12月5日 真方長士郎

第2話 夜墨村

『次は、夜墨村よるずみむら役場前、夜墨村役場前でございます。お降りの方は、お近くの降車ボタンでお知らせください』


 十二月五日の午後一時過ぎ。路線バスに乗っていた大学生の真方まがた長士郎ちょうしろうは、バスの降車ボタンを押した。横浜駅から小田原駅まで電車で一時間弱移動、そこから路線バスに乗り換えてさらに一時間半かけて、長士郎は小田原市に隣接する夜墨村へと到着した。


「ここが夜墨村か」


 長士郎はボストンバックを片手に夜墨村役場前へと降り立った。白いフリースとジーパンを着てきたが、十二月とあって流石に寒い。海沿いの村なのだからダウンジャケットを着てくれば良かったと、到着早々後悔する。


 夜墨村は周囲を海岸と山に囲まれた独特な地形をしており、長士郎の乗っていたバスも、山を貫くトンネルを通って、海岸沿いの村までやってきた。人口千人弱の小さな村だが、道中やバス停の周辺を見るだけでも、病院や村役場は新しく立派な建物だし、買い物をするためのスーパーや書店、さらには映画館やボウリング場といった娯楽施設まで充実している。村の規模を考えれば、かなり発展している印象だ。


「流石にお腹が空いたな」


 小田原駅から直ぐに路線バスに乗り換えたので、まだ昼食を食べていなかった。村役場の目の前に「橙屋だいだいや」という食堂があったので、宿へ向かう前にそこで食事にすることにした。普段は村役場の職員で賑わっているが、今日は土曜日だったので、長士郎はすぐに食事をすることが出来た。


「お待たせしました。夜墨ラーメンです」


 注文から数分で、エプロンをつけた小柄な女性が、夜墨ラーメンを運んできた。村の名前は夜墨で、村のシンボルである山の名前は常夜山じょうやさん。夜に縁があるということで、大量の海苔で夜を表現した夜住ラーメンは、橙屋をはじめ、村内の複数の飲食店で提供されている村の名物メニューだ。


「お兄さん見ない顔だね。観光の方かい?」

 

 他のお客は食事を終えて帰ったので、小柄な女性が気さくに長士郎に尋ねた。


「横浜から来ました。観光はもちろんですが、この土地の歴史や文化なども学べたらと思っています」

「まだお若いようだけど、お兄さんもしかして学者さんかい?」

「僕はただの大学生ですよ。卒論の下調べで、以前から興味があった夜墨村に」


 長士郎は現在大学三年生だ。専攻は民俗学であり、来年の卒論に向けてすでに動き始めている。夜墨村には独特な山岳信仰があり、長士郎は以前から興味を抱いていた。せっかくならとそれを卒論のテーマへと決め、観光も兼ねて、こうして週末に下調べにやってきた次第だ。


「勉強熱心な学生さんだね。夜住村について学びたいのなら、郷土資料館に行ってみるのもお勧めだよ。資料はもちろん、館長の鷹嘴たかはし先生は何でも知ってる生き字引だから。宿からも近いよ」

「ありがとうございます。宿に荷物を預けたら、早速訪ねてみますね」


 郷土資料館があるとは知らなかったので、長士郎にとっては好都合だった。滞在中は入り浸ることになるかもしれない。


「それにしても、今日はよく調査で人がやってくるね。私たちの知らないところで、夜墨村が話題になってるかしら」

「僕以外にも誰か?」

「午前中に静岡から学者さんが到着してね。恩地おんちさんとの打ち合わせがてら、うちでご飯を食べていったよ」

「学者。もしかして民俗学者ですか?」


 女性が自然と口にした恩地さんが何者かは分からないが、自分以外にも研究目的の。それも他県から学者が訪れていたことに長士郎は驚いた。民俗学者ならば何か貴重な話を聞けるかもしれないと、期待が高まるが。


「確か、植物学者と言ってたかしらね」

「夜墨村は、何か植物で有名なんですか?」


 同じ畑でなかったことは少し残念だが、学者の探求心を刺激するような何かが存在しているという事実は純粋に興味深かった。夜墨村は海岸と山に挟まれた独特な地形をしているし、特殊な自生があったりするのかもしれない。


「村に移り住んで十年経つけど、何も特別なことは無いとは思うけどね。おっといけない。楽しくてすっかり話し込んでしまった。せっかくの夜墨ラーメンだ。温かいうちにおあがりよ」

「そうですね。いただきます」


 ついつい探求心が出しゃばってしまったが、女性が言うようにラーメンは温かいうちにだ。長士郎は割りばしを割り、夜墨ラーメンを食べ始めた。


「ご馳走様でした。夜墨ラーメン、とても美味しかったです」


 見た目のインパクトだけではなく、昆布だしの効いたあっさりとした醬油味のスープが絶品で、最後まで飲み干してしまった。トッピングのチャーシューは厚切りかつ味がよく染みていて食べ応えがあった。これで五百円を切るのだからお財布にも優しい。もし地元にお店があったなら、常連になっていたかもしれない。


「お兄さんならいつでも大歓迎だよ。また食べにおいでね」


 会計を済ませると、小柄な女性はお昼の営業最後のお客様だった長士郎を、店の外まで見送ってくれた。

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因果実 湖城マコト @makoto3

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