【ノスタルジー系マイコン青春短編小説】16色の君とモノクロの僕 ~1980sのプログラマー達~(9,983字)

藍埜佑(あいのたすく)

【ノスタルジー系マイコン青春短編小説】16色の君とモノクロの僕 ~1980sのプログラマー達~(9,982字)

●第1章:『16色の出会い』


 一九八四年五月、東京郊外の住宅街に、初夏の風が吹き抜けていった。


「また起動しない……」


 綾瀬蒼真は、自室の窓際に置かれたX1turboのスイッチを、何度目かの正直でオフにした。


 カタン、という乾いた音。電源を切ると、十六インチのブラウン管から青白い残像が消えるまでの、ほんの一瞬の間。その刹那に、少年は甘美な憂鬱を感じていた。


 蛍光灯に照らされた机の上には、先日まで使っていた初代X1の説明書が積まれていた。Sharp X1シリーズは、その名の通り実験的な一号機から派生してきたパーソナル・コンピュータだった。最新型のturboに換装してから一週間。まだその操作に戸惑いを覚える。


「ソウマ!  電話よ!」


 階下から母の声が響く。受話器を取ると、聞き慣れた声が飛び込んできた。


「おい、綾瀬。今日の放課後、秋葉原に行かないか?」


 親友の八木沢匡史だ。彼は学年一のコンピュータオタクで、愛機はNEC PC-8801。その機種の選択にも、彼の几帳面な性格が表れている。


「秋葉原?  明日テストだぞ」


「お前こそ、テスト前なのにデバッグなんかやってただろ。それより、デマカセで『FM-7』の中古が出てるんだ。見に行かない?」


 デマカセは、秋葉原の老舗コンピュータショップだ。店主の出目川さんは、黎明期からのマイコンマニアで知られる。


「……分かった。行く」


 蒼真は即答した。テスト前の不安など、起動音の誘惑の前では儚い言い訳でしかない。


 駅で待ち合わせた八木沢は、いつものように紺のブレザーの下にBASICのTシャツを着ていた。彼の髪型は、いつも寝ぐせがついたままだ。


「お前、またそのTシャツか」


「これがプログラマーの正装だろ。それより、昨日のパソコン通信で面白い情報を仕入れたんだ」


 二人は西口を出て、雑踏の中を歩き始めた。通り過ぎる人々の間から、時折電気街特有の甘いはんだの香りが漂ってくる。


「何だよ」


「このあたりに、MSXユーザーの女の子がいるらしいんだ」


 蒼真は足を止めた。MSXとは、1983年に規格化された新しい規格のパソコンだ。日本のメーカーが共同で開発を進めた、ある意味で画期的なマシン。


「へえ。女子でマイコンやってる人なんて、珍しいな」


「そうだろ?  しかも、プログラミングの腕前が相当なものらしい。パソコン通信の掲示板で、皆を唸らせてるって」


 蒼真は、自分の胸の高鳴りに気づいた。それは、新しいハードウェアを手に入れた時の、あの特別な鼓動に似ていた。


 デマカセに着くと、店内は平日にも関わらず人で溢れていた。古いApple Iが飾られたショーウィンドウの前には、いつものように見物客の列ができている。


「あれ見ろよ。VIC-1001の中古だ」


 八木沢が指差した先には、Commodore社の思い出のマシンが置かれていた。日本でしか販売されなかったVIC-20の国内版で、今や骨董品としての価値すら帯びつつある。その隣には、Sinclairの名機ZX80まで展示されていた。


「懐かしいな。俺が最初に触ったのが、VIC-1001だったよ」


「へえ、意外とお前にも歴史があるじゃないか」


 二人が品定めをしていると、急に店内が騒がしくなった。


「あっ、鏑木さんだ!」


 誰かがそう叫ぶのと同時に、蒼真は彼女を見た。


 シンプルな紺のセーラー服に身を包んだ少女。首から提げた学生証が、彼女の通う高校を示している。しかし、蒼真の目を捉えたのは、少女が抱えていたSony HB-75。MSXの中でも、特に人気の高いモデルだ。


「あの子が噂の……」


 八木沢の言葉は途中で途切れた。少女は既に、店主の出目川さんと熱心な会話を始めていた。その姿は、どこか神々しくさえ見える。


「鏑木詩織。パソコン通信で『シリウス』って名乗ってる子だよ」


 八木沢の解説に、蒼真は無言で頷いた。彼女の周りには、既に何人もの常連客が集まっていた。皆、彼女の書いたプログラムの評判を聞きつけてきたのだろう。


 そこへ、出目川さんの声が響いた。


「おや、綾瀬君じゃないか。X1turboの調子はどうだい?」


 声をかけられた瞬間、鏑木詩織が振り向いた。


「X1……turbo?」


 彼女の瞳が、かすかに輝いた。


●第2章:1『シリアルポートは恋の伝送路』


 鏑木詩織との出会いは、蒼真の日常に新しい色を加えた。


 それは、まるでX1turboのカラーパレットが、突如16色に拡張されたかのようだった。


「綾瀬君のプログラム、見せてもらったわ」


 放課後の図書室で、詩織は蒼真に話しかけた。パソコン通信を通じて交換したプログラムの話だ。


「あ、ありがとう。でも、まだまだ未熟で……」


「違うわ。特にグラフィック処理の部分なんて、素晴らしいじゃない」


 彼女は、自分のノートを広げた。そこには、蒼真のプログラムの改良案が細かく書き込まれている。


 詩織の通う女子高は、蒼真の高校から電車で二駅の距離にあった。彼女がパソコンを始めたきっかけは、父親の影響だという。技術者として働く父は、IBMのPC 5150を家に持ち帰ることがあった。


「あのマシン、高価なのに父は私に触らせてくれたの。そこから、この世界の虜になってしまった」


 詩織の目が遠くを見つめる。


「僕も父の影響かな。父はSEで、家にはいつも新しいマシンが……」


 言葉が途切れたのは、八木沢が図書室に入ってきたからだ。


「おい綾瀬!  大変だ!」


 図書委員から注意される程の大声で、八木沢は二人の元へ駆け寄ってきた。


「どうしたんだよ」


「パソコン部が、廃部の危機なんだ!」


 蒼真は椅子から立ち上がった。詩織も、目を見開いている。


「廃部!?  どうして?」


「部員が三人を切ったからさ。新入生が入らないんだ。みんな、運動部かバンドに行っちまう」


 パソコン部の現役部員は、蒼真と八木沢を含めて四人。一人が転校を控えているため、実質的な部員は危険な人数まで減ることになる。


「それに、予算も削られそうなんだ。榊原先生が必死で食い止めてるけど……」


 榊原先生は、パソコン部の顧問だ。Apple IIから使い始め、最近はMacintoshに熱中している数学教師。彼の熱意がなければ、部室のマシンも今頃は半分も残っていないだろう。


「部室に残ってるマシンはどうなるの?」


 詩織が心配そうに尋ねる。部室には、歴代の部員が集めてきた様々なマシンがある。PC-6001、MZ-2000、PASOPIAなど、そのほかに今では入手困難な機種も少なくない。


「多分、廃棄か売却さ。もったいねえよな」


 八木沢は肩を落とした。


「そんなの……だめよ」


 詩織が立ち上がる。


「私にも何かできることはない?  別の学校の生徒でも、協力できることがあるはず!」


 彼女の真剣な表情に、蒼真は胸が熱くなった。パソコンは、確かに孤独な箱かもしれない。しかし、その中を流れる電流は、しばしば人の心をも繋ぐのだ。


「そうだ。文化祭で、なにかデモンストレーションするのはどうかな」


 蒼真が提案すると、八木沢の目が輝いた。


「それだ!  うちの学校の文化祭なら、外部からの参加もできる。詩織さんも一緒に……」


「ええ、もちろん!」


 三人は顔を見合わせた。その時、誰もが同じイメージを思い浮かべていたはずだ。様々な機種が共演する、夢のようなデモンストレーション。


 しかし、その実現への道のりは困難を伴うものになる。


 それは、まるでプログラムの修正不能なバグのように、彼らの前に立ちはだかっていた。


●第3章:『デバッグできない想い』


 文化祭まで、残り三ヶ月。


 蒼真たちは、パソコン部の存続をかけた戦いを始めていた。


「よし、PC-9801も動作確認OK!」


 八木沢の声が部室に響く。彼のPC-8801の隣には、先輩から引き継いだPC-9801が置かれている。ビジネスの最前線で活躍している機種だ。


「こっちのFM-7とFM-8も大丈夫よ」


 詩織は、富士通の名機の前で微笑んだ。彼女は放課後になると、よく蒼真の学校を訪れるようになっていた。


 パソコン部の部室は、まるで電脳の博物館のようだった。一台一台のマシンが、それぞれの時代の空気を纏っている。


「榊原先生、このMacintoshの調子が……」


 蒼真が声をかけると、顧問の榊原先生が眼鏡を輝かせながら近づいてきた。


「ああ、このマシンね。ちょっと特殊なんだ。起動時にキーボードを……」


 先生の手つきは繊細だ。Apple II時代からの経験が、その指先に宿っている。


「先生、他校からの参加って、本当に大丈夫なんですか?」


「ああ、校長先生にも話は通してある。ただし……」


 榊原先生は、言葉を選ぶように間を置いた。


「予算の件は、まだ険しい道のりだね。できれば、このデモンストレーションで、パソコンの可能性を見せられるといいんだが……」


 その時、詩織が立ち上がった。


「あのっ、私、提案があります!」


 全員が彼女に注目する。


「MSXの新しい規格、『MSX2』が今年中に発売されるんです。そのデモソフトを作れば、きっと注目を集められる」


「MSX2?」


 蒼真が聞き返す。確かに、パソコン雑誌でその噂は読んでいた。


「ええ。グラフィック性能が大幅に向上して、256色表示ができるようになるの。私、実は先行情報を持ってるんです」


 詩織の目が輝いていた。彼女は鞄から一枚の図面を取り出す。


「父の会社の資料のコピーです。まだ非公開情報だから、扱いには気をつけてね」


 八木沢が図面を覗き込む。


「すげえ!  これはVRAM構成が……って、おい綾瀬、お前も見てみろよ」


 蒼真も資料に目を通した。確かに、これは革命的な仕様だ。現行のMSXを遥かに超える表現力。それは、パソコンの新時代の幕開けを予感させるものだった。


「でも、発売前のハードのデモを作るって、できるのかな」


「大丈夫。エミュレーションを使えば可能です」


 榊原先生が口を挟んだ。


「X1turboとMSXで協調させれば、擬似的なデモならできる。それに、君たちが持ってるマシンを全部使えば……」


「ネットワーク接続!」


 八木沢が声を上げた。


「そうか、RS-232Cを使えば、全部のマシンを繋げる。まるでオーケストラのように、一つの作品を演奏できる」


 蒼真は、自分の心臓の鼓動を感じていた。これは、彼らにしかできない挑戦だ。


「私、MSXのアセンブラなら得意です。綾瀬君はX1turboのグラフィック処理を担当して。八木沢君は通信プログラムを……」


 詩織の言葉が、部室の空気を熱く染めていく。


 その瞬間、誰もが同じビジョンを共有していた。古いマシンと新しいマシンが共演する、前代未聞のデモンストレーション。


「よーし、決まりだな!」


 八木沢が叫ぶ。しかし、その声が消えた直後、部室のドアが開いた。


「おや、賑やかだね」


 声の主は、生徒会長の速水だった。


「放課後の教室を使うなら、申請書類を出してもらわないと」


 速水は、冷ややかな目で部室を見渡す。


「それに、他校の生徒が頻繁に出入りするのは、規則違反じゃないかな」


 詩織は、その場で固まった。蒼真は拳を握りしめる。


「速水先輩、それは……」


「規則は規則だよ。それに、こんな古いマシンばかり置いて、学校の予算を浪費してるんじゃないかって声もあるしね」


 その言葉に、榊原先生が立ち上がった。


「速水君、その件なら私が責任を……」


「先生、予算委員会の判断は、既に出ているんですよ。このままでは、パソコン部の予算は来年度から大幅カットです。部室も、半分のスペースに」


 空気が凍る。


 しかし、その時、詩織が一歩前に出た。


「あの、それはまだ決定じゃありませんよね?」


「なに?」


「文化祭でのデモンストレーションを見てから、判断を下してください。きっと、パソコンの可能性を理解してもらえるはず」


 詩織の声は、静かだが芯が通っていた。速水は、少しだけ表情を緩める。


「面白い。じゃあ、取引をしようか」


「取引、ですか?」


「もし君たちのデモが成功して、来場者の投票で高評価を得られたら、予算カットは見直そう。でも、失敗したら……パソコン部、廃部。これが条件だ」


 蒼真は息を呑んだ。それは、賭けに等しい条件だった。


●第4章:『バックアップされない青春』


 夏の日差しが、部室の窓を照らしていた。


 蒼真のX1turboの画面には、グラフィックプログラムのソースコードが表示されている。隣では、八木沢がPC-8801で通信プログラムのデバッグに没頭していた。


「このシーケンス、もう少し最適化できないかな……」


 詩織は、自身のMSXの前で唇を噛んでいた。彼女の手元には、父から借りてきたIBM PCも置かれている。


 文化祭まで、残り一ヶ月。


 プロジェクトは、予想以上の困難に直面していた。異なるアーキテクチャのマシンを同期させることは、想像以上に複雑な作業だった。


「ちょっと、休憩にしない?」


 詩織が、プログラミングの手を止めた。


「そうだな。目が疲れてきた」


 蒼真も椅子から立ち上がる。部室の窓を開けると、グラウンドから部活の声が聞こえてきた。


「ねえ、綾瀬君」


「なに?」


「どうして、パソコンを始めたの?」


 詩織の問いに、蒼真は少し考え込んだ。


「きっかけは父かな。でも、本当の理由は……」


 彼は、言葉を探すように空を見上げた。


「この箱の中に、無限の可能性があるって感じたんだ。プログラムを書くと、それが目の前で動き出す。その瞬間の感動が、たまらなくて」


 詩織は、静かに頷いた。


「分かる。私もそう。でも、最近思うの。パソコンって、人を繋ぐ道具でもあるんじゃないかって」


 その言葉に、蒼真は軽い衝撃を受けた。確かに、パソコンは個人用の機械だ。しかし、それは同時に、新しいコミュニケーションの手段でもある。


「そうだな。僕たちだって、パソコンがなければ出会えなかった」


 その言葉を聞いて、詩織は赤く染まった。しかし、その時、部室のドアが勢いよく開いた。


「おい、大変だ!」


 八木沢が駆け込んでくる。


「Commodore から『Amiga』ってやつが発売されるらしい。すげえスペックだぞ!」


 彼は、パソコン雑誌の最新号を広げた。そこには、次世代機「Amiga 1000」の詳細な記事が載っている。


「これは……」


 蒼真も、息を呑む。予想を遥かに超える性能。それは、彼らの知るパソコンの概念を根底から覆すものだった。


「これじゃうちらのデモなんて子供の遊びに見えちゃうよ」


 八木沢の声が、暗く沈む。


「そんなことない」


 詩織が、強い口調で言った。


「私たちのデモには、私たちにしかできない魅力がある。色んなマシンを繋いで、一つの作品を作る。それって、すごく素敵なことじゃない?」


 彼女の言葉に、部室の空気が少しずつ変わっていく。


「そうだな。僕たちは、マシンの限界に挑戦してるんじゃない」


 蒼真が続ける。


「マシンの個性を活かして、新しい可能性を見つけようとしてるんだ」


 八木沢も、ゆっくりと顔を上げた。


「……そうだった。性能だけが全てじゃないんだよな」


 その瞬間、部室のすべてのマシンが、静かに起動音を奏でているように感じた。


●第5章:『オーバーフローする感情』


 文化祭前日、秋の雨が窓を叩いていた。


 パソコン部の部室には、様々な機種が整然と並べられている。PC-9801、FM-7、MZ-5500。それぞれのマシンが、明日の本番を待っているかのようだ。


「通信テスト、問題なし!」


 八木沢の声が響く。彼のPC-8801は、見事に他のマシンとの同期を確立していた。


「こっちもOK。Macintoshの処理も安定してる」


 榊原先生が頷く。彼の愛機は、デモンストレーションの重要な一角を担っている。


「私のMSXも準備完了。あとは……」


 詩織は、蒼真の方を見た。


「ええ、X1turboも大丈夫」


 蒼真は画面に映る波形を確認する。過去一ヶ月、彼らは寝る間も惜しんでプログラムを書き続けた。


 その努力は、確実に実を結びつつあった。異なる機種を繋ぎ、一つの作品を作り上げる。それは、誰も見たことのない光景になるはずだ。


「でも、明日の審査員にT大の工学部の教授が入るって本当?」


 八木沢が不安そうに尋ねる。


「ああ。速水が呼んだらしい」


 蒼真の表情が曇る。それは明らかに、彼らに不利な状況だった。最新鋭のマシンに慣れた専門家の目に、古いマシンの協演がどう映るか。


「大丈夫よ」


 詩織が、静かに言った。


「私たちの作品には、きっと伝わる何かがある。そう信じてる」


 彼女は、MSXの起動スイッチに手を添えた。


「このマシンたちは、決して『古い』んじゃない。それぞれの個性を持った、かけがえのないパートナーなの」


 その言葉に、全員が深く頷いた。


 しかし、その時、突然の停電が部室を襲った。


「あっ!」


 暗闇の中、すべてのマシンが息を潜めた。非常灯が点くまでの数秒間、誰も声を出せなかった。


「まずい。プログラムは……」


 八木沢が叫ぶ。急な電源の切断は、最悪の場合データの破損を引き起こす。


 電気が復旧すると、彼らは急いでマシンを確認し始めた。


「PC-8801は無事!」


「Macintoshも大丈夫そうです」


 しかし。


「X1turbo、起動しない……」


 蒼真の声が、重く響いた。


「電源は入るのに、画面が……」


 詩織が駆け寄る。


「このままじゃ、明日のデモが……」


 蒼真は、必死でリセットボタンを押し続けた。しかし、ブラウン管は無情にも暗いまま。時計の針は、既に午後六時を指している。


 その時、誰もが同じことを考えていた。予備のマシンはない。プログラムの書き換えも、一晩では間に合わない。


 明日の朝までに、X1turboを復活させることができなければ……。


 静寂を破ったのは、意外な人物だった。


「俺の家に、まだX1が置いてあるはずだ」


 部室の隅から、声が聞こえた。そこには、パソコン部の元部長、篠田がいた。彼は大学受験のため、既に引退していたはずだった。


「篠田先輩!」


「放課後、様子を見に来たんだ。まさか、こんな時に……」


 篠田は、懐かしそうに部室を見回した。


「確か、実家の納戸に初代X1が。今でも動くはずだ」


「でも、プログラムの移植が……」


「大丈夫。turboとの下位互換は確かに厳しいが、少しグレードダウンすれば」


 篠田の言葉に、希望が灯った。


「よし、取りに行こう!」


 蒼真が立ち上がる。


「私も行きます!」


 詩織も即座に反応した。


「あ、俺は残って他のマシンの調整を……」


 八木沢の言葉に、全員が頷く。


 そうして、蒼真と詩織は篠田の案内で、秋の夜の雨の中へと飛び出していった。


●第6章:『真夜中のリカバリー』


 篠田の実家は、郊外の住宅街にあった。


 バス停から十分ほど歩いた路地裏。古い二階建ての家の前で、篠田は立ち止まった。


「ここだ」


 雨は、まだ降り続いている。蒼真と詩織は、篠田の後に続いて家の中へと入った。


「納戸は、二階の……」


 階段を上がり、古い襖を開ける。埃っぽい空気が、三人を包んだ。


「確か、この辺に……あった!」


 篠田が、段ボール箱を引っ張り出す。その中から、初代X1の無骨な姿が現れた。


「電源、入るかな……」


 蒼真が、コンセントを差し込む。そして、おそるおそる電源スイッチを入れた。


 カチッ。


 一瞬の静寂。


 そして。


 ブーン、という懐かしい起動音とともに、画面が青く輝き始めた。


「動いた!」


 三人の歓声が、納戸に響く。


「よし、これで明日の……」


 その時、突然の雷鳴が響いた。


 同時に、納戸の電気が消える。


「また停電!?」


 篠田が叫ぶ。


「いや、ブレーカーが落ちたみたいです」


 詩織が、階下を指差す。


 古い家の配線は、想定外の負荷に耐えられなかったのかもしれない。


「下に、行ってみましょう」


 詩織の提案に、三人は階段を降りる。


 しかし。


「これ、開かないぞ」


 ブレーカーボックスが、長年の錆で固着していた。


「工具を、探してみます」


 詩織が、家の中を探し始める。蒼真も、懐中電灯を頼りに物置を調べた。


 時計は、既に午後八時を回っている。


 そして、そこで、思いもよらぬ発見があった。


「これは……」


 物置の奥から、蒼真は一台のマシンを見つけた。


「Hitachi MB-6890!」


 懐かしい機種だ。かつて、多くの学校で採用された教育用コンピュータ。


「ああ、それは父の形見だよ」


 篠田が、静かに言った。


「父は、プログラミング教育の先駆者だったんだ。このマシンで、多くの生徒を教えた」


 蒼真は、その言葉の重みを感じた。


 パソコンは、単なる機械ではない。そこには、人々の思いが詰まっている。


「見つけた!」


 詩織の声が響く。彼女は、古い工具箱を抱えていた。


 三人で協力して、なんとかブレーカーを復旧させる。


 そして。


「よし、X1も無事だ」


 初代機は、見事に起動を維持していた。


「でも、これからプログラムの移植を……」


 その時、詩織が目を輝かせた。


「綾瀬君、このマシンをデモに使わない?」


「え?」


「だって、これも私たちの大切な仲間でしょう?」


 蒼真は、詩織の言葉の意味を理解した。


「そうか。全部のマシンに、それぞれの役割を……」


 かつて、多くの人々の夢を運んだX1。今、再びその使命を果たすときが来たのだ。


●第7章:『マルチタスクの奇跡』


 文化祭当日の朝。まだ日の出前の校舎に、パソコン部のメンバーが集まっていた。


「配線、確認終わりました」


 詩織が、RS-232Cケーブルの接続を最終チェックする。昨夜から仮眠も取らず、彼女は全マシンの調整を続けていた。


「通信プロトコルもOK」


 八木沢のPC-8801が、安定した同期信号を送り続けている。


「榊原先生、音響の方は?」


「バッチリだよ。Macintoshの音源も調子がいい」


 部室には、初代X1とMB-6890も加わっていた。古いマシンたちは、若い世代と共に新たな輝きを放とうとしている。


 時計が、午前八時を指す。


「そろそろ、開場の時間だ」


 蒼真が立ち上がる。


 廊下からは、既に文化祭の喧騒が聞こえ始めていた。パソコン部の展示は、メイン会場である体育館で行われる。工学部の教授も、午前中には来校するという。


「じゃあ、搬入開始」


 一台一台、慎重にマシンを運び出す。どれも、彼らの大切なパートナーだ。


 体育館に着くと、既に多くの展示が並び始めていた。


「パソコン部の場所は、あっちですね」


 詩織が指差した先には、「マルチマシン・シンフォニー」と書かれた看板が掲げられている。


 設営を終えた頃、観客が入場し始めた。


「あれ見ろよ。X68000だ」


 八木沢が、入り口付近を指差す。そこには、最新鋭のX68000が展示されていた。


「Atari STまである……」


 海外の先進的なマシンも、次々と姿を見せる。


「大丈夫」


 詩織が、静かに言った。


「私たちには、私たちの音色がある」


 その言葉に、全員が頷く。


 十時。いよいよデモンストレーションの開始時間だ。


 審査員席には、工学部の教授の姿も見える。速水も、冷ややかな視線を送っていた。


「では、始めます」


 蒼真がスイッチを入れる。


 まず、初代X1が起動音を奏でた。その懐かしい音色に、会場からどよめきが起こる。


 次に、MB-6890が画面を輝かせる。緑色のモニターに、古き良き時代の文字が浮かび上がった。


 そして。


 すべてのマシンが、一斉に動き出す。


 MSXが紡ぎ出す映像を、PC-8801が受け取る。それをX1turboが加工し、Macintoshが音楽を重ねる。


 画面には、デジタルの世界が広がっていく。


 パソコン黎明期から現代まで、様々な機種が紡いできた歴史。その一瞬一瞬が、美しい映像となって観客の前で踊る。


 会場が、静寂に包まれた。


 工学部の教授が、眼鏡を外して画面を見つめている。


 速水の表情が、僅かに揺らいだ。


 そして、フィナーレ。


 全てのマシンが、完璧な調和で最後の音を奏でる。


 わずか十分のデモンストレーション。しかし、その瞬間、確かに歴史が動いた。


 大きな拍手が、体育館に響き渡る。


●第8章:『永遠のブートセクタ』


 文化祭の夕暮れ、パソコン部の部室に夕日が差し込んでいた。


「優秀賞、おめでとう!」


 榊原先生が、トロフィーを掲げる。工学部の教授からは、特別な講評まで頂いた。


「こんな古いマシンでも、新しい可能性を見せてくれた。素晴らしい発想だ」


 その言葉は、パソコン部の未来を確実に変えた。速水も、予算カットの撤回を約束してくれた。


「綾瀬、見てくれよ」


 八木沢が、最新のパソコン雑誌を開く。


「次々世代機の噂が載ってる。『FM-TOWNS』ってマシンが出るらしいぞ」


「へえ、すごそうだね」


 蒼真は、穏やかな笑みを浮かべた。もう、新しいマシンを恐れる必要はない。


「ねえ」


 詩織が、窓際から声をかける。


「私たち、きっと新しい扉を開いたのよね」


「うん」


 蒼真は頷く。


「パソコンは、一人で使うものじゃない。みんなの想いを繋ぐ、架け橋なんだ」


 部室の様々なマシンが、静かに起動音を奏でている。その音は、まるで永遠に続くシンフォニーのようだった。


 窓の外では、夕焼けに染まった空を、一羽の鳥が横切っていった。


(完)

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