ブレッズパニック〜逆襲と愛の酵母〜【乗っとり、妖怪、メロンパン】

 わたし、千歳。華の女子高生だよ。

 今日は大好きな千代子お姉ちゃんと一緒に買い物。パン屋さんでたくさんパンを買い込んじゃった。

「ベンチで少し休憩しよっか。ちーちゃんと写真撮りたいし」

 お洒落でスタイルの良い写真家のお姉ちゃんはとっても大人っぽくて憧れ、だけど、時々少し心配になるんだ。夜中にトイレで起きたら「はぁはぁ、モエで胸が、苦しいぃ!」ってお姉ちゃんの部屋から聞こえたの。

 声をかけたら笑顔で大丈夫って言われたけど、無理をしていないかな。モエって何だろう?病気じゃないってお母さんは言ってたからその後は聞いても知らんぷりしている。

 先にのどが乾いたからホットミルクを開ける。ぽかぽかしておいしい。

「お姉ちゃんも飲む?」

「え、天使かじゃなくて全部ちーちゃんが飲んじゃっていいよ、お姉ちゃんはお茶飲むから」

「でも、お姉ちゃんのお茶、あったかくなかったよね」

 普通の陳列棚にあったから温まっていない。外は寒いからむしろ冷たくなっているんじゃないか。

 それで聞き返したら、千代子お姉ちゃんは反対側を向いて震えた。もしかして発作みたいなものかな。やっぱり心配になってフードをさわってお姉ちゃんに話しかけた。

「大丈夫?」

「ちーちゃんは、なにも心配しなくていいんだよ。それだけで完璧なの」

「かんぺき?」

「お姉ちゃんの体調は完璧って意味!」

 はぐらかされた気がして少し唸っちゃった。でも、仕方ない。お姉ちゃんの秘密を知りたいわけじゃない。気を取り直して買ってきたものを食べよう。

 かめさん型のメロンパンを袋から出す。緑色なクッキー生地の甲羅とつぶらな瞳が可愛い。

「ちーちゃん、はいポーズ!」

 お姉ちゃんがデジカメで写真を撮る。スマホだとイチガンレフがどうとかでうまく撮れないんだって。わたしは機械に疎いからなー、違いはわからない。

 二人で笑い合っていたら不意に人影が差した。

「そのパン……くれ」

 知らない低い男の人の声。お姉ちゃんが即座にわたしを抱えて相手を睨んだ。

「誰ですか」

「パン、を」

 ドサっと音がした。ベンチの目の前で緑髪の男の人が倒れていた。ホームレスの人かと思ったけど、服はきれいだし様子がちょっと違う。震えながら手を伸ばすその人を見て破ったばかりの包装に意識を向ける。

 まだパンはたくさんあるし、いいかな。しゃがみ込んでお兄さんにメロンパンを差し出した。

「はい、お兄さん。よかったらどうぞ」

 ガバっと顔を上げたお兄さんはすごく美形だった。空腹で目が怖いけど、ツリ目気味なのがちょっと好みかもしれない。

 むしゃむしゃと食べ始めるお兄さんとわたしの間にお姉ちゃんが入り込んで仁王立ちになった。

「ちーちゃんの施しに感謝して消えなさい」

「うまい……うまい……」

「ねえ聞いているのこの不審者」

「人間は邪悪なばかりではないのだな」

「げっ、電波かこいつ」

 露骨にお兄さんを嫌っているお姉ちゃんが「行こう、ちーちゃん」と手を引く。お兄さんと話している間に荷物をまとめていたみたい。メロンパンを食べ終わったお兄さんの静止を振り切って帰宅路まで一直線。途中から走って息が切れちゃった。

「はあはあ、お姉ちゃん、も、走れない」

「ごめんねちーちゃん。でもヤバい連中からは距離を取るのが一番だから」

 お姉ちゃんは体力があってすごいな。やっぱり仕事のおかげかな。

 ちょっとだけ羨ましく思っていると、目の前にまた人が現れた。

「こんにちはお嬢さんがた」

 その人は黄色の髪をしたふっくらとしたおじさんだった。ニコニコしているけど、何だが不気味で一歩下がる。さっきの緑髪の人もだけど、コスプレとかの人かな。よくよく見ると、おじさんの背後の道に何人も倒れていた。

「な、何が目的よ」

 そういうお姉ちゃんの声が震えている。おじさんは手から大きな注射器を取り出した。

「目的ねぇ。おじさんは体液を人間にちゅっちゅしたいだけさ」

 鳥肌が立った。気持ち悪い。言い方もねちねちしていて目が怖い。

「ちーちゃん逃げて」

 お姉ちゃんの言葉に首をふる。お姉ちゃんはどうなっちゃうの。

「いいねぇ。僕そういうのこの体になるまでは知らなかったけど、百合っていうの? おじさんの力でふたりともちゅっちゅしたいなぁ」

 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。気持ち悪すぎて足がすくむ。

 その時、さっきの緑髪のお兄さんの声がした。

「待ておじき! この子達は見逃してくれ!」

 ばっと手を広げてわたしたちをかばう彼はおじさんの前に立ちはだかった。

「え〜〜、それじゃあノルマが達成できないでしょ。あのお方が黙っていないよ?」

「し、しかし……彼女たちは悪意ある人間とは限らない!」

 二人の言い合いを聞いていたわたしはお姉ちゃんに「逃げよ」と告げられてまた走り出す。

「あ、獲物が逃げちゃう」

「ここは通させない!」

 後ろで硬い音がぶつかり合う音がするけど、気にせず走った。

 十分距離が取れたところで助けを求めに交番に駆け込む。誰もいない。どうなっているの。

「ちーちゃん、これを見て」

 動画配信サイトにはたくさんのライブ中継が投稿されている。さっきみた注射器が人に刺さる。倒れて白目を剥く人達にあの気持ち悪い声が「クリームパンを集めてね」と命じるとみな動き出してパン屋を襲っていた。

 画面がブレる。トゲの付いた植物の蔓が映ってそのままブラックアウトした。

 とんでもないことが今起こっている。

 お姉ちゃんが自分の頬を叩く。

「ちーちゃんは私が守るからね」

 気丈に笑うお姉ちゃんに勇気付けられる。でも、どうやって切り抜ければいいの。頭が良いわけでもない私には方法が分からない。

「そこでお願いがあるんだが」

「「ひっ!?」」

 声に後ずさると、助けてくれた緑髪のお兄さんがすまなそうに頭を下げた。

 お兄さんはウミガメと名乗った。

 なんでも、彼らは呪い師という人が駆除された生き物の怨念を集めて作った存在、らしい。信じられないけれども、現に街中がパニックになっている。

「元を断てば俺達は消える。呪い師を救ってくれ」

「倒すんじゃなくて救う?」

「そうだ。君もおそらく呪い師の素養がある。しかし、君は優しさを与えることが出来るんだ……あのパンに込められた労りが俺を改心させたんだ」

 そんな力を持っていたなんて知らなかった。でも、わたしが何かすれば周りが助かるの?

「ちょっと、話を勝手に進めないで。ちーちゃんに危険なことなんてさせられない」

「姐御、それは重々承知の上だ」

 ウミガメさんは憂い顔で「それでも誰かがやらねば」と拳を握った。

「始まりは呪い師がパン屋の店長に振られたことだった。彼も自棄になっていたんだと今なら思う。カニの暴走を目の当たりにして青ざめていた彼が極悪人とは思えない」

 そしてわたしに頭を下げた。これ以上犠牲が増えないなら。わたしはウミガメさんの手を握る。

「わたしに出来ることならやるよ」

 そう決意して呪い師のアジトに三人で向かった。

 戸建ての一軒家。その玄関に茶髪のチャラチャラした男の子が立っている。

「あ、カメにい。ニンゲンを連れてるの?」

「ああ、あの方に会わせたくてな」

 ゴールドのチェーンを遊ばせて男の子はまん丸な目を細める。

「ふーん。俺は別にいいけどね。おじきとバラねえは納得しないんじゃない?」

「やむ無しだ」

 首を傾けた男の子は不意にわたしの手さげ袋を見つめる。

「……チョココロネくれたら通っていいよ。あるでしょ」

「これでいいの?」

「まいどあり~」

 おずおずと差し出したチョココロネを美味しそうに頬張った男の子はドアを開けてくれた。

 リビングに入るとそこには布団を被りながらこっちを見て震えている男の人がいた。ひどくやつれていて涙の跡が見える。

「来るな来るな来るな! 人間なんてみんな醜いんだ嫌いだ! みんな消えちゃえばいいんだ!」

「被害者ぶっているんじゃないよこのバカタレ!」

 お姉ちゃんが啖呵を切っている横で必死に考えた。とても悲しいことを叫んでいるこの人に何をしてあげられるんだろう。分からない、でも、なにかしてあげたかった。顔色が悪い。髪とか顔の汚れがそのままってことは、全然ここから動いていないんだ。

 人はお腹がすくと嫌なことを考えるものだって、わたしは思う。だから、残っているフレンチトーストをそっと差し出す。

「とりあえず、ご飯を食べて元気になってから考えよう?」

 夕飯用に取っておいた大好物。ペットボトルの紅茶と一緒に男の人に渡す。

 泣きながら受け取るこの人も、本気で人を憎んでいるわけじゃない。引っ込みがつかなかっただけ。

 パリン、とガラスの砕ける音がしてそっちを向くと、あの気持ち悪いおじさんとお色気がすごいお姉さんが乱入してくる。

「はっはー、早くちゅっちゅしようねー」

「全部纏めて片付けましょう」

 ウミガメさんが飛びかかるもお姉さんが背負っているリュックから植物の蔓が伸びて逆さ吊りになる。千代子お姉ちゃんも、わたしも捕まった。

 もう駄目だ、と思った瞬間だった。

「うう……なんて美味しいんだ……」

 男の人の言葉とともにウミガメさんも、気持ち悪いおじさんもお姉さんもいなくなった。



 後日、おかしくなった人達も元気になってこの事件の真相は原因不明のままになった。

 でも、それでいいんだ。日常に戻れて良かった。

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