記者・仁野実春の章〖第5話〗仮説

 ホームに滑り込んできた電車に乗る。平日の昼間だから、人は少ない。実春は空いていた席に腰を下ろした。

 誰が見ているともわからない電車内で、取材ノートを広げるような迂闊なことはできない。実春は手持ち無沙汰になりながら、宙をみつめる。


 桜中央高校に行って判ったことは、4つだ。

 星川斎月が埼玉県内有数の進学校の中でも比較的良い成績を取っていたということ、アルバイトをしていたということ、部活動をしていなかったということ、地方の国立大学を目指していたということ。


 わかったことを並べてみると、正直に言えば、標準的な高校生のようにしか見えなかった。いや、標準的な高校生よりも優秀と言うべきか。

 そのどれもは、彼が母親を殺す要素になりえないような気がした。


「わからないな……」


 人があまりいないことをいいことに、も春はため息を吐きながらつぶやく。同時に天井を見上げると、そこには『週刊弦悠』の中吊り広告が出ていた。

 紛うことなく、弦悠社の第一編集部から出版されている社内売上ナンバーワン雑誌だ。

 そして同時に、世間を騒がせるスクープ雑誌でもある。

 今週号もまた、話題が盛りだくさんだ。芸能人の不倫騒動やパワハラ・セクハラ問題。国会議員の癒着疑惑に、新興宗教団体における献金の問題など、さまざまな界隈から訴えられそうな文字が躍っている。

 

 これはまた、法務部が悲鳴を上げてそうだな……と思いながら見ていると、実春の目にある書名が飛び込んできた。


「あれって、確か……」


 ハッとしてスマホを取り出し、検索する。

 

「やっぱり。……これかもしれない」


❀❀❀


「『母という呪縛 娘という牢獄』って……急にどうしたの? 実春ちゃんがノンフィクション読んでるイメージあんまりないんだけど……。恋愛漫画とか、ファンタジー小説の方が好きじゃなかった?」


 駅中の本屋で買った本をデスクで読んでいると、取材から帰ったらしい真湖から声を掛けられる。「真湖さん、お疲れ様です」とあいさつしてから、実春は言う。


「まあ、そうですね。ハッピーエンドのものの方が好きですし。どっちかって言えば、少女漫画タッチの話が好きですね」


「そうだよね。前に読書の記事書いてたときにそんなこと言ってたもんね」


「はい。……でも、これは必要かなって思ったんです」


「必要?」


 はい、と頷いてから、実春は本にかけられた帯のとある四文字を真湖に示す。

 教育虐待。

 実春の右手人差し指の先にあったのは、その四文字だった。


「星川斎月が、母親を殺したのには教育虐待があったんじゃないかと思いまして」


 実春がちらりと真湖を見る。真湖は話を促すように、うんうんと頷いた。


「星川斎月の担任教師――野々村先生の話を聞いてきました。……桜中央高校は、埼玉県内でも有数の進学校です。東大京大、難関私大、医学部などにも毎年多数の合格者を輩出しています。その中で、星川斎月はそこそこの成績を保ち、高校一年生のときから地方国立大学を目指していました。でも、部活動はしていなかったんです」


「うん、なるほど?」


「野々村先生が言っていました。前は全員部活動に入ることが義務付けられていたけど、勉強に支障が出るからその規則を撤廃するように、PTAから訴えがあったと」


「時代だねぇ。私のときには全員部活入部が校則だったなぁ」


「ええ、時代ですよね。私たちのときにもそうでした。……少なくとも、桜中央高校では、親から部活に入るなと言われている生徒が複数いるんだと思います」


「PTAから訴えられて、高校側が校則を変えなきゃいけないんだからそうなんだろうね」


「部活に入れないということが、教育虐待にあたるかはわかりません。まあ、本人の意思ということもあるんでしょうし。でも、もしかしたら星川斎月は本人の意思じゃなかったのかもしれない。親から――星川聖子からの指示だったんじゃないか……と」


「なるほど。だから教育虐待か」


「はい。……実際、教育虐待が原因で起きた事件は少なくありませんし」


「そうだね」


 真湖はそう言いながら、自身のデスクに置いていたクリアファイルを出す。彼女はその子犬が印刷されたファイルを、実春に渡した。確認すると、中には十数枚の資料が入っている。


「これ。私が第一にいたときに取材した教育虐待の事件。……とはいっても、事件になる前に児相に相談が言って、子どもが保護された例だったんだけどね。記事にはしなかったし、取材も中途半端でやめちゃったから、資料も中途半端だけど、参考にできるかもしれないから」


「あ、ありがとうございます!」


「……資料、見てもらえばわかるけどね。教育虐待っていうのは、外から見てもなかなかわかりづらいのに、強烈で、苛烈で、拷問みたいなものなんだよ。……その事件の子は中学2年生だったんだけど、中学受験に失敗した子だった。親の望む学校に受からなくて、結局地元の公立中学に進学して、それでじゃあ高校受験で挽回しなきゃって感じだったんだけど、成績が低迷してたんだって。高校受験も失敗しそうだったから、お父さんとお母さんが躍起になってたらしいの」


 子どもの受験に命をかける親がいるというのは、実春も聞いたことがあった。でも、実際にそういう親を見たことはない。だから、いまいち実感がわかなかった。


「具体的に言えばね、テストとか模試でできなかった問題の数だけバットで殴ったり、下がった偏差値の分だけ平手打ちしたりね。あとはテキストが終わるまで寝かせなかったり、子どもが疲れてうたた寝しようものなら、冷水かけて起こしたりね」


「それ、拷問じゃないですか!」

 

「そうなんだよ。虐待なの。虐待なんて言葉でオブラートに包まれているみたいだけど、ただの拷問だよ。教育という理由つきの拷問。子どもを罪人とでも思ってるのかね。親は」


「……逃げたり、しないんでしょうか? 子どもたちは」


「逃げられないんだよ」


「そんなことされても、お父さんやお母さんが好きだから、ですか?」


「まあ、それもあるよ。子どもは無条件に親を好きでいてくれるからね。でも、彼らが逃げられないのには、もっと根本的な問題があるの」


「え?」


「お金だよ。お金」真湖は悲しそうに眉を顰めて笑う。「お金がないから、遠くに逃げられないし、居場所もない。食べるものもない。親戚の家に行けたらいいけど、だいたいは家出か何かと思われて、家に戻されるから」


 言われて、実春はハッとした。

 社会人となった今、もちろん生活に余裕があるわけではないが、勤めている分、自由になるだけのお金はある。

 でも、中学生くらいでは、お小遣いもたかがしれている。親の扶養のもとに生きているのだ。

 逃げられない。


「だから、教育虐待も含めて、そういう虐待をしでかす親っていうのは、子どもの金銭を完全に管理したがるんだよね。多分、その本にも書いてあるよ」


 そう言って、真湖は実春の持っていたノンフィクション書籍を指さした。




 

 

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