第18話 不測の事態

 大きく弓形を描く寥廓たる王宮の直線廊下。

 眩しいほど堂々たる純白を放つ天井と壁には、気が遠くなるほどに微細な彫刻が施されている。時間と金、そのどちらもが惜しげもなく注ぎ込まれたのだとひと目見てわかる豪華絢爛さこそが、まさに権力の象徴と言えた。


 敷き詰められた最上級の石床材を優美に鳴らしつつ歩くフィルフィリア・デンバルの後ろに付き従いながら、宮廷魔法騎士団副騎士団長ドニトクス・ハイボックは、いまだ納得しきれない心情ゆえに我知らず思沈していた。


「どうしました、ドニトクス」


 気がつくとフィルフィリアが足を止めて振り返っている。最も優先すべきは第一王女である彼女の警護だというのに、注意を疎かにするとは何事だろうか。ドニトクスは自らの怠惰を恥じて視線を逸らした。


「あ、いえ……申し訳ありません、フィルフィリア様。少し考えごとをしてしまっておりました」


 なにについて考えていたのか、それをフィルフィリアに対して述べることは憚られた。先ほどの王宮前広場での演説を見た直後とあってはなおのこと。


 しかし視線を戻すと、眼前に立つ第一王女の灰色の双眸は、まるで心を見透かすかのように真っ直ぐドニトクスを見つめている。


「セイベルトのことですか」


 やはりこの御方は聡明だ。自分ごときでは隠し事ひとつできない。ドニトクスはそう思った。


「……はい」


 小さく頷き、ドニトクスは躊躇いつつもフィルフィリアに問うた。


「フィルフィリア様は、やはりセイベルト騎士団長が連続拉致事件の犯人だと確信しておられるのですか」


 それこそがドニトクスの胃の辺りにいまだぐずぐずと滞留し続ける疑念だった。ただ、消化しきれていないのがおよそ自分だけというのも、ドニトクスは理解していた。


「非常に残念極まりないことではありますが、そうだろうと考えてはおります」


 だからこそ、フィルフィリアの返答にも落胆はない。


「保護された被害者たちの証言がなによりの証拠だと思います。彼女たちの証言には齟齬や矛盾もなくきちんとした一貫性があり、さらに記憶操作や記憶改竄の魔法などが使用された痕跡もありませんでした。したがって真実を語っていると信じるに足るものだと言えるでしょう」


「しかし、監禁場所からの脱走の経緯についてはやや判然としないところもあります。誰かもわからない少女たちに助け出されたという証言は、はたして信じるに足るのものでしょうか」


「確かにその点については曖昧模糊とした部分もありますが、長期間に及ぶ監禁により救出当時はひどく衰弱していたと考えれば、不自然とは言えないと思います。拉致された時点での記憶の不確かさを証明することにはなりません」


「では一体誰が、なんのために、わざわざ正体を隠して拉致被害者たちを救出したのでしょうか。さらに仮にセイベルト騎士団長が連続誘拐犯だったとして、その救出者の少女たちは焔激の魔導書の所有者である彼と対峙して――実際に焔激の魔導行使の痕跡があることから交戦したと思われますが――打ち勝ったことになりますが、はたしてそんな人間が存在するのでしょうか。存在したとして、それほどの力を有していながら正体を現わさない者たちの方が却って怪しくはないでしょうか」


「そこについてはわたくしも疑問に思っておりますし、被害者を救出したという少女たちに対しては感謝の念以上にある種の警戒を抱いてもおります。ですから、いずれにせよあの日の夜の真相を明らかにするためにも、まずはセイベルトの行方を追うことが重要ではないでしょうか。ここでわたくしたちがいくら議論を交わしても、あくまで憶測の域を出ませんからね」


「……そうですね」


 落胆はないし、フィルフィリアの主張には筋が通っていると頭ではわかる。

 けれど、それでもドニトクスはやはりセイベルトの潔白を信じたかった。


 若き副騎士団長ドニトクスにとって、自らも秀才とは謳われながらも、しかし真の天才たる騎士団長セイベルト・ロンドランスは別格の存在であり、畏敬の対象だった。厳しくも優しく正義感に溢れた最強の魔法騎士を、ドニトクスは心の底から信奉していた。


 あんなに素晴らしい人格者だった彼が、王都のうら若き女性たちに下衆で非道な行いをすることなどあるはずがない。彼が凶悪な犯罪者だったなどあり得ない。

 すべてなにかの間違いだ。


 ぐっと拳を握り締めながら、ドニトクスは考える。


 本当に女性たちを拉致したのはセイベルト騎士団長だったのか? そして救出したのは正体不明の少女たちだったのか?

 保護された時点の被害者たちはフィルフィリア様の言ったとおり皆が心神耗弱状態だった。なにかの間違いで、認識が逆になっていたりはしないのか?


 つまり、連続誘拐と監禁を行った者たちこそが謎の少女たちであり、その事実を知ったセイベルト騎士団長は遺跡に乗り込んで被害者の救出を敢行したのだ。その際、なんとか被害者の救出には成功したものの、犯人集団との戦闘になったセイベルト騎士団長は、焔激の魔導を用いて戦いつつもなんらかの卑劣な罠に陥れられて敗北した……。


 そっちの方がまだ理解できる。いや、むしろこれが真実でなければ理解できない。

 きっとそうに違いない。

 セイベルト騎士団長は正義のために悪と戦い、ついには外道じみた策略に嵌まって殺されてしまったんだ……。


 根拠のない推測がいつしか盲信へと変わりつつあったそのとき、深く沈みかけていたドニトクスの思考を勢いよく引き揚げるように叫ぶ声が響いた。


「ド、ドニトクス副騎士団長! ドニトクス副騎士団長おおおっ!」


 慌てふためくあまりみっともない走り方で駆け寄ってくる青年の騎士団員。そのおかげというべきか、ドニトクスの思考からはすっと淀みが晴れた。


「フィルフィリア様の前だぞ、やたら騒いであまり醜態を晒すな」


「も、申し訳ありません……っ!」


 ドニトクスとフィルフィリアの眼前にたどり着いた騎士団員は、咄嗟に謝罪しながらも膝に手をついて荒々しく肩で息をする。どうやら相当急いでやってきたようだった。


「それで、一体なにがあった」


 ドニトクスが問うと、騎士団員は呼吸を捨て置いてがばりと上半身を起こした。


「そ、その、バルフ・ヘルケリウス様が乗っておられた王都行きの鉄道列車が、何者かの襲撃に遭ったという情報が!」


「なに?」


 ドニトクスはわずかに目つきを尖らせた。


「貴族狙いの盗賊の仕業か? しかしそのようなちんけな輩など、雷魔の異名を持つ偉大な魔法師であるバルフ様の相手にもならんだろう」


 雷魔バルフ・ヘルケリウスは、長らく境界都市ボルダインにて国境守衛魔法隊指揮隊長を務めた名高き魔法師であり、さらには国王陛下からあの魔導七典――《雷遊の魔導書》を下賜された魔導の担い手。並の魔法師が束でかかっても敵う相手ではない。それが掃き溜め同然の盗賊風情であればなおさらである。


 呆れてため息をこぼしそうになるドニトクスだったが、しかし目の前の騎士団員はどことなく躊躇いがちに言葉を返した。


「そ、それがそのバルフ様と連絡がつかない状況になっておりまして……! 何度試みても通信魔法に応答がないのです……!」


「なんだと……っ⁉」


 瞠目。ようやくドニトクスは異常事態であることを認識した。そしてそれは、隣で報告に耳を傾けていたフィルフィリアとて同じらしかった。


「それはおかしいですね……。問題なく襲撃者を撃退したのであれば、通信魔法には応答できるはずです」


 至極もっともであり異論を挟む余地もない。

 バルフが通信魔法に応答がないということは、すなわち応答できる状況ではないか、あるいは応答できる状態ではないということ。


 ……やられたのか。あの雷魔バルフ・ヘルケリウスが。《雷遊の魔導書》の所有者たるバルフ・ヘルケリウスが?


 そんなこと、あり得るはずがない。……いや。


「まさか」


 ほんのついさっきまで考えていたことが再び思い返される。


 たったの数日前、激しい戦闘の痕跡を残して消息を絶った魔導七典所有者がいる。

 もし本当にセイベルト騎士団長が戦闘の末、純粋に力で敗れ、殺されていたとして。

 それを為したと思しき正体不明の集団。奴らであれば、七魔導の使い手すらも屠る強さを具えているということになる。


 ……伝説の七魔導すらも凌ぐ強さを誇る得体の知れない集団が、今度はバルフ・ヘルケリウスを襲撃したというのだろうか。

 しかし何故だ。力を持っていたとしても、なんのためにわざわざ強力な魔法師を狙う。


 ……いや、逆だ。

 強力な魔法師だからこそ、《焔激の魔導書》の所有者だからこそ、《雷遊の魔導書》の所有者だからこそ、奴らはあえて標的としたのだ。


 つまり奴らの狙いは――魔導七典!


「襲撃があった地点は特定できているのか⁉」


 唐突に怒鳴ったドニトクスを前に身を強張らせる騎士団員。


「は、はい! 匿名の通報があっておりまして……」


「匿名?」引っかかりを覚えつつも、焦る気持ちが疑念を押し流した。「まあいい、ならば早急に動ける者を四、五人呼べ! いますぐ現場に向かうぞ!」


「しょ、承知いたしました!」


 弾かれるようにして駆け出していく騎士団員。


 と、そんな彼と入れ替わるようにして、その場に姿を現わした新たな人物があった。

 快晴の冬空の下で煌めく新雪のように美しい銀髪を携えた見目麗しい灰眼の青年。フィルフィリア王女と同じ特徴が如実にその容貌に表われている。


「ルースお兄様」呟くように名を呼ぶフィルフィリア。


 第一王子ルースフィリア・デンバルは、緊急事態にあってなお余裕をたたえて妹たるフィルフィリアに微笑みかけた。


「フィル。その様子だと状況は把握しているようだね。国王陛下がお呼びだ。王都駐在の有力貴族も招集して緊急の会合が開かれる」


「承知いたしました」


 フィルフィリアが頷くと、ルースフィリアの視線はドニトクスへと流れた。


「本来であれば宮廷魔法騎士団の現代表者である君にも出席が求められるところだけどねドニトクス。部下数名を現場へ派遣するだけじゃ駄目かい?」


 本来であれば王子に対して反論などもってのほかだ。しかし、ドニトクスはわずかの逡巡もなく頭を下げた。


「どうか私も向かわせていただきたく……! バルフ様の安否、及びその他の乗客たちの安否含めて被害状況をこの目で直に確かめ、また対応にあたるのが宮廷魔法騎士団の代表者としての責務かと存じますので……!」


 それは本心でもあり、同時に少なからず体のいい理由づけでもあったが、ルースフィリアは欲していた言葉を得たかのように微笑をたたえた。


「君ならそう言うだろうと思ったよ。わかった。僕がフィルフィリアのもとに向かったときには既に君は部下を連れて王宮を飛び出した後だった。陛下にはそう伝えておこう」


「ありがとうございます……!」


「あのバルフが本当に襲撃者に討たれたとすれば相手は前代未聞の脅威だ。くれぐれも無理はしないでくれ」


「はい、しかと心得ました……!」さらに深々と頭を下げるドニトクス。


「それじゃフィル、行こう」


「はい、ルースお兄様。ドニトクス、どうか気をつけてくださいね」


 そうして会合の場へと向かっていったルースフィリアとフィルフィリアの背中を見送ったのちに身を翻して駆け出したドニトクスの表情は、誰もが思わず息を呑むほどの気迫に染まっていた――。

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俺の黒歴史ノート、異世界で伝説の魔導書扱いされてる。 夜方宵 @yakatayoi

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