騎士団の試験に落ちた

くれは

帰路

 歩いている自分の影が行く手に長く伸びていた。馬車の轍が残る道に落ちる影はひどくでこぼこして見えて、ウィルの気分を余計に落ち込ませた。

 少し顔をあげれば、道の先に民家らしき建物が見える。今日泊まる予定の村だ。その向こうには青い山並みがあり、そのさらに上の空には地面からじわじわと夜が滲み出てくるように、紺色が広がり始めていた。

 ウィルは溜息をつくと、またうつむいて歩く。自分の影を踏むように足を動かす。こうしてひとりで歩いていると、どうしてとそればかり考えてしまう。

 どうして駄目だったのか、と。試験官に質問されたとき、緊張のせいで声が大きすぎて周囲に笑われた。そのせいだろうか。それとも、剣術の試験の後、木剣を取り落としてしまったことか。

 失敗を思い出すたびに、踏み出す足が沈み込むように感じられた。ウィルはこれまでずっと騎士団に入ることしか考えていなかった。だから、その入団試験に落ちた今、途方に暮れるしかできなかった。

 故郷の家族は期待して送り出してくれたのだ。騎士団に入るなんて立派なもんだ、と背中を押してくれた。母親はこの日のために襟付きのシャツまで繕ってくれた。いったいどんな顔をして戻れば良いのだろう。

 これから自分はどうしたら良いのだろうか。

 歩みは遅くても動き続けていれば村には到着する。歩き通しの足は疲れていたけれど、気分は晴れずくつろいで休む気にもなれない。それでももう、暗闇はすぐそこに迫ってきている。答えは何も見つからないまま。

 ウィルは重い気分で宿屋のドアを叩いた。




 宿屋に部屋をとり、一階の食堂で夕食を食べる。宿屋の建物は古く質素ではあったが、手入れが行き届いていて居心地は悪くなかった。

 壁には粗末ながらも燭台が灯り、部屋を暖かく照らしている。使い込まれた木製のテーブルと椅子がいくつか並んでいた。

 その片隅で、硬いパンのひとかけらと、具の少ないスープを口にする。スープは具が少なくても、肉の味がして温かく、腹に入れば疲れた体に染み渡るようだった。ウィルは黙って、スプーンを口に運ぶ。

 と、わざわざウィルの目の前に誰かがやってきて座った。大きな革の鞄を抱えた中年の男だった。目尻にシワが寄って、愛想よく笑っている。

「何か……?」

 見知らぬ男の姿をウィルは警戒しながら見据えた。男はその警戒心を解きほぐすようににこにこと笑って、ウィルに話しかけてくる。

「いや、何、ひとりの食事は寂しいからね。少し話し相手になって欲しいんだ。何か困ることでもあるかい?」

「困りはしないけど……」

 ついそう言ってしまってから、ウィルは相手のペースに乗せられていることに気づいた。男は人懐こく「ありがとう」と笑う。

 ふと口を閉じてウィルの様子を眺めてから、また喋り出した。

「俺はね、これから王都に行くところさ。ものを運んで王都で売る。その金で王都のものを仕入れて、今度は遠くで売る。そしたら今度は遠くの珍しいものを仕入れて。その繰り返しで生きてる」

 ウィルは手を止めて男を見ると、何度か瞬きをした。そういえばウィルの故郷の小さな村にも時々、こういう雰囲気の行商人がくることがあった。王都にあるもの、どこか遠くの珍しいもの、そんなものが次々出てくるのはとても面白かった。

 あのときウィルが欲しかったものはなんだっただろうか。思い出そうとして思い出せない。ウィルにとっては高価すぎて、どのみち手が出るようなものじゃなかった。最初から諦めていたのだ。

 男のところにもパンとスープが運ばれてくる。男はスプーンを持ち上げてスープを口に含みながら、ちらりとウィルに目を向けた。

「あんたは? あんたも王都へ行くところ? それとも帰りかい?」

 不意に男の話題が自分に向かってきて、ウィルは慌てて口を開いた。

「王都での用事が終わって、故郷に……」

 帰るところだ、と言い切れなかった。どんな顔をして帰るのか、帰ってどうするのか、その答えは見えないままだ。ウィルは言葉尻を曖昧に濁したまま、硬いパンにかじりついた。

「へえ、王都にはどんな用事で?」

 ウィルはパンを噛んで応えをはぐらかしたつもりだった。それでも男は黙ってウィルを見ている。ウィルが何か応えないと、話が進まなそうだった。仕方なく、スープをすくって柔らかくしたパンを飲み込んでから、口を開いた。

「騎士団の試験を」

 最後まで言わなくとも、男は察したらしい。「ああ」と呻くように頷いて、気の毒そうにウィルを見た。ウィルは内心舌打ちをする。余計なお世話だ、と。

「まあ、この辺りの田舎じゃ騎士団は憧れだね。試験にさえ受かれば身分関係なく取り立てられる。なんにしろかっこいい。俺だって小さい頃は憧れたもんだよ。ガキの頃は騎士団ごっこなんてしてな、木の棒なんか振り回して」

 ガキの頃を思い出したのか、ひひっと男は笑った。つられて、ウィルもうっすらと笑う。

 ウィルがもっと小さい頃、村に騎士団の巡回がやってきたことがある。馬に乗って、揃いの装備をまとって、規律正しく行進する様子に皆が憧れた。何より子供のウィルの心をくすぐったのは、それが王都からきた人たちだったことだ。

「王都にはいろんなものがある。騎士団はそこからきた人たちだって聞いて、俺でも試験に浮かれば騎士団に入れるって聞いて、それで……そうすれば王都に行けるて思ったから」

 ぽつりぽつりとしたウィルの言葉に、男は眉をあげた。

「まあ王都はね、賑やかだし楽しいし、憧れるね。じゃああんた、騎士団に入りたいっていうより、王都に行きたかったってことかい?」

 男の言葉に、ウィルは驚いて顔をあげた。自分でも今までよく考えていなかったことだった。なんだか目の前にあった壁が、崩れ去ったような心地だった。

 ウィルはただずっと、騎士団の試験を受けるんだと思っていた。騎士団に入って王都に行くんだと思っていた。そうすれば、農民の息子の自分だって王都に行って生活できるんだ、と。けれど本当は騎士団はどうでもよかった。王都に行きたかっただけだったのだ。

「それは……そうかもしれない」

 ウィルはうつむいて、残り少なくなったスープを見つめる。そのままじっとしているウィルをどう思ったのか、男は少し慌てた。

「まあ、何、きっかけなんて大体そんなもんさ。騎士団に入りたいなら試験はまたあるし、そうじゃなくても王都で暮らす方法はあるだろう。そんな落ち込むことでもないよ、案外悪くない道だって見つかるさ」

 慰めの言葉を口にして、男はスープを掬い上げる。ウィルは男を見て、頷いた。

「ありがとう。あんたと話して、少し気が楽になった」

「なら良かった」

 ウィルは少しだけ微笑んで、またパンをかじる。

 騎士団に入れば王都に行ける。なぜ自分は王都に憧れていたのだろう。何もない田舎者が、ただ憧れていたのだろうか。いや、それ以上の何かがあったはずだ。

 燭台の灯りがゆらめく中で、ウィルは幼い頃に想いを馳せた。




 体は疲れていたが、なかなか寝付けなかった。試験前に興奮や緊張で強張っていたのとも違う、脱力感があった。暗闇の中で溜息をつくと、ウィルは起き上がった。

 そのまま何度か瞬きしていると、部屋の輪郭がぼんやりと見えてくる。狭くて質素だけれど、寝るにはじゅうぶんな部屋だった。サイドテーブルの燭台を引き寄せかけ、やはり火は灯さずにおく。それから、ベッド脇に脱ぎ捨てていたブーツに足を通した。

 立ち上がって、ゆっくりと窓に近づいた。手をかけて窓を開く。小さな軋む音が夜の中に響く。開いた窓から夜の冷たい空気が流れ込んできた。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで、ウィルは空を眺めた。

 藍を幾重にも染めて濃くしたような深い色合いの空に、ガラスの粒をばら撒いたように星が瞬いている。その中でも一際に明るい星は、豊穣の女神テーラナの恵みの光とされている。ウィルはそれを指差して、幼い頃を思い出す。

 そう、騎士団の存在を知るよりも前、もっと小さかった頃、こうやって夜空を見上げてその話を聞いたのだ。こちらの赤い星は戦の神ヴァラーネ、こちらはオルディス、そしてアストレイン。

 時間によっても季節によっても見える星は変わる。どの星が見えるようになったら麦を撒くのか、どの星が見えたら雨に備えるのか。そんな言葉とともに、ウィルは夜空を見上げるのが好きだった。

 毎日のように星の話をせがむウィルに、あるとき酔っ払った父親が口を滑らせた。

「そんなに星が好きなら、王都の天文台に行って学者にでもなるか?」

 そのときのウィルには王都がどこにあるのか、どんなところか、天文台がなんなのか、学者が何をするのかもわかっていなかった。それでもそれは星に関係のあることなのだと知って、嬉しくて大きく頷いた。

 困ったような顔の母親がぴしゃりと言った。

「やめてよ。学者なんか金持ちがなるもんだ、うちみたいな農家の子供がなれるもんじゃない。あんたも余計なことを言うんじゃないよ」

 母親に怒られて、父親はそれっきり学者のことは何も言わなかった。天文台のことも。ウィルも母親の顔を見て、それ以上何か言うのはやめてしまった。

 王都に行けば天文台がある。天文台で学者になって、星を眺める。それは自分にはできない生き方なのだと、母親の態度でわかってしまったのだ。

 だからそれっきり。夢とも呼べないような、淡い何かでしかなかった。

 でも今、こうして夜空を見上げてみれば、たくさんの星の名前を思い出す。こうしてもっと星を眺めていたいと思ってしまう。

 夜の冷たく乾いた風がウィルの顔を撫でてゆく。星を見つめている目に涙が滲む。涙が流れ落ちる頬に風が当たる。

「学者って、どうやったらなれるんだろう」

 ひとり呟いて、ウィルはまだしばらく星空を眺めていた。




 翌朝、日が昇る頃にウィルは起き出した。パンとチーズの簡単な朝食を食べ、昼食用のパンとチーズも包んでもらって、早々に宿屋を出る。

 向かう先は故郷への道ではない。昨日辿った道をまた王都へ向かって歩き出す。

 影が伸びる先には、轍の道がずっと続いている。その向こうの空は夜の名残の藍色。そして、その淡い色合いの中に豊穣の女神テーラナの光がまだ見えた。

 ウィルは力強く足を踏み出す。王都に行ったら天文台を見にいくつもりだ。そして、できるかはわからないが学者を目指したい。

 なんの当てもない。それでもウィルの心は軽い。昇りつつある朝日が背中を押してくるようだった。



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騎士団の試験に落ちた くれは @kurehaa

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