第4話 阿部美穂は上手く勉強ができない②

 「ステップ2は、お姉さんのアドバイスを全部捨てて、基本に立ち返ること。特に暗記の再構築が必要だ.。だから予備校の夏期講習、受けてる暇なんてないんだよね」

 「夏期講習はキャンセルできます!やっぱりおかしいからキャンセルします!山﨑先生、どうればいいか教えてください!暗記って何をどうやればいいんですか」

 「慌てないで…全部のプロセスを確認しよう。ステップ3は、志望大学の再構築だ。早稲田に行きたいは温存しよう…ただその下の受験校を決める必要がある。それに抵抗がある?」

 「早稲田以外ですか…」

 阿部美穂は明らかに納得していない。

 「阿部さん、それぞれの高校生の学力を決める最も大きな要素は何だと思う?」

 「努力ですか??」

 阿部美穂が答える。

 「私は環境だと思う!」

 チーカマが答える。

 「私はひねって、お金持ちかどうか?」

 川中聡美は少し自信がありそうだ。

 「残念ながらすべて外れだ…学力を決定する最大の要因は遺伝だ」

 「遺伝!残酷!!」

 チーカマが声を挙げる。

 「そうだね。運動能力は遺伝だってみんな感じてるよね。実はスポーツも音楽も絵画もプロになる者、高度な技術に達する者は、遺伝的素養がまずあって、その後に努力と環境が合わさって花が咲くんだ」

 「本当ですか…」

 「阿部さん、残念ながら遺伝学では定説なんだ。遺伝的素養、つまり才能とは努力を継続することができる力と解釈されているんだ」

 「でもがんばれば…」

 「阿部さん、その発想が予備校の養分となってしまう理由だ。がんばりをお金で解決しようとする阿部さんのような価値観に奴らはつけこんでくるんだ。まずは自力でがんばってみないと…」

 「でも何をすれば…」

 「いいかい受験勉強の柱は記憶なんだ。記憶力も遺伝の関与する率が非常に高い分野なんだけど、阿部さんが受験に向かうならば、まずは記憶の定着から行かないと…そうなるとまずは英単語だね」

 「英単語…」

 「そう単純に英単語を見て、日本語の意味が書けるように。時間制限を付けるのがポイントだ。例えば英単語100単語の意味を10分以内に書き切る…そんなトレーニングをしてみればいいよ」

 「100単語10分以内…」

 「そうそれで1ミス以内で済んだら、次の100に行く・・・深く入れないうちは次に進まない…暗記力がそもそもある奴は早くできるし、そうでなければ手間取る…恐らく阿部さんは最初少し手間取るよ」

 「…」

 「そこががんばりどこだよ」

 「単語の意味はあるだけ全部書くんですか?」

 「代表的なもの一つでいいよ。ただし漢字は正確に。漢字の書き取りの練習にもなるから」

 「それをやればいいんですか?」

 「そうだね。まずはそれができなければ受験の成果が出るはずもないよね」

 「やってみます!」

 「学歴獲得に遺伝が関与する率はおおよそ7割、でもあとの3割を工夫することで良い結果は得られる。スポーツも絵画も音楽も勉強も遺伝を踏まえて努力した方が、お金も時間も無駄にしないんだ」

 「結局、背伸びの勉強が一番ダメってことですよね」

 「聡明な意見だ。阿部さん、その通り。そういう着眼点を持っている点は見どころがあるよ。何事も基礎基本から…つまり記憶から…予備校で講義を聞いていて成績が上がるなんて、遺伝強者のエピソードを全員に当てはめる暴挙だよ」

 「そうなんですね…なんだかすっきりしたかも…」

 「いつでも相談においで、暗記の習慣が付いたら、予備校も使いようによっては役に立つからね。予備校にお金を払うのはその後だよ」

 「明日も来ていいですか?明日から学校の自習室を使うことにするので、カウンセリングしてください」

 「もちろん、構わないよ。それがこの部屋の役割でもあるから」

 「がんばれ阿部ちゃん!」

 「阿部ちゃん!」

 「鎌田さん、川中さん、ありがとう!」

 「すっきりした顔になったね」

 チーカマが言う。

 「そう、何か顔変わった」

 川中も調子を合わせる。

 「そうかなあ…」

 「変わったよ、これがカウンセリングの力だよ」

 俺の答えにチーカマが強く頷いた。

 チーカマは阿部美穂のカウンセリングに単に感心したわけではないようにはっきり見えた。チーカマがこのカウンセリングルームに粘着し、友人をカウンセリングルームに連れてきたことには理由があると俺は確信していたが、目の前のチーカマのふるまいはそれを裏付けるものだった。

 一言で言えば、そこには俺に対する依存、あるいは祈りのようなものがある。


 そもそも心理学を学びたいと語る高校生には、自身の心に埋めがたい問題を抱えている。家族にも恵まれ、成績も悪くなく、それでも周囲の不幸や苦悩を拾ってしまう巫女体質の者、あるいは自身の家族に問題を抱えている者、チーカマがどちらかは分からない。

 しかし高い確率で後者だ。


 ツインテール、黒髪、前髪、そして鞄に付けているグロテスクなキーホルダー(チーカマをそれをかわいいと言って愛でている)、こういった装いの女子高生を見て、心理的な問題を抱えていると分析することは決して偏見や先入観ではない。

 装いとは他者に向けてのメッセージであり、その装いがマジョリティの流行よりも個性の表出を優先している場合はなおのことである。

 

 チーカマは恐らく進路の問題に直面している。そしてそれはどこの大学に行く、偏差値が高い、学部で迷う、そういったことではなく大学そのものに進学していいかどうか、あるいは進学できるか否かでひどく悩んでいる。

 家族の問題だろうと俺は見当をつけている。

 

 俺はいつの間にかこのチーカマの悩みに取り込まれていっている。カウンセラーは依頼がなければ他者に干渉しない、それは絶対だ。

 しかし俺はチーカマの心の奥に入ろうとしてしまっている。

 はっきり、俺はチーカマの力になりたいとまで考えるようになっている。


 それはこのカウンセリングルームで友人と、俺と、時間を過ごす時に、何でもない表情を浮かべながら語り、笑うその姿に、俺は悲痛なものを感じるからだ。

 これはチーカマからの非言語メッセージに他ならない。

 俺はだからチーカマに干渉する。慎重に、誤らぬよう心を配って対応する。


 チーカマの心の奥から果たして何が出てくるか…









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