教育虐待

無雲律人

教育虐待

正憲まさのりちゃんは、必ずT大医学部に入れるから!」


 そう言われ続けて二十年以上が経った。俺は森田正憲、二十八歳の浪人生だ。


 子供の頃から勉強は得意だった。東京のベッドタウンにある公立小学校では向かう所敵無しで学年トップだった。この頃は両親や親戚、友人の親なんかからは『神童』と呼ばれてちやほやされていた。この頃にはもう両親から「正憲は将来T大医学部だな」と言われていた。


 中学受験をして都内の進学校である私立に入った。そこではまぁまぁ、トップ三十くらいには入る成績だった。


 エスカレーター式で高校に入学すると、高校から入って来た外部生にあっという間に成績を抜かれた。俺は、平均的な生徒になった。それでも両親はT大医学部を諦めていなかったから、俺はT大医学部だけを目指して勉強して来た。


 現役での受験は、見事に散った。惨敗だった。


 それから俺は浪人生活に入った。


 三浪したくらいの年に、両親に私立の医学部ではダメかと聞いてみたら、あっけなく却下された。T大医学部以外は認めないと言われた。


 五浪した年に、自殺未遂をした。両親からは「来年はきっと受かるから」と言われた。こいつらは何も分かっていない。


 七浪した年に、家出をした。でも、金を持っていなくて遠くに行けなくて、あっさり父に発見されてしまった。そう、俺は小遣いすら渡されていなかった。家で勉強する以外の行為は認められていなかったからだ。


 今はみんな持っているらしい、スマホも俺には無かった。パソコンも与えられなかったから、外部と接触する手段がなかった。


 俺に与えられたのは、参考書と赤本のみだった……。


 十浪した今年、俺はこれからの人生を熟考した。そして決意した。そうだ、少しでもいいから自立しよう。


 まずは、家事から始める事にした。それには何でも世話を焼いてくれる母が邪魔だった。


 だから、父が仕事に行っている間に母を絞め殺して、俺のベッドの下に隠した。


 それから急いで市役所に行って離婚届を一通もらい、母の死体から結婚指輪を抜いて、母の筆跡を真似て「出て行きます。ありがとうございました」とメモを書いて食卓に並べて置いた。


 父は帰宅するとそれらを見て落胆した。その日の夕飯は無しだった。家事から始めようと思ったが、俺は何も家事をした事が無かったから、やりようが分からなかった。


「母さんもいなくなってバタバタしているし、来年は私立の医大を受けようかな」


 二日くらいしてから、そう父に切り出した。私立のF大学医学部なら俺でも受かりそうだったからだ。


「私立の医学部なんて……今更恥ずかしいと思わないのか!? お前はもう十浪もしているんだぞ!?」


 そう、父に言われた。


 俺が十浪もしているのは俺だけのせいじゃない。途中で私立の試験を受けさせてくれなかったお前ら親にも責任はあるだろう!


 というよりも、むしろ俺はずっと気付いていた。子供の頃から気付いていたよ、俺にはT大の医学部なんて無理なんだって!


 そこそこ出来ていた中学までは良かったが、高校に入ったら外部生と言う名の魔物がやって来た。あいつらは高校受験を乗り切って来た猛者だった。俺ら内部生とはレベルが違っていた。


 あいつらがトップを陣取る中、俺みたいな平均野郎じゃT大医学部なんて無理だってずっと分かっていた。なのに、俺の両親はそれを認めなかった。俺に私立の試験を受けさせる事を拒絶し続けた。


 俺は、キッチンに行って人生で初めて包丁を手にした。調理実習の時だって、包丁を握る事から逃げていたっていうのに。


 俺は、うなだれる父親の背後に回って一息に父親の頭蓋骨目指して包丁を振り下げた。


**

***


 俺は自由になった。


 もう勉強しなくて良いんだ。好きな所に行って、好きな事が出来るんだ。


 部屋のベッドの下には母が、居間では父が死んでいるが、そんな事どうだっていい。家を出る時にこの家ごと燃やしてしまえば何てことないだろう。


 だが、俺には分からない。


 ……どこへ行って、何をすればいいんだ……?



────了

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