第5話 呼子
その日の俺は、朝から緊張していた。
「あの女・・・本当にくるのかな」
尊や善に女が目の前で消えたと話したのは俺自身だが、こうして時間が経ってみると勘違いだったのではとも思えてくる。冷静に考えて、人が消える訳がないのだ。
そう、人ならば・・・。
気付けば俺は事務所の中を、ただウロウロと俳諧している。とてもじゃないが、じっと座ってなんかいられないのだ。
ブラインドの隙間から外を覗くと、そこは昼間の銀座の喧騒だ。ビシッとスーツに身を包んんだビジネスマン、観光客の外国人、セレブなおばちゃんたち。
多種多様な人々がいるが、その全員が人間だ。そう、人間なのだ。
「いや、そもそも妖怪って」
なんだか急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。
そうだ、そもそも妖怪などが実在するはずがないのだ。尊や善があまりにすんなり信じるものだから、俺もそんな気になっていただけなのだ。
時計の針は既に午後の2時を回っている。
女は来ない。
「だよなぁ。そうだよ、妖怪なんている訳ないよなぁ」
緊張の糸が切れた俺は、身体ごとソファーに倒れ込んだ。
寝返りを打って天井を見ながら考える。
「あの女はきっと、気の病とかにかかっているのかもしれないな。それか、ドッキリ?まさか、尊と善が俺をドッキリに嵌めたんじゃっ」
なるほど、そう考えるとふたりが妖怪話にすんなり納得したのも頷ける。
「なぁんだ、そうか」
嵌められたのは悔しいが、喉につかえた骨が取れた様な清清しさがある。
俺の憂鬱は解消されたのだ。
「よし!気を取り直して、まずはコーヒーでも飲もう」
パーテーションで仕切られただけのプライベートスペースにある冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、事務所のソファーへと戻る。
プルタブに指をかけ一気に引き上げると、カシャっと小気味いい音を立てると同時にコーヒーの良い香りが鼻腔へと届いた。
缶に口をつけ一気にコーヒーを飲み干す。
ずっと緊張状態にあったせいで喉がカラカラだ。
冷たいコーヒーが身体の中をとおって行くのを感じて、やっと一息ついたその時だった。
「うゎわあぁぁぁぁぁ~」
空になった缶を投げ出し、俺の身体はソファーからずり落ちていた。
向かい側に、あの女がいたのだ。
ただ黙って顔に垂れ下がった髪の毛の隙間から、じっとりと俺を見ていた。
ちなみに、今日は泣いていない。
「あっと・・・えっと・・・」
全身の血が一気に温度を下げていくような感覚の中、なんとかソファーへよじ登る。
「あ~はははは いらしたんですねぇ・・・」
こういう時、人は笑ってしまうものなのだと、身をもって実感する。俺も例に漏れず、おかしくもないのに笑っている。女は俺に答えることなく、ただ黙って俺を見ている。
「えっと、その、なんていうか、泣き・・女さんでしたっけ?あの、他人の葬式に行きたいって考えは、変わったりとか――」
喉に麻酔を打たれたみたいに声が出ずらい。それでもなんとか俺は女に話し続ける。
「えっと、いつからいたのかなぁ――って、そんなこと今はどうでもいいですよねぇ。そのつまり――」
髪の隙間から除く女の眉間に大きくしわが寄る。
――やばいっ、泣くっ
「いや、変わってないっ。変わってないですよね。貴方は見ず知らずの人の葬儀に行って泣きたい!いいんですっ。いいんですよぉ、変わってなくて大丈夫っ」
半立ちになって、必至の説得の甲斐あってか女は泣くのをやめたようだ。
――よかった、この女の泣く姿が兎に角怖いんだ。
深いため息と共に、ソファーに腰を下ろし直して、俺は覚悟を決めた。
まだ心の片隅には、これが尊と善のドッキリなのではないかという疑いはあるが、今この場でそれを言ったところでどうにもなりそうもない。
女は葬儀に行って泣きたい、俺はそのための準備をした。いや、正しくは尊と善がしたんだが・・・それはまぁ、いい。
――そうだ、なにもビビることはない。俺はちゃんと準備をしたんだ。志童、お前はやればできる子だ、死んだ爺ちゃんも、そう言っていた。大丈夫、頑張れ俺!
「えーと、結論から言いますと――」
女の湿った視線を全身に浴びながら、俺は伝える。
「貴方が堂々と色々な葬儀に行けるようにします」
髪の間から除く目が、カッと開かれた。そうして徐々に女の口が左右ににたぁ~と広がっていく。
――怖い・・・やっぱり怖すぎる。
誰かが言っていた。人は笑顔が一番美しいと。その笑顔が一番怖い時はどうしたらいいのか。
俺の心拍数が物凄い勢いで上昇していくのがわかる。真の恐怖の前で俺にできること等皆無に等しい。この女を葬儀に行かせる前に、俺の葬儀になるのではないだろうか。
「そっ、それでですね、行ける葬儀が決まったらこちらから貴方に連絡をとりたいのですが、携帯の番号とか教えていただいてもよろしいですか?」
「・・・いた・・い・・・」
「え?」
「・・・・い・・た・・・・・い」
「痛い?えっ、えっとどこが痛いですかっ、俺なにもしてないですよねっ、大丈夫ですか、痛いなら病院とか行った方がっ」
「け・・・い・・た・・・い・・・」
「は?」
「い・・・たい・・・・けい・・たい・・・・ですか・・・」
「あ、・・・はい、携帯です」
__なんだよ、携帯って言ってたのかよ。頼むから普通に話してくれっ。俺の心臓が持たないっ!
か細い声で話す女の声は、兎に角聞き取りにくい。これは女なりの演出なのだろうか。
「そう、携帯ですよ、連絡つかなきゃ困るでしょ?」
「あの・・・・そういう、人の持つようなものは・・・あり・・ませんけど・・・。貴方から・・・私を呼び出せれば・・・いいんですね?」
「え?あー、まぁそうですね」
「では、少し待っていてください・・・・」
「へ?」
それ以上俺は言葉を発することができなかった。
俺の目の前にいたはずの女が、もういないからだ。いや、正確にはそうではない、消えた!消えたのだっ!
「はぁ~っ?消えたっ!消えたじゃねぇかっ!やっぱ勘違いなんかじゃねぇっ!」
何度となく立ったり座ったりを繰り返した。事務所の中を何周も回って、自らの頬も叩いてみた。
「俺は起きてる、寝ていない。つまりこれは、夢でもない」
たった今まで女が座っていた場所をじっと見つめるが、跡形もなく消えている。
「待てよ?実はすっげー動きの速い人なんじゃ?俺が目で追えない速さで出て行ったとか――」
事務所のドアに手をかけ開こうとした時だった。
「ふぇふぇふぇ・・・・」
背後から、これまでに聞いたことのない、まるで口の端から息が漏れてるような音が聞こえた。
背中を冷たい汗が伝う。恐る恐る振り返った俺の目に映ったもの。
それは、手を口元にあてて「ふぇふぇふぇ・・・・」と謎の音を発しながら肩を震わしてる例の女だった。
「貴方、面白い人間ですねぇ。自分の顔をそんなに叩いて何をしてるんですか?ふぇっ ふぇっ ふぇっ」
――ってそれ、笑い声かよっ!こえぇーよっ!怖すぎるっっての!
『ちょっと待って』と消えた女は、本当にちょっとの間で戻ってきてしまった。こんなことなら、今日、尊と善にも来てもらえばよかった。なぜそれを思いつかなかったのか、昨日の俺が恨めしい。
――俺の何がそんなに面白いのか。なぜ俺はこの女に笑われているのかさっぱりだが、兎に角やるべきことをやろう。
ふらつく身体を何とか支え、女の正面に座った。
「これを・・・持って・・・きました・・・」
女は手持ちの喪服用の小さな鞄をパカっと開けると、何かを取り出しテーブルに置いた。
「うーん・・・」
指先で眉間のをぐりぐりと回し、俺は考える。
女の持っているバッグはどう見ても15㎝四方ほどの小さなバッグ。そこから出てきた謎の物体は、軽く20㎝を超えている。
「どうやって入ってたんだょっ!」
耐え切れず思わず突っ込んだ俺に、女はニタリと笑みを浮かべて見せる。
「いや、絶対鞄の方が小さいでしょ、なんでそんなでかいもんがでてくるんですかっ」
「ふぇっ ふぇっ ふぇっ」
教える気はないらしい。
「で、これはなんですか?」
テーブルに置かれたそれは、どう見ても汚い土人形だ。一見埴輪のようにも見える。
恐る恐る手を伸ばし触れてみると、縮れた毛がかなり混じっている。なんだか臭い気もする。
「えっと、確か携帯を取りに行ったはずじゃ――」
「
「木霊?って、あの木の精霊の?」
「正確には・・・木霊では・・・ないんですけどね。ふぇっ ふぇっ ふぇっ」
――いや、なんで笑ってるんだよ。面白ポイントがわからねぇよっ
「木霊の・・・爺さんの・・・垢で・・・作った・・・人形・・・」
「あー、そうなんですねぇ・・・・って、爺さんの垢ーーーっ⁈」
先ほど触れてしまったのを思い出し、指先をティッシュで何度も拭う。
「そっそれを先に言ってほしかったですねっ!」
どこぞのじじぃの垢、それに混じる縮れた毛。もう悪い予感しかしない。
「で、なんでこんなもん持ってきたんですかっ!早くしまってくださいっ」
「駄目です・・・これは、け・・いた・・・い・・」
ずずっと女が垢人形を俺の方に押した。
「は?何言ってるんですか。これはじじぃの垢人形でしょ」
「そう。木霊の・・・爺さんの・・・垢人形・・・、念じれば・・・声が・・届く・・・これに・・向かって・・私を・・呼んで・・・ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ・・・楽しみに・・・待って・・います・・・
一方的にそう告げて、泣き女は俺の目の前で3度目の『消える』というイリュージョンを披露した。もう、俺、泣かない。そして驚くもんか。
事務所に残された、じじぃの垢人形と俺。
どうしてこうも毎度毎度、振り回されるのか。悔しいが、今の俺に成す術などなにもない。
「そういや、木霊っていってたか・・・」
木霊とは別名『
古代中国ではその姿は猿のようであるとも、犬のようであるとも言われているが、実のところはどうだったか。まぁ、泣き女の言うことを信じるならば、じじぃなのだろう。って、大学での妖怪研究がよもやこんなところで役立つとは思わなかった。
しかし、この汚い垢人形が通信機になるとは不思議極まりない。
そしてあまり――いや、絶対に、触れたくない。
とりあえず、遠目に垢人形を観察する。
動く気配はない。臭い気もしたが気のせいだった。別段異臭は放ってはいなかった。縮れた毛は、じじぃのアレの毛で間違いないだろう。証拠はないが絶対そうだ。
「これに呼びかけるろって、言われてもねぇ。ん?待てよ。これって泣き女以外にも通用するのか?」
泣き女を疑うわけではないが、信じる根拠もない。だが、実際に客を取ってから、この垢人形が使えませんでは話しにならない。かといって、用もないのに自分からあの女を呼び出すなんて暴挙は絶対にしたくない。
「よし」
俺は少しだけ垢人形に顔を寄せて呼びかけてみた。
「お~い、尊~聞こえるかぁ?聞こえたら連絡しろぉ~」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当然だが、俺ひとりしかいない事務所の中は、相変わらず静かである。
「だよなぁ」
ソファーの背もたれに身体を預け、大きく伸びをした。
「あー、バカバカしい。あんな女の言うことを信じるなんて、俺もどうかしてたよなぁ。じじぃの垢だぜ?しかもちぢれ毛入りの!こんなんで連絡とれるわけねぇって。いやー、危うく騙されるとこ――うわぁっ!」
BOO---- BOO---- BOO----
お尻のポケットで突然鳴り出したバイブレーターに思わず飛び上がった。
慌ててスマホを取り出して表示を見るとそこには、『尊』の表示。
「嘘・・・だろ、偶然、そう偶然だよな」
恐る恐る電話に出てみる。
「もしもし・・・・」
『志童?おれ、尊だけど』
「あぁ、うん。どうした?」
『・・・・・・・あれ、なんで俺志童に電話したんだろ?なんか、お前が呼んだような気がしたんだよな。あ、俺会議中だから切るわ』
「そそそ、そうかぁ、あ~はははは、いやぁ会議頑張ってくれたまえっ」
とっくに切れている電話に向かって、俺は暫く笑い続けた。
「ってこれ、本物かよ」
垢人形に異変はない。確かなのは、垢人形は尊を呼んだということだ。そうして俺は、恐ろしいことに気づいてしまった。
「この垢人形は本物だ。ってことは、もしもうっかり俺がこの人形の前で誰かの名前を呼んでしまったら・・・それが善や尊ならまだいい。例えばか・・・」
そこまで言って慌てて両手で口を塞いだ。
危ない所だった。うっかり姉の楓の名など呼んでしまったら――。
急いで引っ越しの時に使った大小の段ボールと、古くなったTシャツを用意した。Tシャツに垢人形を包むと一番小さな段ボールに入れる。それを更に少し大きめの段ボールに入れて隙間には他の段ボールを切って詰め込み、厳重に蓋をした。これでどれ程の防音効果を発揮するのかわからないが、ただ置いておくよりはましだろう。
「はぁ、危ない所だった」
気づけば事務所の嵌め込み窓からは夕日が差し込んでいた。
長く緊張状態が続いたせいですっかり強張ってしまった身体をほぐしながら、テーブルの上の段ボールを見つめる。中にはあの垢人形が入っている。
――よく考えてみると、俺は凄いモノを手に入れたのかもしれない。待てよ、これをうまく使えば――
「いや、駄目だ。俺は何を考えているんだ!」
脳裏に浮かんだモノ全てを否定するように、俺はブンブンと頭を振った。
「これ以上おかしなことに巻き込まれるのはごめんだっ。余計なことはしない。よし!」
もしもこの人形のことを尊が知れば、またあの悪い顔をしてビジネスに利用しようとするに違いない。そうなれば確実に面倒なことになる予感しかしない。
「うん。尊に垢人形のことは絶対に内緒だ。見つかると厄介だしとりあえず隠しておくか」
必要最低限のものしかないこの空間で、安心できるような隠し場所などそもそもないのだが、とりあえずベッドの下に箱を入れた。
「まぁ見た目はただの段ボールだし、大丈夫・・・だよな?」
尊は妙に鋭いとこがあるから、絶対とは言えないが、それでもやっと一息つける。
今日という一日が、いつになく長く感じられた。
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