承の章

第5話 ウラハの開花

 群青の空に火薬の弾けた音が一発、染みるように鳴り響くと士気のこもった歓声が泡のように膨れ上がった。

 今日は体育祭。身体能力の高いウラハはそれはそれは大活躍で、彼女が綱引きに入れば勝ちは確定するし、リレーの時には陸上選手ばりの豪快な走りっぷりを見せて、その姿はまさに地をかける白銀の馬。ぶっちぎりの差をつけた彼女はクラスを勝利まで導いた。その時のウラハの生き生きとした顔といったら、まるで怪獣とは思えない、人間味であふれていた。

 よっぽどテンションが上がったのだろう、閉会式のあとには俺の方に駆け寄って、


「平沢さん、私結構がんばりましたよ」


 と、首からかけた金のメダルをかじって見せた。白く透き通った美しい顔でウインクまでして、相当はしゃいでいる様子だ。


「クラスのみんなもウラハが転入してきて良かったと思ってるだろうよ」

「ふふん〜ほんとうです?」

 

 あふれんばかりに心が踊ってるウラハは手をクロスさせて体をひねりながら揺れていた。照れ隠しの仕方もティーンな感じで、ウラハがこの都を滅ぼすというイメージは俺の中から霧のように消えていった。


「切っても切れない闘争心を競技として昇華するとは、なかなかおもしろいですね! 平沢さん、私の転入のこと、ちゃんと上の人に稟議してくださりありがとうございます」


 改まってぺこりと体を折るウラハ。白銀の髪の分け目がこちらを向いて、頭を上げた彼女の顔はニコっとしていた。


「別にそんな、当たり前の仕事をしただけだから俺は」


 俺もなんだか照れ臭くなって、かゆくもないのに頬をかいた。

 

「平沢さんが監視官で良かったです。これからも私のことちゃんと見ててくださいよ」


 リズミカルな声で彼女は言って、手で双眼鏡を作り俺を見る。まさかこんな軽快な子になるとは思ってもいなかった。是非このまま学校生活を楽しんで、安静に過ごしておくれと、そう願うばかりだ。


「今日はクラスの皆さんと打ち上げというお食事会がありますので、私、行ってきますね」


 汗を拭うと粒子のようなキラキラしたものが煌めいた気がした。彼女のその眩しさは青春を謳歌している高校生のそれで、いつもまにか一人称も『わらわ』から『私』に変わっていて、なんというか、そういう成長は俺も嬉しかった。


 そして体育祭で大いに目立った彼女の名は学校中に轟いていて、帰り際に校門でたむろしている三年生たちが「二年の焔木ウラハだっけ? めっちゃ可愛いよな」と話しているとこにも遭遇した。あれだけ目立っていたのだからしょうがないけれど、こうも有名になると色恋沙汰のトラブルとかに巻き込まれないか懸念も残る。


 俺はというと元々文化系で運動もしてこなかったし、なおかつ一日中集団行動をしたものだからどっと疲れて、うなだれるようにして帰った。俺の社宅は昔ながらの商店街に隣接したマンションの5階り黄昏が降りてきた秋の夕方、マンションの廊下を歩きながらふと西の方を眺めてみると、すり鉢を逆さにした形の山が紫色の巨影を成していた。


 玄関に鍵を差して扉を開けるとパチパチパチと泡が弾けるような音が俺を出迎えて、なにか香ばしい匂いまでしてくる。油でなにかを揚げる音……? 一瞬家を間違えたかと想って、靴棚の上を見てみたが、そこにはちゃんとマリオネが送ってくれた押し花が飾ってあった。じゃあ一体誰が家で料理している? 恐る恐るダイニングへ続く扉を開けてみると、そこにはエプロン姿のドロアが菜箸をもってフライパンを突いている姿があった。テーブルにはサラダに味噌汁、ご飯に肉じゃがが並んでいて、キッチンには揚げたてのささみフライが重なっている。


「え? これ全部ドロアが作ったのか!?」


 俺はもう殺人現場でも発見したかのように狼狽えた。ドロアはくるりと体を翻して菜箸をかちかちさせながら、


「うん、そうだけど。冷蔵庫にあったものを勝手に使わさせてもらったけど」


 と、まるで料理が得意な人みたいに悠々と言って、フライパンに向き直る。彼女は俺の家に住み着く引きこもりであって、ゲーム好きの公害怪獣であって、俺が飯を作らなければ多分餓死するようなやつであって、こんな家庭的なことは一切できなかったはずだ。それが一体どういう風の吹き回しなんだ。


「おいおい、いつからキャラ変したんだ。しかもめっちゃ美味そうだし」


 俺がそう言うと今度は顔だけこちらに向いて「えへへ」と今まで見たことのない天使のような笑顔を浮かべた。可愛いを通り越してもはや怖い。恐怖だ。何か全ての概念が反転した鏡の世界にでも来ちまった気分である。


 食事の準備もドロアが全部やってくれて、俺はメイドを雇ったご主人様みたいに何もせず席に着席させられた。何事もなかったかのようにいただきますをしてお互いに箸で料理を口で運んでいく。目の前の少女は目こそ隈で黒ずんでいるけれど、何かこう女っ気みたいなものを出してきているというか、目が合うたびにクスッとはにかんできて怖い。


 食事を終え、皿を洗い出したドロラ。さすがにそれくらいは俺がやろうと彼女の隣に立って、


「ご飯を作ってもらって、さすがに皿までは悪いよ」


 と家事を貰おうとしたら、彼女はその小柄な体ですれ合うほどに近寄り、体温が感じられるまでに密接してきた。


「ウチがやるからいいの。それよりお風呂沸いてるよ。それか——」


 彼女は人差し指をピンと立てて、


「エッチでもいいけど」


 と、まるで俺たちが今までそういう交わり方をしていたかのように当たり前に言われた。ちなみにそんな接触は一切無い。さすがに俺は彼女を額をデコピンで弾いた。額を手で隠して「うー」と棒読みで唸るドロラ。


「そういうことを異性に気安く言うな。それとさっきからどうしたんだよ。お前偽物か? それかあれから二重人格みたいな」


 俺がそう言うとドロアは刑事ドラマのラストの犯人みたいに一から十まで全てを話し始めた。


「ウラハも最近発電所で働いてるみたいだし、マリオネも花屋さん繁盛してるし、ウチも何か働かないとなーって……。でも外は出たくないし、とりあえず家でできる仕事をネットでいろいろ調べたら、まとめサイトに“専業主婦”って仕事見つけたの。それは家の掃除したり、男の人が家に帰ってくるタイミングでご飯つくったり、お風呂沸かしたり、エッチしたりする仕事だって。それで」


 仕事をする気になったのは素直に嬉しいが、なんでよりによって専業主婦なんだ。それに専業主婦の項目に“エッチ”だなんて入れてるまとめ、絶対ロクなサイトじゃない。


「専業主婦じゃなくて“せめて家政婦”で頼む。でもすごいなこの料理のクオリティ。初めてとは思えないんだが」

「FFも料理のグラフィックにめちゃくちゃこだわるからね。私もこだわってみた」 

「まぁちょっとよくわからんけど。なんだよFFって」

「ファイルファンタジー」

「あー」


 人間世界への順応力が高いな怪獣たちは。逆に怪獣の世界とはどんなものなんだろうかという疑問がふと俺の中で湧いてくる。


「ほら、怪獣ってさ、人間から見たらどこからともなく急に現れてるわけだけど、実際ドロアたちはそれまでどこにいたんだ?」


 そう訊いてみると彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「どうした?」

「思い出せない……今記憶を遡ってみたけど、ウチの最初の記憶は……底の見えない青の世界でぷかぷか浮いている感じ……それはウチが空を飛んでたからかな……? もうそのあとの記憶は平沢んとこの本部の屋上だもん。青の景色が空だったのか、海の中なのか、それとも別の何かだったのか、もう全然わからない」


 まるで天井に海月でも浮いているかのように顔を上げて記憶を探っているドロア。


「怪獣は生まれた時の記憶が無いのか」

「平沢だってお母さんの子宮から出てきた時の記憶は無いでしょ」

「まあね。でも怪獣がいきなりこっちの言葉を話せるのも不思議だよな。ウラハなんかいきなり俺んとこの上官と会議室で話してたし。一体どこで覚えるんだよそんなの」

「それもわからんね」


 ふと俺はあることに気づく。


「あ、でも自分が『こんにちは』とか『くるま』とかそういう単語をいつどこで覚えたなんて……全く記憶にないからなぁ、案外そういうものなのか」

「先天性? ってやつかもしれないね」

「先天性なぁ……」


 怪獣が人類を襲う理由、それは“憎悪”の本能が怪獣たちをそうさせているのだと以前ウラハは語ってくれた。今でこそドロアはこんな感じだけど、彼女は当初、ウラハやマリオネとは違ってその“憎悪”を剥き出しにしていた。工業地帯を何度襲撃しようとしたことか。一番激しいときなんかは食い止めようとするウラハと、どうしても工業地帯を破壊したいドロアの両者が対峙してに片足を突っ込んだこともあった。あの時は本当にひやひやしたが、ウラハによる足止めとマリオネによる説得でなんとかことなきを得た。だけど、マリオネだって露わにしていないだけで憎悪を秘めているのだろうし、それはウラハも同然だ。


 彼女たちは憎悪に耐えながら生きている。

 三人が本気を出せば人類なんて滅ぼすことができるかもしれないのに、三人は人間と共存する道を選んでいた。


 何故だろうか。しかし、その答えをドロアに気安く訊くことは俺には出来なかった。

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