離婚した元旦那様、恥ずかしいので心の中でだけ私を溺愛するのはやめてください、全て聞こえています。

妃水

第1話 はじめまして、元旦那様




 龍ケりゅうがさき


 異能の強弱によって序列が厳格に定められたこの国で、日本随一の異能を誇るのが、龍ケ崎一族である。


 伝説上の生き物である『龍』を始祖に持ち、脈々とその血統を今に至るまで繋げている。


 『異能』とは、生まれる前、先天的に宿る特殊能力のことだ。


 『異能』の種類は様々で、ひとりひとり違う能力を持っている。


 『異能』は強ければ強いほど、国家における地位は上がる。


 まつりごとや経済界への発言権を持ち、その影響力は絶大である。



 その中にあって、『龍ケ崎』は日本で最上級の家柄だった。


 その異能で以って、数百年に渡り日本を裏から表から支配し権限を握ってきた。


 龍ケ崎に嫁入りすることは、最上の栄誉であり、誇りであり、女性たちの憧れでもあった。


 

☆☆☆



「離婚が成立した」



 それが、夫婦となって初めて顔を合わせた夫が発した言葉だった。


 十畳ほどの寝室で、畳に正座した東雲朧しののめおぼろに、対面に座る、長い黒髪に灰色の地味な着物を着流した、世にも麗しい噂に違わぬビジュアルの男性が淡々とそう告げた。


 声の主は、畳敷きの部屋に不似合いなベッドに背を預けて座っている、龍ケ崎一族の若き当主、23歳の龍ケ崎湊斗みなとであった。


 背が高く、痩せ型、さらりと長髪を背中に流し、表情はなく、気怠そうに視線を泳がせている。


 無表情が、更に彼の神秘性を深くしている。


 神々しい、と表現したくなるほどの人並み外れた雰囲気と威圧感に、朧は思わず息を呑んだ。


 その様は、まるで精密に造られた人形のよう。


 懇切丁寧に造られた、100人が見たら、ひとりの例外もなく美しいと太鼓判を押す美形の湊斗と朧はまともに目を合わせることができない。


 ちゃぶ台を挟んで湊斗の向かいに正座しているのは、東雲朧。


 18歳になると同時に湊斗の妻として、龍ケ崎家に嫁いできた。


 それから、わずか1年で、今日、突然帰宅し、初めて顔を合わせた湊斗から彼の自室に呼び出され、離婚を言い渡されたのだった。



「そう、ですか。わかりました」


 正座したまま、それも当然だろうな、と納得しながら朧は、やや硬質な声音で、一言そう返しながら、離婚を決定的にした、昨夜のことを思い出していた。



☆☆☆


 昨夜、湊斗の両親と、朧で囲んでいた夕食の席で、使用人のみゆきが台所に食器を持って消えたタイミングで、朧はおもむろに口を開いた。


「お義父さん、お義母さん、お話ししなければいけないことがあります」



 湊斗の母親の富子とみこは、薄く笑みを浮かべながら、「どうしたの、朧さん。改まって」と目尻に笑い皺を作った。


 

 深呼吸してから、朧は覚悟を決めて、一息に言った。



「実は、わたしは無能力者なんです」



 その言葉を聞くや否や、はは、と乾いた笑い声を洩らし、富子はゆっくりと箸をテーブルに置き朧を見据えて言った。



「だって、あなた、私たちに見せてくれたじゃない。

 何も無いところから、物質を生み出す異能を」


《全く、何を言い出すのかと思えば、自分が無能力者?

 わけがわからないわ。

 だから嫌だったのよ、こんな小娘を、大切に育てた湊斗の嫁にするのは。

 この婚姻は失敗だわ》



 突然、朧が両手で耳を塞ぐ。


 その様子を見た富子が、心配そうに朧の顔を覗き込んで言った。



「どうしたの、朧さん。

 具合が悪いのではなくて?」


《具合が悪いなら、都合が良いわ。

 それを口実に、湊斗と離縁させられるかもしれない》


 

 耳を塞いでいた手を離すと、乱れた呼吸を整えて朧は再び話を再開する。



「残念ですが、本当です。

 無能力者であることを、両親にさえ隠して生きてきました。

 全ては龍ケ崎に嫁ぐため、わたしは必死に異能を持っていると偽ってきました」



 富子と、湊斗の父親、定国さだくにの顔が揃って引きつる。


《何を言っているんだ、この嫁は。

 どこかおかしいんじゃないのか、全く、使い物にならない嫁を貰ってしまったものだ。

 この結婚は失敗だ。

 早くこの嫁を追い出してしまえないものか》



「では、わしらに見せてくれた、あの異能は、何だったんだ?」


 怪訝そうに定国が朧を見やる。



 朧は、自分の拳を富子たちに見える位置にかざすと、握った手を、ぱっと開く。


 先程まで何も持っていなかった手には、薔薇が握られ、花弁がはらはらとテーブルに落ちた。


 居間の窓際に飾られていた花瓶に挿してあった薔薇だった。



「簡単な手品です。

 練習すれば、誰でも身につけられます」



「手品ですって?」


 朧の言葉を聞いた富子の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。



《手品!?手品ですって?

 こんなの詐欺じゃない!

 許せない、こんな女、すぐに追放よ!》



《わしらをおちょくっていたのか、この小娘!》



「離婚よ、離婚!

 私たちを騙すなんて許せないわ!」


「そうだ、この小娘をつまみ出せ!」


 とうとう富子と定国が立ち上がり、怒り狂って怒鳴り散らす。


 驚いて、皿を運んできたみゆきが目を丸くする。



「言われなくても、そのつもりです。

 たった1年でしたが、お世話になりました」


 深々と頭を下げると、食事の途中で朧は立ち上がり、2階の自室へと姿を消した。



☆☆☆


 逃げるように自室に戻った朧は、スーツケースに私物を詰め込む作業に没頭した。



 離婚は決定的だろう。


 これで、煩わしい義父母から離れられる。


 ふたりの、《あの声》から、ようやく逃れることができる。


 かといって、安心してばかりはいられない。


 龍ケ崎の家を出たあとに、身を寄せられる場所は今の朧にはない。


 まもなく実家の両親のもとに、激昂した富子から連絡があるだろう。


 先程、朧が突然告白した内容を知れば、両親もまた、プライドを傷つけられ、ひとり娘である朧を勘当することは、目に見えている。


 まずは住む場所を探し、わずかばかりの貯金で新しい生活環境を整えなくてはならない。


 仕事も、探さなくてはならない。


 自分ひとりの力で、これからの人生を切り開かなくてはならないのだ。


 ──でも。


 今の環境に耐えることと、苦労して働くことを天秤にかけると、決断は容易についた。


 この家を出たことを、この先、後悔することは恐らくないだろう。


 何だか、胸がすっとした。



 心残りがあるとすれば、夫婦となって1年が過ぎても、実家に帰らなかった湊斗の顔を拝めなかったことくらいか。


☆☆☆


 東雲朧は、道具にすぎなかった。


 女の子に生まれたその瞬間から、朧は龍ケ崎家に嫁ぐことを決められていた。


 東雲は、龍ケ崎ほどではないが、国内有数の名家だ。


 一族には強力な異能を操る者が多くおり、龍ケ崎との関係も深かった。


 朧の両親は、日本随一の家柄である龍ケ崎との関係を強固にするため、次期当主となる湊斗に娘を嫁がせることを湊斗の両親と約束していた。


 全ては、東雲の格を上げるため。

 

 両親の野望も知らず、物心ついたころから、朧は湊斗との結婚に向けて花嫁修行をさせられ、厳しく躾をされてきた。


 朧も、両親の期待に応えようとした。


 行き過ぎた躾に反抗することもなく、自分を待ち受ける未だ見ぬ婚約者を想像しながら、従順な娘に育った。


 そして、朧が18歳のとき、両親は悲願を達成したのだ。


 東雲朧は、龍ケ崎朧となり、両家は親族となった。


 自分たちの顔に泥を塗った朧を、両親は許さないだろう。


 二度と両親と会うことはできないかもしれないと思うと、一抹の寂しさも感じないことはないが、これが自分の運命なのだと考えれば、耐えられないこともなかった。



 朧には、両親に愛された経験がない。


 たったひとりの娘は、家の格を上げるためにもうけた、言ってしまえば生贄に近かった。


 それを知ったとき、朧はショックを受けるとともに、両親から愛情を注がれることを諦めた。


 がらんどうの娘は、生まれてからこれまで、自分の意志で物事を決めたことがなかった。


 それは、嫁いでからも同じだった。



☆☆☆


 一晩中かかって荷物をまとめ、寝不足にぼうっとしていると、部屋がノックされ、使用人のみゆきが顔を覗かせた。


 まだ若いみゆきは、朧のお姉さん的存在であり、相談相手でもあった。


 みゆきは、「旦那様が呼んでいる」と告げると、朝食を作るため、さっさと姿を消してしまった。



 『旦那様』。


 それが、龍ケ崎湊斗を指す言葉だと理解するまでに、少しの時間を要した。


 おそらく、昨夜の一件が湊斗の耳に入り、全く寄り付かなかった実家に帰ってきたのだろう。


 結婚したにも関わらず、妻を義理の両親と同居させて家にも帰らない湊斗を、無責任だと、朧は心のどこかで責めていた。


 重い足取りで、湊斗の寝室へと向かう。


 入室の許可を得て、緊張しながら寝室に入ると、神々しいまでの雰囲気をまとった男性──湊斗が昏い表情で朧を迎えた。


 そして、開口一番、『離婚が成立した』と告げたのだった。


「そう、ですか。わかりました」 



 ずいぶん展開が早いな、と思いながら、朧はそれ以上何も言う気はなかった。


 夜通し家族会議を行い、朝早くに離婚の手続きをして、正式に離婚が成立したのだと、木訥と湊斗は語った。


 ならば、話は終わりだ。


 朧は正座したせいでしびれた脚で立ち上がり、深々と頭を下げた。


「短い間でしたが、お世話になりました」



 本当に短かったな、と朧は顔を上げつつ、もう夫ではなくなった湊斗の顔を拝んだ。


 敗北感を感じるほどの神がかり的な美しさを失礼にならないほどの数秒だけ見つめたあと、視線を反らす。


 龍ケ崎家に生まれたのだから、働かなくても生活には困らないだろうに、湊斗は家に寄り付かなかった。


 異能を用いての仕事を、何かしているのだろうと、朧も深くは考えなかったのだが、新婚らしいことは、何ひとつしなかったな、と改めて思う。


 そもそも、湊斗には自分が結婚しているという認識が本当にあったのだろうか。


 自分の妻となった朧に、関心はあったのだろうか。


 部屋の扉に向かって歩き出そうとした朧を、湊斗の感情を含まない、ぶっきらぼうな声が引き留めた。


「お前、心が読めるな」


 心臓が飛び跳ねるほど驚いて、朧は振り返った。



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