第7話 悪い噂

「これさーマジで誰にも言わないで欲しいんだけど、ほんとう秘密ね秘密。ウラハちゃんっているじゃん? なんかね、先輩が駅前のホテル街でおじさんといるところ見かけたんだって。そーパパ活だよ絶対。やばくない? 学校だとあんなお嬢様って感じなのに体売ってんだよあの子」

「ウラハちゃんってなんか実はめっちゃ性格悪いらしいよ。裏だとめっちゃ人ディスるらしい。なんか一年の子に聞いたんだけど、あ、これ内緒ね。廊下でウラハちゃんに遭遇して、それであの子電話してたらしいんだけど、電話越しにめっちゃ悪口言ってたらしい」

「ウラハちゃんの親の話聞いたことある? なんか犯罪者らしいよ。何の罪かはわからないけど、どうも親がやらかして、その関係で転入してきたって」





 ファミレスでマリオネとディナーをした時、ウラハの話題が上がった。結局俺とマリオネは空いた食器を店員が回収したあとも一時間くらいそこに滞在していて、テーブルには申し訳程度に頼んだ“プチフォッカ”とかいう小さい揚げパンをあてにしていた。


「——ほぉ〜ウラハのやつぅ〜青春してんじゃん〜」

「ウラハ曰く、学校はもっと殺伐とした場所かと思ってたみたいだけれど、違ったって。学校っていう場所はみんなが互いに歩み寄って、争いの微かな芽すらも摘んでいるような几帳面さがあるって、深いこと言ってた」


 しかしこれにマリオネは渋い顔を浮かべた。なんとなく、俺ももマリオネがこういう反応をするだようなぁとは思っていたが。


「学校は社会の縮図だからねぇ〜。まだウラハは人類というのが怪獣と同じで——まぁ憎悪までとは言わないけれど、人に言えない感情や思いを内包しているということに気付いてないのかもねぇ。たしかに人間は争いの微かな芽を摘むんだけど、その摘む動作にはストレスが伴う。要はみんな喧嘩しないように我慢してるだけ。でしょ〜芹沢くん」

「マリオネ、君は人間を何年やってるんだ」

「六十日目ぇ?」

「六十年の間違いだろ」


 マリオネットはふにゃふにゃの指でダブルピースを多分深い意味はない。ただ、やっぱり彼女の客観視というか、人間に対する見方は他の二人と比べてズバ抜けている。


「でもちょっとウラハが心配ねぇ〜そんな純粋な心のまま学校に突っ込んで、大丈夫なものかなぁ〜」


 マリオネが心配していた現実はもう直ぐ目の前にあった。

 人は内包していたはずの感情——個人に対する愚痴や不満、嫉妬や恨みを時として水風船が破裂したみたいに解放することがある。その起爆剤となるのが——同じ気持ちを抱いている同志と会って、お互いに意見を交換し合うことだ。

 自分の敵と友の敵が一致した場合、結束はより固くなって、さらにその敵の名前を大きい声で言うようになる。


 教室の窓、秋の薄い雲が青空に張りついている景色の傍らで俺はいつも通り休み時間に読書をしていると、クラスの女子たち三人が、なにやら息を潜めるようにしてこそこそ話している。しかもその声が聞こえる範囲に俺がいるのにだ。これはいわゆる俺が人畜無害及び空気認定されているからこそ起きる現象。


「隣のウラハちゃんさぁ、なーんか色々噂立ってるんだよねぇ」

「あ、私も聞いた聞いた!」

「え、マジ? 私なんにも知らないんだけど。なになに良い噂? 悪い噂?」

「性格が


 キャッキャと猿みたいな声をあげる二人。まだ何も知らない女子は早く自分も仲間に入りたくて「なになに??」と必死に話題に食らいつく。その目は好奇心で輝いていた。俺もすでに開いている本の文字が頭に入って来ず、ページをめぐる手が止まっていた。ウラハの性格が悪い? ……都を滅却しようとした点に関しては、たしかに人類視点でいえば“悪”かもしれないけれど。


「あんなお淑やかな顔して実は自分のクラスの悪口とかめっちゃ言ってて、しかも学校終わりにキャバ系の店で働いてるとかなんとか。で、一番の極めつけは、そのキャバで会った金持ちのおっさんの家に居候してるらしいの」

「えぇ! うわ〜やばー。まぁ私最初から嫌いだったけどねあの子。ああいう美人だから人生徳してるやつって甘ったれてるよね」

「わかるわかる〜」


 なんだこの根も葉もない噂。なにもかもがデタラメじゃないか。目立つ者の宿命……にしたって、これではウラハが可哀想だ。俺は我慢ならず、思わず彼女たちに声をかけてしまった。


「ちょっと君たち」


 まるで銅像が喋ったみたいに目を丸くする女子たち。そこまで驚かなくてもいいだろうと言いたいが、俺は本のページを見失わないように指を栞にして、彼女たちに言う。


「噂を広めるくらいならまず本人に訊いてみたらどうだ」


 女子三人は何も言わずに、お互いに顔を見合わせてぷくすく笑い始めた。


「え、誰?」


 そう言い残して三人はどこかへ消えてしまった。クラスメイトにそんな態度とるか普通? 

 ……いや、俺が“高校生”らしく過ごすことに力を注がなかった結果が招いた事態だろう。完全にこの学校で孤立してしまっている。学校というのは“友達の数=強さ”みたいな極端な空間ゆえ、俺はさっきの三人組にも舐められた。俺の影響力が皆無な以上、ウラハへのよくない噂を食い止めるためには、今みたいな噂のしらみ潰しは意味が無い。俺が出来ることといえば——


 


 ——次の授業、中年の日本史の教師が黒板に鎌倉時代の年表を書いている途中、


 俺はバン! と机を叩いて急に立ち上がった。

 まるで全員の視線が質量を持ったみたいに俺に刺さる。


 しかし、めげずに俺は上半身を脱いで、


 阿波踊りをかましてやった。


「エライヤッチ! エライヤッチャ! ヨイヨイヨイヨイ!」


 恥も承知、覚悟の末に決行した俺の渾身のウラハ救出案だが、結局俺は生徒指導室に連れて行かれて、三日間の謹慎処分を食らった。




 



「平沢さん、踊りたいのならせめて休み時間にやらないとだめですよ」


 授業中、急に阿波踊りを踊ったやつがいるという噂は瞬く間に学校中に広まった。これは俺の体感ではあるが、ウラハのよくないデマは塗り替えられたと思う。だいぶ手応えがあった。


 終業後、ウラハから俺に連絡があり、俺たちはコンビニで紙パック紅茶とアメリカンドッグを買って公園のベンチで話していた。もちろん俺の奇行についてウラハに問いただされている真っ最中である。


「どうしても我慢できなくてね。つい踊ってしまったよ」

「私も是非見たかったです。今度披露して頂けませんか?」

「まぁ、気が向いたらね……」


 秋風に白銀の髪を靡かせながらウラハはアメリカンドッグの皮の部分だけを食べていく。焼きとうもろこしを食べる時みたいだ。そして剥き出しになったソーセージ部分は先端からかじっていた。口元に手を添えてお上品に。


「でも私、三日間だけではありますけど、平沢さんがいないとなると学校に行くのが少し心細くなりますね。


 やけに俺の表情を窺ってくるウラハ。


「そうか? ウラハ友達も多いし、何も気に病むことはないよ」

「そうなんですが……」


 俯くウラハ。気がかりなことがやっぱあるのだろうか。俺は彼女に悩んでいることがあれば話すようにと伝えると彼女は声を曇らせながら言う。


「これまでご友人にも恵まれて、放課後はカフェに誘って頂いたり、カラオケに行ったり、この前は初めてお休みの日にも遊びに誘って頂いたりして、とても良くしてもらっていたのですが、最近は何というか、皆さん私抜きで遊んでらっしゃるみたいで。その、私がずっと受け身だったこともあるので今さら誘ってくれなんて言うのは厚かましいですが、何かこう、心を少しえぐられたといいますか……。でも、皆さん教室ではちゃんと話してくれます。だからこそ、よくわからないのです」


 やっぱり噂が効いてしまってるみたいだ。一体何をきっかけにあんなあられもない噂が出回っているんだろうか。ウラハ本人にはまだ伝わっていないのが幸いだ。


「ウラハたち怪獣が憎悪を宿しているように、人間にも面倒くさい感情みたいなものが勝手に宿ったりするんだよ。例えば“嫉妬”とか」


 ウラハは体ごと俺の方に向けて身を乗り出し瞼を膨らませる。顔がやけに近くて俺は刹那にドキッとしてしまった。


「私なにか嫉妬されるようなことしましたでしょうか? あ、でも、強いて言うなら体育祭で目立ちすぎた気がします……人間とはフィジカルが違うにも関わらず、フェアじゃないことをしてしまいました」


 どちらかといえばその白くて美人すぎる顔とシルクみたいにしなやかな銀髪とそのモデルみたいにすらりとした体の方じゃないか。インフルエンサーになったらすぐにバズりそうだ。そういう唯一無二の容姿を今時の女子高生は欲してるだろうから、たしかにもう少し人類に配慮した見た目で生まれてきていたら、こうはならなかったかもしれない。


「でもそれはウラハが悪いんじゃなくて俺たち人間のさがが悪いんだ。まぁそう自分のことを責める必要はないよ」


 ウラハは西に落ちる夕陽を見つめて、まるで今日の終わりと明日の始まりが近づいていることに憂いているような、そんな風に見えた。

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怪獣令嬢は人権を吠える 山猫計 @yamaneko-k

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