑星を見つめながら言った。
「生命が芽生える舞台が整いましたね」
私は静かに頷いた。物質優勢期がもたらした最大の創造の一つが、まさにここから始まろうとしていた。
## 第4章 膨張する深淵
宇宙の膨張は、かつてない速度で加速していた。
私の着物の裾は、まるで風にはためくように揺れている。それは宇宙膨張の加速を表現しているかのようだった。
「始まったわね」
量子の声が、やや不安げに響く。彼女の姿は、より一層不確かなものとなっていた。宇宙の命運を決める新たな時代の到来を感じ取っているかのように。
闇翳が私たちの前に現れた。彼の漆黒の装束は、これまで以上に存在感を増していた。
「暗黒エネルギーの時代の幕開けです」
彼の言葉通り、宇宙は新たな支配者を得ようとしていた。物質でも放射でもない、謎めいた暗黒エネルギーという存在を。
私は自分の着物の模様を見つめた。そこには、加速する宇宙膨張によって引き裂かれていく銀河群の姿が織り込まれている。かつて重力で結びついていた天体が、少しずつ引き離されていく様子が、着物の柄として表現されていた。
「不思議ね。目に見えないものが、目に見える全てを支配していくなんて」
量子の言葉には、深い思索が込められていた。確かに、暗黒エネルギーは直接観測することができない。しかし、その効果は宇宙の大規模構造に明確な影響を及ぼしていた。
闇翳は満足げな表情を浮かべている。
「見えないものこそが、最も本質的なのです。私もまた、影という目に見えない存在を司っているように」
らの銀河は、暗黒エネルギーの影響で互いに遠ざかっていく運命にあった。
量子の姿が、さらに不確かなものとなっていく。
「私たちは、この変化をただ見守ることしかできないの?」
その問いに、私は明確な答えを持っていなかった。観測者である私たちに許されているのは、ただ見守り、記録することだけ。それが創造の時から定められた役割だった。
闇翳が空間を指差した。
「ご覧ください。物質の時代が終わりを告げようとしています」
確かに、物質の密度は宇宙の膨張とともに薄まっていき、代わりに暗黒エネルギーの影響力が増していた。それは避けられない宇宙の運命だった。
私の着物の帯には、この転換点が新たな模様として織り込まれていく。物質が支配する時代から、見えない力が支配する時代への移行。それは美しくも悲しい変容だった。
「でも、地球ではまだ生命が進化を続けているわ」
量子の言葉には希望が込められていた。確かに、局所的には物質による営みは続いている。特に地球という小さな惑星では、生命という奇跡が花開いていた。
闇翳は静かに頷いた。
「局所と全体。その対比もまた、影が生み出す美しさの一つです」
私は宇宙の大規模構造を見渡した。銀河団と銀河団の間の空間が、加速度的に広がっていく。やがて、それぞれの銀河団は互いの存在を知ることすらできなくなるだろう。
量子の姿が、まるで宇宙の膨張に呼応するように揺らめいた。
「これが、永遠に続くの?」
その問いに、私は答えることができなかった。ただ、この変化を見守り続けることが、私に課せられた使命だった。
## 第5章 永遠への帰還
全ては循環する。
私はその真理を、140億年の時を経て、ようやく理解し始めていた。
量子の姿は、もはやかすかな輪郭としてしか認識できない。
「終わりが近づいているの? それとも、新しい始まりなのかしら」
その問いには、深い洞察が込められていた。確かに、現在の宇宙は終焉に向かっているように見える。しかし同時に、それは新たな創造の可能性をも秘めていた。
闇翳が私たちの前に立っていた。その姿は、かつてないほど実体的なものとなっていた。
「終わりと始まりは、表裏一体なのです」
私は自分の着物を見つめた。そこには140億年の歴史が、途切れることのない模様として織り込まれている。放射優勢期の光輝く模様から、物質優勢期の複雑な構造、そして現在の暗黒エネルギー優勢期の広がりゆく柄まで。
「私たちは、次の瞬間も見届けることができるの?」
量子の問いかけに、私は静かに頷いた。
「ええ、それが私たちの役目だもの」
宇宙は限りなく膨張を続け、やがて全ては希薄となっていく。しかし、その果てには新たな可能性が待っているのかもしれない。
闇翳が言った。
「影なくして光なし。闇なくして創造なし。全ては循環の中にあるのです」
私は自分の黒髪を見つめた。そこには最初の光の記憶から、最後の闇の予感まで、全てが織り込まれていた。
量子の姿が、さらに薄れていく。
「でも、私たちはずっと一緒よね」
「ええ、永遠に」
私は彼女に微笑みかけた。たとえ彼女の姿が不確かでも、その存在は私の中に永遠に刻み込まれている。
闇翳も静かに微笑んだ。
「新たな物語の始まりを、共に見届けましょう」
私たちは三者三様の形で、しかし確かな絆で結ばれていた。永遠の観測者、不確かな存在、そして影の守護者として。
着物の裾が、新たな風にそよぐ。
それは次なる創造の予感か。
あるいは、永遠の循環の証か。
私たちは、その答えを求めて、再び時を超えていく。
終わりなき物語の、新たな一頁として。
(了)
【SF短編小説】永遠の瞳 ―The Eyes of Eternity-(約5,300字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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