第4話【外伝】近衛篤麿 ④国家方針

1895年(明治28年)11月


あれからは毎日が大変だった。

高麿に根掘り葉掘り聞いて、地理的関係と歴史的必然について更に理解を深め、将来においてイギリスが我が国へ本当に同盟を打診してくるかも知れぬと思うようになった。


そして今日は宮中に参内している。


陛下にこれからの日本の行く道についてお話せねばならぬのだ。


「近衛よ。今日はどうした?何か朕に大事な話があると聞いたが」


いつもながら余人を交えず二人きりか。幸いにしてご機嫌は悪くないように見えるな


「はい。陛下。これからの日本の針路についてご相談させていただきたく罷り越しました」


「ふむ…お前がいつも言っていたが、日本は半島と大陸に進みでて欧州に対抗すべきだという話か?」


「いえ。そうではございません。実を申し上げますと近頃は逆の考えを持つに至りました」


「逆?逆とはなんであるのか?」


「臣がこれまで申し上げて参りましたことは、西欧列強の脅威に対抗する為には、半島と大陸に対して積極的に関与して我が国の地歩を固める、というものでしたが、これから申し上げたいことはそうではございません。

海洋国家である我が国は、むしろ半島や大陸とは距離を置き、海洋国家同士の友誼を結ぶべきと考えるに至りましてございます」


「海洋国家とな?具体的にはどういうことだ?」


申し上げてしまった。もう引き返せないし、ここからが本番だ

しっかりご理解いただけるよう頑張らねば


「はい…こちらの図をご覧ください。これはユーラシア大陸を略した図でございます」


そして「文明の生態史観」についてご説明差し上げた


「・・・・・・・・・・というわけでございますゆえに、海洋国家たる日英は大陸国家ロシアの脅威に対抗する為に結ぶという利害関係が一致するのです。

更には別の地理的・政治的学問が存在するようでございますが、その学問によっても日英の結びつきは必然と申し上げるほかございません」


「興味深い話であった。しかるにそれは今日や明日の話なのか?」


「いえ。おそらくは10年近く掛かるであろうと予想しておりますが、ロシアは我が国が領有を諦めさせられた遼東半島に対して数年以内に進出してくるでしょうし、遼東半島を起点とした清への領土的野心は留まることは無いでしょう。

そうなりますと、クリミア戦争をはじめとしてロシアと角逐して来た歴史を持つイギリスが座して見守るはずも無く、対抗しようとするでしょう」


身を乗り出してこられたな


「ロシアが臆面もなく遼東半島を奪うと言うのか?なるほどな。その後はどうなる?」


「はい。いかに強大なイギリスとは言えども清は遠すぎますし、ロシアを抑えるだけの兵力を派遣できません。

また先の清との戦争において我が国が勝利したという事実は、イギリスから見ると強力なロシアに対する防波堤としての役割を、清より我が国に対して期待するようになるでしょう。

これらの点から考えますに、日本に対して10年以内には同盟を持ち掛けてくるであろうと予想します」


「イギリスが我が国に同盟を持ち掛けてくるのか?」


「はい。臣といたしましては、これは必然であると確信するものです」


「………国内では臥薪嘗胆という言葉が盛んに使われておるとの事だな?」


「はい。陛下。残念ですが、今の国力ではロシアに対抗するのは無理があります。

これから当面は清からの賠償金をもとに金本位制に参加し、貿易によって国力を高め、更にはそれによって兵を養い、復仇の為に雌伏する時間に使うべきと考えます」


「………」


「さらに先の話を申し上げますと、イギリスの後ろ盾を得たうえでロシアと戦い、その領土的野心を挫いた後は、勢いのまま半島に進出するのではなく、英米との交易を通じて国力の増大を図るべきであると愚考します」


「何?すると半島はどうするのだ?」


「あの土地は我が国が欲するものを持っておりませんし、逆に負担となるやもしれませんから、イギリスに任せるのが上策と思われます」


「…イギリスをアジアの奥深くまで誘引しようというのか?」


相変わらずご理解が速いが、少し違う…だが……


「…はい。ご賢察の通りでございます。よって、それまでは半島は我が国に対して裏切り行為を働かない程度に監視し、放置すべきというのが結論でございます」


「将来は他人の物になるのだから、余計な投資はせずに放置する。ただし、清やロシアに擦り寄らないように監視だけは抜かりなく行うというのだな?」


そう、それだ!


「その通りでございます!」


「ここまでは理解したが、ひとつ分らぬことがある」


「何でございましょう?」


「お前は今まで大山や西郷のように、イギリスやアメリカと友好を結ぶべしとする考えにはがえんじなかったのに、急に考えが変わったのは何故だ?」


……ここは隠さない方が良いだろうな


「実は…先ほどから臣が申し上げて参りました事は、我が家の長男の考えを反映したものでございます」


「“小関白”の事か?数年前に会ったことがあったな。あの時は普通の子供だったと思ったし、特別な考えや知恵があるようには見えなかったが」


小関白とは。あの時のお戯れを覚えてくださっておられたのか。

あの日は皇后陛下とお二人で、高麿に対して我が子のように接していただいたものだ


「それが…ある日を境に突然覚醒したような振る舞いをし始めました。六歳にして書庫の本を読むようになり、それにより知恵を付けましてございます」


「なんと…これは頼もしいな。近衛家は安泰ではないか。朕としても心強い限りである。元老の者どもには一定の配慮をせねばならぬが、朕が本来頼りにするは摂家を筆頭にしたお前たちだからな」


「ありがたきお言葉…身に沁みます」


「大体の話は分かった。朕としては小関白やお前の考えが、民の幸せに繋がるのであれば異存はない。内閣や議会ともよく話をして考えを広めておくように」


「かしこまりましてございます」


ふぅ~

取りあえず陛下のお許しはいただけたな。

後は内閣と議会、そして元老の諸氏を説得して、最後は新聞社か。

忙しいな。


1896年(明治29年)9月


陛下にお話ししてから10か月ほど経つが、あれからずっと各方面に根回しするのに忙しかった。

今まで主張して来たことと完全に違うのだから、これまで同じ主義主張を持っていて“味方”だった者たちを説得するのが一番大変で苦労したが、ようやく纏まりつつある状況だ。

そんな日常だったが、今日は珍しく暇だなと思っていたら高麿に声を掛けられた。


「帝国憲法について質問がある?どういう質問だ?」


「はい。すべての条文を読んで様々な場面を想定してみたのですが、この第五十五条の規定では内閣総理大臣の権限が弱いように思います」


確かに歴代総理の方針には納得いかずに反対した事も多かったな。


「…私も松方総理にも大隈総理にも相当噛み付いたからな。今にして思えば悪い事をしたと少し反省している」


…なぜ、そんなに呆れたような顔をするのだ。


「いいえ。そういう意味ではないのです。総理を含む各国務大臣が横並びになっていて、総理大臣が権限を振るうことが出来なくなっているのです」


「…そうか。しかしそれが問題になるかな?今は問題となっているとは聞いていないがな」


何が問題なのだ?


「総理大臣が各国務大臣に命令すれば済むのに、そうなっていない状態では将来内閣の全てが弱くなります。

例えば総理以外の国務大臣にしても、総理がこう決断したのだから実行しろとは官僚達に言えなくなります。

もし言えるようなら、そこから下への命令系統が生きてきますが、現状ではそうなっていません。

無論、官僚は責任を取りたがりませんから物事が滞りがちになります」


………分らぬ


「今はそれほど表面化していなくても将来必ず大問題に発展します。

例えば内閣が軍部に相談なく物事を決めた場合、陛下の統帥権を干犯していると騒ぐ阿呆が必ず出てきます。

それでは正常な国家運営に支障を来たし、国の未来を危うくします」


何だと!?


「!!そうか!確かにそれはまずいな!考えた事もない穴だ!対応策は有るか?」


…また呆れたような顔をされたな


「過去の実例を出しますと、徳川綱吉は自分が将軍となった際に側用人という役職を新たに設けて、将軍と老中の間に挟むことにより、老中からの直接干渉を避け、逆に自分の意思を政策に反映しやすくして将軍をお飾りから実権の有るものへと変えることに成功しました」


んん??


「………つまりどういう事だ?」


「制度を修正するのです。実際にこの憲法を作った伊藤総理にまず確認をとっていただきたいのですが、おそらく総理もこの欠点に気付いているはずですから話はしやすいと思います。

具体的な対策としては、憲法の下に新たに内閣法とでも言えるものを作って、議会と陛下の承認を得られれば憲法に手を付けずに済みます」


「なるほどそうだな!それが良い!後は憲法学者のお墨付きを付加すれば乗り越えられそうだな!」


翌日の朝、早速私は伊藤総理に面会を申し込んだ。


「伊藤総理!最近気付いたのですが、貴殿や金子が起草した帝国憲法にはとんでもない欠陥がありますな」


何だ?顔がこわばったぞ?もしかすると思い当たることでもあるのか?


「…欠陥と言われるか?」


目が泳いでいるではないか。少し強く出てみるか


「貴殿の作られたこの第五十五条は、現在の貴殿の立場からはどう映るのですかな?」


「!……いや、それは、そのですな…」


「これでは内閣総理大臣は他の国務大臣と横並びではありませんか。そのうちに陸、海軍大臣は貴殿に報告を上げる事すら怠るようになってしまうかも知れませんぞ?

貴殿はこれを承知の上で、私に入閣するよう何度も依頼していたのか?」


何と。総理の額から汗が出ているではないか。図星か!?


「ご指摘の通りです。…実は内心で困っておりました」


そうなのか?それならば


「良い案がありますぞ。憲法に手を付けることなく、内閣法を追加して対応するのです」


「近衛さん!その提案を受け入れたら貴族院はご協力頂けると考えて宜しいですかな?」


「お任せください。私がうるさいお歴々を説得してみせましょうし、衆議院にも根回しを行いましょう。

更には陛下にもこの話は奏上しますから、伊藤さんは元老に説明いただけますかな?」


早速私は衆議院と貴族院の要人を回って内閣法の追加について説明し、陛下にもご承認をいただいて新法の追加に成功した。


伊藤総理としても自らが責任者として作った憲法の欠陥に気づいてはいても、今さら正直に言い出せるはずも無く、悶々としていた所に私から指摘されたので動きやすかったらしく、土下座せんばかりの勢いで感謝された。


それにしてもだ。確か伊藤総理はイギリスでは無くロシアとの融和派であったが、これで私が進めている日英の同盟について反対はせぬであろう。


これは…高麿にうまく誘導されたのではあるまいな?


それでも政府関係者からも憲法の欠陥に気付き、混乱を未然に防いだ功績を賞賛され、またもや陛下からも労いの御言葉を賜ったから、まあ良しとするか。


※次回から三日毎のAM7:00更新とさせていただきます。

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