第2話 織姫塚 その弐

 子龍が、領地にて謹慎を始めて一月近く過ぎた。

 子龍は、二の丸にある御三階に部屋を持ち、そこで寝起きした。子龍の居室の手前には控えの間が有る。


 平助は、拝謁以降の毎朝をそこに通い。

 共に、三の丸の朝比奈夢道の道場に通い汗をかいた。


 稽古の後、子龍は傅役小野角衛門に四書五経の講義を受けるのが、日課であった。

 また、ある日には山野辺家老の訪問を受けたり、心休まらぬ毎日を過ごした。


 平助は、夕刻まで一連の行事が済むのを待ち、子龍の許しを得て帰宅した。

 通常、勤番は五日のうちに三日を出仕し、後の二日はお構い無しであるのだが。

 平助に限っては子龍の側付きとして毎日の出仕となっていた。


 その様な日々に、事件は起きた。

 事件とは、水戸城の傍らを流れる那珂川の河口付近に土左衛門が上がった。


 その有り様が、当に異様であった。

 浪人風の装いに、身体に海藻を巻き付けていた。その、海藻はワカメであろうと思われたが、その長さが尋常では無かった。


 ワカメは通常長くても二尋(約3m)を越えることは無い。

 それが、件のワカメと来たら、十尋以上(約15m以上)の長さで土左衛門の全身に巻き付いていた。


 この話は、死人が他国の者、恐らくは浪人である事も有り。

 その日のうちに町奉行鈴木甚平より山野辺家老の元へ知らされた。


 山野辺家老は、鈴木甚平に詳細の調査を指示し。加えて、この事が若殿の御耳に届かぬ様にと緘口令を敷いた。


 家中の者が、子龍の尋常ならざるを知るに然程の時間を要しなかった。

 山野辺家老の緘口令が、指示されたその日のうちに、小物の口から女中を通して子龍の元へと怪事件は知らされていた。


 そしてその話には、事件の地元で実しやかに語られる”織姫塚“の伝承が添えられていると云う具合に、ご親切なものであった。


 事件のあった翌日。

 子龍は、朝から小野角衛門を呼び出し告げる。

「のぅ爺よ、我も此処に来て、早、一月余り、爺や山野辺家老の薫陶宜しきを受け、励んで参った」


「仰せの通り、若君に御座りましては某は言うに及ばず、御家老様の御言い付けにも逆らう事なく御過ごしになられました」


「そこで、ここいらでちょぃと息抜きをしたいのだがなぁ」 


「息抜きと仰られる、如何なることをお望みですか?」


「ちっと、那珂川を降っての、釣りをしたい供は平助が一人で良いぞ」


「ふむ、もう一人ぐらい気の利きたる者をお連れになる方が、宜しいかと存じますが?」


「要らぬ、今日も雲一つ見えぬ良い日和じゃ、平助一人で十分じゃ」


「確かに、あの者であれば間違いは御座らぬか、稀代の朴念仁故に」


「ふっふっ、成る程、面白みのない男、故にな」


 そうして、朝のうちに蔵屋敷の船着場に一艘の小舟と釣り道具一式が用意された。


 早々に、平助と舟に乗り込み、船の櫓は平助が取る。


「さて、平助よ、今日は一日釣り三昧と行こうかの」


「はい、ご同道仕ります、良しなに」


「苦しゅうない、もそっと砕けようでは無いか?そちゃ、我よりも歳重なれば、遠慮はいるまいほどに」


「はっ、お言葉忝く存じます、したが、主従の間ゆえ礼節は越えられませぬ」


「ふっふっ、何とも面白味のない、良かろう、時も経てば慣れよう。して、その方”織姫塚“とは知りおるか?」


「さて、”織姫塚“とは?初めて耳にいたしまする」


「このまま那珂川を降ると、涸沼川との合流点が有るそうな」


「恥ずかしながら、初めて聞きました」


「左様か、その合流点を涸沼川に上って暫し進むと、川底に大岩のあるそうな。其処の水面に耳を傾けると、水底より機織りの音が聞こえるそうな」


「誠に、御座いましょうや?」


「我が聞きしは、その通りよ!行ってみれば、分かることよ。其処まで降れば、鱸も釣れるらしいのぅ」


 「鱸で御座りますか、ふむ、よう御座りますな、其処まで参りましょう」



 小半刻も経たずに、那珂川と涸沼川の合流点に辿り着き、此処から涸沼を目指して上って行く。


 子龍は、船縁に両手をついて河底を覗き込み乍らに舟を漕がせた。暫く進むと、成る程に岸辺近くの水底に其れらしき大岩が見えた。


 「平助、岸に寄せよ!どうやら、此処の様だ」


 平助は、船を岸に寄せ、近くに有る木に舫い綱を掛けた。その間、子龍は水面に耳を着けんが如く傾けて水底の音を聞き取ろうとしていた。


 舳先に当たる細波の音に混じり、”カッタンコットン“と、聞こえなくも無い。


「平助、お主も聞いてみよ」


 子龍は、顔を上げながら舫綱を木に括り付け、船尾に佇む平助に声を掛けた。


「はい、仰せの通り」


 近付いて来た平助に場所を譲る様に、狭い小船の中で体を入れ替えた。

 平助は、子龍に背を向ける形で身を乗り出し耳を水面に近づけた。

 その様子を見て、子龍の中に悪戯心が湧いた。


 (平助め、此方に気を向けておらぬな、よし、河へ落としてやろうぞ)


 子龍は、平助の背中目掛けて両手を突き出した。


 平助は、本能のままにこれを躱したが、咄嗟に主人が河に落ちるのを止めようと手を伸ばす。


 子龍は躱された刹那に反転し、差し出された腕を掴んだ。

 二人は、其の儘、河に落ちた。


「子龍様、大事御座りませんか?」


「いやなに、大事、無い.....よもや、躱されようとは、見縊ったわ!まあ、良い、このまま潜るか!供をせよ」


「はっ、参りましょう!」


 二人は、着衣帯刀のままに水を蹴って水底に向けて泳ぎ出した。

 泳ぎ出したは良いが、何処までも底が見えない。

 息が、保たぬかと思った時に底が見えた。


 河底に足をつき周りを見回す。

 人丈を遥かに越えたワカメの森の中であった。森の中には一本の道が有り、その先に朱塗りの大門が見えた。


 二人顔を見合わせ、気付いた。

 確かに水の中で有る、それに違いはないのだが、息苦しさが微塵もない

 其れ許りか鼻にも口にも、一滴の水さえ入って来ない。


「然ても。面妖な事もあるものよ」


「左様で、御座りまするな!」


「まぁ、大門を潜って、織姫様の御尊顔を拝見つかまろうか」


「はっ、仰せの如く」


 主従は徐ろに歩を進めた。大門まで進み中を覗くと。五尋(約6m)に届かぬ河幅の底とは思えぬ広大な屋敷が有った。

 

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