第2話 心の声がだだ漏れです、旦那様
朧は、ばくばくとうるさい心臓をなだめながらも、無理やり笑顔を取り繕う。
「何のことでしょう?」
震える声で尋ねると、湊斗はやはり無表情のまま淡々と答える。
「俺の異能、『龍の眼』を甘くみるな。
俺は、他人の記憶を読むことができる。
当然、他人が抱えている、別に知りたくもない秘密だって、知ってしまうことがある」
朧の額を冷や汗が濡らす。
「昨夜、わたしが無能力者だと言ったこと、ご両親から聞いたんですか?」
「聞いた。
そこまでして、よっぽど離婚したいんだろうと思ったから、特に両親にも教えなかった」
「で、でも、湊斗さんとわたしは、今初めて会ったのに、昨夜の時点で、どうして嘘をついたのだとわかったんですか?」
湊斗は、面倒臭そうに長くさらさらな黒髪をかき上げると、眠そうな眼で朧を見た。
「龍ケ崎の人間が持つ力を、お前たちの常識の範疇におさめるのは無駄だと思え。
俺の『異能』がひとつだと、誰が言った?」
「……他に異能が……?」
「そうだ。『千里眼』。
遠くのものを視る能力がある」
「千里眼……?
あっ、じゃあ……」
「理解したか?
遠くからでも、この家で起きたことは、把握できる。
両親とお前の間の確執も、全て承知している。
当然、お前の記憶も確認済みだ」
湊斗の言葉に、朧はあんぐりと口を開ける。
湊斗は、何の義理もないのに、富子や定国に朧の異能を隠し、味方をしてくれたということなのだろうか。
「うちの両親、さぞかしうざかっただろう?
悪かったな、迷惑をかけた」
「い、いえ、そんな……」
予想外の湊斗の謝罪に、朧はますますしどろもどろになって焦ったように、ひらひらと両手を振る。
湊斗は表情を変えないまま続けた。
「お前と、俺の異能は似ているな。
知りたくない相手の本音や本心を、嫌でも知ってしまう。
だから、上辺を取り繕う人間に嫌気がさして、人間嫌いになる」
それが、湊斗が無愛想な理由なのか、と納得しながらも、朧は眉をひそめる。
先程から、朧はずっと、湊斗に対してある疑問を持っていた。
確かに、湊斗の言う通り、朧には、他人の心を読む異能がある。
それ故に、両親が野望を叶えるための道具として自分を生み、愛情もなく育てたことにも気づいてしまったし、湊斗の両親が朧を面白く思っていないことも余すことなく知ってしまった。
特に富子と定国の心中に吹き荒れる朧への罵詈雑言は、耐え難いものがあった。
昨夜、自分が無能力者だと虚偽の申告をしたのは、決して突発的な衝動がそうさせたのではなく、この1年で積もりに積もった苦痛から解放されたい一心で、富子たちをどうすれば一番怒らせ、あちらから離婚を言い出すよう仕向けることができるか検討を重ねたうえでの、あの告白だった。
両親も、義理の両親も、誰も朧に愛情を与えてくれない。
両親も、義理の両親も、世継ぎを作るための道具としてしか朧を見ない。
結婚から1年経っても懐妊しない朧に、義理の両親は苛立ちを心の中で募らせていた。
しかし、それも仕方のないことだった。
何しろ、結婚が成立してからも、湊斗が朧に会おうとしなかったのだから。
湊斗は、自分になど興味を持っていないのだろうと、そう思ってきた。
しかし、まだ断定はできない。
まだ会って数十分。
だが、朧には、それだけの時間があれば充分のはずだった。
他人の心の中を覗くには、充分すぎる時間のはずだった。
おかしい、だって──。
──湊斗の心を、朧は読めなかった。
これまでの人生で、心を読めない人と出会ったことはなかったし、例外があるなんて思いもしなかったが、事実、朧には、湊斗の心の中を知ることができなかった。
無愛想で何を考えているかわからない人物──湊斗を、朧は不気味にさえ思っていた。
自分の異能を見抜かれていたことには驚いた。
湊斗が、朧をかばってくれたことにも驚いた。
けれど、それだけだ。
離婚は成立しており、まもなく朧は家を出て行く。
数秒間、部屋を沈黙が支配する。
異能がもたらす共通の苦痛について、もう少し話してみたかったが、名残惜しさを振り払って、朧は再び扉に向き直った。
最後に、くるりと振り返り、再度頭を下げる。
「今まで、ありがとうございました」
ノブに手をかけ、部屋を出ようとした瞬間だった。
《あー、しんどかった。
何も考えないっていうのも、骨が折れるな》
「え?」
湊斗の声に、朧はまたも振り返る。
いや、違う、湊斗の『声』じゃない。
これは、《心の声》だ。
──湊斗の。
呆然と自分をみつめる朧を、不快そうに眺めた湊斗が仏頂面で素っ気なく告げる。
「何だ、話がないのなら、さっさと出て行け」
「あ、はい……。すみません」
聞き間違いだろうか。
朧は狐につままれたような心地になりながらも、部屋を出ようとする。
すると、背中に突然の衝撃があった。
「!?」
振り返ろうとしたが、できない。
背後から、湊斗が朧を抱きしめていたのだ。
《やっと手に入れた。
もう離さない》
湊斗の心の声が、はっきりと朧に聞こえる。
「あ、あのっ」
慌てて朧は身体を離そうとするが、湊斗はぎゅうと朧を抱く手に力を込める。
桃色の着物を着た小柄な朧を抱きすくめながら、ぶっきらぼうな口調の湊斗の声が降ってきた。
「ここを出て行ってどうする。
行くあてなどないだろう」
「は、はい。
……そうですけど」
湊斗の突然の抱擁に、朧は顔は真っ赤に、頭は真っ白になりながら、何とか言葉を声にする。
「使われていない離れがある。
しばらくそこに住め」
《どこへも行かせるわけがないだろう。
離婚は成立したんだ、両親にも、朧の両親にも、何も文句は言わせない。
お前のことは、俺が必ず護る》
「は、はい!?
今、『朧』って言いませんでした?」
しかし、湊斗はすっと身体を離すと、相変わらずの無表情で朧を見下ろしていた。
聞こえてくる《心の声》と湊斗の表情の落差がすごい。
同じ人間が思っている言葉だとは信じられない。
湊斗は朧を追い越して、扉を開けると、やはり仏頂面で言った。
「荷物を持ってこい、行くぞ」
朧は、呆然としながらも、スーツケースを取りに行き、そそくさと屋敷をあとにしたのだった。
☆☆☆
資産家である龍ケ崎家の敷地は広大である。
立派な屋敷と、手入れの行き届いた枯山水の日本庭園を通り過ぎ、5分ほど歩くと、林に囲まれた平屋建ての家が見えてきた。
「あの、どうして、わたしにここまで良くしてくれるんですか?」
ずんずん先を歩いていく湊斗を小走りで追いかけながら、朧がそう聞くと、やはりというべきか、湊斗の心の声が流れ込んできた。
《決まっているだろう。
早くお前をあの両親から解放するためだ。
お前を、愛しているから》
湊斗は背中を見せたまま、口を開かない。
しかし、心の声は雄弁に彼の本音を語っている。
『愛している』
朧の人物とは、無縁の言葉。
血の繋がった両親ですら、与えてくれなかった言葉。
それを、1年も妻をほったらかしにしていた湊斗から与えられたことに、素直には喜べなかったものの、朧の空虚な心に響いたのは確かだった。
やがて離れに辿り着き、湊斗が引き戸を開ける。
内部は、生活するのに申し分ない広さがあり、見て回ると、台所、居間、寝室、トイレや風呂もあり、すぐにでも生活できる環境が整えられていた。
「しばらく使っていなかったが、みゆきに掃除させたから、清潔だろう」
若き使用人、みゆきの顔が浮かぶ。
嫁いできてからというもの、みゆきには面倒をかけてばかりだ。
スーツケースの荷物を広げている朧をしばらく眺めていた湊斗は黙って家を出て行こうとする。
「湊斗さん、本当に、ありがとうございました」
玄関に向かった湊斗は、何も言わずに姿を消した。
あの、心の声は一体なんだったのだろう。
湊斗の本意がわからず、朧はひたすら戸惑っていたが、初めて顔を合わせた元旦那様は、悪い人ではないのかもしれないと朧は結論づけた。
離婚した元旦那様、恥ずかしいので心の中でだけ私を溺愛するのはやめてください、全て聞こえています。 妃水 @Hisuimga
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