*Here, Her Trot Ebbs
「おじさまはどうして泥棒をやっているの?」
「さぁ」
「さぁってなぁに? おじさまのことでしょ」
少女は非難するように口を尖らせたが、俺にしてやれることは何もなかった。本当にわからないのだから、さぁ、と言うほかないのだ。
「記憶がないから、知らん」
「そんなに昔からやってらっしゃるのね」
「いや、そういう意味じゃない。記憶喪失なんだ」
「まぁ」
少女は目を丸くして、俺をじっと見つめた。
「記憶喪失?」
「ああ」
「自分のことを忘れちゃっているの?」
「ああ」
「それって……ねぇ、それって、どんな感じなの?」
俺が眉をひそめたのを見てか、少女は慌てたように「あ、ごめんなさい。気を悪くしないで」と身を乗り出して言いつのった。
「あたし、記憶をなくしたことってないの。あたしの記憶は全部
すべてを覚えているのとすべてを忘れてしまうのでは、どちらのほうが生きづらいのだろう。案外俺は幸せなのかもしれない。焦燥や恐怖といったものまで忘れているようだから。
「別に、どうということもないぜ。ただ――」
俺は適切な言葉を探して少し脳内をさまよった。すべてを忘れた、というのは嘘だ。厳密な記憶喪失とは少し違うのかもしれない。言葉も知識もきちんと残っている。だから、俺と少女とを比較してどちらがマシかと考えるのは間違っているのだろう。無論、少女の言う“全部”も文字通りとは限らないのだが。
「――手応えがない、ってだけで」
やりがい、生きがい、実感、質感、手触り、現実味、存在感……選ばれなかった言葉たちが脳内に消えていく。やっぱり、言葉なんてあればあるだけ不便だ。
少女は小さく頷いて、話をそらすように前を向いた。
「でも、いいわね、泥棒さんって」
「はぁ?」
「どうせ同じ犯罪者なら、『
「……思わないね。だいたいあれは泥棒じゃなくて強盗だろう」
「些細な違いを気にしていたらはげちゃうわよ。それにしても」
と、少女はくすりと笑った。初めてだ、彼女が笑うのは。少女らしく屈託のない、けれどどこかに大人の女性らしさが漂う笑顔だった。
「『すてきな三にんぐみ』のことは覚えているのね。おかしな人」
軽やかな笑い声が殺風景な部屋に満ちる。
それを打ち砕くように、玄関が手荒くノックされた。
少女がびくりと肩を跳ね上げて、ソファの上で縮こまる。
「待って、行かないで、おじさま!」
立ち上がった俺を、少女が悲鳴のような声で制止した。それとほぼ同時に、扉が蹴破られて、見知らぬ男たちが押し入ってくる。暴力沙汰にどっぷりと浸かっている連中だ、と一目でわかった。その手に拳銃が握られているのを見て、俺は咄嗟に少女を抱え上げるとソファの裏側に投げ込んだ。小さな悲鳴をかき消すように、銃声が響いて、
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素敵な二人きり 井ノ下功 @inosita-kou
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