【オレンジ・クリスマス】

天野小麦

第1話

―――12月24日午後11時20分


 東京に5年ぶりの雪が降った。


それは、溜め込んでいたものを全て吐き出すかのように、3日3晩 休むことなく続いた。



 街がすっかり寝静まった頃、私は白い息を吐きながら靴を鳴らしていた。


運行再開までの約5時間、私はこの地に留まらなければならない。


 20分ほど彷徨さまよい歩くと、大通りを抜けた細道にオレンジ色の灯りが見えた。


小さな喫茶店の前に立った私は肩の雪を払い、ドアのベルを鳴らした。



「お好きな席へどうぞ」


 厨房で皿を拭いていた男は手を止めてそう言った後、また視線を落とした。


 私は、奥の窓側の席に座った。



 届いた珈琲を一口飲んでひと息つくと、暖かさがじんわりと身体中を巡った。


私は足の感覚が無くなるほど夢中で外を歩き回っていたのだと、ようやく自分でも理解した。


「こんな時間に空いてるなんて…助かりました」


「お客さんみたいな人がいるかと思いましてね。今日はずっと開けておいたんです」


 男は微笑んで答えた。


「ところで、お客さんは何故こんな夜中に?」


・・・


「なるほど、スキー旅行の帰りで…」


 男は頷きながら近くのテーブルから椅子を引き、それに腰掛けた。


「他の3人は大丈夫だったんですけど、私だけ戻れなくて」


「…始発の時刻は聞きましたか?」


「恐らく朝6時くらいになると」


「じゃあ、それまでここでゆっくりしていって下さい」


「え?良いんですか、お店」


「好きでやってるだけですから。いつ始めていつ閉めようが、誰にも文句は言われませんよ」


 男はそう言って笑った。


 窓の外には、灰色の雨が降っていた。


・・・


「コーヒー、おかわりしますか」


「あ、お願いします」


 男は立ち上がると、テーブルの上のカップをお盆に乗せた。


「…私の淹れたコーヒー、どうですか」


「え?まあ、なんと言うか…」


「遠慮なく言って下さい。今後の参考にいたしますので」


「…なんだか懐かしい感じがしました。専門店とか高級なのとか、またそういうのとは別に、ほっとするような味で」


「お父さんが入れてくれたコーヒーのような?」


「そうです そうです!よく朝食に出してくれて…」


「それは良かった」


 男はまたにこりと笑うと、店の奥へ姿を消した。



「お客さん、朝ですよ」


 私はその声で頭を上げ、目を擦りながら辺りを見回した。


「雪、どうなってますか?」


「先ほど運行再開のアナウンスがありましたから、大丈夫だと思いますよ」


 男は私の背中に掛かっていた毛布を畳みながら言った。


「いろいろとすみませんでした。」


「いえいえ、少しの間でしたが、お話しできて楽しかったですよ」


「…また、来ても良いですか。コーヒー凄い美味しかったので」


「ええ、勿論。お待ちしております」


「今度は、ちゃんとした時間に来ますね」


「いつも開けておきますよ」


 男は優しい笑みを浮かべた。


・・・


「お代は結構ですから」


 男は私の肩に手を置き、ドアを開けた。


一面真っ白な世界に、駅へ向かう細い道だけが続いていた。


「どうかしましたか?」


「いや、最期に彼氏でも作っとけばなあって思って…」


「そうですか。私も、そんな風に思ったことがありますよ。やり残したこととか、未練みたいなものをね」


「それで、どうしたんですか?」


「考え方を変えたんですよ。逆に今じゃなきゃここへ来れなかった、とね。私は別に、超善人というわけじゃありませんから」



 街がようやく目を覚ました頃、私は白い息を吐きながら靴を鳴らしていた。


寒さで凍らないように、手をポケットに突っ込んで。



―――12月25日午前6時30分


 私を乗せた列車が走り出した。


片道しかない、白い列車が。

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【オレンジ・クリスマス】 天野小麦 @amanokomugi

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