因果実

湖城マコト

12月4日 白木庸一

第1話 ある女子大学生の失踪

「娘が四日前から行方不明なんです」


 神奈川県横浜市。繁華街の片隅の雑居ビル二階に居を構える、白木しらき探偵事務所に依頼が舞い込んできたのは、十二月四日のことだった。依頼人は厚木市在住の主婦、甲斐谷かいたに由理枝ゆりえで、依頼内容は横浜市内で一人暮らしをしている大学生の娘、季里果きりかの行方を捜してほしいというものだった。


 由理枝から提供された写真に写る季里果は、黒髪に緑色のインナーカラーを入れたショートヘアと、大きなアーモンド形の瞳が印象的だった。


 白木探偵事務所の代表である白木しらき庸一よういちは手帳を開き、必要な情報を書き留めていく。庸一は先月三十二歳になったばかりだが、掘りの深い顔立ちと黒髪に混じる若白髪の印象で、十歳は老けて見える。


「ちなみに、警察にご相談は?」

 

 これは形式的な質問であり、白木も事情は察していた。探偵に行方不明者の捜索を依頼するのは、家族にとっては最終手段である場合が多い。


「捜索願は受理してもらえましたが……本格的な捜索は行ってくれないようで」

「そうですね。特異行方不明者とくいゆくえふめいしゃでなければ、警察は積極的な調査は行ってくれませんから」


 捜索願が出ている人間は、一般家出人いっぱんいえでにんと特異行方不明者の二つに分類される。


 小さな子供や、認知症を患った高齢者といった、一人で生活することが難しい人が失踪した場合や、誘拐や監禁など事件性が疑われる場合は特異行方不明者として扱われ、警察による積極的な調査が行われる。成人しており、自らの意志で家を出た可能性が高い場合には一般家出人として扱われ、警察による積極的な調査は行われない。甲斐谷季里果はこちらに分類されたようだ。

 

 季里果の失踪からすでに四日が経過している。警察に捜索願を出してからも、由理枝と夫の聡一郎そういちろうは方々手を尽くして娘を捜したが行方は分からず、最後の手段として、横浜で探偵業を営む白木に依頼を持ち込んだという経緯だった。


「事情は承知しました。甲斐谷季里花さんの捜索は、我が白木探偵事務所へお任せください」


 由理枝から話してもらった様々な情報を手帳に書き留めた庸一は、その場で依頼を快諾した。俯きがちだった由理枝が顔を上げ、少しだけ安心したのかホッと息を吐く。結果がどうなるかはまだ分からないが、調査のプロフェッショナルである探偵が娘の行方を探してくれる。それだけでも少しだけ気が楽になった。


「一人でも多くの行方不明者を見つけ出す。それが私の探偵としての信念です」


 白木探偵事務所は行方不明者の捜索を専門にしており、数々の実績を残している。由理枝が数ある探偵社から白木探偵事務所を選んだのもそういった理由からだった。


 元警察官である庸一は、警察だけでは全ての捜索願に対応できないことを身を持って知っている。だからこそより柔軟に行方不明者の捜索が出来る探偵としての道を選んだ。全ての行方不明者を探しだすことなんて出来ないし、調査した結果、悲しい結末に辿り着くことだってある。


 だけど庸一は、身近な人間が突然いなくなってしまう悲しみを知っている。探してももらえない無念さを知っている。だからこそ、一人でも多くの行方不明者を見つけ出したい。その信念が庸一を突き動かしている。


 ※※※


 庸一はその日のうちに由理枝と共に、季里果が暮らしていた横浜市内の学生向けマンションの部屋を訪れていた。行方不明者の捜索は時に時間との勝負だ。加えて由理枝は厚木市在住なので、横浜に出向いている今日のうちに、季里果の部屋の調査を終わらせておくに越したことはない。


 ワンルームの季里果の部屋は整理整頓が行き届いている。部屋の中で唯一主張しているのは、推しの女性アイドルのグッズで飾られた祭壇だ。推し活を楽しんでいたのだろう。


 由理枝によると、この部屋からは衣服や化粧品、愛用していたトラベルバックなどが無くなっている。それも季里果が自発的に姿を消したと判断された理由の一つのようだ。


「パソコンは確認しましたか?」

「いえ。私も夫もパソコンには疎くて」


 季里果のデスクにはシルバーのノートパソコンが残されていた。大学生活で使用しているものだろう。検索履歴などを調べれば、直前の行動が割り出せるかもしれない。


「中身を確認しても?」

「このような状況ですから。よろしくお願いします」


 由理枝の許可を得て、パソコンを立ち上げる。当然ながらロックがかかっており、パスワードを入力しないとデスクトップ画面へと進めない。少し考えてから庸一は、デスクの収納を物色しはじめ、パスワードらしき数字とアルファベットが羅列されたメモ書きを見つけた。やはりこれがパスワードだったようで、ロックを解除することが出来た。


 庸一は最初にパソコンの履歴を調べることにした。幸いなことに履歴は削除されておらず、様々な情報を得ることが出来そうだ。


 季里果が失踪する直前の時期に絞って履歴を調べていく。大学の課題関係だろうか? 専門的な内容を取り扱うサイトに頻繁にアクセスしている。それ以外だと、サブスクリプションサービスで映画を見たり、配信チケットを購入して、推しのアイドルの音楽ライブをインターネット配信で視聴している。ネット通販を利用した形跡はないので、そちらはスマホで済ませていたのだろう。


 季里果の日常を感じさせる履歴が並ぶ中、異彩を放つ履歴が、失踪の二日前に並んでいた。


「……夜墨よるずみだと?」


 季里果はパソコンで、神奈川県内にある夜墨という地域や、住んでいる横浜市から夜墨へのアクセス方法を検索していたらしい。直近で調べていた以上、季里花がこの場所へ向かった可能性はあるが、まだ断定するには材料が足りない。


「白木さん。どうかしましたか?」

「いえ。何でもありません」


 思わぬ名前を目にした動揺で、白木はパソコンを操作する手が止まっていたが、由理枝の声で我に返った。検索履歴はあらかた調べ終えた。さらなる情報を得るには新たなアプローチが必要だ。


「季里果さんはSNSはやっていましたか?」

「すみません。分かりません」


 両親はパソコンには疎いと言っていたし、一人暮らしの娘のSNSの有無を知らなくとも無理はなかった。


「一応、調べてみますね」


 推し活を楽しんでいたし、最新情報を知るためや、同じ推しを持つ人との交流を楽しむために、SNSのアカウントを持っていた可能性は十分にある。季里果で検索をかけたら何件もアカウントがヒットしたが、甲斐谷季里果本人と特定することは難しい。この時代に一般人が本名でSNSをやっている可能性は低いし、そもそもSNSを利用していない場合もある。


「駄目元で試してみるか」


 庸一はSNSのログイン画面を表示し、パスワード入力画面に進むと、パソコンのロック画面を解除する時に使用したパスワードを使用した。


「季里果さんが戻ったら、パスワードは使い回さない方がいいと伝えてあげてください」


 パスワードを見つけた時、パスワードのメモは一枚だけで、何のパスワードなのかも書かれていなかった。もしやと思い試してみたら、季里果は一つのパスワードを様々なサービスで使いまわしていたようだ。セキュリティ的には褒められたことではないが、今回に限ってはそのおかげで、新たな情報を得ることが出来そうだ。


 季里果は流石に本名は使用していなかったようで、アカウント名は「スダチの巣立ち」。アイコンもスダチの画像だった。アカウントを開設したのは今年の四月なので、大学入学を機にSNSを始めたようだ。やはり推しのアイドルの話題を中心にチェックしていたようだが、あくまでも個人的に楽しんでいただけで、他のユーザーとの交流はほとんど無かった。しかし最近になって、あるアカウントと推しの話題で盛り上がり、頻繁にやり取りを交わすようになっている。


「シトラスね」


 季里果が交流を深めていたアカウント名は「Citrus1903」。一カ月半ほど前にSNS上で知り合い意気投合。ダイレクトメッセージでやり取りを交わすようになり、二週間前には「Citrus1903」からオフで会いたいというメッセージが送られてきている。季里果が夜墨のことを調べ始めたのはその直後なので、オフ会の場所が夜住である可能性は十分に考えられる。


 まだ季里花が夜墨村に向かったと決まったわけではないが、季里花の学友やアルバイト先にも聞き込みを行い、他に有力な行き先が見つからなければ、夜墨を調査する必要性が出てくるだろう。


「……よりにもよって、夜墨とはな」


 まさか再び夜墨の名を目にする日が来ようとは。庸一は皮肉な運命を感じずにはいられなかった。

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