理性と勇気を試す色つき天秤

長月瓦礫

理性と勇気を試す色つき天秤

 

ドアが開いて体勢が崩れたところを狙う。

部屋に侵入してきた人の腕を掴み、部屋の明かりをつける。


「大人しくして、俺は何もしないから」


「言ってることとやってることが違う! 痛いんだけど!」


「ね、誰に言われたの。

誰がこんなことしろって言った? 教えて」


「アンタ、知らないの? 今日の夜、誰かの部屋に忍び込んでって」


一瞬、沈黙が降りる。俺は腕を離す。

短い髪をふわふわにしていて、このクソ寒いのに薄着で来た胸が大きい女の子。

さて、名前は何だったかな。


「ねえ、黙ってないで何か言ってよ」


「ああ、そうだ。ホノカさんだ。思い出した」


「私のこと分からなかったの?」


俺はうなずいた。

真面目以上に生きなければならない以上、どうしても人のことは後回しになってしまう。できれば、リソースは裂きたくない。


「悪いけど、俺はそういうことには興味ないから。

ベッドは自由に使っていいけど、朝になるまで部屋を出ちゃダメだからね。

外をうろついてたら、すぐに捕まっちゃうと思う」


買いだめしている紙パックの野菜ジュースを渡す。


「野菜が嫌いなんだっけ?」


「よく知ってるね」


「サラダをいつも残してるから、良くも悪くも目立つからね。

でも、ジュースは好きなんだ」


「そういうこと」


俺は椅子に座る。彼女もテーブルをはさんで向かい合わせに座る。


「この時期になると、いつもこうなんだ。

ゴメンね、変な遊びに巻き込んじゃって」


「参加しないんだ」


「バケモノはお呼びじゃないんだと。

それでも、うるさくて寝られないんだから困ったもんだ」


「壁薄いもんね」


ホノカさん。ついこの間、ウチに来た。

他の施設に空きが出るまで、ここで待つことになったらしい。

比較的まともな子と思っていたんだけど。


「こんなトンチキな遊びに付き合わなくてもいいと思うよ。

ただでさえ、ウチにいたってだけで変な噂が流れるんだから」


「前もこんなことしてたから、そんなもんだと思ってた」


「風紀なんてあってないようなもんか」


「マジでそれな」


ケラケラ笑う。短い髪をふわふわにしてて、胸が大きい。

薄着だから体型がはっきり見える。

それ以上の情報がないし、そうとしか思えないんだよな。話題に困る。


「夏休みのときは」


俺は自分の首に手を当てる。


「シライさんって女の子が俺の部屋に来た。

なんか首を絞められそうになったって言ってたんだけど」


「それで?」


「いろいろ話をするだけで終わるって聞いてたから、あんな怖いことされると思わなかったんだって。彼女の首を絞めた奴も追いかけてきたから、まとめて病院に送りつけてやった」


「どうなったの?」


「シライさんは『ありがとう』って言って、ここから消えた。

他はいつか殺すって言い残して、それでおしまい」


細い首だ。力を入れたらすぐに折れてしまいそうだ。


「やろうと思ってできるもんなの?」


「したいならできるんじゃない?」


「じゃあ、病院に送った俺の判断はまちがっていなかったと」


「ちゃんと熨斗つけた?」


「知らね。覚えてない」


適当にお菓子の袋を開ける。

なぜか試されている気がする。

勇気と理性を天秤にかける。


「事あるごとに俺をカワイイって言ってくる兄さんがいたのね。

兄さんはゲームが好きだったから、ゲーセンでよく遊んだりしたんだけど」


「かわいい?」


「今もよく分からないけど、カワイイんだって。

その時、俺が16で兄さんが18だったかな。

いつかの夜、兄さんの部屋に呼ばれたから遊びに行ったのね」


「嫌な予感しかしないんだけど」


「スゲー可愛がられてたし、何も疑わなかった。

最初は今みたいに話したりしてたんだけど、頭撫でられたりあちこち触られたりしてるうちに押し倒されてさ。コレヤバいヤツだって思って。

頭突きして逃げたら、次の日に兄さんはいなくなってた」


「よかったね、生きて帰って来れて」


「超絶ラッキーだったね。

けど、あのまま何もしなかったらどうなっていたのか。

今も気になるところではある」


「私でよかったら続き、やる?」


「嫌だよ。からっぽなんだろ?

兄さんは中身は何であれ、重さはあったからさ。

それが気持ちよかったし、何より俺にしか向かなかったから」


「勘違い乙。マジ気持ち悪いんだけど」


「本当にそうだね。気づけてよかった」


何でこんな話をしてしまったんだろう。

今はただ、思いつくままに話をしている。


「このまま俺と話していてもつまらないでしょう。映画でも見る?」


「それこそ、つまらない男のやる事だよ。

話、もっと聞かせて」


「なぜ?」


「アンタのことを知りたくなったから」


「そういえば、何で俺の部屋に来たの? 理由を教えて」


一番大事なことを聞くのを忘れていた。

シライさんみたいに他の奴に何かされたなら、守ってあげないと。


「ここに来たのは自分の意思だよ。なんせ顔が好みだから。

けど、今はアンタの話を聞きたいかな」


「……兄さんも同じようなことを言ってたね。

なんだっけな、俺の目って暗くて冷たい目をしてるんだって。

冬の空みたいな綺麗な目が好きってずっと言ってた」


「冬の空ねえ」


「その綺麗な目をぐちゃぐちゃにして、責め立てられたいって」


「ちょっといいかもって思った私の心を返せ」


「兄さんは普通の目だったんだけどね。

俺のことがどうしようもないくらい好きだから、ずっと自分のところに置いていたいって」


「マジで気色悪りぃことしか言わねえじゃん、そのセクハラ野郎。

控えめに言って死ねばいいと思う」


「今思えば、すごく気持ち悪いね。

けど、ずっと可愛がってくれたし、優しくしてくれたのは本当だよ」


手の大きい人だったな。

背はいつのまにか追い越しちゃったけど、いつもカワイイって言っていた。

いつも一緒にいて、ゲームが強くて、写真も残ってる。


「好きなの、その人」


「好きか嫌いかで言えば、まだ好きなんだと思う。もう二度と会いたくないけど」


「マジで二度と会わないほうがいいと思う。聞いてるだけで鳥肌が立つもん」


「だよね。あんなことをしてくると思わなかったし」


会おうと思ってもどこにいるか、何をしているかも分からない。

兄さんは今どこで何をしているのだろうか。


「じゃあ、コレも外そうかな。

兄さんがくれた物だから大切にしたかったけど」


「いいの? 外しちゃって」


「うん、バイバイする」


ピアスを全部外す。安物でも俺は嬉しかった。

兄さんとの繋がりを感じられたから。


それも確かに愛だったけど、歪んでいた。


「じゃあ、コレあげる。

妹ちゃんか姉さんができたらあげるつもりだったけど、男でもいいや。

そんな変わらないだろうし」


椅子から立ち上がり、わざわざ俺の膝の上に座る。

空いた耳に黒いリボンがついたピアスをつける。


「可愛いでしょ? 私とお揃いだよ」


そういえば、右耳に赤いリボンをつけている。

リボンが何重に巻かれ、耳に巻き付いているように見える。

そのまま首に手を回す。


「興味ないって言ったよね」


「それっぽいことはしておかないと、いろいろまずいかなって思っただけ」


「俺は本当に何もしないよ。

それでもいいなら好きにすれば?」


「じゃあ、好きにする」


俺の顔を優しく両手で包み、唇を重ねる。

聞いて呆れた、やることはちゃんとやるんだな。

何もする気が起きないから、目を閉じて、やりたいようにさせる。

兄さんもそうだった。嵐が収まるまでじっと耐えるしかない。


「……続けたところで何もないよ。本当にそれでいいの」


散々人の顔で遊んだあと、背中に腕を回してきつく抱きしめられている。

他のやつと遊んだほうが楽しいと思うんだけどなあ。


「今はこれでいいの。誰でもいいから独り占めしたいだけだから」


「本当にからっぽなんだね」


「いろいろあったけど、ここに来るまでにすっからかんになっちゃった」


胸のあたりに頭をぐりぐりと押し付ける。


「俺といれば多少は満たされるってこと?」


「少なくとも今はね」


ホノカさんはドン引きしてたけど、結局は兄さんと同じか。

渇きを俺で満たそうとする。


「何なんだかな……」


髪をいじりながら、俺も抱きしめる。

窓の日が差し込むまで、からっぽの愛をずっと受け取っていた。

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