動く点Pと動く点Qの踊る試験
杉林重工
ウェブ検査が最近はほとんどだと思いますが、名前の確認ぐらいはきちんとしましょう
――わたしはずっと、試験と試練の違いを考えていた。この先訪れる苦難の果て、或いはその過程こそが、神の求める物なのだろうか。
勇者候補の兄弟ピエタとキュリオは、ついに長旅の果て、神々の『試験』の一端に辿り着いた。時に断崖絶壁を登り、或いは荒れ狂う海と見紛う大きな川を、子供の匙の様に小さい船で越えた。何日も照り付ける太陽の下、寝ずに砂漠を歩くこともあったし、小さな虫が昼夜問わず噛みついてくる森も歩いた。
それらを突破して、二人はこうして、伝承にある『神殿』に至ったのだ。
彼らエスピーガ人の文明では到底考えられぬ、木とも石ともつかぬ不思議な外壁に守られた建物。それが神殿と伝えられる。
エスピーガ人が建てた神殿は得てして神々の功績を讃える装飾や彫刻で溢れている。ところが、今目の前にしたこの建物は、装飾の少ない、直線だらけで構成されている。ある種殺風景な、しかしシンプルで力強い見た目の玄関を前に、彼らは自然と姿勢を正す。そこには、大きな一枚硝子のドアがあった。兄弟の知る限り、国一番の硝子職人でも、こんなに美しく均一な透明の板を作ることは出来ないであろう。これを神の御業と言わずしてなんというべきか。
緊張しながらさらに一歩、兄弟は進む。すると、如何なる秘術を用いてか、それは勝手に開いた。
二人は同時に唾を飲み、そして自然と、互いに顔だけを向き合わせ、緊張の面持ちで頷き合った。
——間違いない。ここが探し求めた神殿だ。
エスピーガ人の国、すなわち神国エスピーガには、古くから言い伝えがある。それは次のようにあった。
『旅人よ、そなたがわれら神の助けを得たいと乞うならば、まずは神々の『試験』に打ち勝って見せよ。われらは人へ、超えられぬ試『練』は与えぬが、試験は違う。神の足跡を辿れ。そこにお前達を試すものがある』
――神々の試験。それが、この奥にあるのだ。
二人には、どうしてもこの、神が人に与えた試験を突破しなければならない。
それは、突如始まった〈魔王〉=ダインギキョルの大侵攻である。彼らは北の山脈を超えて現れた。山脈の頂、決して溶けぬと言われた真っ白な雪や氷を蒸発させ、木々を圧し折り、家畜を食い荒らして鉱山を燃やした。何万という人民が苦しみ、死に果てた。ピエタとキュリオの家族も、いつ魔物の歯牙にかかるとも知れぬ。二人には、家族とエスピーガ人を救う役目がある。
二人は、意を決し、一枚硝子のドアの向こうへ歩を進める。舞踏会でも開けそうなほどの広さのエントランスを縦断し、正面に巨大な壁画を認めた。
——否、壁画ではない。文字が書いてある!
「これが、神々の試験……」弟キュリオは思わず声を漏らした。
「弟よ、キュリオよ、これを読んでみろ」
兄ピエタは弟キュリオに命じた。弟は兄の指示に従い、この神殿のエントランスを震わす大声で、壁の文字を朗々と読み上げた。
『問題:動く点Pは時速10kmで池の周を時計回りに、動く点Qは時速20kmで池の周を反時計回りに走ります。池の周の長さは900kmです。点Pと点Qが同じ地点から出発した場合、二つの点が再び接触するのは何時間後ですか』
弟キュリオは読み上げた後、はっとしてついつい、誰に問うわけでもなく声を発した。
「——非言語分野・速度算? SPI、否、総合適性検査、違う、これは入社試験か?」
「なるほど、これが神々の試験か」
兄ピエタは眉間に皺を寄せ腕を組み、顎に手を当て俯いた。
「兄上、いかがいたしましょう」
弟キュリオはうつむくピエタの顔をそっと覗き込んだ。目は険しく、ドラゴンを前にしたときよりも厳しい視線でもって床を見ていた。
「これは難問だ。わたしにはさっぱりわからぬ」
「僭越ながら、答えは三十時間後です。点Pと点Qは逆方向に進むので、相対速度はそれぞれの速度の合計、つまり時速三十キロメートル、あとは距離を相対速度で割ればいいので、九百キロメートル割る相対速度三十キロメートル、即ち三十時間です」
「わかっている!」
兄ピエタは即答した。弟キュリオは思わず身を強張らせる。兄の怒声もそうであったが、同時に抜かれた、旅に出る前に父母が持たせてくれた宝剣マルクシイト・ニビーの切っ先が弟キュリオに向けられていたからだ。黒鉛のように真黒な刃の上に、緊張したキュリオの汗が落ちた。
「弟よ、キュリオよ。断じてわたしは、お前がわたしより先に答えに達したから、怒っているわけではない」
「はい、勿論です兄上」キュリオは首を振る。
「つまり、兄上も同じお考えのはず。ならば間違いないはずです。すぐに解答に移りましょう」
弟キュリオは、壁画、もといまるで黒板のように壁に下げられた問題文の前に立った。右手に、問題文の下にあったまるでチョークのような細い棒を拾う。多分、これで答えを書け、ということだろう。
カッ、チョークの先端が黒板に当たる。
「待て」
だが、そんなキュリオへ、ピエタは待ったを掛けた。キュリオは振り返る。
「なぜですか、兄上」
「神々の試験が、こんな簡単で良いのだろうか」
「失礼ながら、先ほど兄上は大層お悩みで……」
「違う、わたしの言っていることはそれではない」
「では、どういうことで……」
「ここに来る前に、大きな池があったのを覚えているか」
ピエタの言葉に、キュリオは思い当たるものがあった。ちょうど一週間前、大層晴れていた日。森が急に開けたかと思えば、二人は崖の上にいた。そこから見下ろすと、まるで鏡のように美しく、巨大な水面が広がっていたのだ。空の全てを飲み込もうとしているかのように大きく、あれは海のようにすらキュリオは感じた。
「あれは、湖では?」
これは兄が黙り込んだ。弟はしばし腕を組んで考えてから、
「む。そもそも、この問題文は点Pと点Qを出しつつ、九百キロメートルの円周ではなく池の周りを持ち出すなど、どこかちぐはぐしていませんか。池の周りを持ち出すなら、兄弟がべたでは」
という気付きを得た。しかし、
「それが問題なのではない。よく考えてみよ、わたし達が目にしたあの湖、もとい池の存在と、これだ」と、兄は問題文を指す。
「……では、まさか」
キュリオの全身が震えた。まさか、これが神々の試験、思し召しだというのだろうか。
「仮に計算通りに全てが進んだとして、本当に三十時間かかるかはわからない。わたしの計算がずれたのではない。現実が、本当に計算通りに行くものか。もしも、わたし達にとっての時速十キロが、本当の時速十キロである保証はない。時間だってそうだ。わたし達の三十時間が、本当の三十時間かは、誰にもわからないのだ。いいか、そもそも九百キロメートルとはなにか。それは誰にもわからない。本当の九百キロメートルとはどこにある?」
「ちょっと何言ってるかわからないです」
「お前の計算が間違っている可能性がある……否、確かめる必要があるのだ、と言っている」
「それは……」
キュリオは考えた。そして、答えに至った。
「いや、計算が間違うはずがありません。三十時間、これが答えです。それに、あの湖……もとい池の外周が九百キロメートルである保証もありません」
「だが、わたし達はあの、馬鹿みたいに広くてでかい湖……もとい池を見た。そして、神殿の神々の試験が『動く点Pは時速10kmで池の周を時計回りに、動く点Qは時速20kmで池の周を反時計回りに走ります。池の周の長さは900kmです。点Pと点Qが同じ地点から出発した場合、二つの点が再び接触するのは何時間後ですか』と問うている。これが、偶然か?」
「偶然では?」キュリオは迷いなく答えた。兄ピエタは舌打ちをした。
「考えてもみろ。あんな簡単な試験問題で、勇者の資格が得られるのか? 答えを計算するなど誰でもできる。否、計算しなくても、適当な数字を言えば万が一当たってしまう。四択だったら、どんな馬鹿でも四分の一で正解を導くだろう。たかが数字遊びで、わたし達の何がわかる!」
「でも、それが神々の試験の内容です」
「なあ、弟よ、キュリオよ。わたし達は神々の試験を受けに来たのだぞ。神の偶然を信じずしてどうする。神を信じぬものに神の助けは来ぬ。わたし達は、実際に池の周りを走って、この試験の答えを得ねばならないのだ。問題を解くだけが得意な奴がいたとして、それに勇者の意味はない!」
結果として、弟キュリオが折れることになった。こうなってしまえば兄ピエタは何も言うことを聞いてはくれない。
故郷では父母が、そして十歳になったばかりの妹が待っている。加えて、エスピーガ人達は今も魔王ダインギキョルの脅威にさらされている、のではあるが、二人は一度神殿を後にし、七日かけて巨大な湖、もとい池に戻った。途中、小高い丘からその湖、もとい池を眺めたが、確かに外周九百キロメートルはありそうである。こうしてみると、なかなか神々しい湖もとい池であり、これが神々の試験の一環と言われても、栓無きことかもしれぬ。
「では、行こう、弟よ、キュリオよ。わたしはここから時速十キロで行く」
「では、わたしが二十キロで」
兄弟は最後、強く抱擁を交わしたのち、互いに背を向けて、兄ピエタは早歩き、弟キュリオは軽く走りだした。
「……何故兄はまだ遅い方を選んだのだろう」
ふと弟キュリオは疑問を感じたし口にしたが、すでに十秒が経過していた。故に二人の距離は八メートルほど離れていて、弟の声など兄の耳にも入らなかった。
心地のいい天気だった。まるで神が二人の試験を祝福しているような晴天。周辺の草木の香りも心地よく、すでに旅慣れしていて三十時間、即ち一日以上寝ずに湖畔をランニングするなど、キュリオにとっては訳がなかった。当然、魔物と追いかけっこを一週間演じても耐えうる脚力もあった。
「そこの人、そこの人」
ところが、軽快に呼吸を繰り返し、砂利の上を走るキュリオに、声が聞こえた。一瞬振り見ると、顔に伝統的な文様を描いた、同じくエスピーガ人の男が、キュリオと並走していた。
「なんだ」
無視するわけにもいかず、キュリオは訊ねた。
「わたし達はとある重大な決断を迫られています。助けてくれませんか」
「そうしたいのはやまやまだが、わたしは今、神々の試験に臨んでいる。わたしはこの、時速二十キロメートルのペースを崩さず、この湖、もとい池の周りを走り切り、三十時間後に兄と再び、熱い抱擁を交わさねばならないのだ」
「ですが、わたし達を助けてくれれば、あなたにとっても益があります。それはきっと、あなたの試験を変え、魔王ダインギキョルとの戦いを揺るがすものになるでしょう」
キュリオは一瞬思案した。だが、この神々の試験に影響があるとならば、聞き捨てならない。それに、このままいけばどんどん兄との距離も離れていく。自分の方が時速十キロ速く移動しているとはいえ、追いかけるのは早いに越したことはない。
「言え。だが、わたしは忙しいぞ」
かまいません、と相手は言い、言葉を続けた。それは次のようであった。
「わたし達の村で行う、年に一度の祭りの責任者を決めたいのですが、当然、信頼が置ける村人に託すのが一番です。
ところで、わたしの村には三種類の住人がいます。
正直者:常に真実を話します。
嘘つき:常に嘘をつきます。
気まぐれ者:真実を話すか嘘をつくかランダムです。
今、祭りの責任者候補の村人、エージ、ビード、シーカ、ディーダが次のように発言しました。
エージ『ビードは嘘つきです』
ビード『シーカは正直者です』
シーカ『エージは正直者ではありません』
ディーダ『ビードとシーカは同じ種類の人間だ』
エージ、ビード、シーカ、ディーダはそれぞれどのタイプですか? なお、正直者は一人、噓つきは二人、気まぐれ者は一人です」
「——非言語問題・推論?」
キュリオは思わず言葉を漏らした。そして一瞬思案したのち、言う。
「エージが正直者だ。かのものに託すがよい。ビードが嘘つき、シーカが気まぐれ者。説明は、息が、切れる、から、しなくていいか? 表を書いてもいいが、一人ずつ、正直者だった場合、嘘つきだった場合、気まぐれ者だった場合に分けて丁寧に考えた方が初心者にはいいだろう」
彼の答えを聞くと、キュリオに問いを投げかけた若者は満足げに頬を緩めた。
「よくぞ見抜いた。わたしがエージ、正直者だ。褒美に、お前へ神託を告げる。お前の兄はこの三つのどれでもないぞ。兄は、裏切り者だ」
「なんだと?」
キュリオは思わず振り返り、村人エージの影を追ったが、そこには誰もいなかった。冷たい風だけが彼の全身を撫でるのみ。キュリオの体が勝手に、ぶるり、と震えた。
「兄ピエタがわたしを裏切るだと? そんなはずがない。兄は確かに癇癪もちで、いつもわたしに面倒ごとを押し付けるが、裏切ったことなど一度もないのだ」
まるで自分に言い聞かす様にキュリオは言った。
やがて、空には暗雲が立ち込め、肌を過ぎる風に雨が混じり皮膚を裂くように冷たい。それでもキュリオは自足二十キロの速度を保ち、湖畔を駆け抜けた、砂利道にも負けず、膝ほどある草花を蹴散らし走った。
その時、吹き荒ぶ風に混じって、女の声がキュリオの耳を触る。
「やあ、君は旅人だね。ところで君に解いてほしい〈仕事算〉があるんだけど」
「ついに隠さなくなったな。正直者は嫌いではない。言え」
「とある畑の芋の収穫を全て終わらせるのに、エージ一人では五日、ビード一人では十日かかります。エージとビードが協力すると、何日でその仕事が終わりますか?」
「本当に仕事算ではないか」
「わからないのかい?」女はふん、と鼻で笑った。それが、ややキュリオの癇に障る。
「割り切れぬ。三日と少しであろう。雨が口に入って辛い。三を延々と言い続けるのは面倒だ」
「でかした。では、お前に教えよう、この仕事は一日で終わる。何故ならば、ビードの夫も手伝うからだ」
「なんだと。それでは問いの意味がない」
「ビードの夫は、あんたの兄だよ。あんたの兄、ピエタ。あんたの兄は、お前を忘れ、女に走った。それなのに、なんであんたは走り続ける」
「なんだと?」
キュリオが振り返ると、女は楽しそうに笑っていた。
「ちなみにわたしはシーカ。気まぐれ物のシーカだよ」
「くそ、当てにならん」
キュリオの頭皮を灼熱が巡り、血管が蠢くように感じる。猛烈な感情が吹き上げ、目や鼻から噴き出そうだ。一瞬脳裏を過ったのは、自分を裏切り女と村で一緒に農業にいそしみ小麦を刈り取る兄ピエタの姿だった。ここで漸く、キュリオはこの冷たい雨風を見上げ、とあることを悟った。
「『これ』が、神々の試験、か」
キュリオは空を仰いだ。太陽は見えず、雨雲だけがのしかかるように空を支配していた。
キュリオは奥歯を噛み、急ごうとする手足を必死で抑え込んだ。あれだけ恩着せがましく人の話を聞かない兄であろうとも、今彼が同じ誘惑に駆られ、神々の試験に苦しんでいると思うと、早くその顔が見たいと彼は思った。
――その後も、神々の試験は続いた。
「次のうち、『親切』と意味が近いものを一つ教えてくれんかの?
一つ目、厳格
二つ目、温厚
三つ目、好意
四つ目、無害」
「言語問題・類語! 三つ目! 好意だ!」
「アタロウ、ビジロウ、シザブロウ、ドシロウの4人がいます。以下の条件に基づき、4人の身長の順番を正しく大きい順に並べ替えてください。
アタロウはシザブロウよりも高い。
ビジロウはアタロウより低いが、ドシロウよりも高い。
シザブロウはドシロウより低い」
「また推論か! 村にいるなら、本人達を呼んで並べればいい! 答えはそのまま、アタロウ、ビジロウ、シザブロウ、ドシロウの順番だ!」
そうして、村人達の問いに、キュリオは答え続けた。それは気付けば夜を超え朝になり、再び夜を迎えていた。キュリオは走りながら湖、もとい池に手を突っ込み、魚を捕らえて生のままバリバリと食い千切った。
「以下の立体の展開図として適切なものはどれですか?」
「図形もあるのか!」
「次の表は、過去十年分の麦の収穫量についてのデータです」
「資料読み取り! もっと近くによってグラフを見せろ!」
村人達の問いに答えながら、キュリオは朝日を三度も四度も、何度も見た。ある時祭り囃子が聞こえてきて、正直者の村人エージが、イカ焼きやりんご飴をキュリオに持ってきた。イカ焼きの刺激的な香りや、りんご飴の燃えるような赤を前に、キュリオの口内は唾液をたっぷり湛えて、それらを舌の上に乗せることを期待した。
「わたし達の祭りの出店で、アリオ、ビリス、シリ、ドーラがそれぞれイカ焼き、または、りんご飴を1つ選んで買うことにしました。
イカ焼きを選ぶ確率は60%、りんご飴を選ぶ確率は40%です。
このとき、4人全員が「イカ焼き」を選ぶ確率を求めてください」
「確率問題! ふざけるな、食わせろ! 十二点九六パーセントだ!」
そうしてついに、季節は巡り、心地よい秋風や雪を経験したキュリオは、そのまま芽吹き始めた若草を踏み、夏の暑さに汗を流した。
その間、キュリオは池から魚を捕ったり、村人の問いに答えたりして食料を得た。その間、当然キュリオは『基本的には』走っていたが、時に焚火をして眠ることもあった。そんな時、キュリオは兄ピエタの言葉を思い出す。
『仮に計算通りに全てが進んだとして、本当に三十時間かかるかはわからない。わたしの計算がずれたのではない。現実が、本当に計算通りに行くものか。もしも、わたし達にとっての時速十キロが、本当の時速十キロである保証はない。時間だってそうだ。わたし達の三十時間が、本当の三十時間かは、誰にもわからないのだ。いいか、そもそも九百キロメートルとはなにか』
そうしている内、ついにキュリオは、年に一回しかないはずの賑やかなあの祭囃子を九回も聞いた。湖、もとい池の周りを何千、何百周したかわからない。ただ、今は毎年の楽しみになっていたチョコバナナや、たこ焼きに思いを馳せる。
すると、この年、弟キュリオは前方に人影を認めた。弟はペースを時速二十キロのまま、相手に近づいていく。すると、相手は声を上げた。
「以下の中で、あなたが最も大切だと思うものに、一から順番に優先順位をつけてください。ただし、一が最も重要とする
一つ目、仲間と協力すること
二つ目、自分の目標を達成すること
三つ目、問題に対して冷静に取り組むこと
四つ目、目標達成までにかかるプロセスを楽しむこと
五つ目、上司や周囲の人間の信頼を得ること」
キュリオは答えた。
「それは、推論でも計算問題でもない。性格適性だ。変に飾るより正直に答えるのが一番いい。だから、わたしの答えはこうだ――六つ目! 同じ目的のため、血を分けた兄弟、兄、ピエタ!」
「弟よ、わたしの名を呼んでくれるか!」
弟キュリオは時速二十キロメートルを維持しながら走り、そして正面の人物、彼に問いを投げかけた男=兄ピエタは時速十キロメートルのまま、ついに二人は正面衝突を果たした。そのまま二人は抱擁を交わした。九年間外を走り続けた弟の、垢や泥で汚れた背中を、兄の指がしっかりと抱く。
「兄よ、これが答えですか!」
「そうだ、『動く点Pは時速10kmで池の周を時計回りに、動く点Qは時速20kmで池の周を反時計回りに走ります。池の周の長さは900kmです。点Pと点Qが同じ地点から出発した場合、二つの点が再び接触するのは何時間後ですか』つまり、九年!」兄の大声が湖、もとい池に反響した。
「いえ、時間に換算する必要があるので、七万八千八百八十八時間、いいえ、今は昼過ぎなので、わたし達が試験を始めた時間から考えると、祭りの日は試験が始まってからちょうど一週間経った後だったので、七万八千八百八十八時間足す十五時間と一週間、つまり七万八千七十一時間です」
「なんかお前暗算早すぎてちょっと気持ち悪いな」
弟は自然と兄から身を離した。
「ところで兄上、わたしはこの池の周りを単純計算で千七百周以上しました。それなのに、兄上に出会わなかったのは、どういうことですか?」
「それは、こういうことだ」
よく見ると、兄ピエタの影から、二人、三人と小さな人影が現れた。歳は十歳から五歳ほどの子供であった。キュリオが目を擦りさらに子供達の表情を伺ったとき、思わず飛び上がりそうになった。
「これは、兄上の子供ですか!」
「そうだ。お前の甥になる。そして、お前は叔父になっていたのだ」
「意味が分からない」
弟は愕然とした。目の前ではにかむ兄のことが何一つ信じられなかった。
「本当に裏切り者じゃねえか」弟はげろり、と呟いた。
「わたしもまた、試練を迎えていたのだ」
「嘘つけ」
「わたしもまた、お前と反対に走っているとき、声がかかった。その声は、今すぐ走るのを止め、自分と結婚しなければ神々の試験を達成したことにならないという」
「どういうことですか」
「それが、このわたしの妻、ビードだ」
さらに一つ、人影が現れる。悪戯っぽく微笑む一人の女。キュリオにとっては知らない女。だが、名前は知っていた。
「そいつは村一番の『嘘つき』ですよ、兄上。詳しくは正直者のエージに訊いてください」
「なんだと?」
「そんなことはない。嘘をつくのはよしなさい、弟よ、キュリオよ」ビードは窘めるように言った。
キュリオは今すぐにでもこの嘘つき女狐ビードを殴りつけてやりたい衝動に駆られたが、可愛い甥っ子たちや、どこか柔らかい優しい表情を、いつの間にか身に着けていた兄の前に、そういった蛮行は控えるべきと考えた。
「弟よ、キュリオよ。わたしはずっと、この神々の試験について考えなかったことはない」
「忘れていたことが少しでもあったなら、わたしは兄上相手とはいえ縁を切ります」
「言い伝えにはこうある——われらは人へ、超えられぬ試『練』は与えぬが、試験は違う、と。わたしはこうして妻や子供達に恵まれ、一方でこうして、湖、もとい池の周りを走り続けるお前に、どう、どんな顔を合わせればいいかわからなかった。わかってもらうつもりはない。だが、これは確かに、わたしにとって、大いなる試練であったのだ」
「そうかなあ」
「だが、今わたしはそれを超えた。見ろ、このわたしの拳を。お前に、どんな顔をして会えばいいのか、ずっと考えていた」
ゆっくりと掲げたピエタの拳は硬く握られ、震えていた。キュリオはそれを、ただ唇を噛んで見つめるのみ。
「試『練』とは、きっと日常に紛れ、それは確かに人にとって超え得るものだが、一方で強い気持ちや、切欠が必要なものだ。それは、今日、妻や子供達がくれたのだ」
ピエタは、いつの間にか彼を囲む息子や妻に目をやった。
「いい加減可哀そうだと思ったので。叔父さんが」息子の一人がぼそりと言った。
「では、試『験』とは何だったのか。気持ちや切欠で超え得るものではないとしたら。それは不断の覚悟、そして、何より、究極の努力、継続し続ける行動でしか超え得ぬものだと、今日わたしは、お前を見て確信した。お前は今、ついに試験を超えたのだ!」
キュリオの顔面を、涙が伝う。顔の表面の汚れを拭い、泥水のように鳴った滴が、ぼたぼたと地面に落ちた。
「兄上……」
「わたし達兄弟は今、試練と試験の二つを攻略した。わたし達ほど、神の問いに答えるに相応しい存在はあるまい。さあ、神殿に行こう」
そういって、兄は弟と肩を組み歩き始めた。
「ところで、九年も経ちましたが、わたしの国や、家族は無事でしょうか」
「無事だ。父や母から毎月手紙が届く。年に三回は会っているしな」
「何故兄上はともかく父も母も私のところに来なかったのでしょう」
「ちなみに、妹ルルは結婚したぞ。この村のエージと結ばれたのだ。九年あれば色々ある」
その言葉を聞いて以降、弟キュリオは神殿に着くまで口を閉ざした。それを気にする素振りもなく、兄は弟を支えて歩いた。
そして、ついに九年ぶりの神殿の中、問いの前に二人は並んだ。
『問題:動く点Pは時速10kmで池の周を時計回りに、動く点Qは時速20kmで池の周を反時計回りに走ります。池の周の長さは900kmです。点Pと点Qが同じ地点から出発した場合、二つの点が再び接触するのは何時間後ですか』
「答えを書く栄誉を、君に」
「当たり前だろ」
ピエタからチョークのような筆記具を奪い、キュリオは答えを書いた。
『79,071時間』
すると、問いが光輝いた。その太陽よりも熱く、焼き尽くすような熱線へ、兄弟は思わず腕で顔を覆った。
『聞け、旅人よ』
そして、二人の頭の中に、かくも喇叭や琴の弦が弾ける様な、荘厳な声が響いたのである。それは、こういった。
『答えが九年だと? 違うに決まってるだろ。ちゃんと計算すればいいんだよ、これは試験問題だぞクソボケが』
〇
最後までお読みいただきありがとうございます!
感想などいただけるととても励みになります!
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動く点Pと動く点Qの踊る試験 杉林重工 @tomato_fiber
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