第10話 12月12日01時40分
「痛い、痛いよ」
美佐が声をあげる。
俺が引っ張る手が痛いのか、体に当たる茂みや木の枝が痛いのか、どちらかは分からないが、手を放す訳にも、走るのを止める訳にもいかない。
と、俺は、樹を数える声が聞こえていないことに気づいた。
走りながら耳を澄ます。
聞こえない。自分自身の荒い息と茂みを掻き分ける音に掻き消されている訳でも無い。
もしかしたら、逃げ切ったのか?
見逃してくれたのかも?
そんな期待を抱いた時、強く手を振り払われた。
「あたしは行かない!」
つんのめった俺は、何とか立ち止まって振り返った。
「美佐ちゃん……」
「あたしは残る。
史郎さんの横で、同じ樹にしてもらうの!」
懐中電灯の光の輪の中に、俺を睨む美佐がいた。
……しかし、もう、そんなことはどうでも良かった。
美佐の背後に生える樹。あれはナラの樹だろうか。
その樹の幹に後ろからしがみつき、顔だけをこちらに覗かせている……。
山の神であった。
輪郭がふわふわとしている白い顔の中、黒い目と黒い口で嬉しそうに笑っている。
恐ろしく近い距離に山の神がいたのだ。
後退った俺の足は、地面を踏まなかった。
背後は、崖に近い急斜面になっていたのだ。
バランスを崩した俺は、一気に急斜面を転がり落ちた。
茂みが全身を叩き、樹の幹に腕や足をぶつける。
次々と痛みが襲い掛かり、気を失いそうになった時、ようやく落下が止まった。
とんでしまいそうになる意識を必死で繋ぎ止め、何とか立ち上がった俺は、よろめく足で逃げ出した。
懐中電灯は、どこかへいってしまった。
暗闇の中で逃げる。
……?
いつの間にか、地面の感触が変わっていることに気づいた。
土ではなく石だ。
それが分かった瞬間、俺はつまずき、倒れ込んだ。
バシャッと音がし、冷たい飛沫を浴びる。
水である。俺は河原に出ていたのだ。
見上げると、完全な満月ではないが、丸みのある月が出ていた。
月明かりで川の水面が光っている。
俺は、その川の中を進んだ。
川幅は20メートルほどだろうか。水深は足首ほどで、流れも弱い。
水音を立て、俺はふらふらになりながら川を渡り切った。
そこで体力も気力も失い、倒れ込んでしまう。
もう立てない。
俺は河原の石の上に乗った頭をゆっくりと回し、渡って来た川の向こうに目を向けた。
山の樹々が途切れる当りに生えている樹。
その枝の上に、白い姿が浮かび上がっている。
山の神だ。
山の神は凄まじい怒りの形相で俺を睨んでいた。
俺の意識が途切れた……。
次の更新予定
12月12日 七倉イルカ @nuts05
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