鄙の消光、久しぶりの正義

鬼伯 (kihaku)

第1話 鄙の消光、久しぶりの正義 

01 夫婦別姓と崩壊


 金糸梅が咲いている。ずっと前からだ。背戸のとばぐちにあるのだが毎年笑顔をつれてくる。短く切っても切っても伸びる。いじけない。こっちが負ける。笑顔に頭をさげるしか方法がない。こういうのが人間でもいるが、人間だと誠実機械じかけみたいで気持ちのわるさがないでもない。人間はすねたりいじけたりするのが、また一つの誠実だからだ。

 2024年6 月、経団連が選択的夫婦別姓制度の実現を図るよう政府に提言した。経団連のHP「提言・報告書」の項に「選択肢のある社会の実現を目指して~女性活躍に対する制度の壁を乗り越える~」というタイトルで載っている。そのさいごの方に次のようにある。

「改姓による不利益・不都合を理由に結婚を諦める人や、事実婚や海外での別姓婚を選択する人もいる。その中には、人生の伴侶と別の姓にしたいというよりも、あくまで生まれ持った姓を変えずに名乗り続けることを、法律婚の『選択肢』として認めてほしいとの声も多い。配偶者と同姓となることも、生まれ持った姓を維持することも、『選択できるようにすること』が課題である。」

 これにつづき、政府への要望として、「以上の理由から、政府には、通称使用による課題を解消し、夫・妻各々が、希望すれば、生まれ持った姓を戸籍上の姓として名乗り続けることができる制度の早期実現を求めたい。この点、民法第750条を改正し」ウンヌンとつづく。

 この制度に反対する人たちの中には、夫婦が別姓では家庭がこわれるとか愛情がそこなわれるとかと主張する人たちがいるらしい。嗤っちゃう。あなたは恋愛するとき同姓の人だけを対象としたのですかと訊いてみたい。そんなことはないだろう。苗字が違っていても愛情は深まったであろう。ゆえに結婚に至ったのではないか。婚姻時に夫婦いずれかの姓を選べるといっても、その大概が夫の姓になるのは、夫が妻を所有下におきたいという意識が無意識下でずっと働いているからだ。この無意識というのが始末がわるい。一事が万事、この程度の制度改正がいまだ成らないのだから、いま取り沙汰されているウラガネ問題がうやむやになるのは目に見えている。あ、そうだ、同じ姓にしたって家庭がこわれた例はあっちこっちにあるけど。

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02 何百人出ても


 紫陽花が咲いた。東の端のは白い花。西の端のは紫。土壌がアルカリ性か酸性かで花色がちがってくるのだと聞いたことがある。アジサイは日本原産らしい。それがヨーロッパに輸出されて(品種改良されて?)逆輸入されたもののようだ。紫の陽の花とは妖艶な名だが、これは平安時代の学者・源順(みなもとノしたごう)の勘ちがいからきているとか。まったく便利な時代で、国会図書館のデジタルコレクションでかんたんに閲覧できる。『倭名類聚鈔』(わみょうるいじゅうしょう)の20巻の10の33コマ目に次のように載っている。

   「紫陽花白氏文集律詩云 紫陽花和名安豆佐為」(紫陽花は白氏文集の律詩

    に云[いわ]く、紫陽花とは和名[わみょう]の安豆佐為[あじさい]のこと)

 白氏=白居易=白楽天が紫陽花と書いたそれは別の花であったらしいが、源順が早とちりして書きこんだもののようだ。倭名類聚鈔は日本初の漢和辞書。

 都知事選が告示された。いままでで最も多い立候補者56人で争うのだとか。候補者の多いのを見て、梅雨空に声がぶらさがっている。

「こんなに多くてどうするんだ」

「何とかという党がかまわず何人も押し立てたんだヨ」

「供託金、都道府県知事選は300万円、一定得票数に達しないときは没収だ」

「ポスター掲示板が間に合うのか」

「売名行為のために選挙費用を使われたんじゃたまらないね、税金だからね」

「被選挙権者全員が立候補できるんだから、何百人でてもいいんじゃない」

「民主主義ってそういうもんだけどコストがかかる。このごろ弊害ボロボロ」

「法律で対応策を作るとか、ネ」

「供託金を上げれば貧乏人は出るなってことかという批判が出てくるし」

「良識を以ってといっても、どの候補者も良識があると思って立ったんだろう」

「ところで売名行為はなぜ悪いの」

「選挙は人気投票ではないという批判も聞くけど、実際は人気投票だよネ」

「政策を基本に選ぶべきというけれど、今までの選挙、ホントに政策で選んでた?」

「民主主義は弊害が多いっていうけど、それなら独裁を選択する?」

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03 おきなわ


 アルストロメリア(Alstoroemeria)が咲いて、同じ処にセージも咲いた。アルストロメリアはラテン語で、植物学者リンネ(1707-1778、スウェーデン)が友人の名から採ってつけたとか。わが国ではユリズイセンの名もある。セージはサルビアの英語名だそうで、うちのは紫だからソライロサルビアというものだろうか。葉のかおりがいい。長く咲くしね。アルストロメリアも長く咲く。強い。邪魔にして圧(へ)し折ってもまた出てくる。

 沖縄の「慰霊の日」は6月23日。日本軍の組織的戦争のおわった日となっている。1945年3月、沖縄本島から西方30キロメートルほどの処にある慶良間(けらま)諸島に米軍が上陸。3カ月にわたる攻防で日米あわせて20万人が死んだという。住民も死者の中に入っている。こういうとき、犠牲になったという表現はアイマイだ。死傷者、つまり負傷者をふくむのかふくまないのか。犠牲になったというのはたぶん死んだ、殺されたということなんだろうけど、ハッキリ20万人が死んだと書けば、そのほかに負傷者がいっぱいいるのだろうと想像できる。

 沖縄は以後、米軍施政下におかれ、施政権が戻ってくるのは1972年昭和47年まで待たねばならない。じつに28年という長い歳月になった。昭和47年という年は、2月の厳冬期に浅間山事件があった。おなじ2月に札幌冬季オリンピックがあった。オキナワが沖縄県として戻ってきたのは5月、佐藤栄作首相のときだ。2年後の1974年、佐藤前首相はノーベル平和賞を受賞することになるのだが、ノーベル賞以上の最大の賞にあたいするのは沖縄の人々であったろう。がまんがまんの日々だったのだ。74年の11月、立花隆が「田中角栄研究」(文藝春秋)を出して田中首相は退陣に追いこまれる。ああ、色々なことどもがあった時代だ。

 私は沖縄に行ったことがない。行く機会は何度かあった。だがそれらは観光が主だったので、沖縄のことなど能く知りもしないくせに、初回は観光では行きたくないと何となく退(ひ)いてしまった。初回だけは慰霊の旅としたいとカッコウつけていたので、ずっと行ってない。遊覧のカネがなかったこともある。

 しかし、行かなかったことで、ずっと脳裏に沖縄のことがある。行けば、慰霊はすんだと思ったかも知れない。まだまだおのれの勝手な口上だ。

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04 災害現場報告


 サンパラソル(Sunparasol)はマンデビラ(mandevilla)の改良品種だそうだが、いつしか独立の品種名をもったらしい。マンデビラはキョウチクトウ科蔓植物。キョウチクトウ(夾竹桃)は広島市の市の花である。広島市のHPに「草木も生えないといわれた焦土にいち早く咲いた花で、当時復興に懸命の努力をしていた市民に希望と力を与えてくれました。開花は夏で特に8月6日の平和記念日のころに花の盛りを迎え、咲き競う美しさはひとしお感慨を新たにさせます」とある。

 テレビで豪雨や地震などによる災害レポートを視聴すると、このごろやけに敬語が耳につく。このごろと書いたが、以前からなのかどうか判らない。中でも「――らっしゃる」ということばが、災害現場、事故現場にそぐわない印象をうける。たとえば、――地震によって家屋がくずれています。現地の方々が不安そうに見ていらっしゃいます。さきほどマイクに答えて下さった方は目に涙をうかべていらっしゃいました。こんなふうだ。文章だとそう感じないだろうが、テレビ画面を通して聞くと、やたらことばがトビハネているように聞こえる。トビハネてはふざけているという意味ではない。ことばがポンポンと跳ねているように聞こえるという意味だ。

 レポーターが災害できずついた人の心に寄りそおうとしている気持ちは伝わってくる。しかし、災害現場とか事故現場とかの報道はあまり(このあまりが難しいことは分かるが)敬語ウンヌンなどに気を取られないほうが緊張感を的確に伝えられるような気がする。前掲のことばを普通のことばに直してみよう。――地震によって家屋がくずれています。現地の方々が不安そうに見ています。さきほどマイクに答えてくれた方は目に涙をうかべていました。どうだろう、決して被災者をぞんざいにあつかっているという印象はないのではないか。

 私は考える。レポーターとかアナウンサーとかは、会社から視聴者はカミサマみたいな過度な教育をうけていて、現場レポートもあんなふうに、ラッシャルラッシャルが頻出するのだろうか、と。ことばはその場その場で生き、変容していくものだから定型にあてはめるわけにはいかないが、レポーターやアナウンサーの多くから自分の足で立っているという感覚が伝わってこないのだ。偏見だろうか。

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05 日本語なまり


 もう疾(と)っくからノウゼンカズラが咲いてる。ノウゼンカズラは凌霄花(りょうしょうか)と想像つきにくい漢字で書く。凌は二水に夌(りょう)、しのぐ・おしのける・氷などの意。霄(しょう)は雨冠に肖、みぞれ・天などの意。天を凌ぐほど高く咲くで凌霄花と書くらしい。陵霄花とも書く。阜偏(こざとへん)の陵にも二水の凌にも「しのぐ」という意味があって2字は通じている。ノウゼンカズラは夏の暑いさかりに日輪とあらそうかのような橙色の花を咲かせて凹(へこ)垂れるということがない。

 新聞の読者投稿欄に「日本語なまりの英語も評価を」という記事が見えた。投稿者は大学生。女性。英国人の父親をもち海外の生活体験もある。彼女は高校生のとき、英語スピーチコンテストに参加した。その経験をもとに次のように誌す。

「英語は、国際都市で他言語を母語とする人たちが意思疎通するためのツールでもある」「多様なアクセントが飛び交い、ぶつかり合うのが英語の美しさではないのか」「日本の英語教育では発音の良さが評価され、日本語なまりの発音は否定される傾向にある。しかし私は、国際的なアクセントの一つである日本語なまりの英語も明確に評価するべきだと思う」

 励まされる投稿だ。日本人は文法がどうのRとLの発音がどうのと忠実忠実(まめまめ)しい気づかいを示す。でも考えてみよう。日本語の場合、雨と飴の発音がちがってもその場の話題で見当がつく。熊と隈はほとんど同じ発音だが、どっちをいっているのかその場では分かるものだ。不明だったらたずねればよい。母語の日本語ではこんなに寛容なのに英語になったとたん不寛容(intolerance)になるのは、コンプレックスからくる神経過敏ではないだろうか。

 モバイルフォーンのEメールには音声入力式がある。英語の処をひらいてみよう。English (Australia)、English(Canada)、English(Generic)のようにあり、(Ghana)(India)(Indonesia)(Ireland)(Kenya)(New Zealand)(Nigeria)(Philippines)(Singapore)(South Africa)(Tanzania)(Thailand)(UK)(US)とつづく。ここに(Japan)と足してもらえばいいのだ。Generic(ジェネリック)は一般的な・包括的なの意。ジェネリック薬品のあれとおなじ。

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06 久しぶりの正義


 浜木綿でも、うちのはインドハマユウ。インドハマユウは本当はアフリカハマユウというのだそうで。つまりインドハマユウは別にあるということだ。浜木綿はハマオモトの別称だとも辞書はおしえる。なるほど葉がオモトだ。

木綿(もめん)と書いてユウと読む。この木綿(ゆう)は祭事のおりにサカキにつけて、祓えたまい清めたまえ、とやるあの幣(ぬさ)のこと。インドハマユウの花は百合のようなラッパ形だが、ホントの浜木綿のほうは白い花が細長く裂けた形で幣を思わせる。インドハマユウも、さっき、顔を近づけてきてみたら幽香がした。

 久しぶりに正義の字がおどった。「おい正義よ、おめえさん、どこをほっつき歩っていたんだ」落語ならこんな台詞になる。おとついの新聞は、第1面がすがすがしかった。「強制不妊、最高裁『違憲』」「国に賠償責任」「請求権消滅せず」「重大な人権侵害」こんな文字がのびのびと両手をひろげていた。

 旧優生保護法のもとで不妊手術を強制されたのは憲法違反だと被害者らが国に損害賠償を求めた件、最高裁大法廷(裁判長=戸倉三郎長官)は正義のありかたを示した。そもそも旧法は立法時点で違憲だったといい、国に賠償を命じた。さらに、不法行為から20年で賠償請求権が消える除斥期間については、人権侵害の重大性に照らし「適用するのは著しく正義・公平の理念に反する」と正義の何たるかを押し出した。

 法務省だより「あかれんが」(2010 July vol.31;法務省大臣官房秘書広報室)に、「公訴時効の改正について」のQアンドAにおいて、「Q1 今回、殺人罪などの時効が廃止されたと聞きましたが、どのような経緯だったのですか。」に対して、「A 今年の4月27日、『「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律』により,殺人罪などの公訴時効が廃止されました。」と記されている。つまり、「例えば、殺人罪(既遂)や強盗殺人罪など、『人を死亡させた罪』のうち、法定刑の上限が死刑であるものについては、公訴時効は廃止されました。」ということ。このことに照らしても旧優生保護法下の強制不妊手術は生まれるいのちを生まれなくしたのだから、見えない殺人ではなかったか。民を守るべき国が民を棄てて「ハイ時効です」は許されない。

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07 名を正す意味


 木槿(むくげ)はモクゲともいうそうだ。木槿の漢字は中国由来でモッキン・モクキンと読む。槿は菫(すみれ)とおなじだから木槿は木の菫。木の菫とは正にその名のとおりで、愛すべき名だ。ムクゲは韓国の無窮花(ムグンファ)からきているともいう。窮(はて)しなく咲きつづける花、信念の花で韓国の国花である。

 論語に、「孔子の高弟である子路(しろ)が孔子にたずねる、『衛の国の君主が孔子に政治をまかせるといったら、師匠は何から手をつけますか」。孔子は答える、「名を正すことからはじめる」。この章句は字面だけでは理解しがたい。名前・名称・呼称を正して何の効用があるのかと誰でも思う。子路もそう思って訊く。孔子はいう、「名が正しくなければ物事が正しくおこなわれないからだ」と。

 そのころ衛の国では父霊公(れいこう)、霊公夫人の南子(なんし)、息子の蒯瞶(かいがい;荘公ソウコウ)、孫の輒(ちょう;出公シュッコウ )が入り組んでいがみあっていた。各自が与えられた職名に正対せず、まつりごとはおろそかになった。ゆえに名を正すと孔子はいったと先学は教える。

 孔子の正名(せいめい)論は身分制下の話。君主は君主として臣下は臣下として正しくあれということ。その身分制の名残である名称を正すというのが今日の正名論でありたい。家制度をひきずった「嫁」は「妻や連れ合い」などに。「主人」は「夫や配偶者」などに。「○○ちゃんのお母さん」は「AさんBさん」などに。こういった名称もそうだが、男ことば・女ことばは美意識にかくれた主従関係維持装置の面もある。男は乱暴語でもよいが女は丁寧語で話せという抑圧が見えないか。

 ある土地では男女が自分のことを「オレ」であらわす。これを人は田舎びたとさげすむが、じつは男女がかなり平等関係にあるという証拠だと私は思っている。英語では男女とも「I」「YOU」であるからこそ男女平等意識は根づきやすかったであろう。これが「おいオマエ」「はいアナタ」ではいつになっても支配・被支配関係の色抜きはできない。

 学校の保護者会のことを未だ以って父兄会などという人を見ると、この人の脳は戦前製なんだなと嗤っちゃう。議員のことをセンセーなどというのは煽(おだ)て用語としては恰好だが、そこに先生はいるが自立した個は見えない。

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08 かがやく女性たち


 昨日、カラスウリ(烏瓜)の花は夜咲くと家族におしえられて、今朝4時におきて外に出た。白く小さいの蕾のようなものがあった。カラスウリの花はふちがさけて糸状になっているというからすでにしぼんだものだったか。それで夜8時前に外に出た。玄関灯の明かりがとどかない処で咲いていた。撮った。きれいに撮れた。

 NHK地上波テレビ「ドキュメント72時間SP、フランス・パリ 街角のマンガ喫茶」を録画で視た。フランス人は日本の絵贔屓だ。むかしは浮世絵を称讃し、いまはマンガらしい。マンガ喫茶に来る来る、中学生が来る、青年が来る、家族連れが来る。盛況ぶりが見てとれる。番組担当者が、お客さんに「何を読んでいますか」と訊く。○○と答えが返ってくるのだが私にはちんぷんかんぷん。ぜんぶ日本のマンガなのに聞いたこともない。

 ある男性が日本のマンガのよさについて語っていた。日本のマンガは人間的だ。中身も子ども扱いしてなくていい。子どもだっていろいろ考えている。主人公の悪い点も描かれていて人間的だと思う。アメリカのマンガだと主人公は完璧で人間くささがない。こんなふうなことだった。

 その中で「日本のマンガ人気ベスト5。パリで100人に聞いた」というのがあった。5位「進撃の巨人」、4位「鬼滅の刃」、3位「ドラゴンボール」、2位「Naruto」(ナルト)、1位「One Piece」(ワンピース)。聞いたことはあるが内容は一つも分からない。お恥ずかしいかぎりと義理にでもいっておかねばならないだろう。

 漫画文化の輸出とともに、そのむかし活躍した女性たちのことも伝えてもらうとありがたい。そうそう、マンガで。「源氏物語」の紫式部は疾うに知られていようが、英才小野小町の生き方、日記の和泉式部、「枕草子」の清少納言、「蜻蛉日記」の藤原道綱の母、「更級日記」の菅原孝標のむすめ、和歌の赤染衛門や藤原俊成のむすめなど、平安中期から鎌倉前期にかけた約200年のあいだに、女房三十六歌仙が示すように、おのれを才能を開花させた女性たちがゾロゾロといた。たぶん世界を見わたしても、あんな古い時代にこれほどの女性がワンサといた例はないのではないか。母だとか娘だとかと表記されて本名は残されていないが、たしかにいたのだ、かがやく詩人たちが。

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09 負け方について


 日日草(ニチニチソウ)は強い。どんなに暑くても平気の平左だ。辞書に、ビンクリスチンなどのアルカロイドをふくみ抗腫瘍剤にもちいる、とある。ビンクリスチンもアルカロイドも分からないけれど、抗腫瘍剤ってこういうところから作るのか、ヘェーと感嘆する。地道な研究者に頭がさがる。

 いまパリ・オリンピックの真っ最中。次にかかげるのは新聞一紙における朝刊夕刊に見たおもな見出し。○や○○は選手名。「言葉の力 ○を頂上に」「○○の秘策 あと一歩」「○○、押し潰されて」「卓球は深い、61歳の学びは続く」「○○7位『すがすがしい』」「○○ 4強ならず」「決勝Tへ 前戦の失敗取り返す」「20歳 美の結晶」「35歳○○、長男に見せる挑戦」「女子の初の『胴』」「1点差 耐えて歓喜」「○○、届かず4位」「○○○、連覇逃す」「体の硬さ逆手に、挑むF難度」「○○4強、日本勢のとりで」「33歳○○、回診の4位入賞」「○○、粘るも力尽く」。

 「頂上に」「失敗取り返す」「美の結晶」「耐えて歓喜」などは勝利感がある。「あと一歩」「押し潰されて」「4強ならず」「届かず4位」「連覇逃す」「粘るも力尽く」などは敗北感がある。勝利を見込めなかった選手が一つでも勝つと「勝ったー」という感覚に祝福され、金メダルまちがいないしかという選手が銀メダルだと「負けたー」という感覚に支配される。ここに勝利と敗北という字義だけではあらわせないものがある。「61歳の学びは続く」「すがすがしい」「体の硬さ逆手に」などは勝敗とは別の視点があってすくわれる。

 柔道はもう日本だけのものじゃないのに日本発という自負があるせいだろうか、判定に対する日本選手の不平が目についた。負けた自分が許せないということだったろう、女王様が駄々をこねるように泣きじゃくる選手もいた。金メダルまちがいなしと見込まれた選手だからその悔しさは計り知れなかったろうが、あんなに長く泣きじゃくられちゃー、勝ったほうの選手の気持ちはどうだったろう。あの子は王様の子なんだから勝っちゃ駄目といわれたのに勝ってしまった場都合(ばつ)のわるさ、そんな気持ちになったのではないか。女王様には吉田兼好の徒然草にあることば、「他に勝ることのあるは大きなる失なり」を献上するのはきつすぎるだろうか。まだ若いのだし、ネ。失敗は誰でもあらーナ。

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10 リベンジなる語


 ミカンの木が1本ある。温州(うんしゅう)ミカンだ。女の房の主が植えたものだ。ヌシがよく世話をするのでけっこう生る。今年も鈴生り。赤ちゃんのこぶしくらいになっている。温州ミカンについて、ある辞典は「ミカンの名産地であった中国浙江省の温州に由来」といい、ある辞苑は「中国浙江省の温州はミカンの生産で有名だが、これとは無関係」という。ある百科全書は「ウンシュウミカンは日本原産で、田中長三郎によると、江戸初期、中国浙江省から現在の鹿児島県出水地方にもたらされた『早桔(そうきつ)』または『慢桔』の偶発実生とされている」などの説を載せている。

 リベンジということばが好きではない。スポーツではよく使われる。きらいだ。スポーツではたぶん再挑戦とか雪辱戦の意味で使われているのだろうが、私にはどうも、この語の第一義である「復讐」という意味がおおいかぶさってくる。

 ある英和辞典は①に「復讐、仕返し、遺恨」とし②に「雪辱」。もう一つの英和辞典は「re(激しく)venge(仕返す)」と前置きし、①に「復讐、報復、仕返し」を載せ、②に「雪辱」を載せる。英英辞典にも「revenge」について訊いてみる。英文は省いて拙訳をかかげると「自分を苦しめた相手を苦しめるために行う行為」。じっさいの英語圏ではどのような意味で使われているのか知らないが、復讐復讐復讐、リベンジリベンジリベンジは感心しない。せめてリチャンレジ(re-challenge)くらいでどうだろう。

 パリ・オリンピックのさなかだ。軽い乗りで「リベンジするか」ならまだしも、敗戦の悔しさいっぱいに「リベンジしたい」などといわれるとゾッとしない。リベンジという語をもちいるときは多少笑みぶくみだといいナ-。スケートボードなどのアーバン・スポーツの選手は、負けても復讐感を漂わせないから気持ちいい。Tシャツや前開きシャツで、そこで遊んでたらオリンピックやってるっていうから出てみたんだヨ、そんな感じで気負いがない。オリンピックに平和の使者がいるとしたら、アーバン・スポーツの選手たちだろう。

 ユニフォームを着、国旗国家を背負い、人生をかけて、ああ重苦しい。勝者をたたえる国歌演奏のかわりに、開催都市が決めた曲を流したら?

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