第6話 煙草の男

「ごめんねぇ急に誘ったりしてぇ。ほらさほらさ座って座って〜」


 ソファ掛けの座席でマリオネは神秘的なエレクトリックブルーの髪と、それに合う色付きのサングラスをかけていた。ちょっと猫背気味でメニュー表を眺めている。ファミレスの窓から見える夜の街は人気が少なくて、光の届かない闇がどこかもの寂しさを感じさせていた。俺はマリオネに晩御飯を誘われてここにいるのだが、彼女とこうして出かけるのは初めてかもしれない。


「私はねぇ〜コーンスープ」

「……え、それだけ?」

「そだよ〜ダイエット中なんだぁ〜」


 頬に人差し指を突き立ててナマコみたいにふにゃふにゃ動くマリオネ。彼女のことだ、ぶりっ子を皮肉ってるつもりなんだろう。彼女の所作はもはや変人の域に達していて本人もそれは自覚している。そして意外にも客観的にものごとを見るのに長けていて、この前も「ウラハってねぇ、私服がミニスカばっかりなんだけど、なんでかわかる〜? あれ、自分がめちゃくちゃ可愛いことを自覚してるからなんだよぉ〜」と誰もいないところで耳打ちされた。


 俺はドリアとハンバーグを頼んで店員が席から離れていくと好機が訪れたみたいにマリオネがテーブルに身を乗り出した。いつも癖のある喋り方と大げさな表情筋の使い方に惑わされているけれど、こうやって間近で見るとマリオネは端正な品のある美人な顔をしている。彼女はズレたサングラスをちょこっ触って直して言う。


「平沢くん、一応確認なんだけどかねぇ、私たち怪獣のことってまだおおやけにはなっていないよねぇ?」

「知ってたら今ごろ街はパニック——いや、むしろ二ヶ月も怪獣が現れていない今、恋しく思われてる頃合いかもな」


 コンビニの雑誌コーナでは『怪獣はどこへ!?』、『政府の陰謀! 消えた怪獣!』みたいな見出しが賑わっているし、マゼランマン対怪獣の戦闘の映像で視聴率を取っていたニュース番組は過去の戦いのハイライト特集まで組んでなんとか手を打っている局もあった。ただ、怪獣の標的にされがちなこの都の民からすればやっと訪れた平和な日々。これが続いてくれることを願うばかりだろう。


 マリオネは体を引っ込めてコートのポケットから一枚の名刺を見せた。


「実はね、今日すっごい変なお客さんが来たんだよ〜」


 そう言って渡された名刺には真っ白な上質紙に明朝体で書かれた名前が。


九武きゅうぶ……れ、れい?」

「“ぜろ”だってさぁ〜」

「へぇ。何やってる人?」


 マリオネはお手上げって感じで肩をすくめた。


「会社の名前も肩書きもないし、胡散臭いな」


 マリオネは指をパチンと鳴らし、


「そうなんだよぉ〜なーんか見た目も奇術師みたいでね、ヘンテコおじさん登場って感じ。別にお花を買うわけでもなく、私に『君の心にはクロユリが咲いている』だなんてオシャレなことを言ってきてさぁ〜」

「変なストーカーみたいな感じか」

「ううん。クロユリの花言葉は“憎悪”」


 俺は背中に冷たいものを感じた。名刺に浮かぶこの名前が急に存在感めいたものを放ち、俺の目に焼きついているのがわかる。そもそも怪獣たちが憎悪を孕んでいるという話はMAOも知らないことだ。この男、ただものじゃないかもしれない。


「それでねぇ、『世界を広げたいという願望があるのであれば、それを手助けしよう』だなんて言って、『君が望むときに私はまた現れる』とか言ってどっか行っちゃった」

「一応本部にこの九武って男が所属してるかどうかは訊いてみるよ。あんまり聞いたことは無い名前だけど……うーん、ただのイタズラとは思えないな」

「もし私の店にまた現れたらすぐに連絡するよぉ〜」

「あぁ、頼む」


 注文した品がテーブルに届いて、マリオネはコンスーフをスプーンで掬って口に運びながはメニュー表に視線を落としていた。何か気になるものでも見つけたのかセメントで固めたみたいに視線が動かない。


「このファミレス、ワインが安いねぇ〜 どうだい平沢くん、一杯お酒でも。……たまには酔って話したいなぁ〜」


 ちょっと甘えたような感じの声で言われたが俺は手のひらを突き出して断固拒否。それには大事な理由がある。


「おいおい、身分証の生年月日忘れたか?」


 もちろん彼女たち怪獣が持っている身分証は国のお偉いさん方の特例処置で作成された真実が一つもない戸籍だが、日常生活を過ごす上で名前と生年月日と生まれた元号だけは自然に言えるように彼女たちに練習させて刷り込ませた。

 生年月日はその容姿に相応しい内容になっていてマリオネは戸籍上十九歳だ。


「むぅ〜」


 タコみたいに口をすぼめて肩を落とすマリオネ。さながら萎れる青いイソギンチャクみたいだ。


「ってことは普段酒飲んでるのか?」


 身分証が無いと酒が買えないこのご時世に一体どうやって入手しているんだろうか。そんな疑問を抱いて訊いてみたがマリオネは首を横に振った。


「飲んだことないよ〜」

「じゃあ、よりによって今日酒のデビューをしようと思ったのか」

「平沢くんは男のくせに、せっかくのチャンスを逃したなぁ〜……え!?」


 急に目が覚めたみたいに上半身を起こすマリオネ。カバンから手鏡を取り出して自身の顔を映しながら、ぶつぶつ聞こえるか聞こえない程度の声量で何か言っている。


「やっぱり、なかなか悪くない顔だと思うんだけどなぁ〜別に一回くらいさぁ〜……」


 また俺の方に向き直るマリオネ。いつもより所作が早い。


「平沢くんは女心に疎い!」


 指を差されて怒られてしまった。俺はとりあえず頭を下げるしかない。


 でも、どうやらマリオネはスッキリしたみたいで、普段の顔立ちに戻った。とりあえず一安心。

 それから俺とマリオネは他愛のない話で盛り上がり、ディナーをともに過ごした。けれど、俺は九武という男がどうしても引っかかってしまって、この男の気配みたいなものが談笑中もこびりついて離れなかった。






 ——窓の向こう、夜の闇の中に蛍のような灯火がポツンと一つ。


 それは煙草の火だった。


 






 筑前らぶりはグループチャットで他の子たちが自分に対してあまり気を使わなくなったことに不満を抱いていた。私はあの三年生のハンドボール部キャプテン冴島君と付き合っていて、私が髪型を変えれるだけでまるで事件みたいにクラスが大騒ぎになって、キモい教師をみんなの前で罵ってやれば爆笑の渦が起きるし、私が廊下を歩けば二軍の女子共が道を開けていく。一軍グループのチャットだって遊ぶ場所とか遊ぶ日を決める時にはみんなが必ず私の意見を訊いていた。なのに、なのに——


 筑前は携帯をアスファルトに叩きつけそうになったが、さすがにそれは思い留まる。しかし投げ出せない気持ちはさらに嫌な思い出を掘り起こしていく。


 体育祭。ダンス発表のリーダーの座をもぎ取った筑前は自分の選曲、自分の振り付けで仕上げたチームで最高のダンスを披露するつもりだった。いや、披露したのだ。グラウンドに拍手はたしかに沸いた。しかし体育祭のあと、みんなの記憶に残ったのは焔木ウラハという新参者のこと。ハーフってことだけでチヤホヤされてるあのクソ女だ。何から何まで完璧なあの女の顔が浮かんで、筑前は歯ぎしりをした。


 歩行者信号が青に光り、とおりゃんせのメロディーで我に返った筑前は気を取り直して横断歩道を渡ろうとするが、向こう側に人がいたことに気づく。携帯を叩きつけようとして手を振り上げたところを見られたかも……恥ずかしくなって俯きながら歩く彼女だったが——


「憎しみを押し殺しては体に毒だ」


 すれ違いざま、声が聞こえた。

 耳触りのいい渋い声に思わず顔を上げる筑前。英国紳士風の男がコートを風にゆらしながら見下ろしていた。すらりとした背の高い男。今時見かけないオールバックの黒髪で、筑前は彼にドラキュラ伯爵の印象をもった。


「は?」

「君、高校生だろう。どこの学校だ」

「なに、いい歳こいてナンパ?」

 

 男は三十代から四十代くらいの顔つきだが堀の深い俳優顔。筑前の視点からはいわゆるイケおじの部類に入っていた。別に抱かれたいとは思わないけれど、ナンパされても悪い気はしない。


「私は下位種と性交するつもりはない」

「え? なんて? 会社の成功?」

「まぁいい。少し話さないか」


 駅前の喫茶店。もやがかかったみたいな薄い白が漂って、鼻の奥を燻す匂いに耐えきれず筑前は無理矢理カフェラテの味で誤魔化していた。

 入店の時に店員が「禁煙席でよろしいですか?」と訊いたところ、この九武という男は「喫煙席」と即答した。そして喫煙席ここに詰め込まれた。制服に匂いがつかないか心配すぎる。


「君はこの世界が窮屈だと思ったことはないかい——私がこう質問すると大体の人が否定する。何故なら人類は世界が窮屈なことを知らない。目に見える大地が海が広大だから世界が無限だと錯覚しているのだ」


 筑前は古典だか現代国語のよくわからない話を聞かされている気分になった。子供の頃に聞く大人の会話みたいに断片的にしか理解できない。


「なにそれ、あんたカウンセラーか何か」

「君を助言したいという立場で捉えるなら、同じかもしれないな」

「私別にぼっちじゃないし、そういうのは陰キャにやったら?」

 

 時間の無駄だと携帯をカバンに突っ込んだ筑前。この煙たい部屋からもさっさと出たいし、切り上げようと立ち上がったその時だった、男が企むような不敵な笑みを浮かべて、


「君は私と同じだからだ」


 筑前の動きを止めた。


「どこがあんたと同じなのよ。キモいんだけど」

「私は“支配”の衝動を抑えられない。食欲だとか性欲だとか、そういうものに近いのかもしれないな。そして君は私の血を分けた遠い子孫だ」


 突拍子なことを言う男に吹き出す筑前。


「え、私のおじいちゃんのおじいちゃんみたいな? 笑う。あんた何歳だよ」

「数えてはいない。途方もないからな」

「あーマジ時間返せー」


 全身の力が抜けて神に救いでも求めるように天井を仰ぐ筑前。しかし次に彼女は九武のことをもう無視できなくなる——


「許せない人間がいるのだろ? 君の支配の邪魔をする、因子が一人」

 

 心の中を覗かれているような、得体の知れない不気味さにゾッとする筑前。九武は獲物を掴んだ鷹のような目をして筑前は逃げ出そうにも逃げれない。この男、何か異常——


「別に君に何か力を授けようとか、そういうことを言っているわけではない。もし君が倫理観や道徳という殻に妨げられて、世界を広げられないのであれば——“支配”を実行できないのであれば、君が殻を破ったあとは私が後処理をしてやろうという話だ。君は好きにしていい。感情の赴くままにやりたまえ」


 九武は提案した。筑前には彼が何を言っているのか、なんとなくわかってしまう。自分の理性で押さえ込んでいた感情——“焔木ウラハを排除したい”という願望を彼はと言っているのだ」


「な、何よマジ。それであんたにどういうメリットがあるって言うのよ。なに、代償に私の体でもくれって?」


 狼狽を隠すため取り繕うように冗談めいたことを言う筑前。

 しかし九武は筑前の考えにも及ばなかった、斜め上のことを言ってきた。


「“全校集会”について、少し訊いてもいいか?」

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