第6話 すねこすり
目が覚めて枕元に置いたスマホを見ると、9時を回っていた。
社会人ならば既に仕事が始まっている時間ではあるが、そんなこと俺には関係ない。何にも縛られず生きることこそ、俺が求めるものだ。
身支度・・・と言っても、着替えて歯を磨いた程度だが、とりあえず済ましてから一応それらしく、ノートパソコンを起動した。
殺風景なディスプレイにはポツンとあるアイコンをクリックすれば、善の作ったホームページが表示される。
「えっと、確か――」
善に言われたことを思い出しながら、管理者画面を開くいた俺の目は画面に釘付けとなった。
『新着メッセージが2件あります』
ページの上部に、確かにそう書かれている。
「う、嘘だろ・・・どうせ悪戯か何かか――」
来ているメッセージを恐る恐る開封してみる。
『祖父の葬儀に、泣いてくださる方を派遣してください。
祖父は生前、一代で会社を築き上げ引退間近には上場も果たしました。そんな祖父ですが、晩年認知症となり長く施設にいたことで、多くの方が現役の頃の勇ましかった祖父の姿を忘れてしまっています。私は葬儀に来る皆さんに元気だった頃の祖父を思い出し、送りだして欲しいのです』
「いや、マジかよ・・・」
本当に来るとは思っていなかった。
急いでもう1通も開いてみる。
『泣いてくださる方、是非お願いします。
母の葬儀で泣いて欲しいのです。おそらく私意外に母の葬儀で泣く方はいないと思いますので。母が病に倒れたのは3年前ですが、その頃すでに父には愛人がおり、葬儀にはその愛人と愛人の子供たちも来るそうです。私は母が可愛そうでなりません。母は惜しまれているのだと、見せつけてやりたいのです』
「知らなかった。葬式など坊主の読経がただただ退屈なだけなものだと思っていたのに」
人の数だけ事情があるのは当たり前だが、それがまさか泣き女の需要と繋がっているとは夢にも思っていなかった。
「尊はそれを見越していたのか――」
やはり尊には叶わないという思いと同時に、なにもかも見透かされているようで腹も立つ。
「いや、悪戯?って可能性もあるよな」
そうだ。この依頼が本当だとは限らない。なにせ、葬儀で泣くだけの女の派遣なのだ。自分で言うのもなんだが、怪しさMaxである。
「まずは・・・と」
最初のメールの爺さんが立ち上げたという会社を検索してみると、画面のトップにその会社は表示された。
「なになに?場所は群馬県で――年商30億っ⁉まぁまぁ、でかい会社じゃねぇかっ!って、会社があるからってまだ信用できねぇよな」
早速返信をする。
______
この度はご依頼いただき、ありがとうございます。
通夜、葬儀、告別式全ての参加で、21万円になります。
交通費は別途頂くこととなります。
お振り込みが確認できれば、当日担当者を派遣いたします。________
振込先は俺のネットバンキングの口座になっている。
通夜、葬儀、告別式、各7万で21万。消費税もつけば、23万1000円になる。悪戯ならこの金額は振り込んではこないだろう。
「送信っと」
同じ要領で2通目にも返信する。
「とりあえずよしっと。これであとは待つだけだな」
一仕事終えた俺は早速休憩に入る。
あぁ、なんて素晴らしいんだ。会社務めをしていたら、こうはいかない。9時に仕事を始めたら最後、昼間ではノンストップで馬車馬の如く働かさせるのだ。
ふと朝食をとっていないことに気づいて、冷蔵庫の中を漁ろうと立ち上がった時だった。
「あわわわぁ~っ」
何かに躓き、俺は体制を崩した。
幸いソファーがクッションとなり、怪我をすることはなかったがここには基本人が来ない。怪我でもして動けなくなれば、気まぐれに尊か善が来るまで俺はそのままでいることになる。
「あっぶねぇ~、一体何に躓いたんだ?」
足元を確認するも、これと言って邪魔になるものはない。
「おっかしぃなぁ~、確かにさっきは何かが――」
ソファーの下から何かが出ている。
真っ黒なモフっとしたそれは、多分、俺の推測が正しければ――猫の尻尾だ。
そっと手を伸ばし尻尾を掴むと、ソファーの下から「ぎゃっ」という悲鳴が聞こえた。
ゆっくりと引きづりだすと、それは白黒の毛並みをした真ん丸な猫だった。
「ねこ?…だよな?なんでいるんだ?どこかから入ったのか?」
事務所の中を見渡すが、入口の扉も窓も全て閉じられている。とはいえ、出入口の扉に鍵はかかっていない。もしかしたらそこから入ってきたのかもしれない。
「おい、尻尾離せよ。いつまで掴んでいるつもりだ」
「あぁ、ごめんごめ――― え?」
慌てて声がした方を見るが、そこには猫がいるだけだ。そっと手を離すと、猫はぴょんとソファーに飛び乗り、毛づくろいを始めた。
「気の――せい?だよな、ハハ、ハハハ」
最近疲れているのかも知れない。
「ってかなんでお前、普通にそこで毛づくろいとかしちゃってんだよ」
猫は猫らしく、俺の言う事なんか知らん顔している。
「だよな、やっぱり猫が喋るわけないよな」
首輪なんかはしていない。野良猫なのかもしれない。ただ、それにしては随分と真ん丸で毛艶もいい。
見ていると不思議と触りたくなる。
そっと手を伸ばすと、猫は抵抗しなかった。
「ちょっと抱いてもいいか?」
両手で持ち上げると、思ったよりずっしりと重みがあった。
「かっ可愛いじゃねぇか。お前、ここに一緒に住むか?」
ニートの俺に果たして猫など飼う資格があるかはわからないが、こうして会ったのも何か縁のようなものを感じる。
猫は俺を見上げてすっと目を細めた――というより、笑った?
ニッと引き上げられた口角、幸せそうに閉じられた目。
どう見ても笑っているが、これは――猫ならみなする表情なのだろうか?
「えっと――まぁ、いいか。多分猫というのはこういうものなんだな」
そっと頭を撫でてみれば、気持ちよさそうに俺の手に頭を擦り付けてくる。
「なんだ、やっぱり可愛いな。お前、俺と一緒に住むか?」
猫が返事をするわけがないと知りながら、ついつい話しかけてしまう。
「いいぞ。俺お前と一緒にいてやる」
「そうか、ありが――ん?」
――今のは、誰がしゃべったんだ?
恐る恐る猫を見ると、得意げな表情で俺を見ている。
「いや、まさかな。そんなわけないよな。幻聴とか、まじ笑えるぜ」
「幻聴じゃないぞ」
俺の目の前で、確かに猫はそう言った。
「えっ?・・・ぇえええええーーーーーーーっ!真ん丸な白黒猫が喋ってるーーーーっ!」
人生最大の超高速移動で部屋の隅まで移動した俺に、真ん丸白黒猫は超絶シラケた視線を向けている。
「志童、お前馬鹿だな」
「は?」
猫に馬鹿だと言われたのか?俺は・・・。いや、待て。何故俺の名前を知っている?
「とりあえず、おいらはお前とここにいてやるぞ。喜べ」
「は、はぁ・・・」
なんだこいつは?なんでこんなに上からなんだ?
「ととと、とりあえず、なんで猫が喋ってるんだよっ」
「おいらは猫じゃないぞ」
「ねっ、猫だろ、しかも大分メタボ気味のっ!」
「メタボではないっ!おいらはすねこすりで、すねこすりはこういう可愛い感じのフォルムなんだっ!」
「すっすねこすり?あの、妖怪のかっ!」
「他に何があるんだよ。ってか、可愛いフォルムを無視するなよなぁ」
「あ、あぁ・・・」
もう、何が何だかわからない。
「それにしても、泣き女の次はすねこすり――ここは心霊スポットなのかぁ?」
苦笑いを浮かべる俺の視線の先で、すねこすりは相変わらず真ん丸なボディを見せつけている。
「ぷっ」
たまらず噴き出した俺を見て、すねこすりは益々嬉しそうに目を細めた。
「なぁ、志童。おいらに名前をつけてくれ」
「名前?」
「あぁ、おいらにぴったりのキュートなやつを頼むぞ」
2本足で立ち、短い手を腰に当ててお尻を振り振りしながらダンスの様な動きをしている。まるでそれを、俺に見せつけているかのように。
これを可愛いと言えばいいか、まぬけだと言えばいいか、よくわからないが、なんとも滑稽であることに違いはない。
「っくくっ、わかったからその可笑しな踊りをやめてくれ。すね子・・・いや、真ん丸か?」
「志童っ、てめーっ!すね子って誰じゃーっ!真ん丸ってふざけてるのかーっ」
すねこすりの怒号と共に、短い脚のミドルキックが俺に命中した。
「うぐふぅっ、おっお前なにをっ・・・」
蹲る俺の前に立ちはだかり、真ん丸すね子は怒りを露わにしている。
「そんなふざけた名前があるかっ!もっと真剣に!誠心誠意!心を込めて考えろっ!」
なるほど、名前が気に入らなかったのか。
それにしても、唐突にミドルキックとはこの真ん丸妖怪は少々狂暴ではないか。
「わかった、わかったから、落ち着けって」
怒りに任せて手足をジタバタとさせる真ん丸妖怪を抱き上げ、俺はソファーへと腰を下ろす。
「うーん、そうだなぁ。じゃあたまだ。お前の名前はたまでいいだろう?猫と言えばたまが定番だ」
「ふんぐーっ」
目を吊り上げ、今にも俺に飛び掛からんんとする。たま――は、気に入らないのか?
「志童お前、虐待で動物愛護団体に訴えてやる!心理的虐待も立派な虐待だ!」
「いや、動物愛護団体は動物を守る団体だぞ、お前は妖怪だろ」
「うるさい、うるさい、うるさいっ!その妖怪に猫みたいな名前を付けようとしたくせにっ!」
途中から涙声になる真ん丸妖怪。
俺に罵声を浴びせているが、なんとも微笑ましく感じてしまうのは、やっぱりこいつが可愛いからだろうか。
「わかった、わかった、ごめんて」
「ちゃんと考えてやるから、ちょっと待ってろって」
真ん丸妖怪は、ズビズビと鼻をすすりながら、俺を恨めしそうに見ている。
「そうだなぁ、何にするか。やっぱり猫っぽい名前がいいんだろうなぁ。猫、猫、ねこ、、、、あ」
浮かんだのは、子供の頃婆ちゃんが何度も読んでくれた絵本。
両親が忙しかったせいもあり、俺は婆ちゃんによく預けられていた。その婆ちゃんがいつも俺に読んでくれた絵本。
何度も生きた猫が出てくるその絵本が、俺は大好きだった。
「確かあの本に出てくる猫の名前は――るど・・・そうだ、ルドははどうだ?」
「ルド?それがおいらの名前か?」
「そうだ、なぁ、良いだろう?」
「まぁ、悪くないんじゃない」
真ん丸妖怪――改めルドは、照れ臭そうに尻尾で顔を隠す。どうやら気に入って貰えたようで、俺も一安心する。
そっと頭を撫でると、俺の手に小さな肉球をあててふみふみしてくる。
――やっぱり仕草は猫なんだよなぁ
可笑しさと可愛さで自然と笑みが漏れるが、言葉にするのはやめておこう。
「だけどさ、志童。この先お前も大変だよな」
「何が?」
手近にあった紐を振ると、ルドはそれにじゃれついてきた。
「何がって、お前まさか気づいてないの?」
「だから、何がだよ」
完全に俺が振る紐にじゃれついているのに、物言いが何故か上からなのが気になるが、まぁよしとしよう。そんなルドも可愛いのだ。
「で、なんで俺がこの先大変になるんだ?」
ルドはコロンとひっくり返り、お腹を出している。
どうやら俺に撫でろと言っているらしい。
「はぁ。わかった、わかった」
お望み通り腹を撫でてやると、ルドは満足そうに喉を鳴らした。
「泣き女が来ただろ?」
「あー、そうだな」
「で、次はおいら。こんなに次々に妖怪が現れて志童は何も思わないわけ?」
「は?そんなん、偶然――」
――いや待て。確かにそうだ。偶然というには何かがおかしい。
眉を顰める俺に、ルドは腹撫での催促をする。
「で、お前はその理由を知ってるのか?」
短い前足で自らの腹をトントンと叩くルド。どうやら、撫でなきゃ教えてやらないという事らしい。俺が撫でる手を再開させると、ルドは言う。
「この先も色んな妖怪が来ると思うよ」
「はぁっ!なんでだよ!」
「ここ、狭間なんだよ。あっちと人間界のさ」
「狭間?狭間ってなんだよ。それがどうして他の妖怪も来ることになるんだよ」
ルドは呆れたようにため息をつくと、身をひるがえして俺に向き直る。
「全く、志童は何も知らないんだね。しょうがないから教えてやってもいいけど、志童は何をくれる?」
「何をってなんだよ」
「妖怪に教えを乞うんだ。タダなわけないだろ。これは一種の取引なんだから」
――なるほど、そう来たか。真ん丸猫のくせに、こういう時だけ妖怪を推してくるのか。
ここでルドを無視することもできるが、ルドの言う狭間という言葉は確かに気になる。
「仕方ない・・・待ってろ」
俺はプライベートスペースにある冷凍庫からシシャモを取り出した。今晩の晩酌の肴にしようと取っておいたものだが、仕方がない。
レンジで解凍しテーブルに置くと、ルドは目を輝かせた。
「ぉお!志童!お前話がわかるじゃねぇかっ」
「いいから早く話せよ」
ルドはシシャモをハフハフいいながら次々と頬張った。
――こいつは猫舌じゃないのか?わざと熱々にしてやったのに
胸の内で舌打ちをするも、ルドはそんなことお構いなしであっという間に俺の晩酌の肴、シシャモを平らげてしまった。
「んっ、んんっ」
テーブルの上で2本足で立ったルドは、もっともらしく咳払いをする。
どうやら、形から入るタイプのようだ。
「その昔、おいら達妖怪と人とは、同じこの世界で共存してたんだよ。だから古い書物にはおいら達のことが多く記されているだろう」
「あぁ、たしかに・・・」
一応卒論テーマは妖怪だった。
その類の書物は十分に読み込んだんだ、俺も十分にわかっている。
「けど今、この世界に妖怪はほとんどいない。だから書物に妖怪も登場しないんだ」
「あぁ、そうだな。それってつまり、昔はいた妖怪が死んだってことか?」
ルドは静かに首を横に振った。
「妖怪はそう簡単に死なないよ。この世界でいう江戸時代の終わり。つまり人間の歴史でいう大政奉還ってのが起きて、元号が明治に代わるとき、おいらたち妖怪は、国中から集められた術者たちによって封じられたんだよ」
俺は学生時代読み漁った書物の内容を思い出していた。
確かに邪馬台国卑弥呼の時代から様々な形で妖怪は存在していた。あらゆる文献にそれは記されていた。けれどそれも江戸時代まで。
明治になると、そう言った文献は圧倒的に少なくなった。いや、ほぼ消えたと言っても過言ではない。
「封じられたってなんだよ、ルド、お前も封じられたのかっ。どこにっ!一体どこに封じられたってんだよ!」
「よくわからない。沢山の術者に囲まれて、そしたら頭がぼぉ~としてさ。上とか下とか、右とか左とか、そういうのもわからなくなって。記憶も曖昧だよ。なんにもわからなくなったんだ。どのくらい時間がたったのかも、なにもかも。真っ暗で、ただ怖かった。自分が誰なのか、どうしてここにいるのか、全部・・・っ、全部わからなくなって、どのくらい時が経ったのかもわからないまま、ずっとそこにいた。そうしたら見えたんだ。とっても温かい光が。凄く優しい光だったんだ。あぁ、おいら助かるんだって思ったよ。だからおいら、その光に向かって一生懸命身体を動かしたんだよ」
「温かい、光?」
「うん、凄く優しい光だった。まるでもう、大丈夫だよ、って言ってるみたいな!だから・・・だからおいら、その光に向かって一生懸命身体を動かしたんだ。そうやってやっと光に手が届いた時。おいらはここに居たってわけ」
「は?」
ルドの言葉を頭では理解するが、否定したい気持ちが俺を混乱させる。
「じゃぁまさか、他の封印された妖怪がお前と同じように光を見つけたら――」
「出口はここってことだよ」
俺の背中を冷たい汗がつたって行くのがわかる。
冗談じゃない。そんな事、到底受け入れられるわけがない。確かに封印された妖怪たちに同情しなくもない。だけど俺の記憶が正しければ、妖怪の中には邪悪な奴や狂暴な奴もいる。そんな奴らに比べれば泣き女なんか可愛い方だ。絶対阻止しなければならない。
「駄目だろ!絶対!ルド、どの光はどうしたら消せるんだっ!それが出口なら塞いじまえばいいってことだろ」
「そうかもしれないけど――おいら光の消し方なんて知らないし」
「はぁーーーーーーっ⁉」
早くも手詰まりだ。
頭を抱える俺のすぐ脇で、ルドは毛づくろいに余念がない。最早他人事なのである。
「志童、そんなに落ち込むなよ。妖怪って案外気のいい奴も多いんだぜ?おいらに言わせれば、人間の方が余程邪悪だ」
確かに、妖怪だから悪と決めつけるのは良くない。ルドの言う通り、人間にも凶悪な奴はいる。ただ問題は、妖怪にも凶悪な奴がいるということだ。
「お前は呑気でいいな」
恨めしそうに言った俺を見て、ルドは鼻で笑う。
「ニートの志童に言われたくないな」
いや、何故俺がニートだとお前が知っているんだ。ひとまず、光の件はどうにもならないことだけは確かだ。こんなこと、どこに相談すればいいかすらわからない。
ダメ元だが、泣き女に次に会った時、聞いてみよう。
問題は明確なのに、打つ手がない。
万事休すとは、まさにこのことだ。
妖怪相談所は今日も通常運転です @kishima_akira
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