第5話 阿部美穂は無理をしない
「阿部美穂さんだね」
「はい…」
「私は本署の警部,佐藤で、後ろの席で書記を担当しているのが鈴木巡査部長。これは取り調べではないので気を楽にしてください」
「はい…」
「阿部さん、鎌田千秋が学校所属のカウンセラーの山﨑先生を刺した件について、我々は取り調べをしています。参考人として署まで来ていただいて感謝します」
「はい…」
「念のためにこの聴取は録画録音させてもらいます」
「あ…はい…」
「早速だが、鎌田千秋が山﨑先生を刺した動機について、何か思い当たることがありますか」
「鎌田さんが先生を刺すなんて、絶対に考えられません。鎌田さんカウンセリングルームの主のようだったし、山﨑先生にお節介というか、まるでお世話しているみたいで…だから鎌田さんが線先生を刺すなんて…」
「考えられない、と…」
「鎌田さん、大学受験でいろいろあったらしくて、それで悩んでいたのは知ってましたけど…でも本当に先生を刺したんですか、鎌田さん…大学も決まってたのに…」
「本当に刺したかどうかと言えば、刺したらしいとしか言えない。鎌田さんは取り調べで何も話さない、山﨑先生は一週間以上意識を取り戻さないまま、目撃者ない、防犯カメラなし、これでは事件の実態解明すら難しいんだ」
「じゃあ、鎌田さんが刺したとも言えないってことですよね」
「ただカウンセリングルームで、鎌田千秋が血まみれのナイフを握ったまま仁王立ちしていたことは間違いない。刺された山﨑先生が一階の事務受付まで血を流しながらもたどりついて…救急車で運ばれた後に、ナイフを持って呆然としている鎌田さんが発見された…」
「チーカマが山﨑先生を刺すなんて絶対にない…」
「しかし状況は、鎌田千秋が刺したことを指し示している。鎌田の握ったナイフには山﨑先生の血が付いており、特に柄の部分には、血の跡の上に鎌田の指紋、掌紋がはっきりと残っている。強く握りしめてまず刺し、持ち直したところでまた刺したということだ」
「でもチーカマ、いや鎌田さんは自白してないんですよね」
「確かに…今は意識薄弱を理由に警察の医療施設に収容されている。いずれ犯行の全貌は明らかになるはずだ」
「全体に鎌田さんは刺していない…」
「鎌田千秋は犯行時すでに18歳、成人と同じ扱いで裁判に処せられることになる。マスコミも押し寄せるだろう」
「そんな…」
「阿部さん、そういうわけで鎌田千秋の犯行で間違いない。裁判に備え、我々は鎌田と山﨑先生の関係を明らかにする必要がある」
「確かに…何ていうか二人の関係は深いっていうか…分かり合ってる?そんな感じでした」
「そうだね。それは他からも証言を得ている。ところで阿部さんは山﨑先生にどんな相談をしていたの?差し障りがない範囲で教えてほしいんだ」
「そもそも山﨑先生を紹介してくれたのは川中さんで、その川中さんをカウンセリングルームにつないだのが鎌田さんでした」
「そうだね、その辺りの事実は我々も知っている。問題なければ阿部さん、あなたのカウンセリングの内容を聞かせてください」
「はい…」
「では思うままに話してください」
「私が山﨑先生と初めて話したのは7月の期末テスト後でした。その頃、私は勉強が上手くいってなくて、それを川中さんに心配されて、カウンセリングルームに連れていかれたんです。その時はチーカマも…あっ…鎌田さんのことですけど、同席してくれて…チーカマを私を心配しているというよりは、山﨑先生のカウンセリングに興味があったのだと思います…
そこで私は山﨑先生に見抜かれたんです…私…勉強が全然上手くいかなくて…それで悩んでいたんですけど…その原因を山﨑先生は私を見てすぐに言い当てたんです。難しい大学に入学してそれで姉を褒めてばかりいる母親を見返したい、それが私の深層心理にあって…それで、たいした才能もなくせにどんどん予備校にお金を親に払わせて、焦って…
分かっていたんです。分かっていたんですけど、自分でそれを言葉にすることを恐れていたんです。勉強の才能はない、お金に任せて解決しようとする、空回りの毎日でいろんな人に当たりちらして…
それで山﨑先生に、勉強する意味を改めて問われて…私、そこで初めて勉強が自分の人生にとって大切なものだと気づいたんです。母親に対する承認欲求も姉に対するコンプレックスもないところで考えたんです。
毎日暗記する、毎日文章を読む、理解することがいかに重要か…私、早稲田に行きたかったんですけど、山﨑先生もその志望は変えなくていいって言ってくれたんだけど、自分ではとても無理だと分かっていたんです。我を張って、自分が変わらないままならば、最悪浪人して、それでも成果なんかでなくて、結局自己嫌悪だけで生きて、果ては引きこもり…そんなことまで想像していたんです。
山﨑先生は自分が自分にかけた呪いを解いてくれたんです。だからもう早々に早稲田なんてどうでもいいと思うようになりました。偏差値45くらいで、何ができるか、それを考えて夏休みを過ごしたんです。
予備校にはいかなくてなって、学校の自習室を使うようにして、時々カウンセリングルームにも顔を出しました。いつも山﨑先生は私に優しくて…
ただどんな時もカウンセリングルームにはチーカマが居ました。まるで助手のようで、そう言うと、私はホントに助手だからとチーカマは笑って言ってました。
結局私の偏差値は最後の模擬試験で55くらいになって…それは本当為うれしかったです。結局、私はそれくらいが精一杯だったんです。それに気づいただけでも私は幸福でした。できないことに時間とお金をつぎ込むなんて本当に愚かだって心から理解できたんです。
結局ですか??私は法政大学に合格しました。法政大学で社会学を学びます。山﨑先生の影響で心理学科にもいくつかの大学で出願したんですけど、それは合格できなくて…心理学興味があったんですけど…結局それって自分の心理が歪んでてその歪みを見つめ直したいっていう欲だから、何だか後ろ向きな気もしたんです。
だから大学にも学部にも全部満足です…えっ…母ですか…実はとても意外だったんですけど…母親は私のことものすごく褒めてくれました。それは大学に合格する前からです。予備校にお金払うの止めるっていうので母は驚いて、その後私自分なりに必死に勉強したんですけど、それがすごく立派だったって…受験が終わってから母は私の長所をいくつも語ってくれて、それで勉強のことは期待してなかったらしくて…私の勉強する姿に感動までしたって…
姉とですか…もともと関係が悪かったわけではありません。私が一方的にライバル視していただけで、それで足搔いていたんですけど…やっぱり受験が終わってから、姉は私に、勉強で私に適うわけないじゃんって笑って言いました。
その時私はしみじみ、それはそうだよな…と心の底から思いました。でも姉も私のがんばりは本当に立派だった、リスペクトできるって言ってくれたんです。これは私は号泣しました。私の姉は昔と何にも変わらない優しい姉だと改めて思ったからです。
私、山﨑先生がいなければ人生迷走していたはずです。自己嫌悪に囲まれて本当に引きこもりにだってなったかもしれません。だから感謝なんです…山﨑先生には…」
「なるほどよく分かりました。阿部さん、最後に聞いていいですか?」
「はい…」
「鎌田千秋はなぜ山﨑先生に粘着したと思いますか?」
「それは私には分かりません…でも…」
「でも?」
「チーカマ…鎌田さんは心理学を学ぶことを強く希望していました。でもそれは山﨑先生の理屈だと、チーカマ自身に何か心理的な問題があるってことになるんです。私もそれには気付いていました。チーカマは何を抱えていました。だからカウンセリングルームに入り浸って、大学は心理学って言っていたんだんだと思います。で…」
「で…?」
「そんなチーカマの心理を山﨑先生が見逃すはずはありません。だから山﨑先生は、チーカマののその心の問題に入っていってしまったのでははいでしょうか。チーカマの心の深いところにある闇を山﨑先生は、明るみにしたんだと思います。私の姉に対する劣等感を、表に引き出したように…」
「それで鎌田さんは、山﨑先生を刺した、と…」
「まだそうと決まったわけではないですよね…チーカマが山﨑先生を刺したって…」
「確かにそうなんだけどね…阿部さん、ありがとう。その辺りの説明はとても役に立ちました。大学に入ってもがんばってください」
「チーカマのこと助けられることがあったら何でも言ってください。川中さんとチーカマの力になりたいって毎日メッセージの交換してますから…」
「分かりました…また何かあれば出頭養成があるかもしれません」
「はい…心配です…チーカマも先生の様態も…」
「では失礼…」
マジックカウンセリング~心理探偵降臨~ 想田唯一 @oyagawarui
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