塾帰り

虹空天音

 歩く。意味のない帰り道、以前は笑いながら、話しながら、普通に塾帰りをしていたはずの道。

 隣には誰もいない。


「うん」

 といううなずきが頭の中にまたフラッシュバックする。

 平然と選んだ「大衆」と、突き放すような口調。私は必要なかったのだ。


 足取りが重い。昨日は軽かったはず。でもその記憶はもうすでに霞み始めている。


 一緒に宿題をし始めたところまではよかったのに。いつものメンバー。四、五人の塾友。それなりに話せるし、遊んだことはないけど、話してて面白かった。


 この教科の先生はいつも厳しいから、宿題が多い。それなら、今やってしまって、提出するのがいいんじゃないか。ただそれだけの軽い考えだった。


 私はもともと物覚えがよくなく、地頭もいいわけじゃない。

 だからいつも、学校の定期テストは百位以下だった。自分に自信もない。どうしようもないから、塾に通っている。


 でもそれでも成績なんて上がらない。先取りしても、一生懸命勉強しても、他の人の一回分に追いつくことができない。


「私、終わった」


 一言あると、そこから波紋のように、その声が広がった。

 終わっていないのは私だけ。まだ半分もいっていなかった。ページをめくってもめくっても、必死に丸をつけても終わらない。


 待って、と呼ぼうとした声がかすれた。


「俺も終わった」


 少し親近感を感じていた男の子も、そう言った。残り三分の一のこと。その頃は、私はなぜか、一緒に帰れると思い込んでいた。

 そうして、それを合図にするようにして、他の人はリュックを背負った。


 歩いて、部屋から、扉をくぐって出て行く。「バイバイ」もなしに。


 私は、一番の仲良しに、ユイちゃんに、目線を向けた。

 目が合った。一瞬だけ。そして、すぐに離された。コートを羽織って、カバンを掴む。


「……ユイちゃんも、先、行っちゃうよね」

「うん。私、ノアちゃんと帰りたいから。これ以上あんたと残るわけにはいかないし」


 吐き捨てるような。

 私は一人になった。


 苦しくて、息が詰まりそうだった。それで逃げ場を模索して、スマホを見た。

 ユイちゃんと交換した連絡先、最後のメッセージは「昨日一緒に帰れなくてごめん」「明日一緒に帰ろう」。


 そういえば、昨日ノアちゃんはいなかったな、とぼんやりと思う。


 塾が終わる時間が近づいていた。もう、終わらせないといけない。でも、終わらない。

 私は頭を抱え込んだ。


 さっきまでしゃべり声が飛び交っていたはずなのに、嘘のように静かになる。今頃、外で話しながら歩いているんだろうと思った。


 終わらない。


 ガサリと音がした。テキストに挟まっていた、答えが落ちる音だった。ごくりとつばを飲む。

 これさえあれば、時間に間に合う。だけど。


 いつも一緒に帰る三人組。ノアちゃんと、ユイちゃんと私。

 私から話すことはあまりなかったけど、ユイちゃんとは気が合った。なんでも話せたし、なんでも話してくれた。

 そう思ってた。


 差し出すノート。自然と笑う顔、自分。頭の中に浮かぶユイとノアの顔。何もかもが反吐が出るほど嫌いだ。


 踏みしめる音。息がしづらかった。この車の音しかない帰り道は、私の存在を拒んでいる。

 私を嫌い、他人といることでしか安心できない私を、心の底から拒絶している。


 全員、先生がいなくなったら答えを取り出す。そして、それをただ写す作業に移行するだけ。

 そして終わらない私を、ゴミを見るかのように見下すだけ。


 言えない。


 丸で埋め尽くされた、何も詰まってなんかないただの紙。

 息ができない部屋を、道を、一人ぼっちの部屋と道を抜け出すために、私も、ページをめくった。

 罪のページ。


 明確に嫌われていることが分かったのに、恐怖に負けて連絡先を削除できない、臆病すぎる自分が嫌いだ。

 全部捨てるしかない。きっと、こんなの、無駄なことだろうから。


 私は道から消えた。



 了

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塾帰り 虹空天音 @shioringo-yakiringo

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