公爵令嬢の矜持

 王立ヨルド学園は、十四から十八歳までの貴族たちが集う四年制の学舎である。「身分の別なく学ぶこと」とは第一の規律であるが、あくまで表向きだと誰もが理解していた。

 

 最終学年である第四学年の一学期末。

 白い大理石が敷かれたホールでは、各科目ごと成績上位二十名の一覧が張り出されていた。


 公爵令嬢のユーフェミアは、静かにその表へと歩いていった。一歩足を進めるたび、空間が割れるように他の生徒たちの人波がさっと引いていく。

 

 頭の頂点から指先まで糸が通っているかのような歩き方は、まさに淑女の手本。他の貴族たちとは明らかに一線を画していた。

  

 ユーフェミアの艶やかな黒髪は波打ち、中央で分けられた長い前髪の間からはまばゆいいばかりの白い額が覗いている。

 

 長い睫毛に縁取られた釣り上がったアメジストの瞳は冷たく輝き、右目のすぐ下にある黒子と相まって見る者に強気な印象を与えた。

 

 全ての必修科目の一番上には、いつも通り『ユーフェミア・オーツ』の名前が記されてる。

 当の彼女は、喜怒哀楽の感情などひと匙も表さない。当然のことを確認しただけというように踵を返すのだった。

 ユーフェミアは第一学年である十四の頃から一度たりとも、学年首位の座を譲ったことがない。


 この学園では必修科目に加えて各自が魔法演習を一つずつ選択しなければならない。

 なぜ魔法演習が一つかというと、一般的に適性のある魔法が一人一種類だからである。ユーフェミアは闇魔法と炎魔法どちらにも適性があったが、表向きには炎魔法の使い手ということにしていた。

 

 六種の魔法の中で、光魔法や闇魔法の適性を持つ者は大陸全土を見ても極端に少ない。

 

 光魔法は後方支援や回復・治療に長けている。過去に国内で病が流行した際は、その使い手が聖女と崇められたという。

 

 一方の闇魔法は人を害したり”呪障じゅしょう”と呼ばれる呪いを扱うものである。過去に病を流行させた者が使い手であり、ラグナル国では酷く忌み嫌われている。


 第四学年で、光魔法の適性を持つものはたった一人。


(光魔法、ね)


 毎回一人しか名前が載らない光魔法の成績表の前、ちらりと視線を向けた先では、二人の男女が談笑していた。


 女の方は男爵家のアウロラ・ブラナー、稀少な光魔法の使い手である。元は庶子であり、幼少期に男爵家に引き取られたというのは有名な話だ。

 二つ結びのストロベリーの髪は揺れ、側頭部は三つ編みがカチューシャのように編み込まれている。常に潤んでいる同色の瞳は、小柄な姿と相まって男の庇護欲を唆る、らしい。


 その横でオリーブの髪を撫で付け、同色の目をだらしなく垂らしている彼は、立太子式を終え王太子となった婚約者、アーサー・ラグナルだ。


 ちらりと一瞥だけしてホールを抜けたユーフェミアは、規則正しい靴音を響かせながら古い廊下を進む。

 

 彼女は前方には誰も居ないことを確認し、角を曲がった先で壁に身体をもたれ掛けさせた。長い指が、白い額に当てられる。


 ユーフェミアの身体に巣食う、全身を突き刺す激しい痛み。四年前のあの日以来、それが止むことは一瞬たりとも無かった。


(今日は……特に酷いわね)

 

 痛みを堪えるために強張ってしまう眼のせいで、アーサーには「目つきが悪い」と吐き捨てられたこともある。更にアウロラを持て囃す男たちからは「悪役令嬢」などと揶揄やゆされているのも知っていた。


「あの、すみません」

 

 少し遠くから聞こえた声に振り向くと、銀色の瞳をした見知らぬ男子生徒が歩いてきていた。

 

 ふわりと自然に整えられた金髪は、光の当たり方によっては薄いピンクにも見える。


「第二図書室の場所をお聞きしてもよろしいですか?」

「……着いてきて」


 迷子か。

 彼は聞いてもいないのに「留学生で、まだ教室もよく分からないんです」などとペラペラ喋りかけてくる。


 確かに色素薄い髪色や銀の瞳は、この国では見ない色だ。ユーフェミアは黙っていたが、彼の訛りのないラグナル語には内心驚いていた。


 第二図書室は反対方向だ。

 道案内の間も痛みは増すばかりである。本当は一刻も早く自室で休みたいところだったが、第四学年の上位者は生徒の監督も任せられている。放っておくわけにはいかない。


「閉まっているみたいね」

 

 第二図書室に辿り着くと、鍵が掛かっていた。期末直後で誰も来ないため、図書委員が早めに戸締りをしたのかもしれない。


「道案内、ありがとうございました。貴女はユーフェミア・オーツ嬢ですよね?」

「そうだけど……貴方は?」


 仮にも王太子の婚約者である。名前が知られていてもおかしくは無いが、彼の胡散臭い笑顔が引っかかった。

 

「申し遅れました、僕はグレイ帝国の伯爵家次男、クロード・ミル」


 グレイ帝国といえば、ラグナル王国とは比べ物にならない大国である。少し前まで、若き皇太子主導の侵略が繰り返されていたはずだ。

 

 しかし、それよりも。


(クロード・ミル?)


 その名前をどこかで聞いたことが……いや、見たことがある気がする。記憶を引っ張り出そうとするが、悪化し続ける頭痛がそれを邪魔した。


「ユーフェミア嬢」


 一度区切り、彼は首を傾げる。


「その……本当は痛くて堪らないのに、どうしてずっと我慢してるんですか?」


「……何のことかしら」


 心臓がバクバクと嫌な音を立て始める。


「隠さなくていい、呪障じゅしょうを受けているのでしょう? 見たところ、かなり長く。よくまぁ顔にも出さず、首位を取り続けているものですね」


 その声色は、疑惑ではなく確信だった。


(何故、それを)

 

 クロード・ミル。

 雷が脳天を貫くような痛みで、ようやく彼の名前を見た場所を思い出す。

 先ほどの成績上位者表、全ての必修科目でユーフェミアの一つ下に載っていた名前だ。同学年だったのか。


 突然ユーフェミアの指先が掴まれる。反射的に振り払おうとしたが、彼は力を込めて離さなかった。


「ちょっと!」

「ほら」


 非難の声を上げたユーフェミアは、身体の明らかな変化に気づく。

 常に感じていた気が狂いそうな痛みが、和らいだのだ。二人の身体が柔らかな白い光に包まれる。


「光魔法……?」


 しかし、光魔法の成績表にはアウロラの名前しかなかったはずだ。ということは、彼は試験を他の魔法で受けたということになる。

 なるほど、この留学生は随分と優秀らしい。

 重宝される光魔法の使い手だと伏せているのは、彼を派遣した帝国の方針だろうか。

 

「楽になったでしょう?」

 

 息がしやすいだなんて、いつぶりだろう。


「こんなもの、決して四年も生き永らえられる代物じゃありません」


 その言葉だけで、クロードに全てを看破されてしまったのだと察した。


治療ヒールをかけて分かりました。貴女の身体はボロボロだけれど、命が削られている訳ではなかった。つまり」


 これほど聡明な彼が、闇魔法の特質を知らないはずがない。


「貴女は闇魔法に適性がある。だから死だけは免れた、そうですね?」


 ふぅ、と息をつく。

 死んだ方がましだと思ったことは何度もあった。それでも自死を選ばなかったのは、公爵家に生まれた誇りと、将来国母となる責任ゆえのことだった。


 ユーフェミアはキュッと眉を寄せると、今度こそ彼の手を振り払う。


「勝手に触らないで。私は婚約者のいる身、こんなところを誰かに見られでもしたら」


 間違いなく醜聞となる。

 婚約者である王太子は男爵令嬢にお熱だそうだが、同じことをすれば批判の的になるのはユーフェミアだけだ。

 それに、ただでさえ闇魔法を使えることを伏せて婚約しているのだ。これ以上、きずを増やすわけにはいかない。

 

 しかしクロードは真剣な眼差しを向けてくる。

 

「それでも、苦しむ人々を救うのは光魔法使いの責任です」


(傲慢ね)


 彼は心の底からそう思っているのだろう。


「聞いたことがある。ラグナルの王太子がかつて呪障に侵され、光魔法使いの令嬢がそれを祓ったと。しかし本当は、貴女が闇魔法で呪障の対象を移しただけだったのですね? どうして伝えないのです」

「言っている意味が分からないわ」


 そう、彼の言う通り王太子の命を救ったのは自分だ。

 真実を明かせば、アーサーもこちらを見てくれるかもしれない。そう思ったこともまた一度や二度ではない。

 しかし、苦痛に耐えかねて口を開こうとするたびに、公爵令嬢としての自分が囁くのだ。


(この国で最も高貴な令嬢は、恩を盾にしなければ愛を貰えないの?)


 そんな惨めな思いをするのは、炎で焼かれるよりも嫌だった。だからユーフェミアは決意が揺らぐたび、歯を食いしばる。


 もし呪障に苛まれていることを話せば、光魔法の治療を受け、この苦しみからも解放されるだろう。しかし、それはユーフェミアが闇魔法の適性者だと露見することと同義だ。

 

 いくら王太子を救ったとはいえ、忌み嫌われる闇魔法の使い手が王配になることなど世論が許さない。間違いなく婚約は解消され、結果公爵家の名を汚すこととなる。

 

 だからユーフェミアは、呪障に侵されているとも、闇魔法の使い手だとも口を割るわけにはいかない。


「誤魔化さないで。貴女が助けを求めるなら、僕はその準備がある」

「助け?」


 彼の銀の瞳が映すのは、同情だ。


(最も耐え難いのは、同情それよ)


「そんなの、私の矜持きょうじが許さない」


 呟けば、クロードが目を見張ったのが分かった。


「貴女は……!」

「私は公爵家のユーフェミア・オーツ。王太子の婚約者で、の使い手よ」


 彼女は完璧なカーテシーを披露し、何か言いたげなクロードに背を向けたのだった。

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2024年12月19日 16:11
2024年12月20日 14:11

悪役令嬢ユーフェミアの献身 汐屋キトリ @GA2439208

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