年を渡る鍵

年を渡る鍵

 時刻は午後六時過ぎ。今年も残り、六時間を切った。


 アジトのダイニングテーブルには、豪勢な料理が並んでいる。大盛りのサラダに熱々のグラタン、とろとろに煮込んだビーフシチュー。ターキーやケーキがあるのは、ひと足遅いクリスマスパーティーも兼ねている。日本人のおれや日本びいきのザジのために、寿司や年越しそばなどの和食も抜かりない。そばのどんぶりにはひとり一本ずつ、大ぶりなえびの天ぷらが乗せてある。


「じゃあ、そろそろ始めようか」


 口火を切って、ルナがシャンパングラスを掲げた。


 おれとザジも彼女に倣い、自分たちのグラスを持ち上げる。


「では今年も一年、おつかれさまでした。我ら〈ボトルムーン〉の年越しに、乾杯!」

「かんぱい」

「かんぱーい」


 彼女の音頭の言葉に、おれとザジも思いおもいに唱和しながらグラスをぶつけ合う。


「にしてもふたりとも、ずいぶん盛大に用意したもんだな。この豪華ディナーを味わえないとは、シェリファも惜しいことをしやがる」


 さっそくターキーにかぶりつきながら、ザジが優越感をにじませて言う。


「しかたないよ。シェリファにはシェリファのつき合いがあるんだから。来年の、わたしたちのチームのさらなる活躍のための布石でもあるんだしね。彼女にしかできない役目だ、せいぜいがんばってもらわないと」


 シェリファは夕方からひとり、ロンドン市内にあるクラブの年越しパーティーに出かけていた。ルナの言うように、彼女が持つ幅広い人脈は、情報収集の面で〈ボトルムーン〉の仕事のかなめになっている。プレイガールのしがらみも、なかなかご苦労なものなのだ。


「あいつ、今夜はちゃんと帰ってくるんだろうな」

「さあね。寂しいけど、もし帰ってこなかったらそれもしかたないよ、ザジ」


 ルナはシャンパングラスにそっと口をつけると、珍しくおっとりした目をおれに向けた。


「日本はいまごろ、とっくに年が明けてるのかな」

「ん、そうか、そうなるな」

「む……ヒデトが一番乗りなのか。なんか悔しいな」

「ま、日出ずる国だからな」

「ごめんね。ほんとはヒデトも、日本で新年迎えたかったよね」


 やけにしおらしいと思ったら、そんなことを気にしていたのか。


「別に、ルナが謝ることじゃないだろ。それにあんなできごとがあって、当分故郷の国に帰れなくなったのは確かに残念だけど、いまはここがおれの家なんだ。今年もみんなと一緒に年を越せて、おれは嬉しいよ」

「ヒデト……」

「にしても、先週の仕事はちょっと悔しかったよな。せっかく今年最後の仕事だったってのに、なんかケチがついたみたいでさ」


 しんみりした空気を嫌ったように、ことさら大きな声でザジが話題を変えた。


「ああ、あの警備員に追いかけられたやつな。ルナが部屋を間違えて」


 その依頼を実行に移したのは、二十六日の未明だった。


 場所はテムズ川沿いに建つマンション。高級住宅ではあるが、建物自体は古く、鍵もおれなら余裕で開けられるちゃちな代物だった。


 しかし、ルナの指示で侵入した部屋が、標的のサファイアのネックレスを所有する金融業者一家の住居ではなく、マンションの管理人のオフィスだった。そのことが、計画にタイムロスを生じさせた。


 間違いにはすぐに気づき、本来の部屋に侵入し直した。だが、建物の裏口を開けた際に作動したセキュリティシステムが警備員を呼び、おれたちは逃走中にそれと鉢合わせしてしまった。幸い、標的のネックレスは無事に盗みおおせたものの、ケチがついたみたいだというザジの感覚にはおれも同感だった。


「だけど、らしくなかったよな。あんな凡ミスを、ルナがするなんてさ」

「まあまあ、ヒデト。弘法にも筆の誤りってやつさ」


 自分でそう言いきってしまうところが、ルナのルナたるゆえんである。


「言い訳するつもりはないけど、今夜くらいはそういう反省は言いっこなしだよ。せめて来年が縁起のいい年になるよう、せいいっぱい年忘れパーティーを楽しもう」


 別にザジも、強いてルナを非難する意図はなかった。その後、おれたち三人は和気あいあいと食事を進め、料理が半分以上減ったころには、リビングに移っていつもの格ゲーで盛り上がっていた。


 十時過ぎになって、玄関の扉が開く音がした。


「ただいまぁ」

「あれ、シェリファ? 意外と早かったね」


 ソファーでコントローラーを握ったまま振り返り、ルナは目を丸くする。すでにかなり飲んでいるようで、シェリファの足取りはやや怪しかった。


「なんか退屈になっちゃってさぁ。わたしだってせっかくなら、年の変わり目はみんなと一緒に過ごしたいし。あ、料理残ってる?」

「シェリファ……」


 思いがけない仲間の合流と言葉に、ルナは感に堪えない様子だった。だが、モヘアのコートを脱ごうとするシェリファを、彼女はなぜか制した。


「あ、シェリファはそのままでいいから。割と頃合いになってるし、ヒデトとザジも支度して」

「なんだ、ルナ。出かけるのか?」


 まったく聞いていなかった話に、おれは戸惑った。


「もしシェリファの帰宅が間に合えば、行こうって思ってたんだ。ほら、年越しの花火大会」

「それって、〈ロンドン・アイ〉で打ち上がる、あれか?」


 テムズ川の河岸に建つ大観覧車〈ロンドン・アイ〉。そこから年が変わると同時に、大量の花火が打ち上がる。ロンドンの大晦日の名物である。


「あれを観にいくのか。でもルナ、チケットなんて買ってたか?」


 なおも戸惑い気味のおれに、「冗談」とルナは笑う。


「わたしたちは泥棒だよ。人ごみに混じって花火を見上げるなんて平凡なことはしない。せっかくなら、泥棒ならではのとびっきりの特等席で、ゆったり眺めようじゃない」


 泥棒ならではの? 刑務所か?


「ま、種明かしはあとの楽しみに取っといて。ほら、ふたりとも、準備準備。新年まで、もうあまり時間は残されてないぞォ」


 ルナに促され、おれたちは慌ただしく外套を着込んでアジトを出た。四人で車に乗り込むと、おれがハンドルを握って夜の町に繰り出す。


「でも、いまから向かって間に合うかしら。会場の周辺、交通規制とか厳しいでしょう。わたしが帰る途中もすごかったわよ」


 シェリファの懸念に、助手席のルナは自信に満ちた声で返す。


「大丈夫。その辺りはわたしがしっかりシミュレーションしてるから。だからヒデト、わたしのナビには正確に従ってね」

「へいへい。にしても、久々に運転するな。いつもはシェリファに任せてるから」


 幸い、ルナのナビが的確なためもあってか、道中は順調だった。会場であるテムズ川の沿岸が近づくと、さすがに往来の激しさが実感された。ややのろのろした車の流れも、どこか浮き足立ったものに感じられる。


 やがて、目的地に到着したようだった。ルナの指示で路肩に停車し、運転席を降りたおれは、すぐに違和感に気づいた。


「……ここ、先週仕事に入ったマンションじゃない」


 正面に建つビルを見上げ、シェリファが意外そうな声を上げた。


「ああ、道理で……ここから花火が見えるのか、ルナ?」

「うん、屋上から〈ロンドン・アイ〉が見通せるんだ。ほら、住人が帰ってきたみたいだよ。時間ももうないし、あれと一緒に中に入ろう」


 その男性も、自宅から見える花火を目当てにしているのだろうか。早足の彼の背後について、おれたちはオートロックの扉をくぐった。


 エレベーターで最上階まで上がり、ルナの先導で廊下を抜けて、屋上へのドアの前に立つ。ドアに鍵穴がついているのが目に入り、おれは肝心な見落としをしていたことに気づく。


「……おい、おれいま、解錠道具持ってないぞ。こうなるって言われてたら、ちゃんと持って出たのに」

「いや。この屋上の鍵だけ、最近になって取り換えられてるんだ。最新の電子錠が使われてるから、ヒデトにも開けることはできない」

「じゃあそもそも、どうやって開けるんだよ」


 混乱するおれの目の前で、おもむろにルナは一本の鍵を取り出した。


「……え?」


 彼女がその鍵を鍵穴に差すとあっさり回り、ドアは開かれた。


「ルナ、そんなもの、いったいどこで……まさか」


 その瞬間、おれの中ですべてがつながった。まったく、一年の最後の最後まで、彼女には驚かされる。


「このために先週、ルナは管理人室に入ったのか。部屋を間違えたわけじゃなくて」

「安心して。ちゃんとあらかじめ用意した偽物と、すり替えておいたから。盗まれたことすら、まだ発覚してないと思うよ」

「なんだよ、そりゃあ。そういうことは前もって言えよな。警備員の奴らとバトることになっておれ、だいぶ肝が冷えたんだぞ」


 大げさに天井を仰ぐザジに、ルナは苦笑しながら鍵を引き抜く。


「ごめんごめん、みんなをびっくりさせたかったからさ。もちろん先週じゃなくて、今夜のことね。さあ、年明けまであとわずかだよ。三人とも、入った入った」


 外に出て、屋上の端に立ったおれたちの口から、誰からともなく嘆声がこぼれた。


 眼下には黒々としたテムズ川が広がり、その向こうに、鮮やかにライトアップされた〈ロンドン・アイ〉がそそり立っている。観覧車のふもとでは、大勢の観客たちがひしめいているのが、油絵の表面を見るように分かる。


「ふぅ、ぎりぎり間に合った」


 ルナが安堵の声とともに腕時計に視線を落としたとき、〈ビッグ・ベン〉の鐘の音が、一帯に荘厳に響き渡った。


「さァ、カウントダウンだ。皆さん、ご一緒に。五、四――」


 三、二、


 一、


 最後の数字が呼び上げられた直後。〈ロンドン・アイ〉から無数の光が解き放たれた。


 ぱっ、と、まばゆい光の花の群れが夜の町いっぱいを照らし出すとともに、耳を圧する爆音が轟いた。


「ハッピー・ニュー・イヤー!」


 その爆音を押しのけるように、ルナが思いきり叫ぶ。


「あけましておめでとう!」

「あけおめー」


 シェリファとザジもテムズ川に向かって、思いおもいに叫んでいる。


 おれは言葉がなかった。視線の先、夜空に色とりどりに咲き乱れる、無限にも思える量の大輪の花を、ただひたすら呆けたように見つめていた。


「ヒデト」


 ふいに名前を呼ばれ、おれはかたわらを見やった。


 ルナがすぐとなりで笑いかけてくる。


 風に激しくなびく銀色の髪を片手で押さえ、褐色の端整な顔を、対岸で打ち上がる花火がかすかに照らしている。


 まるで夢の中のような、彼女の美しさだった。


「ヒデト。この眺めをしっかり見ておくようにね。来年もまた見られるとは限らないから」

「……そう、だな。今年も無事に年を越せるとは、限らないもんな」


 痛いような寂しさが、おれの胸を襲った。


 窃盗チーム〈ボトルムーン〉。その日々は、文字どおり一秒先の未来すら分からない、不安定極まりないものだ。明日には逮捕されるか、ギャングに殺されるか。泥棒を仕事にするというのは、そういうことだ。だからこそ、おれたちは目に焼きつけなければならない。自らが心の底から美しいと感じたものを。それのために全力で駆け抜ける、おれたちだけのイマを――


「ううん、違うよ」


 だが、ルナは穏やかに首を振って、おれの返事を退けた。


「わたしたちはこれから、もっと広い世界を見ていく。この先いろいろな国で、土地で、年を越すことになる。でも、だからといって、いまのこの記憶を薄れさせたくはない。ニューヨーク、リオ、アマゾン、東京、そして、ロンドン。わたしたちが渡り歩いてきた世界のすべては等しく、わたしたちにとって価値のある宝となる。それが、チーム〈ボトルムーン〉の誇り」


 光と音が、ロンドンの夜を染め上げていく。祝福の灯が太陽のように、世界中を照らし出す。だけど、おれたちの影だけは、安らかな闇にいつまでも覆い隠されている。


 どちらからともなく、おれとルナはそっと手を握る。


「ヒデト。あけましておめでとう。今年もよろしくね」

「……ああ、おめでとう。これからもよろしく、ルナ」


      了

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瓶詰め月の盗み方 花守志紀 @hanamori4ki

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