第3話【外伝】近衛篤麿 ③転換点

1895年(明治28年)10月


山形県における米の話は県知事に「亀の王」振興を命じておいたので、来年以降は県内で広く栽培されるようになるだろう。


帰京後は山形県で開発された新品種米の報告を陛下に奏上しておいたが、予想を超えたお褒めの言葉を再び陛下より頂戴した。

また政府関係者の間でも話題となっているらしく、知事による推奨ではなく国を挙げての栽培促進となりそうだ。

またもや高麿の話を実行して良かった。という結論だな。

とにかくこれで貧しい東北地方の生活も少しは楽になって欲しいものだ。


その後は想像以上にたまっていた仕事を片付けつつ、日本の進路についても同時に考えていた。


■大陸進出をするな。


■イギリスと組むべきだ。


本当にそうなのだろうか?

最近考えるのはその事ばかりだ。

私は現在「東邦協会」副会頭として活動していて、我が家に来る客は“大陸進出派”とでも評すべき人物ばかりだから、知らぬ間に私の考えが偏っていたのだろうか?


いや、恐らくそうなのだろう。


…玄洋社の頭山さんには自宅に来るのは少し遠慮するよう告げるべきだな。

そうすると日本の進むべき進路は?何が最善なのだろうか?


そのような日々を過ごしていると、また高麿が話があると言ってきた。


「どうした高麿よ。何かまた良い提案があるのか?」


「はい。その通りです。今回は朝鮮半島の事です」


…いきなり朝鮮半島の話か……


「うむ…今後どうするべきか政府内でも意見が割れている。私は以前は朝鮮を併合して日本の安全圏を確保すべきとの考えだったが、お前といろいろ話をするうちに考え方が変わってきているのも確かだ」


すると高麿は我が意を得たりとばかり話し始めた


「朝鮮民族の考え方は我々大和民族とはかなり違います。

大昔から稲作をはじめ、日本にモノを教えてきたのは自分たちであると思い込んでいるのです。

また、ずっと中華帝国に振り回され続け、朱子学に毒されてもいます。

もし併合してしまえば厄介なことになりますので、当面は関わらずに放置するのが上策でしょう」


…これは間違いなくそうなのだろうな。


「そうだな。しかしこのままずっと放置し続けるのも問題だな?ロシアは黙っていてくれないだろうし」


「その通りです。よって10年近くかかるかも知れませんが、イギリスと同盟を結び、ロシアと戦争して南下政策を防いだ後は、イギリスに朝鮮半島の統治を任せてしまうのが宜しいかと思います」


何と突拍子もない事を平然と言い出すのだ?


「……イギリスにか!?…そんな事をすればロシアの代わりにイギリスが我が国の脅威となりはしないか?」


「いいえ。以前も申し上げたようにイギリスは海洋国家ですので、考えなしに膨張政策は取りません。

また植民地運営も”経験豊富”ですから上手くやるでしょう。

仮に朝鮮民族が騒ぎを起こしたとしても、その恨みは全てイギリスが引き受けてくれますし、その間に日本は商売を通じて実質的な利益だけをあの地から頂けばよろしいかと思います。

名より実を取るのです。

イギリスが何をするにしても、まずは近い日本から物資の調達をするでしょうから商売も上手くいくでしょう。

そのうちイギリスも日本にしてやられたと思うでしょうが、そんなのは無視していいでしょう。

大切なことはロシアとの戦争に勝ってから朝鮮をイギリスに渡すことです。

でないとイギリスに恩を売れませんし、朝鮮とロシアは日本がロシアに臆してイギリスの影に隠れたといわれなき誹謗中傷をしかねません」


これまた大胆な提案をするのだな。本当にこれで9歳なのか?

子供扱いせずに真剣に聴くべき内容の話ではないか!


「それは分からなくもないが、それでは国民が納得しないのではないか?得るものが全くないと騒ぎそうだ」


「朝鮮半島の代わりに樺太を全てロシアから奪いましょう。価値としては朝鮮より樺太の方が大きいです」


樺太か…森林資源は豊富そうだな。


「流石のイギリスでも朝鮮半島を守り切るだけの軍隊をアジアに派遣できません。

よって日本を頼りにするでしょうし、何かあったとしても簡単に同盟関係を解消できなくなります」


!そうか!確かにそうだ。同盟を結ぶ以前に、簡単に同盟を終わらせないような方策を練る事の方がよほど重要だ。

しかも相手は人間の歴史上、過去に類を見ない世界最大の版図を持つ大帝国なのだ。

彼らの都合の良い時に利用された末に、用事が無くなれば捨てられてしまうというのでは話にならない。


「更に戦争後の話ですが、南下政策を諦めたロシアと日本は協調路線を取ることが可能となります。

日英による同盟と露仏同盟が合わされば、かつて酷い目にあったドイツに対して一泡吹かせることもでき、一気に国際舞台で注目される存在になれるでしょう」


何という壮大な計画だ。


「うむむ…かなり壮大な未来予想だな。しかしお前の話は妙に説得力が有る。幼い頃から優秀だったが、まるで未来が見えているようだな。

よし! イギリスの動きが分からぬが、そのような可能性はある事は想定しておこう」


ここで高麿は「文明の生態史観」という理論を私に紹介してきた。

何だそれは?初めて聞くが、これも書庫にあったのか?


「こちらをご覧ください」


この図はなんだ?

ほう。ユーラシア大陸の略図なのか


↓↓ You Tube動画 ↓↓

https://www.youtube.com/watch?v=ajyyGn9MexU


「これによれば中央アジアの乾燥地帯に広く分布する遊牧民族は、歴史的には“暴力と破壊をもたらす元凶”であると定義され、隣接する中国やインド、ロシアや中東世界は文明が誕生するのは早くても、それが十分に発達する前に、遊牧民族によって滅ぼされてしまう歴史を繰り返してきました」


ほう…


「よって遊牧民族の周囲にあった国々は、簡単に滅ぼされないためには強い国家体制を選択せざるを得ず、結果的に専制体制を構築する必要に迫られたことによって、日本や西欧のように順序立てた発展段階を築けなかったのです」


そんなふうに考えたことは無かったな


「それに対して海という天然の堀と、東欧と朝鮮という防壁によって守られた日本と西欧、特にイギリスでは中華や中東世界から優れた学問を導入する事で独自の文明を発展させやすく、動乱を経て封建制へと移行し、次に近代化に至るという段階を踏む時間的余裕があったという共通点を持ちます」


確かに日本は中華から漢字を、西欧は中東からアルファベットを輸入して発展したな。西欧諸国が基本と考えるギリシャ哲学も、彼らは認めないだろうが中東世界が起源であろう


「更に“別の学問的な意味”でも日英の結びつきは歴史の必然であり、日本とイギリスが共に海に沈んで消えない限り今後100年経っても有効な事実です」


うん〜…“別の学問的な意味”とは何か気になるが、それはさておき


「まず、この“文明の生態史観”というのは事実なのか?」


「はい。万里の長城という物証が有ります」


あれか…確かにあれは遊牧民族に対して、歴代の中華帝国が本当に優越していたのであれば必要の無い代物だ。

しかも、紀元前7世紀から建設を始めて、始皇帝へと引き継がれ、その後も漢、隋、宋と手を加え、更には明の時代、日本では室町時代に完成するまで、どれ程苦労して作ったのかは知らぬが、にもかかわらず遊牧民族の侵入を防いだという実績が無いというではないか。


それにロシアはモンゴルの家来の、そのまた家来が建てた国が起源で「タタールのくびき」によって支配されたという屈辱の歴史を持っているから、ロシア人は黄色人種を韃靼だったん人(タタール人)と呼んで忌み嫌っている。


そんな中華帝国に忠誠を誓ってきたのが朝鮮で、歴代の中華帝国の属国であり続けただけで、本当の意味での独立国などでは無かった。

故にあの国の支配者は「皇帝」を名乗ることを許されず、一段下の「国王」で我慢してきたのだ。

だからと言って日本にまでそれを強要するのは完全に誤りだが。


江戸時代初期に明が滅びた後も、後を継いだ清の存在と支配を認めなかったために、清国皇帝によって征伐され、足腰の立たないまでに打ちのめされたがな。


結果として朝鮮国王は土下座よりも屈辱とされる「三跪九叩頭の礼」をもって清の軍門に降った。

また漢城にある「迎恩門」という門は歴代中華帝国に対する服従の証として建てられた。

もっとも、この屈辱の儀式は朝鮮のみならず琉球国も同様で、首里城の入り口にある「守礼門」では琉球国王が同様に清国使者に対して「三跪九叩頭の礼」をさせられていたがな。


今から20年ほど前の事になるが、清国皇帝に謁見した際に「三跪九叩頭の礼」を拒否し、対等の外交交渉を実現した副島種臣は立派であった。


しかもあの国の王は「朝鮮国王」であるにもかかわらず、「陛下」ではなく格下の「殿下」と呼ばれていたのは事実で、これなど完全に属国扱いの証拠ではないか。

洋の東西を問わず「国王殿下」などという表現は寡聞にして知らぬ。


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筆者注→ 日清戦争の結果、清の支配からようやく脱した朝鮮民族は歓喜して迎恩門を破却し、その直近に建てられたのがソウルに現存している「独立門」であるのだが、21世紀では“日本からの独立を記念した門である“との誤った言説が消えていない。

これは同国が漢字を捨ててしまったために、真実が伝わっていないからだと思われ、同様の誤認には枚挙に暇がない。

日本において似たような事例を探せば、草書体を読める人間が少ないのと同様の現象であろうと、“好意的”に解釈しておく。

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私が考え込んでいたと見たのか、高麿が言葉を繋ぐ


「万里の長城は遊牧民族に対しての防壁の役目を十分に果たせなかった為に“世界三大無用の長物“の一つに数えられています」


「初耳だな。あとの二つは?」


「エジプトのピラミッドと……戦艦大和です…」


何故そのように“しくじった”と言わんばかりに顔を歪めるのだ?

しかし、ピラミッドは知っているが、戦艦大和とは何だ?

帆走巡洋艦の「大和」と「武蔵」の事か?

確かにあのような小さいフネでは、もはやロシアと対峙できまいが、それでも「世界三大無用の長物」は表現として大袈裟すぎだ。


ん?それはともかく、明の時と同じく今回も、朝鮮という国は日本には従わずに、清に対して忠誠を誓い続けるという話になるのか?


ということは?どうなるのだ?考えるのだ!


そうか!朝鮮半島に進出して彼の国を従えてしまうという私の考えでは、隣接する中国やロシアという巨大な専制国家の影響を受け、せっかくの日本の優位性が失われるに他ならないではないか!


更に併合した朝鮮は日本に対して本当の意味で従う事は無いし、尊敬もされないどころか永く遺恨になるという話になるな。


更には黄色人種で団結し、白人と対抗しようという別の策も、大陸や半島を支配しようとするのと同様に下策で無理があるのだ。


「要するに大陸や半島と関わってはいけないのか?」


高麿は大きく頷き、このイギリスと結ぶべしとの理屈は100年経っても有効だと言った。

21世紀でも有効な国家方針ということなのか?

であるならば、まさに国家百年の大計ではないか。


それは分かったが、では台湾はどうなのだ?

やはり関わってはいけないのか?


「ところで下関条約によって台湾も日本の統治下に入るそうですが方針は決まっているのですか?」


ちょうど良い機会にこの話が出るとは


「台湾総督府を設置して統治するらしいが、お前には何か策はあるのか?」


「そうですね。台湾は立地的にも欧州や東南アジアとの交易において非常に大切な位置にありますので、日本が統治するのは大変結構な事だと思います。

また台湾は肥沃な土地と聞いていますし、住民の意識も朝鮮とはまるで違うとのことですので、それほど難題があるとは思えません。

ただし開発や資本投資は徐々にゆっくりと進めてください。日本本国の開発を優先して行うべきですので」


そうなのか。

台湾に進出するのは問題がないのだな!


それにしても「別の学問的な意味」とはどういう学問なのだ?と確認してみたのだが、高麿によれば歴史と地理、政治と経済という四つの要素は密接に絡み合っているのだという事らしい。


それならば私にも理解できる。


つまり、ある国や民族の過去の歴史を知ることは、将来におけるそれらの動きを予想する事に繋がるのだな?

中華の歴史を知れば今後の中華の動きを知ることに繋がり、それはロシアも同様であるという話になる。


しかもそこに地理的な要因が加わる。

ロシアを例に出せば、どうしても彼らが欲して止まないものが「不凍港」と、それを含む「領土」というのだな。

故に旅順港を含む遼東半島を欲するのだな!?


では対するイギリスはどうなのだろう?

シンガポールやボンベイにゴア、更には香港という例があるな。


そうか!国という「面」ではなく、拠点という、まさに「点」を真っ先に重視しているではないか!


必然的に海洋航路と、それを守る海軍が何より重要という話になるし、日本との共通点も多い。

一方の中華やロシアは領土を際限なく欲する為に陸軍重視という事になる。


面白いな!そんな学問があるのか。

高麿がどこで学んでいるのか知らぬが、これはこれからも機会を見つけて教えてもらおうではないか。


よし。それではこれから私がやらねばならない事は、陛下へ今の話を奏上して、日本の進む道についてお許しをいただき、内閣や政府を説得せねばならぬな。


それと新聞や雑誌社か。

これらへの根回しも必要だと、高麿は強く言っていたな。


早速行動を始めようではないか!


※次回は明朝7時に更新予定です。

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