王子殿下と鎧の騎士

澤田慎梧

王子殿下と鎧の騎士

 大森林を貫くように走る街道には、既に冷たい風が吹き込んでいた。北の大山脈から流れてくる寒風の影響だろう。いよいよ目的地に近付いているのだ。


「殿下、お寒くはありませんか」

「若干」

「では、こちらのマントをお使いください」


 女騎士カタリナが馬をそっと寄せ、ルイス王子の肩に愛用のマントを羽織らせる。深紅のマントからは、薔薇の香気と、ほんの少しの鉄さびの匂いが漂っていた。

 ルイスはそれを愛おしいもののようにそっと嗅ぐと、自らの身体ごとマントを抱きしめた。


「えへ、暖かいや。……でも、どうせならカタリナが体で温めてくれてもいいんだよ?」

「殿下、お戯れを」


 主の下世話な冗談を意に介した様子もなく、女騎士は仏頂面のまま馬を進める。ルイスは、「少しくらい照れてくれてもいいのに」と内心で思いつつも、流石に子供っぽいと思いなおし、馬上で姿勢を正した。


 ルイス達の一行は、カタリナを含む三人の騎士と七人の歩兵、荒事にも慣れている召使い六人と、中々の大所帯。全員が全員、身なりも整っているので、街道ですれ違う人々が求めてもいないのに道を外れ平伏するほどだ。

 大方は「どこぞの大貴族の坊ちゃんだろう」と思っただけだろうが、中にはルイスが身に付ける獅子鷲グリフォンの紋章を見て、腰を抜かした者もいたことだろう。


 獅子鷲の紋章は、この大陸では王族しか身に付けることを許されていない。知識のある者には、ルイスの素性が窺い知れる、という訳だ。

 王家の紋章を身に付けた十三歳ほどの少年など、この大陸には王国第三王子であるルイス以外に存在しないのだから――。


「この旅もようやく終わりか。今日で何日目だっけ?」

「七日目です、殿下。この調子ならば、日暮れ前には公都へ着くでしょう」

「なるほど。つまり、カタリナが僕の求婚を断ったのは、今朝で七度目ということになるね」

「殿下、お戯れを……」


 王都を旅立った朝のことだ。ルイスは他の臣下達の面前であるにもかかわらず、突然カタリナに求婚してみせた。

 しかし――。


『我が騎士カタリナ。僕の妻になってくれ!』

『謹んでお断りいたします、殿下』


 カタリナの返答はにべもなかった。

 他の騎士なら下手すると首が飛ぶ言い草だが、彼女はルイスが生まれた頃から使える近衛にして剣の師だ。多少の無礼は許されている。


「殿下はこれから大公となられる身。私のような年増女を口説いている場合ではございません」

「ええ~? カタリナ、まだ二十八だろ? 十分若いじゃないか。見た目だって、十代にしか見えないよ」

「お世辞は結構。世間では、二十八歳ともなればとうの昔に結婚し、子どもの二、三人もいる歳です。殿下には同年代の淑女こそ相応しく思いますが」

「そ、れ、で、も! 僕はカタリナがいいんだよ。――我が忠実なる臣下にして、大陸にその名を轟かす『鎧の騎士』こそが」


 「鎧の騎士」とは、カタリナが王宮でも戦場でも、常に黒鉄の全身鎧に身を包んでいることから付いた渾名である。

 小柄ながら、戦においては万夫不当、王宮においては鉄壁の近衛騎士。女性であることを理由に彼女を軽んじる者がいれば、それは即ち愚者の証である。


 更に言えば、カタリナは美貌も備えている。

 王族でさえも羨む金髪碧眼と抜けるような白い肌。錬金術師の創り上げるホムンクルスに勝る整った顔立ち。そして、常に凛とした表情を崩さぬ高潔さは、ルイス王子ならずとも老若男女が憧れてやまぬものだ。


「殿下、お戯れはその辺に。既に公都も近うございます。臣民達に、将来の大公殿下は年増女を口説くのに一生懸命な暗愚だ、等と噂されては王国と公国の威信は地に落ちます」

「むぅ……」


 流石のルイスも押し黙った。少しは自覚があったのかもしれない。

 そもそも、王国の三男坊たるルイスが公都へ向かっているのは、後継のいない大公の養子となり、将来的にその座を継ぐ為である。

 王国と公国は古より関係が深く、王家と大公家も血縁関係にあるのだ。


「殿下。不肖カタリナ、微力ながらも殿下を大公家を継ぐに相応しい方にお育てしたと自負しております。北の異民族と対峙し、王国の盾となり鎧となるのが公国の――ひいては大公の務め。どうか、私が誇れる殿下でいてくださるよう、平にお願いいたします」

「だから、その大役を傍で支えてほしいんだって! 歳のことはさておき、カタリナだって由緒正しきアルマドゥーラ侯爵家の血を引いてるんだ。僕の后として、これ以上ないと思うんだけど」

「……侯爵家は、とうの昔に滅びております。今の私は一介の騎士。殿下をお守りする、ただの鎧でございます」

「そんな言い方――」


 ルイスが抗議の声を上げた、その刹那。森の街道に風切り音が響いた。


「殿下!」


 カタリナが、その小さい体で一生懸命ルイスを包むように庇う。

 直後、鈍い音と共にカタリナの背中に何本もの棒が生えた。

 ――否、棒ではない。矢が五本、カタリナの鎧を突き破り背中に突き立っていた。


「――敵襲!」


 カタリナの怒声に、騎士達が、兵士や召使いが、戦闘態勢に入る。

 ルイス達を取り囲むように一瞬にして陣を組み、最前列の者は盾や荷物を掲げ第二射に備えた。


「カ、カタリナ! 矢が、矢が!」

「殿下。主たる者が臣下の負傷ごときで狼狽えてはなりません。私は大丈夫です。鎧の騎士カタリナは、この程度では死にませぬ」


 言いながら、カタリナは器用に首をめぐらせ自らの背に突き立った矢を観察した。

 王国のものではない。北方由来の強靭な木材と山脈鷲の羽を使って作られたこの矢は、異民族のものだ。


 異民族の軍は、北の大山脈の険しさと、数少ない街道を塞ぐ公国の砦によりこちら側へ進軍できない。だが、少数の部隊が険しい山道を越えて侵入することが、時折あった。

 カタリナ達を襲撃しているのも、おそらくはその一派。

 大方、次期大公が領内を練り歩いているという噂でも聞きつけ、襲撃してきたのだろう。


(殿下に公国内を見ていただく為の道程が仇となったか。不覚)


 カタリナが自省する暇もなく、森の中から異民族の兵士が大挙して押し寄せてくる。その数、二十。

 それとは別に、樹上には射手も控えていることだろう。

 傍から見れば、絶望的な状況だ。おそらく、敵は勝利を確信しているに違いない。

 だが――。


「この程度の数とは、舐められたものだな!」


 カタリナが下馬し、抜刀しながら吠える。

 森全体を震わすような叫びだった。


「聞け! 異民族の猛者達よ! 我が名はカタリナ! 鎧の騎士カタリナである! この名を恐れぬ者のみ、かかってくるがよい!」


 口上を終えるや否や、カタリナは雄たけびを上げながら駆け出した。

 その姿はさながら、森を駆ける黒き獣のようであったという。


   ***


 異民族のリーダー――名をリチャードという――は、我が目を疑った。

 完璧な奇襲のはずだった。

 敵は寡兵。こちらの圧倒的優位。祖国に次期大公殿下の首級を持ち帰れるはずだった。


 だが、現実はどうだ?

 あの小柄な女騎士は、目にも留まらぬ速さで駆けると、あっという間に前衛の兵士六人の首を刎ねていた。いつ斬られたのか、斬られた本人さえ気付かずに数歩を走る程の早業だった。


 弓兵達の放つ矢は、その悉くが王子を囲んだ者共によって防がれていた。盾や荷物を掲げて懸命に防いでいる故だが、あれでは歩兵に襲われた時に対処出来ない。攻撃を捨てた全力防御の姿勢だ。

 まるで――まるで、こちらの前衛が動きだ。


『きゅ、弓兵! 先にこの女を狙え!』


 リチャードの指示に従い、弓兵達がカタリナへと狙いを変える。

 だが、狼もかくやと言った速さで疾走するカタリナの姿を捉えきれず、矢は木々や地面にむなしく刺さるばかり。

 そればかりか、弓兵の位置を把握したカタリナは腰に差してあった短剣を矢継ぎ早に投擲し、逆に弓兵を仕留め始めた。


 部下達が次々に樹上から落下し、鈍い音を立てて絶命していく。

 おかしい。全てがおかしかった。

 あの女の速さが。

 あの女の強さが。


 何より――何より、明らかに背中に突き立った矢で致命傷を受けているにも拘らず、意にも介さず戦い続けるあの女自身が!


「――お前が首魁か」


 気付けば、リチャードの目の前にカタリナがいた。

 既に部下達の姿はない。

 あまりにも美しいしなやかな獣の姿を目に焼き付けながら、リチャードは静かに絶命した。


   ***


「カタリナ! カタリナ!」

「殿下、お怪我は?」

「僕は何ともないよ! でも、カタリナ! 矢が、ああ、矢が! 早く抜かなきゃ!」

「下手に矢を抜くと逆に出血多量で死にます。申し訳ありませんが、いち早く公都へ向かいませぬか? このままでは医者や錬金術師ではなく、僧侶の世話になってしまいます」


 冗談とも本気ともとれぬカタリナの言葉に、ルイスが部下達に全速前進を命じる。当のカタリナはと言えば、背中の矢のことなど意にも介さず、自ら馬を駆る始末。

 「カタリナは本当に不死身なのでは?」と首を傾げつつも、一同は公都へと急いだ。


「カタリナ、本当に大丈夫なのかい?」

「殿下、この速度で喋ると舌を噛みますよ。下手すると死にます」

「っ――辛くなったら、僕に言うんだよ?」


 カタリナの命の火が消える前に公都へ辿り着こうと、騎馬の者も徒歩の者も、息を切らせながら全力で走る。

 そんな主と同僚達の姿を眺めながら、カタリナの胸に去来するのは、申し訳なさだけであった――。


   ***


 公都に着くと、ルイスは臣民からの歓声で迎えられ、一方のカタリナは医院へと運び込まれた。

 カタリナに付き添いたかったルイスだったが、出迎える臣民や大公、貴族達を放置する訳にもいかない。ルイスは、後ろ髪引かれる思いで城へと向かった。


 召使いの一人からそれを伝え聞いたカタリナはようやく緊張を解き、大きな大きなため息を吐いた。

 ――と。


「相変わらず、どんな体をしているのだか」


 そんなカタリナの姿を見て、より大きなため息を吐く者が一人。

 四十絡みの男であり、名をホセと言った。この医院に務める医師であり、かつてはカタリナの実家に仕えた錬金術師でもあった。


「久しぶりね、ホセ。元気だった?」

「お陰様で。姫様は……相変わらずのようで。全く、公都に俺がいなければ、どうしてたんですか? 姫様の素性は、国王陛下くらいしか知らないのでしょう?」

「ふふ、殿下が鎧を脱がそうとしていたら危なかったかもね」


 カタリナが普段の様子とは打って変わって、くだけたような笑顔を見せる。ホセは彼女のかつての臣下だが、同時に幼馴染でもある。数少ない気が置けない人間だった。


「あーあー、こんな矢が刺さっちまって。ったく、鎧の穴を塞ぐのも簡単じゃないんですよ? ――胸当て、外しますからね」


 ホセが器用にベルト類を緩め、全身鎧の胸当て部分だけを取り外す。

 下から現れたのは、カタリナの麗しい肉体――ではなかった。


 そこにあったのは、全くの「空」だった。肉体があるべき場所には、何もない。

 代わりに顔を覗かせたのは、背中に突き立った矢の先端だった。


「この業物を見事に貫通するとは、異民族の弓矢は強力ですね」

「ええ。今回も私がいなければ危なかったと思う。あんなのといつもやりあってるなんて、大公殿下の軍は、よほどの精兵揃いなのね」


 感心したようなカタリナの呟きと共に吐き出された息が、ホセの顔をなでる。

 カタリナには肺がない。それなのにどうやって呼吸しているのだろう? 錬金術師であるホセにも解けない謎だった。


「いつ見ても不思議ですねぇ。首から下は何にも無いのに、息もすれば食事もできる。吸った空気はまた出てくるからまだ分かるが、食いモンはどこへ消えてるんでしょうかねぇ」

「ちょっとホセ? レディにその質問は失礼じゃなくて?」

「ガハハ、ちげぇねぇ。こりゃ失礼しました」


 カタリナと下世話な冗談を交わしつつも、ホセは複雑な心持ちだった。

 彼女がこんな体になってしまったのは、十二年前のある出来事のせいなのだ。

 時のアルマドゥーラ侯爵――カタリナの祖父は、辺境にその人ありと言われた文武両道の人であり、特に錬金術への造詣が深かった。

 侯爵は才能ある錬金術師を王国各地から集め、様々な研究に対する援助を惜しまなかった。かくいうホセも、そんな錬金術師の一人だった。


 しかし、一人の天才錬金術師の登場が全てを狂わせてしまった。

 「彼」は不死身の兵士を作ろうとゴーレム研究に没頭していた。だが、ある時、「ゴーレムの人工知能では複雑な戦況に対応できない」という壁にぶち当たる。

 ――そこで彼が取った方法は、常軌を逸していた。

 簡単に言えば、「人間のゴーレム化」である。


 秘かに召使い達を実験材料にし始めた「彼」は、やがてその魔手を同僚の錬金術師たちに、そして主たる侯爵家へと伸ばし始めた。

 王都への使いで不在だったホセと数人の召使いが侯爵邸に戻った時には、全ては手遅れだった。


 「失敗作」で溢れる屋敷。

 侯爵夫妻もカタリナの両親も人の姿を保っておらず、既に絶命。

 唯一の生存者は、首から下を家宝の黒鉄の鎧と一体化させられたカタリナだけだった。

 そして、「彼」の姿もどこにもなかったのだ。


「あの野郎……絶対に見付け出して、償いをさせてやる!」

「ホセ、前にも言ったけど、貴方は貴方の人生を生きてほしいわ」

「俺も何度も言ってますがね、姫様。俺の人生は侯爵様や姫様に捧げていたんだ。だから、それが――あのバカを見付け出すことが、俺の人生の目的ですよ」

「……もう、バカはどっちよ」


 嬉しさ半分、悲しみ半分の苦笑いを浮かべながら、カタリナは「あの日」を思い出す。

 薄れゆく意識の中、「彼」はこう言っていた。「ようやく術が完成しました。記念として、姫様に永遠の美しさをお贈りします」と。

 その言葉通り、カタリナはあの日以来、歳を取っていないらしい。残された僅かな肉体は、あの日の張りと艶を残したままだ。


(あのバカ……永遠の美しさなんて、一時の本気の恋の前には、塵芥でしかないのに)


 ルイス王子の真剣な眼差しを思い出す。

 仮令たとえカタリナに残りの肉体があったとしても、彼の想いに答える訳にはいかない。それは、臣下として分を弁えるなら当然の帰結だ。

 だが――だが、せめて一夜の夢くらいは見ることが出来たかもしれないのだ。

 不遜とは思いながらも、カタリナにはそれがほんの少しだけ心残りだった。


 ――鎧の身体と永遠の若さを押し付けられた女騎士カタリナ。

 彼女が、生身の肉体を取り戻す日は来るのか?

 誰憚ることなく、恋をすることが出来るようになるのか?


 その答えは、まだ、誰も知らない。


(了)

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