後編

 私立高校の3年間。

 あらたは一度も、彼女をまっすぐ見ることができなかった。


 合格確実の公立高校を、彼女は意図したように落とした。


「そんな事、頼んでない」


 まるで自分が憐れまれたような——ぶつけどころのない情けなさ、悔しさ。

 激しい屈辱感を抑えきれず、彼女を突き放した。



 そのまま、二人の距離は広がった。

 呆気ないほどに。



 学校の定期テストの度に、塾の模擬試験の度に——

 最後の5分が来る度に、新の胸はギリギリと痛んだ。


 俺は、彼女のために、この解答を白紙に戻したりできるだろうか。

 それが、どれほど苦しい選択だったか。



 本気で勉強し、今度こそ第一志望の大学に合格し——

 彼女と、もう一度、笑い合いたい。

 そう思った。



 高3の3月。大学の合格発表。

 合格を確認したその場で、新は彼女に電話をかけた。


 何度かけ直しても、彼女は出なかった。


 今更メッセージに綴る言葉など、浮かぶはずがなかった。



 卒業式を終えた3月末。

 新は、彼女の家を訪れた。

 中学の頃、家まで送った記憶を辿った。


 彼女の母が出てきた。


「高澤 新と言います。

 ……唯さんは」


「高澤くん?

 唯、お別れ会って友達と出かけてるのよ」


「お別れ会?」

「ええ。唯、明日ここを発つの。大学は横浜だから」


「——」

「——あの子が帰ってきたら、伝えておくわね」


「いえ……」



 新の様子に、母親は少し微笑んだ。


「唯、明日の15時35分発の電車で発つ予定だから」




 翌日、15時30分。

 駅の入り口で散々迷った挙句、新はホームへ向かう階段を駆け上がった。


 大勢の人の中、彼女は見つからない。



 ——唯。

 唯。


 最後の5分。

 この機会を失えば——きっともう、彼女には会えない。



「……唯。

 唯————!!!」


 渾身の力で叫んだ。



 不意に、後ろからぐっと激しく手を掴まれた。


「やめてよ、そんな大声!」


 怒りと混乱の混じり合った声が、矢のように耳を——真っ直ぐに心臓を貫いた。


 懐かしい声。

 聴きたくてたまらなかった、その声。

 振り向いたそこには、肩を震わせ唇を噛み締めた彼女の顔があった。

 ブレーキを踏む余裕もなく、その華奢な肩を抱きしめた。


「唯。

 ごめん。

 俺、また唯と笑いたい。

 だから……」


「もう時間ない」


 新の腕を振りほどくと、小さく呟いて彼女は電車に飛び乗った。

 その背は、固く振り向かない。

 ドアがゆっくりと閉まった。


 

 当然だ。


 新の口元は自嘲で引き上がったはずなのに、その頬にはみっともないものがぼろぼろと零れ落ちた。

 項垂れた視界の中のシューズの爪先が、ぶわぶわと霞む。



『新』

 呼ばれた気がして、はっと顔を上げた。


 車窓の奥、彼女が新を真っ直ぐに見つめていた。

 彼女は、ゆっくりと片手を握って耳元へ寄せる。



『続きは、電話で話そう』


 その口元には、昔のままの笑みが浮かんでいた。



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