第9話 12月12日01時


 12日の1時になった。

 深夜になると風が強くなってきた。

 美佐はベッド端に座っている。背を丸くした姿勢になり、眠っているようだった。

 俺は7時間前に帰らなかったことを後悔し始めていた。

 山の神など信じることはできなかったし、この小屋で朝を迎える方が安全だと思ったのだ。

 しかし、今になると、鍵の無い無防備なドアは頼りなかった。

 さらに、カーテンの無い二つの窓は、真っ暗な闇で小屋の中を覗き込んでくる。

 落ち着かない小屋であった。

 そもそも、ここは本当に山小屋なのだろうか?

 避難場所、宿泊場所に使用されているようには思えない。

 今、俺が腰かけているベッドは、生贄を捧げる台座のようにさえ思える。


 「ねえ、聞こえる?」

 不意に美佐が口を開いた。起きていたのだ。

 「なにが?」

 聞き返しながら耳を澄ませた。

 風の音が聞こえる。

 いや、風の音だけでは無い。何か別の音が、風に乗って、ここまで届いてくる。

 俺は総毛立った。

 音では無い。声だ。

 女性の声がかすかに聞こえてくるのだ。

 ………………53

 ………………54

 …………755

 …………756

 ……3757

 ……3758

 血の気が引いた。

 声は何かを数えている。いや、何かでは無い、あれは樹を数えているのだ。

 美佐は脅えている様子はなく、ただ声に耳を澄ましているように見える。


 3759

 3760


 はっきりと聞こえた。

 近い。声の主が近くにまで来ている。


 と、今度は唐突に声が止んだ。

 風も止み、不気味な静寂が満ちる。

 ……き、消えたのか?

 耳に全神経を集中させたとき、静寂の中で、小さくガラスの軋む音が鳴った。


 「……うわああ!」

 俺は悲鳴をあげた

 窓から誰かが、小屋の中を覗き込んでいるのだ。

 真っ白い顔の女性が、首を傾げ、窓ガラスに顔をひたりと寄せている。

 あれは、人間なのだろうか。

 目が無い。

 目玉のある部分は真っ黒な空洞になっていた。

 空洞でこちらを覗き込んでいる。

 人間の顔の皮膚で作ったマスクが、窓ガラスに張り付いているようであった。

 い、いたずらだ。

 誰かが、いたずらをして……。

 そう思い込もうとしたとき、覗き込んでいるモノが嬉しそうに笑った。

 口角が吊り上がり、口を開けた笑顔になったのだ。

 口の中も闇であった。


 「美佐ちゃん!」

 俺は美佐の手をつかむとベッドから降ろした。

 逆の手で懐中電灯を取る。

 「に、逃げるぞ!」

 有無を言わさずに手を引き、ドアを蹴り開けると外に出た。


 美佐の手を引いて走る。

 懐中電灯の光で足元を照らす余裕はない。

 ただ、前方に障害となる樹々が無いかどうかを判別できるだけだ。

 それでも、暗い山の中を駆けた。


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 3762


 樹を数える山の神の嬉しそうな声が、ふわふわと後ろから追ってきた。

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