【オレンジ・クリスマス】
天野小麦
第1話
―――12月24日午後11時20分
東京に5年ぶりの雪が降った。
それは、溜め込んでいたものを全て吐き出すかのように、3日3晩 休むことなく続いた。
街がすっかり寝静まった頃、私は白い息を吐きながら靴を鳴らしていた。
運行再開までの約5時間、私はこの地に留まらなければならない。
20分ほど
小さな喫茶店の前に立った私は肩の雪を払い、ドアのベルを鳴らした。
◇
「お好きな席へどうぞ」
厨房で皿を拭いていた男は手を止めてそう言った後、また視線を落とした。
私は、奥の窓側の席に座った。
届いた珈琲を一口飲んでひと息つくと、暖かさがじんわりと身体中を巡った。
私は足の感覚が無くなるほど夢中で外を歩き回っていたのだと、ようやく自分でも理解した。
「こんな時間に空いてるなんて…助かりました」
「お客さんみたいな人がいるかと思いましてね。今日はずっと開けておいたんです」
男は微笑んで答えた。
「ところで、お客さんは何故こんな夜中に?」
・・・
「なるほど、スキー旅行の帰りで…」
男は頷きながら近くのテーブルから椅子を引き、それに腰掛けた。
「他の3人は大丈夫だったんですけど、私だけ戻れなくて」
「…始発の時刻は聞きましたか?」
「恐らく朝6時くらいになると」
「じゃあ、それまでここでゆっくりしていって下さい」
「え?良いんですか、お店」
「好きでやってるだけですから。いつ始めていつ閉めようが、誰にも文句は言われませんよ」
男はそう言って笑った。
窓の外には、灰色の雨が降っていた。
・・・
「コーヒー、おかわりしますか」
「あ、お願いします」
男は立ち上がると、テーブルの上のカップをお盆に乗せた。
「…私の淹れたコーヒー、どうですか」
「え?まあ、なんと言うか…」
「遠慮なく言って下さい。今後の参考にいたしますので」
「…なんだか懐かしい感じがしました。専門店とか高級なのとか、またそういうのとは別に、ほっとするような味で」
「お父さんが入れてくれたコーヒーのような?」
「そうです そうです!よく朝食に出してくれて…」
「それは良かった」
男はまたにこりと笑うと、店の奥へ姿を消した。
◇
「お客さん、朝ですよ」
私はその声で頭を上げ、目を擦りながら辺りを見回した。
「雪、どうなってますか?」
「先ほど運行再開のアナウンスがありましたから、大丈夫だと思いますよ」
男は私の背中に掛かっていた毛布を畳みながら言った。
「いろいろとすみませんでした。」
「いえいえ、少しの間でしたが、お話しできて楽しかったですよ」
「…また、来ても良いですか。コーヒー凄い美味しかったので」
「ええ、勿論。お待ちしております」
「今度は、ちゃんとした時間に来ますね」
「いつも開けておきますよ」
男は優しい笑みを浮かべた。
・・・
「お代は結構ですから」
男は私の肩に手を置き、ドアを開けた。
一面真っ白な世界に、駅へ向かう細い道だけが続いていた。
「どうかしましたか?」
「いや、最期に彼氏でも作っとけばなあって思って…」
「そうですか。私も、そんな風に思ったことがありますよ。やり残したこととか、未練みたいなものをね」
「それで、どうしたんですか?」
「考え方を変えたんですよ。逆に今じゃなきゃここへ来れなかった、とね。私は別に、超善人というわけじゃありませんから」
◇
街がようやく目を覚ました頃、私は白い息を吐きながら靴を鳴らしていた。
寒さで凍らないように、手をポケットに突っ込んで。
―――12月25日午前6時30分
私を乗せた列車が走り出した。
片道しかない、白い列車が。
【オレンジ・クリスマス】 天野小麦 @amanokomugi
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