消えない記憶と切れない鎖

紀洩乃 新茶

節目の年は突然に……

 ふと気が付けば、仕事帰りの道を自宅ではなく街の南側……海を挟んだ向こうに見える人工の島『ポートアイランド』に向けて車を走らせていた。理由なんて特になくて、少し思うところがあって神戸の街を彩る夜景を見たくなっただけだった。ポートアイランドの北側にある公園から見る神戸の夜景には、ポートタワーにメリケンパーク、ハーバーランドの観覧車と一目見て神戸と分かる景観が広がっているのだ……自分はこの夜景が神戸で一番好きなのだと思う。


 2024年12月某日……色んな意味で特別な日になってしまったその日は、自分の一人娘の15回目の誕生日にあたる。時が経つのは早いもので、あんなに小さかった子供が来年からは高校生になるんだと思うと複雑ではある。まぁ、無事に合格出来ればの話ではあるのだが……。

 そんな娘の口から聞いた受験する予定の学校名に少し驚いた……自分の母校だったからだ。

 別に学力的な部分とかで驚いたわけではなく、自分の通っていた時との違いに驚いたのだ。校舎は綺麗に建て替えられて、生徒の着用する制服も変わっていた。それも仕方ない事なのだろう、自分が受験生だったのは30年前……1994年~1995年になる。

 もうお気付きの方も居ると思われるが、年が明けた1995年1月17日……生涯忘れることの出来ない経験をすることとなる。


 『阪神淡路大震災』が神戸の街を襲い、被災した自分も色んなものを失った日となった。

 自分はあの震災の年に受験し、復興していく街と共に学生生活を送った一人なのだ。


 そんな忘れ去られていた学生時代の記憶を呼び起こされることとなった。そういった意味で『特別な日』と称させてもらったわけではあるが、長い月日というのは本当の意味で記憶を曖昧にしていくものなのだと実感して止まない。


 結論から言えば、何も無いのだ……。高校生としての学生生活の中にあったであろう青春的な思い出が何一つ無いのだ……。


 思い出せたことと言えば、この震災をきっかけに人付き合いを避けるようになった自分がいたことだ。理由は至ってシンプルで、周りの生徒も自分と同じく被災者であり、何を失ってそこに立っているかが分からない以上、下手に触れることが怖かったからだ。当然だが、自分も触れられたくない側の人間であったことは言うまでもない。

 そういった部分もあってか、表向きの浅い付き合いこそあれど、思い出に残せそうな深い付き合いは一切なく、文化祭などの学校行事でさえ記憶に残ってない始末だ。


 だからこそ、自分の娘には同じような想いをして欲しくないので伝えることにした……。


 ……なのに! いざ家に帰ってみたら、娘と嫁は知り合いと外食に出かけてるじゃないか! 娘の誕生日なのに父親の自分はフル無視ですか⁉ ……いや、いいよ。もう、それはいいよ。

 伝えるだけなら後からでも出来るし、誕生日だからね……他にも祝ってくれる人がいることは有難い事ですよ。


 しかし! このやり場のない感情を放置できない為、ここに書き残してしまっている自分の惨めさをどうしてくれるんだ! はぁ……。つくづく自分が嫌になる……。



 気を取り直して話を続けると言えば語弊があるかもしれないが、文頭にも書いた部分に触れていこうと思う。何故、急に神戸の街の夜景を見ようと思ったのか……。

 このまま年が明けて、2025年1月17日を迎えると、あの震災から30年を迎えることになることに気付いたからだ。改めて見ておこうと思ったのだ……あれから復興して、その痕跡を見せなくなった街の風景を。


 もう少ししたら誰もが知っていると思われる、追悼と復興の願いを込めたイルミネーション行事『神戸ルミナリエ』が始まる……そう、また開催されるのだ。

 第30回のルミナリエは2025年1月24日~2月2日までの開催予定らしい。


 自分は、この『神戸ルミナリエ』が死ぬほど嫌いだ……。


 やっていることの意味も凄さも分かってる……分かっているが必ず思い出さされる。さっきの学生時代の思い出とかではなく、身体の奥底に植え付けられたあの瞬間の恐怖が強制的に呼び起こされるのだ。あの日以来、他の人が感じることのないような些細な地震でさえ感じ取ってしまい、少なからずとも恐怖を覚える。他県で起こった地震の余波でさえ、テレビで速報が流れる前に気付くこともあった。ある種のトラウマのようなものなのだろう。


 自分が経験した『阪神淡路大震災』以降、他県でも大きな地震がいくつも起こっている。きっと被災者となった方々は、それぞれに色んな想いを抱きながら今を生きているのだろう。自分もそんな中の一人であることに変わりはないのだが、それをもってしても嫌いなのだ。



 自分にとっての『ルミナリエ』は、切る事の出来ない心の鎖であり、恐怖と直結している足枷みたいなものなのだから。



 あの光の祭典を見て、震災で傷ついた心を救われた人も居ただろう……


 あの光の祭典を見て、過去にあった地震を初めて知る人もいるだろう……



 だが、忘れないで欲しい……そんな光の祭典によって未だに苦しめられる人が僅かにでも存在していることを。あの光に照らされて出来た影のように、ルミナリエが光を灯すたびに必ず思い出してしまう影が産まれている事実を。



 だから、自分は今回も見ることはないだろう……この30年間、一度も現地まで見に行ってないのだから……いや、見に行くことが出来ないのだから。

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