ラストダンス
沢田こあき
ラストダンス
彼女の回る姿は美しかった。
すらりとした胴体、床へ伸びる左足を軸にして、右足が作る三角形が宙を舞う。
わたしは彼女のことをよく知らなかった。名前も声も、何が好きなのか、どこに住んでいるのか、何も知らなかった。わたしにとっての彼女は銀細工の入れ物だった。あまりの静謐さに蓋を開けるのもはばかられ、けれど見えない中身まで愛おしく。
彼女が踊るのを見ていると、体の奥から得体の知れない感情が湧き出てくるのだった。それは恐ろしいほど澄んでいて、どこか信仰にも似ていた。
わたしは劇場のネジを巻く仕事をしている。一時間に一回、毎日、かかすことなく。
誰でもできるような簡単な作業だけれど、わたしはこの仕事が好きだ。ジジッと音が鳴ると、劇場が動き出すのがわかる。ライトがつき、幕が開き、音楽が流れ出す。ネジを巻いている間は、わたしがこの劇場にとってなくてはならない存在なのだと、そんな不確かな幻想に浸っていられた。
手のひらサイズの劇場のネジは舞台真上の天井についているため、仕事をしている間は、床面から六階分の高さの位置に組まれた足場の隙間から、公演を眺めていることができた。
開演ブザーが鳴り響くと、またたく間に劇場に魔法がかかる。オーケストラ、指揮者、俳優に歌手にピアニスト。たくさんの素晴らしい魔法使いが現れた。その中で、わたしに一番強烈な魔法をかけたのが彼女だった。
彼女はある日、『白鳥の湖』のオデットとして舞台に登場した。
瞬間、頭の中で光が弾けた。軽やかに、羽が飛ぶように。わたしの視界は彼女の白い手足に吸い込まれ、揺れるチュチュにまつ毛がなびいた。永遠に眺めていたかった。まばたきさえも鬱陶しかった。気がつけば舞台に見入っていて、危うくネジ巻きの仕事を忘れてしまうところだった。
それからわたしは、劇場のロビーに貼ってあるポスターで、彼女の所属するバレエ団の公演日時をチェックするようになった。新しく設立したばかりらしく、聞き慣れない団名を掲げるポスターの配役一覧から、彼女の名前と顔写真を見つけた。
「マミ」。何度も、口の中で繰り返した。実際に呼びかけてみたら、どんなふうに響くのだろう。
毎月第三月曜日は劇場の休館日だ。ネジを巻く仕事も休みになるこの日は、歯車を集めるために廃棄場に向かうことにしている。
劇場のネジを巻く仕事はやりがいがあるけれど、長いこと続けていると胸に大きな穴を作った。その穴を埋めてくれるのが、歯車のコレクションだった。様々な種類の歯車がどんどん溜まっていくたび、わたしの胸に空いた穴は、何か重みのあるもので満たされていった。
といっても、廃棄場から歯車を取るのは違法であるし、勝手に中に入るのも禁じられていた。カラダを運ぶとき近くの路上に落ちた歯車を見つけることもあるが、それも稀であった。
歯車が手に入る確率の高い方法は、"カラッポ"たちのカラダを探すことだ。廃棄場の周りには、中に忍び込んで警備員に見つかり、頭を壊された"カラッポ"たちが放置されていることがある。そういった"カラッポ"たちのカラダには、彼らが廃棄場から盗み出した歯車が入っていたりするのだ。
薄暗い路地を歩いていると、歪んだ街灯の下に、一体の"カラッポ"が転がっているのを見つけた。陶器の顔は半分欠け、すでに息はない。周りを見回し、誰もいないことを確かめる。見られたところで後ろめたいことでもないけれど、道徳がどうのとうるさい人たちが時々いるからだ。
カラダをひっくり返して背中を開けると、期待していたとおり、歯車がいくつか入っていた。平歯車が二つと、やまば歯車が一つ。運のいいことに、コレクションにはないメーカーのものだ。ポケットに滑り込ませ、ほくほくとした気持ちで立ち上がる。
と、路地の先、別の"カラッポ"の前で、見覚えのある人影が佇んでいるのが目に入った。上から見た時とは雰囲気が違うけれど、身を屈めるときの腰の落とし方が、舞台を終える時のマミのお辞儀とどことなく似ているようだった。
ロングコートの裾が、路地に吹く風に揺れている。冷たい、冬の匂いがする。
「あの」振り向いた彼女の顔は、ポスターに載っていたマミの顔写真と同じだった。頭の上できつくまとめた髪はカラスの濡れ羽色をしていて、瞳は深い焦げ茶色。右目の下に涙ぼくろがある。
思わず声をかけてしまったけれど、後が続かなかった。言葉が空中に浮かんでいないものか、視線をさまよわせていると、マミは微笑んで言った。
「今朝は空のネジがよく見えるわね」
思いがけないセリフに、えっ、と首を傾げる。マミは空を指さした。重なり合う建物の間から、青空の真ん中に差し込まれたネジが覗いている。それは他の多くのネジと違って、つまみの部分が潰れてしまっており、止まったまま動かない。
「あたし、あのネジを巻いてみたいと常々思っているの。高いところに上ったら手が届きそう」
「ああ。ええ、そうね」
「ところで、あたしに何か用事?」
戸惑いながら首を横に振ると、マミは気を悪くするでもなく頷いて、わたしがやって来た方に歩き出した。顔が熱くなる。この機会を逃したら、二度と、会えないかもしれない。
「……あの!」やっとのことで、声が出た。「あなたのこと、いつも応援しているわ」
マミは振り向いて言った。「ありがとう」
彼女が去った後、ふと疑問が湧いた。"カラッポ"の前でマミは何をしていたのだろう。しかしそんな些細なシミは、すぐ喜びの波に呑まれ、小さな泡となってしまった。
再び彼女と出会ったのは、ひどく鋭い風の吹く日だった。紙吹雪のように細かな雪が街を駆ける。
廃棄場に向かおうと、いつものように劇場の裏口から外に出た時だ。階段の下に女の"カラッポ"がうずくまっているのに気がついた。彼女は他の多くの"カラッポ"たちと同じように、暗い表情で下を向き、ぶつぶつと何事か呟いていた。
彼らを路上で見かけるのは珍しいことではなかったため、もし彼女が首をそらし、その顔が見えなかったら、わたしはさっさとその場を離れ、数分後には忘れてしまっていただろう。けれどそうはしなかった。彼女がマミであることがわかったからだ。
わたしは彼女のぼさぼさの髪を見た。淀んだ瞳と、ほとんど落ちてしまった唇のリップと、裾の破けたワンピースと、そして、膝から下が欠けてしまった歯車のない左足を見た。いくら待っても、その顔に一か月前の笑みが浮かぶことはなかった。
あの、と口の形を作ったが、また黙り込んでしまいそうだったため、別の言葉をかけることにした。「寒くないの?」
彼女は首を横に振り、風に紛れてしまいそうなほど静かに、「灯りが欲しい」と囁いた。
わたしはしばらく迷ったけれど、結局、彼女の肩を担いで中に引き返すことにした。片足の使えない彼女を支えながら階段を上り、ネジのある階まで連れて行く。その間、誰かに会うかもしれないと冷や汗をかいたが、休日のため誰ともすれ違うことはなかった。
「ここからあたしのことを見ていたのね」
ネジを巻くと、頭上の小さなランプがつくと同時に、劇場全体が明るくなる。マミは音響反射板を持ち上げるためのレールの間に座り込み、木製の足場のすき間から、舞台を見下ろして言った。ランプの灯りが、彼女の陶器の頬を橙に染めている。
わたしは答えず、彼女の足を無言で眺めた。
「あたしが"カラッポ"だってこと、バレエ団のメンバーに知られてしまったの。今まで隠していたんだけど。あなたも、軽蔑した?」
「そんなことないよ」
とわたしは言ったが、劇場の外にいたのが彼女でなければここには連れて来なかっただろうし、同じことを聞かれても、「そんなことないよ」などとは絶対に思わなかったに違いない。
この場所を訪れる者はわたしだけしかいなかったため、劇場の職員たちからマミを隠しておくのは簡単だった。彼女は特に何をするでもなく、ただ黙って、わたしの仕事を眺めていた。それ以外の時間は二人並んで舞台を観る。ただしバレエの公演の時だけ、彼女は舞台から目を逸らし、いかにも興味深そうにわたしを観察するふりをしていた。
わたしにはその仕草が、たまらなくかわいそうでたまらなく可愛いらしい小さな子どもに見えて、愛情を込めて彼女の背中を撫でさすり、何も心配することはないのだと言い聞かせた。
「あなたにもう一度、舞台で踊ってほしい」
最初わたしがそう頼んだとき、マミは困ったように顔をしかめた。
「でも、あたしは"カラッポ"だから、どのバレエ団も受け入れてくれないでしょ」
「それなら歯車を入れればいいじゃない」わたしは意を決して、誰にも見せたことのないアルミの箱を持ってきた。「――実は、たくさん持っているの」
中には今まで集めた歯車が入っている。大きいのも、小さいのも。錆びているのも、まだ油でてかっているのも。カラダ一つ詰めるには十分な数だ。
「これを全部あなたにあげる。わたしがあなたの空っぽを埋めてあげる。だから、また回ってよ」
マミは箱を前にして目を見開き、恐る恐るといった様子で一つ手に取った。ランプの灯りにかざすと、歯車のぎざぎざが鈍い光を放つ。
彼女はそれらをどうやって手に入れたのか聞かないでいてくれた。わたしは内心ほっとした。今まで歯車を集めることに何ら罪悪を感じたことはなかったのに、彼女の前に差し出すとき、自分でも知らなかった傷が微かにざわりと疼いたからだ。わたしは、その傷に、まだ目を背けていたかった。
「ねえ、どう?」
優しく尋ねると、彼女はわずかに唇の端を上げた。柔らかな光というよりも、陽だまりに混じる陰りのような笑みだった。その時のわたしはそれに気がつかず、けれど少しばかりの違和感が胸をかすめ、だからこそ彼女がより魅力的に見えた。
それから毎日少しずつ、彼女のカラダに歯車を組み入れた。そのたびに胸の穴が満たされていった。わたしの空っぽも埋まっていくようだった。
わたしはまた廃棄場まで出かけて行った。四角く柵で囲まれた中に、歯車が山と積まれている。柵の隣に立つ建物は安置所だ。親戚がここに運ばれたと聞いて、と安置所の職員に嘘をつくと、彼は気の毒そうな顔をしてあっさり中に通してくれた。
中にはずらりとカラダが寝かされている。急所の頭が割れてしまい、動けなくなった者たちだ。適当に一体選び、その見知らぬ誰かの背中からネジを抜き取った。支えを失ったカラダは表面がひび割れ、組まれていた歯車もバラバラに崩れてしまった。どうせ近いうちに廃棄場の山に加わるカラダだ。先にネジを抜いたところで、かまうことはないだろう。
帰りに通った路地で動かなくなった"カラッポ"を見つけた。裏口にいた、マミの姿が脳裏をよぎる。かわいそうなマミ。かわいそうな"カラッポ"。彼らは無力だから、すぐにこうして壊されてしまう。せめてマミだけは、わたしが守ってあげないと。
背中に手を伸ばし、自身のネジに触れた。"カラッポ" の左足を折る。パキッと、乾いた音がした。
劇場に戻ってくると、すでに客席は埋まっており、舞台の幕は開いていた。廃棄場まで出かけている間、マミにネジ巻きの仕事を頼んでいたのだ。
真下の舞台では、オーケストラが『グリーンスリーヴスによる幻想曲』を演奏している。物寂し気な音色がわたしたちのいる薄暗い空間に流れ込み、艶のなくなった彼女の黒い髪から滴り落ちた。
わたしの顔を覗き込みながら、マミは言った。
「あたしが踊れるようになったら、あなたが最初の観客になってね」
マミの背中にキリで穴を開けながら、わたしは「もちろん」と頷いた。彼女はふと首を傾げる。
「どうして、あたしに優しくしてくれるの?」
ヴァイオリンの旋律が足場を柔らかく震わせる。ランプの仄かな灯りが、まつ毛の上に重みを落とす。わたしはゆっくりとまばたきをして、大切に、言葉を紡いだ。
「あなたの回る姿が、とても綺麗だったから」
彼女は驚いた顔をして、それからくすりと笑った。花びらがぱっと散るように。
「回るのは好きよ。回っているとね、見える景色が次々と変わって、このまま前も後ろもなくしてしまえるんじゃないかと思えてくるの」
穴の中に軸を差し込み、持ち帰ってきたばかりのネジを嵌める。ゆっくり、慎重に回すと、ガコンと歯車が噛み合った音がした。
わたしには、彼女の言っている意味がわからなかった。けれど穏やかな口調で発せられた「回る」の響きは、わたしのカラダを縫っていき、歯車の隙間にだまを作った。それは透明で、丸みを帯び、触れたことのない温かさを放っていた。
待ちに待った次の第三月曜日。空になった劇場のネジを巻き、幕を上げる。三階まである観客席は暗闇に沈み、舞台の上だけぽっかりと夕焼け色に切り抜かれていた。いつも上からしか見ない光景を横から眺めるのは、なんだか不思議な気分だった。
「ありがとう。あなたのおかげでまた踊れるわ」
コートの前を合わせて最前列の椅子の前に立ち、舞台にいるマミを見上げる。彼女はオデットの衣装を身に着けていた。純白の羽が腰周りで形よく広がり、照明の光を受けて胸元のスパンコールが輝く。新しく接着剤で付けた左足はひびもなく、まるで最初から彼女のものだったように長さもぴったりだ。
「ここを出たら、どこへ行くつもり」
「あたしが"カラッポ"だったってことを知る人がいないところへ」
彼女は向きを変えて座り込んだ。後ろ側が開いている衣装のため、背中の真ん中のネジが見える。
「巻いてくれる? もうすぐ止まりそうだから」
ネジを巻くと、ジジッと音が鳴る。本当は、ここから出て行ってもらいたくはない。けれど、そんなことを言って、マミを困らせたいとも思わなかった。心の声を掻き消すために、わざと大きな声を出して尋ねる。
「そういえば、聞きたいことがあったんだわ。わたしたちが初めて会ったとき、あなたは"カラッポ"の前で何をしていたの?」
「あの人ね」マミは足もとに視線を落とす。「あたしのお母さん」
わたしは思わずネジから手を放した。
「母は、あたしがバレエ団に入って、"カラッポ"だってばれてしまうことを心配していた。それで廃棄場に忍び込んで歯車を盗もうとしたのね。あの日あたしが練習を終えて帰ってきたら、母は家にいなかった。探しに行った時にはもう、捕まって、頭を割られた後だったの」
音楽が流れ出し、マミは徐ろに立ち上がった。第一幕二場、湖のほとりに登場したオデットのバリエーション。
「あたしの回る姿が綺麗だから優しくしていると言っていたわね。本当にそうかしら。母は"カラッポ"でなかったら壊されることもなかった。それと同じように、あたしが"カラッポ"だったから、あなたは哀れんでくれたんでしょう」
赤い唇が弧を描く。
「あなたたちは前だけ向いて生きていて、回ってみようとしないのね」
何も言えないで立ち尽くすわたしを残し、マミは舞台中央に移動して踊り始めた。滑らかに上がる手足。白鳥の羽ばたきで、見えない水しぶきが宙に散る。軽やかに流れる音楽に身をゆだね、踊る彼女は美しかった。月の光のように上品で儚く、夜の闇のように底しれぬ力強さを纏っていた。
カラダの中で、歯車がギシギシと音をたてる。澄んだ水の粒を受け、わたしのカラダは錆びていった。彼女は回り始めた。くるくると。回るスピードは速くなっていく。溶けてしまいそうなくらい、速くなっていく。胸に焦りの色が差す。声をかけようとした時、音楽が終わり、マミは床に膝をついて両手を上げたポーズで止まった。
次の瞬間、彼女のカラダは崩れ落ちた。
舞台から落ちた歯車が転がってきて、靴にぶつかった。コレクションの一つだ。銀色の、平歯車。
わたしはしばらく動けなかった。ただ、じっとして、劇場の動くひそやかな音に耳を傾けていた。まぶたを閉じ、もう一度開け、手を握り、開く。
「……マミ?」
舞台に上がり、マミに近づく。辺りには、砕けた陶器の欠片や歯車が散らばっている。しゃがみ込み、一つ一つ摘んでどかしていくと、踏みつぶされて歪んだネジを見つけた。いつの間に背中から抜いていたのだろう。踊っているところをずっと見ていたのに、気がつかなかった。
「大丈夫よ。頭はひび割れていないから、また、組み立てればいいだけ」
半ば自分に言い聞かせるようにして呟いた。
まずは新しいネジを見つけてこないと。それから破片を接着剤でくっつけて、歯車を入れ直すんだ。
広げたコートの上に歯車を集めながら、ネジをどこで手に入れてくるか必死に考える。ネジのないカラダが見つかったらしく、安置所は警備が強固になってしまい、もう一度同じ手を使って持ってくるのは難しそうだ。どこか手近にネジがないだろうか。
ぱっと頭に浮かんだのは、手のひらサイズの黄金色のネジ。そうだった、一つある。すぐに手に入れられるネジが。わたしが毎日巻いているネジが。
階段を駆け出した。レールのある階まで上がり、足場の揺れも気にせずに劇場のネジに近づくと、走ってきた勢いのまま、ネジを抜いた。
途端に劇場は動きを止める。どこかで、パラパラと音がした。壁の石膏が剥がれる音だ。もう取り返しがつかない。劇場が崩れる前に、マミのカラダと歯車を拾って外に出ないと。そう思っているのに、足が動かなかった。わたしはバカみたいにぼおっと突っ立ったまま、手の中のネジを見つめていた。
ネジのつまみの曲線が、白い光を投げかけてくる。それは空中で言葉の形になった。先ほどマミが口にした言葉に。光を掴もうと手を伸ばすと、どんどん先に逃げていく。時間がないのはわかっているけれど、どうしても目を離せなかった。追いかけていかなければならない気がした。光は階段の方に出て、さらに上に向かい始めた。
足場が大きくかしいで、わたしが階段に両足を乗せた瞬間に落ちていった。レールにかかっていたワイヤーが次々と切れ、下の方で照明が割れた。
光を追いかけて階段を上っていく。行き止まりのドアを開けると、辿り着いたのは屋上だった。
目の前の光は、厚い雲から舞い落ちる、白鳥の羽のような雪となった。手を差し出すと、白い粒は指先ですっと溶けてしまった。
見上げれば、手を伸ばせるほど近いところに、止まったままのネジが見える。この世界はずっと止まったままだ。わたしは、マミと出会った時の会話を思い出した。
――高いところに上ったら手が届きそう。
その瞬間はっきりと、ここまで走ってきた理由がわかった。しなければならないことがわかった。背伸びをし、屋上から身を乗り出した。潰れた空のネジを抜き、手に持っていたネジを差し込んだ。
ネジを巻く。ジジッと音が鳴る。
劇場の壁が崩れ、足もとがなくなり、カラダが真っ逆さまに落ちていった。落ちながら、わたしは回った。視界がくるくると変わる。前も後ろも、右も左も混ざり合い、消えてしまう。
回っていると、今まで見えなかったものが見えてきた。街の家々が頭上でタップダンスを踊っている。街灯がコーヒーをすすり、路地はピアノを弾き、雲間からぼんやりと姿を見せた三日月が、子猫のように毛糸にじゃれる。
カラダの輪郭が溶けて空の藍色と絡まり、わたしはようやく理解した。回るってきっと、わたしが世界になることだ。世界がわたしになることなんだ。
純白の雪が舞う。わたしは落ち続ける。
そして世界は回り始めた。
ラストダンス 沢田こあき @SAWATAKOAKI
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