出口の先へ、ふたりの足で【糸、逢魔時、昼寝】

 「ん……、あれ?」

 目が覚めると、もう夕方だった。

 おかしいな、ちょっと昼寝するだけのつもりだったのに。夕陽に照らされながら目を擦って、辺りを見回したとき、もっとおかしなことに気付いた。


「ていうかここどこ?」

 わたしは、いつも通り部室で時間を潰していたはずだ。教室に戻ってもクラスメイトたちのおもちゃにされるだけだし、根も葉もない噂を面白がって流す笑い声や『俺はいくら?』と尋ねる声なんて、聞かない方がいいに決まっている。

 校舎裏のプレハブ小屋に割り当てられた、マイナー部活の部室。そこの長机で突っ伏して、帰って大丈夫な母の不倫相手が帰った時間あとまで時間を潰すのがいつものパターンだったのに。


 わたしが目を覚ましたのは、夕陽に照らされるアスファルトの一本道だった。

 誰もいない公園、人気ひとけのない住宅街。店主の声がない八百屋に魚屋。そんな不自然な静けさに囲まれた、どこまでも伸びる一本道。いっそ外国にあるような荒野の一本道ならまだ解放感もあっただろうに、この道は閉塞感と不気味さとが同居して、不安が募ってくる。


「あの、誰かいませんか?」

 もちろん、答える声なんてない。


 辺りを見回そうとしたとき、ふと思い出した。

 ここってもしかして噂にあった、『進み続けなくてはいけない道』?

 教室に跳梁跋扈する噂話のひとつに、《逢魔時の小路》というのがある。


 何もおかしなものがなければ進み続けなくてはいけない。何かおかしなものがあったら引き返さなくてはいけない──そんな小路。

 もちろんそんなのないと思っていたけど、もしかしたらここがそうなんじゃ……!?


 おかしなもの……おかしなもの?

 人は誰もいないけど、公園には遊具しかないし、八百屋には野菜、魚屋には魚が並んでいる。たぶん、大丈夫だ。前に進む。

 それからしばらくの間、わたしはそのまま進み続けた。塀の上で昼寝している猫、電柱でおしっこをしている犬、雑草の隙間でデュエルしている昆虫、窓際で交尾している人間──今のところ目に入るものに、おかしなところは何もない。

 それからも公園の遊具に食べられて泣いている子どもや、車の中でさかっている不倫カップルなどの姿を見ながら、まっすぐな道を歩く。

 ……わたしの身には何もない、今のところは『正解』なんだ。


 そうして歩いていたわたしの前に、彼女が現れた。

「やっほ、紗菜さな

香澄かすみ……」

 わたしの声に、香澄は──かつての親友は、曖昧に、寂しそうに微笑んだ。


 香澄は、幼い頃から仲がよくて『ふたりは赤い糸で結ばれている』なんて言い合っていた仲で。

 今のクラスでわたしの前に虐められていた娘で。

 ある日突然行方不明になっていた。


 引き返すべきだ。

 わたしのなかの何かが警鐘を鳴らす。

 きっと、香澄は“異常”だ。

 わたしが引き返すべき“異常”だ。

 何が起きるかわからない。

 わたしは引き返すべきだ。

 香澄もそれをわかってる。

 だからそんな笑顔なんだ。

 大人しく踵を返せばいい。


 でも。

 わたしは、引き返せない。

 だって、わたしは前にも見捨てた。


 香澄がクラスの中心にいる子たちに目を付けられても、その子たちと仲がいい男子たちに付き纏われても、最低な動画が出回っても、それをネタに中心の子たちのための『小遣い稼ぎ』をさせられても。

 わたしは、見捨てた。

 陰口に加わらされた。

 嫌な噂を流させられた。

 秘密をいくつもでっち上げた。

 わたしが標的にされたくなかったから。


 だから、ふたりの間にあったはずの大事な「糸」を、わたしは自ら切ってしまったんだ。


 そんな香澄を、また見捨てるなんてできない。

 今度こそ、この手を離さない。

 だから、軽く振られている手を掴む。

「え、」

 戸惑うような声が聞こえる。

 その声に、意を決して答える。

「帰ろう、一緒に」

「どういうこと、」

 異常があるなら引き返せ。

 そういうなら、わたしは香澄と前に進む。

 香澄とわたしの歩む道を、異常だなんて言わせない──誰にも、何にでも。


 ヒーローはよく、世界か大事な人かを選ぶ。

 だけど、それならわたしは、どっちも選ぶ。

「香澄といられる未来も! わたしが帰るのも! どっちも選ぶ! だからわたしと帰ろう、今度はわたしも逃げないから……ね?」

 信じてくれなくてもいい。

 帰れたら、信じさせる。


 香澄の手を掴んで、前に歩き出す。

 そこに、香澄も確かに付いてきてくれて……。


  * * * * * * *


「んぅ…………」

 目を覚ますと、そこは狭苦しいプレハブ小屋だった。乱雑に積み重ねられた週刊誌に、色褪せたビニ本。見慣れた部室だ。

 慌ててスマホを見ると、午後3時くらい。

 そろそろ家に帰っても平気かな。

 なんだか胸の痛いような、奮い立つような夢を見た気がするけど、何だったろう。そう思いながら立ち上がると、「あ、今日は起きてた」と声。


 部室の引戸を開けて、香澄が笑っていた。

「紗菜起こすの地味に楽しみにしてたから、起きてたなんて残念」

 いたずらっぽく笑うその顔は、いつも見ているもののはずなのに。何故か妙に心が騒いで、目頭が熱くなって。

「あはは、」

 なんだろ、涙が出てくる。

 心配そうに駆け寄る香澄の姿を見るのも、ずいぶん久しぶりな気がして、それがすごく嬉しくて。


「最高だなー、今の気分」

「え、どうしたの紗菜、大丈夫?」

「うん、すっごく」

 きっとふたりなら、何も怖くない。

 もちろん嫌なことばっかりだし、無力感に苛まれることも、理不尽に挫けることも、たくさんある。

 でも。

 この手を離さなければ、きっとわたしたちは前に進める。


「あはは、」

「なに、泣いてんのにすっごい幸せそうに笑うじゃない。え、ほんとに大丈夫?」

「もちろん。最高の気分だからね」

「そう、それなら私も嬉しいけどさ」

 あやすような微笑むその顔を、今度こそ離さない。


 今度こそ?

 何のことだろう。


 そう思いながらも、このふたりのひと時を満喫するように、わたしは香澄の背中に腕を回した。

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プチ三題噺企画 2nd Ignition 三衣 千月 @mitsui_10goodman

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