第5話【外伝】近衛篤麿 ⑤日英同盟
西暦1901年(明治34年)を迎えた。
ふむ、20世紀か。高麿が頻繁に「激動の世紀となるでしょう」と言っているが、少しでも安寧な世にしなくてはならぬ。
結局ロシアは高麿の予想通り、遼東半島に進出して旅順港とそこに繋がる鉄道を手に入れて我が国に対する圧力を強めている。
このままでは戦わざるを得なくなるだろう。
私の子供たちは15歳になった高麿を筆頭に、10歳の文麿と5歳の武子、3歳の秀麿と1歳の直麿だ。
同母の兄弟だからか高麿と文麿は顔立ちもよく似ているし仲も良い。
性格はまるで違うが、それで良い。
2人とも妹や弟の面倒をよく見てくれているし結構な事だな。
私は陛下の覚えもめでたく、順調に昇格して位階は従一位へと進んでいる。
父が亡くなった年齢と同じ36歳になったが、父より昇進が速く正式に貴族院議長に推挙されそうだし、憲法問題にも携わった縁で枢密顧問官も兼任して欲しいとの内示も出た。
そうなると今勤めている学習院院長の職責は全う出来ぬほど忙しくなる故、辞職するしかあるまい。
せっかく学習院の近所に引っ越したのだが、無駄になったか?
最近の高麿との会話は、地理と政治を絡めた話題が多い。
どうやらこの学問は「地政学」という名前らしいが、この耳慣れない「地政学」という学問の理屈を日本に当てはめた場合、忘れてはならないことは、日本は極めて有利で強靭な地政学的位置にあると同時に、その反動として危うい地政学状況にあるという、その二面性にあるらしい。
確かに日本は恵まれた場所に位置している。
それは「文明の生態史観」によっても明らかで、イギリス同様に海によって守られて来たという歴史を持ち、朝鮮半島という防壁もあったから、外敵をそれほど恐れなくても自国の安全と独立を確保してきた。
この事実は朝鮮半島の歴史と比較すれば明らかだろう。
更に西欧と比べても、例えばドイツなど周囲は強国だらけで、常に緊張を強いられる位置にあるし、対するイギリスの優位性は明らかで、全ての国家と民族はこの地理的要因から逃れることは能わぬ。
ユーラシア大陸最東端に存在する、樺太から始まり台湾まで続く島々、これらを総称して「弧状列島線」と高麿は表現していたが、この島々の中核にある日本列島は、ユーラシア大陸の勢力が太平洋へ出る事を妨害しているという「地政学的に見た場合における圧倒的な黒字」を持っている。
故に、以前から台湾の領有について高麿は賛成していたし、ロシアとの戦争に勝って樺太も追加で領有しなくてはならぬと主張するのは、この為でもあるらしい。
反対に「地政学的赤字」を感じているのはロシアと中華帝国で、両国とも日本が邪魔をする事によって太平洋への出口という拠点を持つことが出来ていない。
ロシアの場合は、ウラジオストクは日本の傍らにあり、しかも日本列島の裏に存在しているから立場は弱い。
ウラジオストクは今から40年ほど前に清から奪い取って建設した街で、その名はロシア語で“東方を制圧せよ”という意味らしいが、日本が邪魔をしているから現状ではその勇ましい言葉を達成できていない。
中華も同様に窮屈な感じを持っていることは間違いあるまい。
しかし、まさにこの地政学的に有利な位置が日本の鬼門ともなるらしい。
それは日本列島の有利な位置は、日本自らがよほど確固とした戦略と思慮深い外交を持たない限り、他の強大国によって戦略的な「手駒」として利用されることになりかねないという、負の側面を持つのが理由だ。
また、これとは別に東シナ海と日本海という緩衝海域を持ちつつも、日本はロシアと中華からの近さと、そこからくる重圧を感じざるを得ないという側面も併せ持つ。
東京はウラジオストクから1000km、佐世保鎮守府は上海から800km。
東京と北京も2000kmしか離れていない。
しかも江戸末期の黒船事件によって、これまで海に囲まれていたが故に安全だった我が国は、強力な機関を搭載し、巨砲を装備した軍艦の前ではいつ何処から攻められるか分からないという弱点を晒すことになった。
つまり、海に囲まれているから安全だという時代は終わり、海に囲まれているからこそ危険な時代に移行したのだ。
それが「ペリー来航」の本当の意味であり、教訓なのだと高麿は断言していた。
もう一つ、日本は産業基盤と多くの人口を養うのに必要な天然資源を欠いている点も重要で、日本にとってはこのような地政学的な制約要因をいかに克服するかが、これからの課題でもあるそうだ。
高麿は「シーレーン防衛」と表現したが、資源不足という日本の弱点を克服するためには、海上交通路が死活的に重要な事柄であるのは現時点でもそうだが、これから100年後でも変わらないどころか、更にその重要性は高まるのだという。
故にこそ、樺太と台湾を領土に加えることによって、ロシアや中華のような大陸国家を封じ込める事が可能だと認識された場合、英米から見た日本の利用価値は飛躍的に高まり、結果として「日本を高く売り込める」という話にもなる。
樺太の重要性は森林資源のみでは無いのか。
これは是が非にでもロシアから奪い取らねばならぬな。
それが日英同盟締結のきっかけと、イギリスにとっての効用なのだという結論に至るだろう。
同盟に向けた具体的な動きとしては、まず「北清事変」と呼ばれるようになりつつある、大きな事件が起こったのだが、日本は列強とともに出兵したことは重要だったと高麿は言った。
日清戦争後、西欧列強の中国大陸進出が加速する中、清では「扶清滅洋」を掲げる義和団による外国人排斥運動が起こり、1900年(明治33年)6月、義和団は首都北京の列国公使館区域を包囲。
よせば良いのに清国政府も騒ぎに便乗して列強に宣戦を布告。
これに対して、日・英・米・仏・露・独・伊・墺の8か国は公使館区域救出のため、連合軍を組織。
日本は、その主力として活動したのだが、その際にロシアは事件が落ち着きを見せた後も軍を退かず、日英両国は疑念を深めた。
またこの事件に当たって日本が見せた勇猛果敢な戦闘と、文明国的な態度は、イギリスをして日本へ好意と信頼を寄せる決定的な出来事になっただろうと高麿は言っていた。
確かに僅か400名の兵士と150名の義勇兵を指揮して、各国の外交官を護るために租界において籠城戦を戦い抜いた日本公使館付武官であった柴五郎中佐は、今後も各国で長く語り継がれるであろう勇戦ぶりを示したし、その後に派遣された日本軍本隊も規律ある行動と武勇によってその名を高めたな!
そして8月のある日。
本当にその時はやってきた!
クロード・マクドナルド駐日公使が日本政府へ同盟の打診をして来たのだ!
これは一大事ではないか。急ぎ高麿と策を練らねばならぬ。
「高麿よ!本当にイギリスから同盟の打診が来たぞ!これからどうなる?どうすれば良い!」
「落ち着いて下さい。条約締結を粛々と進めましょう。同盟を結んだとしてもロシアは撤退する素振りを見せるだけで満州に居座り続けるでしょう。
いよいよロシアと雌雄を決する時は近付いています。軍部の体勢は整っていますか?」
何だと。イギリスと同盟を結んでもロシアは退かぬのか?
やはりそれでは戦う以外に方法が無いではないか。
「海軍は連合艦隊の戦力増強と猛訓練によっていつでも開戦は出来るとの事だが、陸軍の準備が出来ていない。
武器弾薬が不足しているのだ。戦費が足らん!まずは資金をなんとかしないと開戦できない」
「国内だけで戦費を賄うのは無理があります。海外公債を発行して資金を集めましょう」
「やはりそれしか手段がないか…外国に頼るのは可能な限り避けたいし、債券を買ってくれるかどうかわからないが」
「もはや外債以外に道はありません。日銀副総裁の高橋是清という方を派遣なさっては如何ですか?
すごく有能な方らしく今回の任務向きですよ」
「そうか。
「つきましては私も同行させていただけませんか?留学には少し早いとは思いますが、アメリカとイギリスの状況を見ておきたいのです」
そうだな。外の世界を見る事は重要だ
「う~ん。私は構わないぞ。これも小村外相に相談してみよう」
これまで日本の政界では伊藤博文や井上馨らがロシアとの妥協の道を探っていたが、私を筆頭に山縣有朋、桂太郎、西郷従道、松方正義、大山巌らはロシアとの対立は遅かれ早かれ避けられないと判断し、イギリスとの同盟論を唱えた。
最近になって伊藤博文は私に恩義を感じたのかイギリスとの同盟論に賛成し始めたから、政府見解の統一を見ることが出来たのはとても良かったことだと感じている。
結局、1902年(明治35年)1月30日にはロンドンの外務省において日英同盟が締結された。
調印時の日本側代表は林董駐英特命全権公使、イギリス側代表はソールズベリー侯爵内閣の外務大臣第5代ランズダウン侯爵ペティ・フィッツモーリスであった。
日英同盟の内容は、締結国が他国(1国)の侵略的行動(対象地域は清と朝鮮)に対応して交戦に至った場合は、同盟国は中立を守ることで、それ以上の他国の参戦を防止すること、さらに2国以上との交戦となった場合には同盟国は締結国を助けて参戦することを義務づけた内容となった。
また、秘密条項として日本は単独で対露戦争に臨む方針が伝えられ、イギリスは親日的中立を約束した。
この報に接した世界各国は驚きを持って反応した。
大英帝国が久しぶりに結んだ対等同盟の相手が、アジアの果ての小国日本であった事に加えて、条約内容が日本に極めて有利な条件であったからだ。
それはともかく、日英同盟成立後に私は帝国議会で演説を行う事になった。
日英同盟の最積極派と看做されたからであろう。
「日英同盟があってもロシアは軍を退く素振りは見せても決して退かないだろう!
しかしこれで世界を味方にした!
もはや恐れるものは何も無いのだ!
そして今こそ仇敵である大陸国家ロシアの野望を挫き、地政学リスクを振り払い、皇国の威光と正義を世界に示す時だ!
海洋国家である我が国は同じ海洋国家である英米との協調路線を歩み貿易立国を目指そう!」
更に私は閣議にも出席し、かねてより根回ししていたことを表面化させた。
それは対露戦争勝利後の樺太獲得と、朝鮮半島はイギリス領とし、日本は通商権のみを獲得する方針だが、無事に承認された。
これに陛下も政府も賛意を示したことで国家の方針が固まった。
さて、これからが本当に大変な時代となるのだろうな。
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【外伝】明治に転生した令和の歴史学者は専門知識を活かして歴史を作り直します 織田雪村 @teruko009
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